現在の入試は、国数英理社などの主要教科の試験が中心になっています。
これらの教科の中でも、特に差がつくのは数学と英語です。
反対に、あまり差がつかないのは国語です。
なぜかと言うと、数学と英語は知っているかどうかという知識の差が点数の差となって現れるからです。
数学を考える教科という人がいますが、入試の数学は考える教科というよりも、解法を数多く身につけてそれをあてはめる教科です。
ですから、難問の解き方の解法を覚えるのに時間をかけた人の点数が上がるという仕組みになっているのです。
こういう入試が本当の学力を評価していないのではないかという反省から、現在、入試改革が行われようとしています。
しかし、今考えられている2020年度の入試改革は、今の採点技術の水準を前提にした不十分なものです。
それは例えば、国語の記述の問題や作文の問題が極めて少ない字数で行われるというところなどに表れています。
しかも、その少ない字数の記述式の問題であっても、実際に採点するとなると採点する側の負担は○×式の試験に比べて比較にならないほど大きなものになります。
だから、中途半端に記述式の問題を出すよりも、○×式でのテストの方がコストと効果を考えた場合、ずっとよいものだというのが今の採点の技術の水準です。
ところが人工知能を利用すれば、作文小論文の採点が一瞬で人間よりも正確にできる時代がやってくるのです。
これについては、私にも確かな見通しがあります。
人工知能だけの採点では不安があるという場合は、しばらくは、人工知能の採点で第一次の合格枠を絞り、その狭められた枠の中で人間が採点するという方法も考えられます。
しかし、いずれは、大学入試程度の小論文であれば、人工知能だけで十分な評価ができるというようになるでしょう。
この人工知能による作文小論文採点が行われるようになると、国数英理社の教科の試験は、現在のようにガラパゴス化した難問ではなくなります。
高校の教科書レベルの学習が、全教科にわたってしっかり行われているかどうかというごく普通のものになってきます。
作文力小論文力というのは、言葉を変えて言えば考える力と表現する力です。
この考える力思考力と、表現する力作文力さえあれば、他の教科の勉強は、基礎となる学力さえあれば、必要に応じていくらでも進めていけるようになります。
だから、教科の学力は、全教科にわたる基礎学力がついていればそれで十分なのです。
このように考えると、これから脚光を浴びる本当の学力は作文力ということになります。
しかし、今の作文指導のほとんどは、小学校は小学校の生活作文で完結していて、中学はまた中学の作文で完結し、大学入試の小論文はそれだけで完結するという連続性のないものになっています。
必要なのは小学校低学年の生活作文のレベルから考える要素が段階的に入っていき、小学生の作文が、自然に中学生、高校生、そして社会人の作文力につながっていくような指導の流れを作ることです。
これが、言葉の森が35年前から行っている作文教育です。
だから、一人の先生が、ある生徒を小学生から高校生まで指導するということがあるのです。
こういう作文指導を行っているのは、今のところ言葉の森だけだと思います。
子供の教育に求められるものは、時代によって変化します。
江戸時代は、読み書き算盤と並んで、馬術や剣術が教育の中心でした。
しかし、今、馬術や剣術を習っているような子は、趣味の世界をのぞいてはまずいません。
現代の教育は、制限時間内に多数の難問を解く受験教育が中心になっています。
このため、解法を身につけるとか、捨てる難問を見極めるとかいう本来の学力とは関係のない技術が重視されています。
しかし、これからは人工知能をはじめとした科学技術の発展によって、そういう不自然な教育が是正される時代がやってきます。
そのときに必要になるのが、作文力を中心とした本当の学力なのです。
勉強で一番大事なことは、意欲をもって取り組むことです。
試験の前日の勉強の能率は、普段の勉強とは何倍も違います。
受験の一年間の勉強の密度は、受験がまだ意識に上る前の勉強とやはり何倍も違います。
この意欲を持たせる方法として行われやすいのが、競争や賞や罰で意欲づけをすることです。
しかし、本来持っていない意欲を、競争や賞罰で持たせることは、あとになってマイナスの面を生み出すことがあります。
また、自分の内面から出た意欲ではなく、外から与えられた意欲というものは、自分の生き方として定着しません。
子供に、自然な意欲を持たせるにはどうしたらいいかということが勉強を進める上でのひとつの大きな課題です。
今、思考発表クラブで、本の紹介と作文の構想図や自由な経験の発表を行っています。
この発表には、評価も競争もありません。賞も罰もありません。
しかし、どの子も、自分が発表したり、他の人の発表に感想を述べたりすることによって、自然に意欲的な取り組みになっています。
これからは、こういう形のオンラインの生徒どうしが発表したり感想を述べたりする学習がだんだん増えてくると思います。
勉強は、独学で自分のペースでやっていくやり方が最も能率がよいのですが、同時に、人間は同じような関心を持つ友達と一緒に学び合うことで意欲を持つことができます。
自学自習型の勉強と参加交流型の勉強の組み合わせで、能率と意欲の両立する勉強をこれから作っていきたいと思っています。
そして、こういう勉強の要になっているものが作文です。
ここで、話が少しややこしくなりますが、作文は必ずしも文章を書くことではありません。
文章を書いて発表するつもりで考えることが、作文の本質です。
だから、構想図を書いてそれを発表するところまで行けば、それで作文は半分以上できたことになります。
簡単に言えば、その構想図を読んで説明するところを音声入力でテキスト化すれば、それがそのまま作文になります。
話し言葉の文章の密度と、書き言葉の文章の密度は違いますが、構想図を媒介することで話すことがそのまま作文に近い文章になるのです。