VR(バーチャルリアリティ)という仮想現実技術の発達によって、教育の内容もこれから変わってきます。
しかし、ここであらかじめ将来の問題として予測をしておかなければならないことがあります。
それは、幼児期や小学校低学年の時期の成長途上の過程にある子どもには、仮想現実は感覚機能の低下をもたらす可能性があるということです。
これは、あらゆる電子機器について言えることですが、機械が作り出す音や画像がデジタル的なものだというところに問題があるのです。
人間を取り巻く自然環境は、境目のない滑らかなアナログ的なものです。
だから、色の数にしても、本当は無数なのです。
ところが、パソコンやスマホのモニター画面が作り出す色の数は、現在は1677万色で、将来は10億色を超えると言われていますが、デジタル的に限界のある数になっています。
この限られた数ということが、無限に多様な自然の色との違いです。
幼児期や小学校低学年のある臨界期に、このデジタル的に有限な色の数に慣れてしまうと、自然界を見るときも、1677万色の範囲でしか見られなくなる可能性があります。
子猫を縦縞だけの部屋で育てると、横縞を見るための視覚が減少して、横に置いてある棒などにつまずくようになるという実験を知っている方も多いでしょう。
臨界期というのは、生涯のわずかな期間ですが、その後の成長に重要な影響を与えるのです。
これは、今はまだ大きな問題として認識されていませんが、幼児期のテレビの見すぎや、CDなどの機械的な音の聞きすぎが、人間の感受性の発達を制限し、人間らしい感情の発達を阻害するということが次第に明らかになってくると思います。
だから、小さい子供は、できるだけスマホやパソコンやテレビやCDなどの機械的な環境から遠ざけて、自然の環境と人間の肉声の中で育てていくといいのです。
子供の勉強も、タブレットを使った便利なものが増えていますから、将来はVR機器を使ったより魅力的なものが出てくると思います。
しかし、人間の肉声によるお父さんやお母さんとの対話の中で、子供の人間的な思考力は成長していくのです。
◆◆親子の対話を生かした作文指導――言葉の森◆◆
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昔は、テレビに子守りをさせることがあり、そのさせすぎが問題になりました。
近い将来、VR機器に子守りをさせる人が出てくると思います。
すると、人間の自然な感情の発達に、大きな問題が出てくる可能性があります。
子供は、本来自然の中で成長する存在です。
大人は先進的な方がいいのですが、子育てはできるだけ保守的な方がいいのです。
感覚の豊かさは、感情の豊かさに比例します。
「わあ、きれいな夕焼け!」と感動する人と、「ただ空が赤いだけじゃん」という人と、同じものを認識していても感動に差があるのは、この感覚の違いだと思います。
自然の美しさに感動するには、子供時代に、自然とたっぷり触れ合っておく必要があります。
そうでないと、自然を見ているのに、「絵葉書みたいにきれい」などと言ってしまうことになるのです。
まあ、そのたとえもそれなりにいいのですが。
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先日、事務局の人たちと近くの店に食事に行ったとき、後ろの席に座っていた小さい子とお母さんの二人連れが、話している声が聞こえました。
お母さんが、英語で、「アーユーハングリー?」みたいなことを言って、小さい幼稚園ぐらいの子が、「イエスアイアム」のようなことを言っていました。
たぶん、英会話教室か何かからの帰りだったのでしょう。
これは、二重の意味でよくないことなのです。
第一は、幼児期に日本語以外の外国語を入れると、言語能力が正しく育たないからです。
しばらくは、両方できるような気がしますが、学年が上がるにつれて、日本語が不完全にしか育っていないということがわかってきます。
英語教育に優れた実績を残している鵜沢さんも、幼児に英語のCDを聞かせるのは1日15分までと書いています。
「日本人の小学生に100%英語をマスターさせる法」(鵜沢戸久子)
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(この本は、英語教育の優れた本だと思います。)
しかし、本当は、幼児にはそんなことをする必要はないのです。
もうひとつ参考までに、英語学の専門家による英語教育についての本も紹介します。
「英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし」(渡部 昇一)
http://amzn.asia/9efmN9h
第二は、親が英語を話すということがよくないのです。
英語を話すと決まっている人が英語を話すのであれば、幼児はそれを別の言語として受け取ります。
しかし、本来日本語を話すはずの母親が英語を話すと、子供は日本語も英語も混乱して受け取るのです。
だから、海外に赴任したときなども、家庭の中で親子で話す言語は、現地語ではなく日本語と決めておくことです。
幼児期の英語の勉強は、お遊びとしてやっていれば、大きな弊害はありません。
ですから、最初に書いた親子も、たぶん何も大きな問題にはならないでしょう。
問題になるのは、真面目な親が熱心に英語教育をやってしまうことです。
先日もある雑誌で、小さいころから英語の本を読み、今では日本語より英語の本を読むのが好きになっているという小学6年生の子が紹介されていました。
読書力で大事なことは、英語で読めるか、日本語で読めるかということではありません。
難しい内容のものが読めるかどうかということです。
たぶん、その子の読んでいる英語の本というのは、英語の物語の本なのだと思います。
そういう英語力は、ほかの子が英語を勉強するようになればすぐに追いつかれてしまいます。
すると、英語を読めるかどうかといことよりも、英語であれ日本語であれ、難しい内容のものを読み取ることができるかどうかということこそが本当の学力だったということがわかってくるのです。
というようなことを以前、言葉の森のホームページの記事に書いたところ、生徒の保護者から猛烈なクレームの電話が来ました。
「うちの子は、幼児期から英語をやっている。しかし、英語も日本語も両方しっかりできる。英語の勉強の水をさすようなことを書かないでほしい」ということでした。
ほかにも、そう思っている人は、多いと思います。
でも、今回もまた書きました(笑)。
百歩譲って、日本語と英語の両方をしっかり学べる新しい教育方法を開発している人はいるかもしれません。
しかし、ほとんどの場合、そういうことはありません。
幼児期からの英語教育は、大した効果がないか、弊害があるかのどちらかだと思います。
では、英語はやらなくいいかというと、今はまだそうではありません。
やるとしたら、日本語能力がしっかり定着した小学4年生以降からということなのです。
では、幼児期に英語の環境にいすぎて、日本語が不十分のまま成長してしまったということがあとからわかった場合はどうしたらいいのでしょうか。
それは、日本語を外国語の学習のつもりでじっくり時間をかけて取り組むということです。
よくないのは、親が、日本語はすぐできるはずだと思って性急に成果を望むことです。
いったん英語の土台ができてしまった子が日本語を習得するのは、想像以上に大変なことです。
しかし、決して不可能なことではありません。
努力して複数の言語を学ぶのだということを自覚して取り組んでいけばいいのです。
◆◆作文は日本語力の集大成――Online作文教室言葉の森◆◆
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日本人はまず日本語をしっかりというのは、決して保守的な考えでも何でもなく、ごく当然のことだと思います。
幹をしっかり育ててから、枝葉を育てていけばいいのです。
「幼稚園で、もう英語を喋れる子がいる」と、うらやましがっていたお母さんがいたので(笑)、ひとこと書きました。
うちの子は、インタースクールでバイリンガルですが、そのために国語ができないのでしょうか?
作文を始めたのも、国語が弱いからですが、なかなか上達しません。
日本語能力が弱いのでしょうか?
どのような日本語能力が弱くなってしまうのでしょうか?
作文から読みとれますか?
namiさん、国語が弱いという程度でしたら問題ありません。
問題になるのは、日本語が実感として読み取れないというようなレベルです。
これから、読書と音読に力を入れて、学年がある程度上がってきたら問題集読書なども組み合わせて読む力をつけていくといいと思います。
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小学1、2年生の子供のお母さんから、「勉強はできるが作文があまりうまく書けない」という相談を受けることがよくあります。
なぜそういう相談が出てくるかというと、学校などで作文を書かせる授業があるからです。
子供たちに作文を書かせれば、小学校低学年のころはいろいろな書き方の間違いがあります。
その間違いを直して正しく書かせることが勉強の中心になってしまうことがあるのです。
ところが、子供は大人と違って、間違いを指摘して直されたからといってすぐに正しい書き方ができるようにわけではありません。
それは文章を書くことの土台になる文章を読む経験がまだ圧倒的に少ないからです。
ですから、作文の勉強でいちばん大事なのは読むことに力を入れていくことで、そのあとで書く練習をすることなのです。
外に出てくるアウトプットの部分だけを直そうとしてもうまくいきません。
インプットの部分を充実させることで、自然にアウトプットがよくなるようにして行くのです。
こういう仕組みを知っているだけで、低学年の子供たちの作文は、もっとゆとりを持って見られるようになると思います。
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子供が小さいときほど、苦手意識を持たせないことが大事です。
間違いを直す勉強を中心にすると、その勉強が苦手なのだと思ってしまいます。
間違いを直すのではなく、正しいものとたっぷり与えていけばいいのです。
小学1、2年生で作文が苦手な子と正反対に、まるで本から写してきたかのように立派な作文を書く子がいます。
しかし、それはまだ本当の実力ではありません。
低学年のころは、入ったものがそのまま出てくる時期なので、本を読むのが好きな子は、本で読んだことを自然に自分の言葉のように書くことができるのです。
それが、小学3年生になると、だんだん自分の中にある言葉で書くようになってきます。
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