うちの子供が保育園に通っていたころ、毎朝、子供の様子をノートに書いて先生に渡すという決まりがありました。
せっかく書くのだからと、毎朝必ず何か面白い笑える話を入れて書くようにしました。
朝の慌ただしい時間帯ですから、毎日、面白い話を見つけて書くのは大変です。
しかし、何年か経ってそのノートを読み返してみると、その時の情景がありありと思い浮かび、大変だった子育てがその大変さの分だけいい思い出になっていると気がついたのです。
今、言葉の森で作文を書くために、お母さんやお父さんが子供の話に付き合ったり、また、思考発表クラブで構想図を書くのを手伝ったりアップロードしたりするのは、お母さんやお父さんにとっては結構大変なことだと思います。
しかし、それが何年か経ってみると、その大変さに比例していい思い出になっているのです。
だから、大事なことは時々手を抜いて、あまり真面目にやろうとしすぎないことです。
子供時代というのは、振り返るとあっという間に過ぎてしまうような時期です。
この時期を楽しみながら取り組んでいくといいと思います。
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子供が言うことを聞いてくれないとイライラするときは、ちょっと遠くを見るのです。
10年後とか。
そして、やがてこんなことがいい思い出になるだろうと思うのです。
子供時代は、ふりかえると一瞬の出来事です。
ときどき手を抜いて、できるだけ楽しくやっていくことです。
子供を見ていると、いろいろなことが心配になります。
しかし、困った子も、みんな立派な社会人になっていきます。
そして、どちらかというと、困った子ほどたくましく生きていくようなのです。
だから、困ったことは起こらないと考えておくといいのです。
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勉強も仕事も、やらなけれがならないと言われているものは、もともとあまり面白くないものが多いものです。
集中してやれば短時間でできることなのに、なかなか始められなかったり、ついだらだらやってしまったりすることがよくあります。
しかし、集中力がないということはある意味で人間的なことです。
機械であれば、同じ作業を集中して延々と続けます。
もし、人間でもそういうことができる人がいたとすれば、その人は仕事も勉強もよくできるようになるかもしれませんが、あまり人間味があるとは言えません。
人間味には、いろいろな要素がありますが、そのひとつが創造性です。
創造性のある人は、やり方の決められたことに長時間集中するのが苦手なのです。
そこで、退屈なことにも集中力をつけて取り組むコツが必要になります。
まず子供に集中力をつける前提として、無理に長時間勉強をさせないということがあります。
小学校低学年で、なかなか勉強にとりかからなかったり、すぐに飽きたりするという子の場合、勉強のしすぎという背景があることがかなり多いです。
親がちょうどいいと思うぐらいの時間は、子供には大体長すぎます。
親が、これでは短いというぐらいの時間が、子供には適度な時間なのです。
勉強が適度な時間であるのに、集中できないという場合は、目標を作ることが集中力をつけるコツになります。
そのひとつが、タイマーを使うことです。
やらなければならない勉強を始めるのに、それが何分で仕上げられるかという見積りをあらかじめ立ててみるのです。
この見積りを親が決めるのではなく、子供が自分で決められるようにします。
例えば、長文の音読暗唱をやるとした場合、5分でやりきれると思えばタイマーを5分にして取り組みます。
すると、取り組むきっかけができ、目標ができるので、退屈な勉強もすぐに取り掛かれます。
また、タイマーで時間を見積もるときに、自分の好きな占いの方法で時間を決めると、更に目標が絞りやすくなります。
人間は、自分の自由意思で決めるよりも、他から決めるきっかけを与えられた方が迷わずに取り組めるのです。
このタイマーによる方法は、勉強だけでなく遊びにも使うことができます。
退屈な勉強をしていると、途中でしばらく息抜きをしたくなることがあります。
息抜きで、インターネットを見たり、漫画を見たりするということは誰でもあります。
その息抜きに、「では、5分だけ漫画を見てからまた始めよう」などというふうに使うのです。
子供の勉強や遊びの時間を親が指図しすぎると、子供が自分自身で工夫する力が育ちません。
小さいころから、自分で時間をコントロールする仕方を身につけておくと、高校生や大学生になり自分の自由意志で勉強をするようになったときにそのコツが役立ってくるのです。
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集中力を持たせるには、第一に長時間やらせないことです。
第二に、予定より早く終わったからと言って、勉強を追加させないことです。(やる人が多い(笑))
第三は、タイマーをうまく活用することです。
そして、第四は、退屈な勉強には集中できないのがむしろ人間の本来の姿だと思うことです。
集中力のある子を育てるには、子供が何かに熱中していたらそれを途中で止めないことです。
食事の時間になったとしても、「ご飯だから、もう片付けなさい」などと途中で水を差すようなことはせずに、本人が満足して自然に終えるまで気長に待っていてあげるのです。
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子供の勉強を親が見るときに、つい早く正しくできるようにしたいと思って褒めるよりも叱ることを中心にしてしまう場合があります。
褒め言葉は効果が弱いような気がするのに比べて、叱り言葉はすぐその場で効果が出るからです。
そして、この叱るということはなぜか習慣になりやすいのです。
子供がよくお母さんはいつも小言を言うと思っているのは、小言を言うことが、お母さん自身は自覚していなくても一つの生きる姿勢に近くなってしまっているからです。
これに対して、ほめる姿勢は、なかなか習慣にはなりません。
だから、毎日意識して子供の良いところを褒めるようにしていくことです。
なぜ褒めることが大切かというと、それは子供が社会人になったときの生きる自信につながるからです。
学校の勉強は、ただ答えが合っていればいいだけですが、世の中で遭遇する問題は答えがあるような、ないようなものばかりです。
そこで何がいちばん差がつくかというと、その子の明るい前向きな姿勢なのです。
物事は暗く後ろ向きに考えると失敗する確率が高くなり、明るく前向きに考えると成功する確率が高くなります。
勉強ができるかできないかというよりも、この成功しやすいか失敗しやすいかということが人生で最も大切なことです。
そして、その自分の成功に対する自信は、子供時代の褒めて育てられたことによる自信から来ることが多いのです。
学校時代は、人生の練習期間です。
社会に出てからが、人生の本番です。
練習期間に減点法で自信をなくしてしまうと、本番でのびのびとプレーができなくなります。
叱らなければならないことがあった場合でも、強く明るく短く叱ることです。
長所を褒めることを第一にし、欠点を直すことを第二にすることが、本番に強い、社会に出てから成功しやすい子供を育てることなのです。
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褒め言葉は、その場ではあまり効果があるように見えません。
その反対に、叱り言葉はその場ですぐに効果が出ます。
だから、叱ることがつい習慣になってしまうのです。
褒めることは、なかなか習慣にはなりません。
だから、毎日意識して褒めるようにすることです。
「年寄りっ子は三文安」という言葉があります。
おじいちゃんおばあちゃんに育てられた子は、甘くなりやすいということですが、社会に出てからはその甘い考え方の方がうまく行くことが多いのです。
甘い考えの子は、社会に出てから自然に鍛えられますが、その反対に辛い考えの子が社会に出てから楽天的になることはあまりないからです。
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小学一年生の勉強で大事なことは、最初からすべてて子供に自分の力でやらせるようなことはしないことです。
お母さんがどんどん手助けをしてあげて、勉強というのは簡単にできるものだという感じを持たせることです。
作文の場合は特にこの手助けをして簡単な勉強にすることが大切です。
その方法は、最初から子供に書かせるのではなく、お母さんが子供の話を聞いて作文のメモを書いてあげるというやり方です。
このメモを構想図と呼んでいます。
(以前は構成図と呼んでいましたが、構成図という言葉だとそのとおりに書かなければいけないと思ってしまう人が多いので、今は構想図と呼んでいます。どちらも同じものです。)
構想図は、お母さんが子供と一緒におしゃべりをしながら、子供の言ったことやお母さんの言ったことを短文で散らし書き風に1枚の紙に書いていきます。
一枚の紙に書くのは、全体が一目で見られるようにするためです。
2枚も3枚も書くのではなく、1枚またはノート見開き2ページに書くぐらいがよいのです。
そのメモ(構想図)を書いたあとに、子供にまだ文章を書く力がなければ、お母さんがその構想図を元にした作文を書いてあげます。
子供の話したことがお母さんの書くのですから、半分は子供の作品、もう半分はお母さんの作品ということになります。
この場合、お母さんはあまりじっくり書いてはいけません。
お母さんが力を入れて長く書いてしまうと、子供は自分には到底そういうことはできないと思ってしまうからです。
子供が自分で作文を書けるようになったときに、同じように書けるぐらいの分量で書いておくのです。
この二人の合作を、お母さんが読んであげても、子供に読ませてもよいのですが、二人で作ったという感覚を共有することが大切です。
そしてこの二人の合作の作文に、お父さんがあとでコメントを入れてあげるという形にすれば、家族全員で子供の作文を書き上げたことになります。
その際、コメントは内容に共感するようなことを中心にして、間違いを直したり注意したりはしないことです。
子供はまだ文章は書けなくても、絵は描けるので、その作文に書かれていることを絵を描いておきます。
また、お母さんと話をする前の最初の時間に絵を描いておき、それをもとに親子で話すという形にしてもよいのです。
この親子で書く作文がなぜよいかと言うと、子供というものは常にお母さんやお父さんのような模範となる大人の真似をしたいと思っているからです。
お母さんやお父さんが楽しく文章を書いていれば、必ず自分もそのような文章を書けるようになりたいと思います。
実際に作文を書く前に、作文を書くことに対する気持ちの準備をしておくことが大事なのです。
構想図を書くことによって、作文の内容について親子で話をするということは、子供の語彙力や理解力や表現力を育てます。
作文は、文章を書くということに限定したものではなく、他の人の話を聞いたり、自分で話をしたりするということも作文の一部です。
子供がある程度作文が書けるようになったときにも、この構造図の方法は使えます。
よく書くことをすぐに親に聞く1、2年生の子がいます。
それは自分の書いたことを注意されるようなことがあったために、不安で聞くということも多いのです。
子供が作文を書いている間、そのたびにお母さんに聞くという形では、お母さんの時間的な負担が大きくなります。
この場合も、そのつど聞かれて答えるのではなく、最初に親子で構想図を書き上げてしまうのです。
構想図を書く時間は10分か15分程度で、そのあとは子供がその構造図を参考に自分で作文を書いていけるようになります。
構想図に書いたことをそのまま作文にして書いておしまいにする子もいます。 しかし、これはこれで構いません。
こういうときでも、書き上げたことをたっぷり褒めてあげます。
書くことに慣れて自信がついてくれば、子供は必ず自分のオリジナルな文を書こうとします。
だから、それまでのまだ自信のないうちは、お母さんの書いた構想図をそのまま作文に書き出すだけでもいいのです。
作文のような難しくなりがちな勉強は、何しろ楽にできるような形の勉強にしてそれができたらたくさん褒めてあげることです。
そして、このように作文を書くことは簡単だという気持ちを持たせる一方、読み聞かせや読書や対話によって文章を書く土台となる語彙力や表現力を育てていくのです。
なぜ、まだ作文が十分に書けない小学1年生のころから作文を書く練習をするのがいいかというと、作文を書くという時間を早めに小学校生活の一部にすることができるからです。
作文を書くことが生活の一部になると、そのほかの勉強も、遊びも、子供の生活全体を作文と結びつけて組み立てていけるようになるからです。
国語力アップの秘訣(1)――読む力をつける
国語力アップの秘訣(2)――問題集読書のすすめ
国語力アップの秘訣(3)――スタディサプリの先取り勉強法
国語力アップの秘訣(4)――要約の練習
国語力アップの秘訣(5)――記述の練習
国語力アップの秘訣(6)――作文、感想文、小論文
国語力アップの秘訣(7)――小学1年生の作文指導
国語力アップの秘訣(8)――小学1年生の親子作文
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小学1年生で作文がまともに書ける子は、ほとんどいません。
作文が上手に書けるようになるのは3年生のころからです。
しかし、この時期から始めるのではやや遅いのです。
作文は、実際に文章を書くことだけではありません。
文章を書く以前の、書く内容を話したり、その話したことを文章にしてもらったり、その文章を読んだりすることも作文の勉強のひとつです。
これを1年生から始めて、作文の勉強を早めに生活の一部になるようにしておくといいのです。
小3男児の母です
子どもの話を聞いて
とか
一緒におしゃべりをしながら
とありますが
話すことが苦手で言葉が出てきません
話さないのです
日記ですと、あったことが思い出せない
結局、母の誘導尋問です
何も感じないのか気持ちを表す言葉も出てきません
気持ちを表す言葉の一覧を見せてそこから選んでもらっています
母の作文になっていまい
自身で考える気がどんどんなくなっているように感じます
9割が母の言葉だったとしても
親子作文で力はつくのでしょうか
国語のテストを見る限り
読解力、助詞、接続詞、言葉の意味、使い方は問題無いです
読書量も多い方だと思います
理科の観察文はスラスラ書きます
質、量、スピード、問題ありません
目の前にあるものを見て事実を書くのは出来るようです
Taiさん、こんにちは。
ほかの勉強ができているのであれば、作文がなかなか書けないというのは心理的な問題です。
心配は要りません。
1.親が9割書いていても実力はつきます。。
2.いつも明るく楽しい雰囲気でこれからも続けていくといいです。
3.思考発表クラブで、同じ学年の子がどんな構成図(構想図)を書いているか見てみると参考になると思います。
思考発表クラブは、2回、無料体験という形で見学ができます。
そこに参加して、本の紹介をしたり、自分でも構成図(構想図)を書いて発表してみたりするといいです。
小1や小2の子は、親が書いている場合があるので、お母さんがほとんど書いたものでもかまいません。
たぶん、ほかの子がやっているのを見ると、自分でも自分の力でやってみようとなると思います。
火・水・木のいずれも18:00~18:45で、それぞれ5~6名の子がいます。
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日本人は遠慮がちなので、自分のいいところをアピールするのが苦手です。
そういう訓練を普段していないのです。
逆に、あまり自分をアピールすると、敬遠されてしまうような文化があります。
しかし、志望理由書は、その遠慮を乗り越えて自分のよさをアピールしていくことが大切です。
同じ事柄でも、書き方によって印象がモノクロがカラーになるぐらい変わってくるのです。
これまで志望理由書を見てあげた子の中には、「これは志望理由書で合否が決まったんだろうな」という子もいました。
高校生ぐらいでも、自分のよさをアピールすることがよくわからないので、第三者が見てあげることが必要なのです。
いちばんいいのは、お父さんお母さんが、自分が書くつもりで見ることです。
また、面接の練習も、必ずお父さんお母さんが面接官の役になって家で練習しておくことです。
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まず作文を書く以前の、文字を書く練習を始める時期についてです。
文字は小学校に上がってから書けるようになればいい、という考えがあります。
しかし、子供は周囲の家族や親や兄弟のしていることを真似したがります。
兄や姉がノートに字を書いているのを見ると、必ず自分も同じようなことをしてみたくなります。
子供が文字に興味を持って書き始めた時期が、文字の練習を始める時期です。
なぜかと言うと、自己流に文字を書く時期が長いと、整った字の書き方を身につけにくくなるからです。
勉強の開始時期は、機械的に決めるのではなく、本人が興味を持った時期ということを基準にしておくといいのです。
さて、小学1年生のころは、経験すること、話をすること、読むことが勉強の中心で、書くことはそのあとの勉強です。
ところが、学校によっては、1年生の早い時期から作文を書く指導を始めるところがあります。
そのときに、既に読む力が十分にある子は、作文の勉強についていけます。
しかし、読む力がまだ不十分だと、作文は直されるだけの勉強になり、苦手意識を持ってしまうことがあるのです。
だから、1年生のころから正しい書き方をできるようにしておく必要があります。
しかし、それは苦しい思いをさせてやるものではありません。
1年生の作文の勉強の基本を一言で言えば、楽しく勉強しながら正しい書き方を身につけるということです。
また、1年生で、作文を上手に書くことを目標にする必要はありません。
学校の作文の宿題などでは、上手に書くことを求められる面がありますが、小学一年生の子供に上手さを要求すると勉強に無理が出てきます。
それは楽しく書くことと相反することが多いのです。
特に1年生のころは、作文のコンクールに入選するというところまでを目標にしないことです。
コンクールの入選を目標にすると、どうしても親が口を出したくなります。
子供が自主的にできる範囲を超えて親が作文のアドバイスをすると、確かに上手にはなりますが、子供が自分で書く喜びを失わせる結果になります。
親が子供の教育に関わることは大事ですが、その関わりはあくまでも子供の自立心や自主性を尊重する方向でやっていく必要があります。
そのためには多少不十分なところがあっても、本人が自分の力でやれる範囲に留めておき、それ以上の要求はしないという姿勢が必要になります。
こういう関わり方を続けていけば、子供が高学年になってからも親子で協力して勉強を続けていくことができます。
さて、作文を書く勉強の第一は、書くことを準備することです。
時々、よく書ける子の中に、本をよく読んでいるので、実際の自分の経験を作文に書くのではなく、頭の中に浮かんだ物語を作文として書く子がいます。
小学1年生のころは、読んだものがそのまま頭に入っているので、読んだ本と同じような文章がすらすらと出てきます。
そういう作文も、もちろん書いていいのです。
しかし、実際の自分の経験を通して見たり聞いたり行動したりしたことを書くことで、書き方の工夫ができるようになります。
ですから、作文に書くことは、自分の経験を中心にしますが、たまたまその週にあったことに任せるのではなく、家庭で意識的にそれぞれの季節の行事や遊びなどを取り入れていくといいのです。
言葉の森では、実行課題集というものを作り、それを参考にして家庭でいろいろな取り組みができるようにしています。
自然の観察に出かけたり、家で料理を作ったり、工作や実験をしたりというような経験を作文の題材として使っていくのです。
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小学1年生のころの子は、何も教えていないときは、みんな作文が好きです。
しかし、教え始めると、好きになる子と嫌いになる子が出てきます。
そして、熱心に教えると、それに比例して嫌いになる子が増えてきます。
作文のような答えのない勉強は、教え方の工夫が必要なのです。
体験学習に来た子に、「作文を書くのは、好き? 普通? 苦手?」などと聞いて、「好き」と言う子は、これまであまり作文指導を受けてこなかった子です。
ですから、表記もできていないことが多いのですが、その代わり教えられていないから、作文が好きなのです。
逆に、「苦手」と言う子は、正しい書き方がきちんとできます。
しかし、作文が嫌いで苦手と思っているのです。
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要約や記述以外のもっと長い作文、感想文、小論文などの練習については、家庭で勉強をするのは難しいと思います。
逆に、要約や記述の練習は、家庭でやっていく方がずっと能率よく数多く楽に勉強できます。
以下、作文、感想文、小論文などをまとめて、広義の「作文」という言葉で説明していきます。
ときどき、「作文と小論文は違う」などと言う人もいますが、全然違わないというのが言葉の森の立場です。
例えば、「私の友達」のような身近な説明文的な課題でも、出来事を中心に生活作文的に書くこともできますし、友情論のような形の論文として書くこともできます。
題材が中心になれば作文的になり、主題が中心になれば論文的になり、その中間の文章は随筆的なものになります。
そして、どのような文章であっても、構成、題材、表現、主題が優れているものが上手な文章です。
だから、作文と小論文の区別を考えるよりも、まずよい文章を書くことを心がけていけばいいのです。
さて、この作文の練習については、言葉の森の作文教室で勉強をしていくのが最もよいやり方になると思います。
言葉の森には、通信コースも通学コースもありますが、通信コースは電話指導なので、通学と同じような形で勉強できます。
今は、希望者には、オンラインで先生の顔を見て電話指導を受けることもできます。
オンラインの場合は、そのままほかの生徒の勉強している様子を見ながら勉強できます。
他の教室を否定するわけではありませんが(笑)、作文教室と銘打っている教室の多くは、あまり系統的な指導をしていません。
講義の多くは原稿用紙の使い方や表記の仕方の注意のようなもので占められ、あとは生徒の書いた作文を赤ペンでたっぷり添削するという方法です。
子供の作文は、いくら赤ペンで添削しても上手にはなりません。
作文を書き出す前の準備の段階で、どう書いたらいいかを指導し、その指導に沿って評価していく中で書く力が少しずつ上達していくのです。
そして、書く勉強だけでは作文力の上達には限界があるので、書くことと並行して長文音読のような読む勉強に力を入れていく必要があります。
作文の練習は、言葉の森で勉強をするのがいちばんいいとは書きましたが、勉強の内容をより充実させるためには、先生の指導に任せきりにしないことも大事です。
家庭では、次の二つの取り組みをしておくといいのです。
一つは、書く前の準備として、作文の課題に関して、親が似た話をしてあげることです。
この家庭での似た話の準備をしてくる生徒は、毎回の作文がとても充実したものになります。
また、親と話をすることで、語彙力や思考力が育ってきます。
準備というと親の負担が大きいと思う人もいるかもしれませんが、作文の課題について親子であれこれ話をするというのは、実は楽しいことなのです。
話のコツは、勉強的にやらずに、脱線してもいいので楽しい雑談のような雰囲気で話していくことです。
家庭での取り組みのもう一つは、返却された作文の誤字や表記ミスを家庭で書き直す練習をしておくことです。
それは、誤字や誤表記は、一度指摘されたぐらいではなかなか直らないからです。
受験作文の場合は、特にこの書き直しが重要になります。
先生から返却された作文を、親子で協力してよりよい表現や実例に書き直し、一つの模範解答の作文となるように仕上げておきます。
それを受験の前までに、何度も音読し、同じテーマで同じ文章が短時間で書き上げられるようにしておくといいのです。
以上のように、作文の練習の場合も、家庭での親の関わりが必要になります。
大事なことは、その関わりをできるだけ親の負担がなく続けられるように工夫していくことです。
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作文は、家庭で親子だけでやっていくのが難しい勉強です。
それは、指導の方法がないので、注意するだけの勉強になってしまうからです。
また、上達に時間がかかるので、教えることに自信が持てなくなってくるからです。
だから、家庭では書く前の準備の対話と、基礎力作りの読書に力を入れていくのがいいのです。
よく、「作文なんか、さっさと書いちゃいなさい」というお母さんがいますが、なかなかそういうふうにはいきません。
特に、高学年の作文はかなり苦しいのです。
字数も、小学4年生までは自然に伸びていきますが、5年生、6年生になると逆に字数が減ってきます。
更に、小学生のときに作文が上手に書けた子が、中学生になるとみんな下手になります。
それは課題が意見中心になり難しくなるからです。
この苦労をのりこえて高校生までがんばるといいのです。
お世話になっております。
物語を書くことを続けていても、国語力は伸びますか?
作文、感想文、小論文などをまとめて、広義の「作文」としているとのことですが、物語も作文に入るのでしょうか?小1,2年のころから、物語ばかり書き、心配になってこちらで質問しました。「3年生になると題名作文や、感想文があるので自然と移行していきます。」と言われ、安心していたのですが、3年になった今、結局「題名」に関連した物語もしくは創作童話を付属した感想文を書いており、すべて物語に分類されるような気がします。このままでよいのでしょうか?
nami様
お返事遅れて失礼しました。
小さころから物語の本をよく読んでいる子は、生活作文も物語のようになってしまうことがあります。
しかし、物語的な作文は、どれも同じような表現と内容のものになってしまうことが多くなります。
この場合は、(1)物語の本だけでなく、説明文の本の面白さを経験できるようにする、(2)読書だけでなく実際の経験の時間を豊富にする、ということで少しずつ作文の内容を、物語から現実に変えていくようにするといいと思います。
しかし、子供がいまやっていることを別の方向に直そうとすると、子供は自分の作文が否定されたように感じますから、直すのではなく、新しい方向を広げていくということでやっていくといいです。
そして、子供が偶然そういう現実的な作文を書いたときに、それを大いに評価してあげるのです。
できないことを直すのではなく、できたときに褒めるということでやっていってください。
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昨日の思考発表クラブで、嬉しい話がありました。
小学6年生の女の子で、以前、理科が苦手だからどういう勉強をしたらよいのかと聞かれたことがあったのです。
その子と、その子のお母さんは、理科の問題集をやるつもりで勉強の仕方を考えていたそうです。
私のアドバイスはそれとは違って、理科や社会は教科書を何度も読んでいれば自然にできるようになる、理科の中でも計算を含む算数的な問題については問題集の解法を何度も繰り返して覚えるとよいとアドバイスをしたのです。
そして1か月後の昨日、懇談会の中で、その子が先日の理科のテストで百点を取ったという話を聞きました。
もしこれが問題集を解くような形の勉強をしていたら、たぶん時間がかかり苦労が多い割に点数はもっと低かったと思うのです。
なぜかと言うと、問題集を解く勉強はできたかできなかったかという確認で終わることがほとんどだからです。
できたものは、もともとやらなくてもできたはずのものですし、できなかったものは何度も繰り返さなければできるようにはならないものだからです。
ところが、問題集を解くとそれで勉強が一段落したことになってしまうので、問題を解いても実力がつくのはほんのわずかなのです。
これは、私自身の体験でもそういうことがあったので、ある程度確信を持って言えるのです。
昔、私が中学2年生のとき、定期テストの歴史で一人だけ満点を取ったことがあります。
確か103点満点のテストでした。
なぜそんなことを覚えているかというと、滅多になかったことだからです(笑)。
テスト前の勉強は、いつも特にしていないのになぜよくできたかというと、お昼の弁当の時間に歴史の教科書を読書代わりに楽しく読んでいただけなのです。
野口悠紀雄さんの中学高校の英語の勉強も、そういうものだったようです。
英語の教科書が面白いので、何度も読んでいたら自然に英語ができるようになったということです。
英語の勉強というと、穴埋め式の英語の問題集をやろうとする人が多いのですが、そういう勉強は時間ばかりがかかる能率のあまりよくない勉強法です。
ただ読むだけというのがいいのです。
問題を解く勉強は、鉛筆や消しゴムを使うので、勉強しているような雰囲気になり、本人も周りで見ている人も安心します。
教科書を寝ころがって読むような勉強は勉強らしくないので、本人も周りで見ている人もそれがいい勉強法だとは思いません。(別に寝ころがらなくてもいいのですが)
しかし、その気楽に寝ころんで繰り返して読むだけの勉強が、最も効率のよい勉強法なのです。
形にとらわれるのではなく、内容を中心に考え、読む勉強を家庭学習の中心にしていくとよいと思います。
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読む勉強法の反対が、解く勉強法です。
昔、自主学習クラスで、数学が苦手だという中学生の子の勉強の仕方を見ていたら、問題集をただ何問も解いているだけだったのです。
だから、数学の勉強にかなり時間がかかります。
しかし、成績は一向に上がらなかったのです。
こういう子は、勉強の仕方を変えればすぐに成績が上がるのです。
子供たちの勉強の能率が悪いいちばんの原因は、人に教わる勉強に慣れているからではないかと思います。
最初は試行錯誤でも、勉強は家庭で自分のペースでやるのがいいのです。
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