かつての日本の社会は、高度経済成長に見られるように満ち潮の時代でした。
この時期には、多数派に属することが有利な選択でした。
なぜなら、自分が先に進めば後からついてくる人が次々と現れるという状況だったからです。
この満ち潮の時代の価値観に、まだ多くの大人の人は影響されています。
「寄らば大樹の陰」というのは、周りにも多くの樹木が生まれてくる時期には正しい選択だったのです。
就職でも、大きい企業に入ることは、社会と企業の成長に伴って自分も成長することでした。
ところが、現在は、日本の社会は引き潮の時代に入っています。
その原因は、日本の社会で新たに消費するものがなくなってきているからです。
その結果、社会が停滞し、その影響で少子化が進んでいるのです。
こういう社会では、多数派に属しているほど、社会の停滞に伴って、自分の位置は下降していきます。
しかし、少数派に属していれば、社会の停滞にも関わらず、自分の位置は固定してます。
それどころか、かえってそこに新たな個性を求める人が集まってくる可能性があるのです。
そして、実は、その個性の中から、次の時代の新しい需要が創造され、それがやがて新しい満ち潮の時代を生み出すのです。
比喩的に言うと、満ち潮の時代には、狭い入り江から広い海洋に出た方が可能性が広がりました。
しかし、引き潮の時期には、狭い入江に戻っていく方が、そこで安定した新しい生き方ができる可能性が生まれます。
満ち潮の時代は、多くの人に共通する正解がある時代でした。
大きな海に出ることが、ほとんどの人にとっての正解だったからです。
引き潮の時代は、それぞれの人が自分の個性に合わせて正解を見つけ出さなければなりません。
だから逆に、個人の可能性がさらに広がっている時代だとも言えるのです。
これを具体的に子供の生活にあてはめると、次のようなことが言えると思います。
例えば、これからの社会では、スポーツや音楽などの趣味の世界で、みんなと同じことをやっても先は見えています。
その世界でプロになったり一流になったりすることは、市場そのものが小さくなる中で、今後ますます難しくなってきます。
これが、もし市場が年々拡大する時代であれば、コーチングプロのような形でも、自分の技術を生かす道はあったでしょう。
しかし、引き潮の時代には、一番になるか一番に近い位置のものしか自分の技術を生かすことができなくなります。
このことを多くの人が感じるようになれば、社会の関心は次第に自分の個性を生かすという方向に進んでいきます。
そのときに、ある一つの個性で先に進んでいる人が、あとから来る人の目標となります。
新しい目標になるということは、そこで新しい需要が生まれるということです。
最近よく話題として登場する「さかなクン」の誕生には、そういう現代の状況を象徴する意味があります。
同じことは、勉強の世界についても言えます。
満ち潮の時代には、主要教科というものに代表される多数派の教科に力を入れることが生き残る道でした。
その分野で上位につけば、それを教える仕事も数多くあったからです。
しかし、ここでも、引き潮の時代には、一番に近いものしか生き残ることができなくなります。
ところが、自分の得意なある分野に限定された学習に取り組んでいれば、その分野で第一人者になることは、多数派の教科で第一人者になるよりもずっと容易です。
個性というものは、持って生まれたものはごくわずかで、その個性を育てるものは、ひとことで言えばその個性にかけた時間です。
ある分野で、人よりも先に長い時間をかけていれば、それ以上の時間をかけられる人は理論的には出てきません。
後の人がいくら時間をかけても、先の人はそれと同じ時間をかけることができるからです。
だから、できるだけ早く自分の個性を見つけ、それに時間をかけられるようにしておくといいのです。
これからの時代の舵取りは、難しくなってきます。
みんなと同じことをしないことが正解になってくるからです。
しかし、その分、自分の個性を生かせる面白い時代になっているとも言えるのです。
言葉の森の作文指導や思考発表クラブも、実はそういう観点で取り組んでいます。
そして、個性を支える基礎学力は、自主学習クラスの自学自習で確保し、個性を実際の自然や人間との関わりの中で生かす機会は、自然寺子屋合宿で作り、それらを運営する主体は、森林プロジェクトで募集するという教育モデルを考えているのです。
受験生の保護者が、子供と一緒に受験に取り組む際の大事なポイントは3つあります。
第一は、保護者が受験の合否に対する耐性をつけておくことです。
合否はその後の人生に大きな影響を及ぼすように思われがちですが、そういうことはありません。
合格不合格にかかわらず、その子のその後の生き方がすべてです。
合格してよかった子もいれば悪かった子もいるし、不合格になってよかった子も悪かった子もいます。大事なのは、その後なのです。
そういう大きな視野を保護者が持っていることが大切です。
だから、合否が決まっ翌日には、もう合否に関係なく新しい取り組みを始めていくことです。
第二は、大きな視野を持つことと反対のように見えるかもしれませんが、親が全面的に子供の受験に協力する体制を作ることです。
勝負の目的は勝つことですから、勝つという目的に徹することが大切です。
塾に任せるだけでなく、親が志望校の傾向を分析したり、子供の勉強の重点を決めたりすることが大切です。
受験作文については、事前に作文課題に関する材料を親子で集め、話し合い、作文が返却されたらそれを親子でよりよく書き直しておくことです。
こういう形で10問ぐらい志望校に合った練習しておけば、どういう課題が出ても、それまでに練習した作文の題材と表現と主題を組み合わせて構成を考えることができます。
第三は、その志望校についてですが、受験する学校の過去問を独自に分析しておくことです。
学習塾によっては合格可能性を測定するために、受験の直前になるまで過去問をさせないところがありますが、これは本末転倒です。
過去問の研究は、受験の1年前から始めていくのが原則です。
これは、高校入試でも、大学入試ても同じです。
大学入試の場合は、高2から高3になるときの春休みに、志望校の過去問を答えを書き写しながらでいいので、全部解いておくことです。
それでこそ、1年間の受験勉強の作戦が立てられるのです。
先に過去問を研究して、自分の弱点を補強するという対策を取るのが、最も効率がよい勉強の仕方です。
しかし、実は、以上の三つと正反対のことをしている保護者がとても多いのです。
それでも、合否はある確率で決まりますから、正反対の勉強の仕方をして合格する人はたくさんいます。
だから、いまだに、合否は人生の岐路、受験は塾や予備校にすべてお任せ、過去問は最後の仕上げと考えている人も多いのですが、それはよい勉強法とは正反対の勉強法なのです。