次は、記述力の練習方法です。
問題集などから、一つの問題文を選び、その感想を書く練習をします。
1文の平均は約50字と考え、指定した字数でまとめるようにします。
この感想の書き方で大事なところは、ある考えともう一つの考えを対比して書くことです。
しかし、それが難しいようであれば、ただ字数を指定して書くだけでもかまいません。
字数は、50字にまとめるとか100字にまとめるとかを自分で決めて、その字数の感覚をつかめるように練習します。
この場合、決めた子数ぴったりにまとめるということを心がけると、細部の表現を工夫する力がついていきます。
記述のコツは、対比して書くことです。
対比して書くとは、「Aだと思う」とだけ書くのではなく、「BではなくAだと思う」とか、「確かにBという考えもあるが、Aだと思う」というように、自分が書こうと思うことと対比する考えや事実がわかるようにするということです。
記述の問題の多くは、この対比が重要なポイントとなるところで出されています。
対比の仕方には、ほかに、「Bではなく、Aになった」とか、「Bでありつつ、Aであった」とかいうものもあります。
この対比を自覚して書いていくと、輪郭のはっきりした記述になってきます。
この記述の練習も、毎日やるためには、親が簡単に評価する仕組みを作っておく必要があります。
そのためには、元の問題文と照合して内容が合っているかどうかまで見る必要はなく、ただ書かれた記述の文章を見て、それが意味の通ったものであるかどうかだけを見ておけばよいのです。
というのは、もし内容とずれている記述であっても、それは注意して直るものではないからです。
読む力と書く力がつけば、自然に内容に合った記述になってきます。
国語の勉強は、繰り返しているうちに、次第に中身が伴ってくるという特徴があります。
だから、何度も練習するという基礎力をつけておくことが大事なのです。
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算数・数学の勉強は、ただ繰り返しているだけではできるようになりません。
理屈を理解するのが勉強の基本です。
国語の勉強とは、これとは反対です。
理屈を理解するより以前に、何しろ繰り返すことが大事なのです。
繰り返しているうちに、自然に読む力、書く力がついてきます。
理屈による理解は、そのあとの最後の仕上げになるのです。
「読書百遍意自ずから通ず」という言葉があるように、国語の勉強は繰り返しているうちに、自然にできるようになる面があります。
これは、国語だけでなく、英語など語学の勉強にも共通するものだと思います。
理屈により理解は、まず繰り返して慣れたあとにしていくものです。
理屈による説明を先にすると、かえって難しくなるのです。
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国語力には、読む力のほかに書く力もあります。
例えば、要約の問題、記述の問題、作文や小論文の問題などです。
読む力の基本が、難しい文章を読みなれることだったのと同じように、書く力の基本は、書き慣れることです。
その書き慣れるという基礎力の上に、書き方のテクニックがあります。
大事なことは、テクニックよりも時間のかかる基礎力を早めにつけておくことです。
書く基礎力をつけるためには、週に1回や2回、国語の教室に通って勉強をするのでは間に合いません。
短時間でよいので、家庭で毎日書く練習をすることが大切です。
では、書く練習はどのようにするのでしょうか。
まず、要約の練習です。
要約の練習で大事なことは、素早くまとめる力をつけることです。
時間のかかる練習方法では、子供が飽きてしまいます。
簡単にできるやり方で、毎日続けていくのです。
まず、要約のもとになる文章を読みながら、自分なりによくわかったところ、大事そうだと思うところに、線を引いていきます。
この場合、中心になるのは、よくわかったというところです。
よくわかったところが、大事なところだと思えなくてもかまいません。
自分なりに、なるほどと思ったところに線を引いていくのです。
一通り読み終えたら、自分が線を引いたところだけを選んで飛ばし読みをします。
その飛ばし読みを何度か続けると、文章の全体の流れが頭に入ります。
そこで改めて大事なところを選ぶようにします。
1文の平均の長さを50字と考えると、150字の要約であれば3文です。
最初は3文にまとめるぐらいを目標に、大事だと思うところを3か所選びます。
そして、その3か所の文をつなげれば要約の出来上がりです。
これを言葉の森では、三文抜き書きという呼び方で練習しています。
最初は、文章の中心とずれたところで三文抜き書きになってもかまいません。
要約らしい形ができていれば、練習を続けるうちに、あとから内容が伴ってくるようになります。
この、形を先にする練習であれば、どの子も要約の練習ができるようになります。
この練習を毎日するのです。
元にする文章は、国語問題集の問題文から選びます。
ところで、要約のあと、その文章を見てあげる人がいなければ、子供にとってはやはり張り合いがありません。
そこで、お父さんやお母さんが、その要約の文章をチェックします。
このときに大事なことは、その要約が元の文章の内容と合っているかどうかということではありません。
そこまで考えると、要約のチェック自体が負担になるので、親の都合で要約の練習が毎日はできないということになりかねません。
要約の練習は、要約に慣れることが目的ですから、チェックはもっと簡単でいいのです。
要約した文章が分かりやすく書かれているかどうかがチェックの基準です。
この練習を繰り返していると、誰でも楽に要約ができるようになります。
そして、要約の仕方に慣れてきたら、次は、字数を指定して150字なら150字ぴったりに1文字の過不足もなくまとめる練習をします。
それができたら、時間制限をして、その時間内にまとめる練習をします。
こういう目標があると、要約の練習は楽しくなってくるからです。
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書く力の練習には、テクニックを覚えるより前に、書き慣れるという基礎力をつけておくことが大事です。
基礎力をつける練習には、家庭での毎日の自習が必要です。
そして、家庭での自習でいちばん大切なのが、できるだけ簡単なやり方で続けることなのです。
簡単なやり方で、短時間で、毎日欠かさず、そしていつも褒める、というのが勉強の基本です。
勉強を教えることに慣れていない人ほど、難しい複雑なやり方で完璧に理屈どおりに勉強を教えようとします。
そういう勉強のさせ方は、2、3回はうまく行きますが、やがて子供が負担になり、叱る回数が増えてきて、そのうちに続かなくなります。
できるだけ手を抜いて、楽にできる方法で、毎日続けていくのがいいのです。
昔、ケセラセラという言葉がありましたが、ちょうどそんな感じでやっていくといいのです。
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自主学習クラスでは、国語の問題集読書を中心に、家庭学習のチェックをしています。
これは、特に国語の勉強が家庭学習だけでは続けにくいからです。
普通、国語の家庭での勉強というと、問題集を解くような形の勉強になります。
しかし、これでは国語力はほとんどつきません。
それは、かける時間のわりに読む量が少なすぎるからです。
国語力の基礎は、難しい文章を数多く読み慣れることです。
その基礎力の上に問題を解くテクニックがあります。
その勉強法として最も役に立つものが問題集読書です。
問題集読書で深く読む力をつける一方、普通の読書で読むスピードをつけ、更に高度な読書で考える力をつけていくというのが国語力を育て王道です。
ところで、この自主学習クラスでは、国語以外の他の教科の勉強もチェックできるようにしています。
特に、今後役に立つのが、スタディサプリを使った算数数学の1年間先取り勉強です。
なぜ、算数数学を先取りしておくといいかというと、受験期の1年間は受験用の算数数学の勉強をすることができるからです。
特に、日本の入試問題は算数数学の成績で差がつくようになるので、受験期には受験に特化した算数数学の勉強をしていけるといいのです。
家庭学習を基本にして、家庭だけでは続けにくくなる勉強を、オンラインで先生がチェックするという勉強法は、今後いろいろなところで取り組まれてくると思います。
特に、長文音読や、読書や、問題集読書のような形の残らない勉強には、この「家庭学習」プラス「オンラインチェック」というのは有効な勉強法になると思います。
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今回はちょっと話を変えて、スタディサプリの先取り勉強についてです。
特に、算数数学の1年間先取り学習が、日本の受験体制の中では有利になります。
本当は、先取りの勉強などをする必要はありません。
しかし、大学入試の数学においては、先取りの有無で大きな差がついてしまいます。
だから、小中学生のうちから、学校の勉強に頼らない先取りの勉強法を身につけておくといいのです。
勉強は家庭での独学が一番です。
昔は独学用の教材が限られていましたが、今は豊富にあります。
本当は、学校の教科書が独学できるように作られていればいちばんいいのですが、今はその代わりにスタディサプリなどの利用ができるようになっています。
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垂直統合から水平分業へということで、コンピュータ産業が構造転換したときの様子を図解でわかりやすく説明しているページがありました。
パラノイアだけが生き残る
(池田信夫氏のブログより)
この記事の趣旨は、自動車産業においても、EV化が水平分業の形で進むということです。
しかし、私は、ここから連想して、教育産業にも同じことがあてはまると思いました。
今の教育の本流は、垂直統合です。
学校という場が、教材も先生も教室も用意して、垂直統合的に子供の教育を行っています。
部分的に、学校とは別の習い事に行ったり、学習塾に行ったりする面はありますが、それは本流ではありません。
しかし、インターネットの活用が、今後、教育においても、水平分業を進めていくと考えられます。
そのひとつの象徴が、年々増加する不登校という現象です。
平成27年度の調査によると、小学生の生徒数は654万人と、前年度よりも6万人減っています。
しかし、不登校の数は2万6千人と2千人も増えています。
中学生の場合は、347万人と前年度よりも4万人減っています。
しかし、不登校の数は9万7千人と2千人も増えています。
平成27年度学校基本調査(確定値)の公表について
ありえないことですが、このグラフをずっとそのまま延長していけば、やがて生徒数よりも不登校の数の方が多くなる時期が来るということです。
不登校というと、まるで学校に登校することが当然のことで、登校しないことが例外的なことのように思われがちですが、そういうことはありません。
私自身の子供時代をふりかえっても、学校の勉強は本当に退屈でした。
いつも、窓から外を見ては、スズメなどの小鳥は自由でいいなあと思っていたものです。
ただ、当時は不登校という選択肢があるとは知らなかったので、つまらなくても我慢して学校には行くものだと思って行っていただけです。
そのときに自分を励ます言葉が、「○○ちゃんに会うために行くんだ」ということでした。
もちろん、中には学校が好きでたまらないという人もいると思いますが、私は自分の経験から、不登校というのはごく普通のことのように思っています。
ところが、昔は、学校の垂直統合度が今よりも高かったので、学校に行かないと勉強がわからなくなるという心配がありました。
学校以外の選択肢というものが、あまりなかったのです。
しかし、今は、学校以外の選択肢はかなりあります。
それにも増して重要なことは、フリースクールなどのやはり垂直統合型の学習の場を選ぶ以外に、水平分業型の勉強もできるようになっていることです。
それを可能にしたのは、やはりインターネットによる情報流通と交流機会の増加です。
今は、家庭でいながらにして、教材と先生と教室を水平分業的に選べるようになっているのです。
この水平分業的な選択がこれから増えてくると思われるのは、勉強の目的がこれまでの単線型の受験中心から、それぞれの生徒の関心や希望に応じたものになっていくからです。
ここでコンピュータ産業が、水平分業型に移行した際、主要なプレーヤーがIBMからマイクロソフトに移ったのと同じようなことが、教育産業においても起きてくると思われます。
それを私は、教材でも、先生でも、教室でもなく、一緒に勉強する友達ではないかと考えています。
人間にとって、最も重要な選択の基準は、居心地のいい仲間と一緒にいることです。
それは、勉強のような、それ自体は友達との交流が不可欠ではない分野についても言えることです。
言葉の森も、そういう友達との交流ができるような学習機会を通信教育の中で作っていきたいと思っています。
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今はまだ、学校のような勉強全体を見てくれるところに頼らなければ、家庭だけで子供を教育するのは難しいと感じている人が多いと思います。
しかし、条件としては、家庭学習だけで、学校と同じ勉強をすることは十分に可能になっています。
と考えてみると、最後に残る重要な要素は、友達の存在ではないかと思いました。
コンピュータ産業においては、グローバル化が進みました。
それは、IT技術が基本的にコピーが可能なものを対象にしていたからです。
しかし、これからの教育文化産業においては、対象はコピーできない個々の人間になります。
だから、これからの産業は、ネット上のローカル化が進んでいくのです。
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