受験作文で、体験実例を入れるケースがあります。
特に、公立中高一貫校の受験では、具体的な自分の体験を入れることがよく求められます。
なぜかと言うと、これまでの大学入試の小論文の模範解答などのように説明と意見だけで書いてしまうと、小学生の場合は、どれも似たような文章になってしまうからです。
だから、模範解答的な文章を書くのではなく、自分の体験の裏付けを生かしながら書くという形で作文試験が出されるようになっているのです。
しかし、ここで大事なことは、誰でもよくあるような一般的な体験実例を書くのではなく、実例の内容そのものに価値があるような書き方を工夫することです。
それが、個性・挑戦・感動・共感のある体験実例です。
しかし、試験の本番で、作文の課題に合わせてそのような価値ある体験を見つけるということなかなかできません。
そこで、あらかじめ自分の過去の体験の中で使えそうなものを見つけておくことが大事になります。
ところが、この個性・挑戦・感動・共感があるような体験というものは、子供だけではなかなか見つけることができません。
子供が作文の課題の準備をするときに、親が、価値ある体験を一緒に考えてあげるといいのです。
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人間は、自分のよさというのは意外とわからないものです。
身近な他人に指摘されて、初めてわかるということがあります。
受験作文の準備をするときの体験実例は、自分で考えるだけでなく、親子で価値ある過去の実例を探すようにしていくといいのです。
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現在の入試は、国数英理社などの主要教科の試験が中心になっています。
これらの教科の中でも、特に差がつくのは数学と英語です。
反対に、あまり差がつかないのは国語です。
なぜかと言うと、数学と英語は知っているかどうかという知識の差が点数の差となって現れるからです。
数学を考える教科という人がいますが、入試の数学は考える教科というよりも、解法を数多く身につけてそれをあてはめる教科です。
ですから、難問の解き方の解法を覚えるのに時間をかけた人の点数が上がるという仕組みになっているのです。
こういう入試が本当の学力を評価していないのではないかという反省から、現在、入試改革が行われようとしています。
しかし、今考えられている2020年度の入試改革は、今の採点技術の水準を前提にした不十分なものです。
それは例えば、国語の記述の問題や作文の問題が極めて少ない字数で行われるというところなどに表れています。
しかも、その少ない字数の記述式の問題であっても、実際に採点するとなると採点する側の負担は○×式の試験に比べて比較にならないほど大きなものになります。
だから、中途半端に記述式の問題を出すよりも、○×式でのテストの方がコストと効果を考えた場合、ずっとよいものだというのが今の採点の技術の水準です。
ところが人工知能を利用すれば、作文小論文の採点が一瞬で人間よりも正確にできる時代がやってくるのです。
これについては、私にも確かな見通しがあります。
人工知能だけの採点では不安があるという場合は、しばらくは、人工知能の採点で第一次の合格枠を絞り、その狭められた枠の中で人間が採点するという方法も考えられます。
しかし、いずれは、大学入試程度の小論文であれば、人工知能だけで十分な評価ができるというようになるでしょう。
この人工知能による作文小論文採点が行われるようになると、国数英理社の教科の試験は、現在のようにガラパゴス化した難問ではなくなります。
高校の教科書レベルの学習が、全教科にわたってしっかり行われているかどうかというごく普通のものになってきます。
作文力小論文力というのは、言葉を変えて言えば考える力と表現する力です。
この考える力思考力と、表現する力作文力さえあれば、他の教科の勉強は、基礎となる学力さえあれば、必要に応じていくらでも進めていけるようになります。
だから、教科の学力は、全教科にわたる基礎学力がついていればそれで十分なのです。
このように考えると、これから脚光を浴びる本当の学力は作文力ということになります。
しかし、今の作文指導のほとんどは、小学校は小学校の生活作文で完結していて、中学はまた中学の作文で完結し、大学入試の小論文はそれだけで完結するという連続性のないものになっています。
必要なのは小学校低学年の生活作文のレベルから考える要素が段階的に入っていき、小学生の作文が、自然に中学生、高校生、そして社会人の作文力につながっていくような指導の流れを作ることです。
これが、言葉の森が35年前から行っている作文教育です。
だから、一人の先生が、ある生徒を小学生から高校生まで指導するということがあるのです。
こういう作文指導を行っているのは、今のところ言葉の森だけだと思います。
子供の教育に求められるものは、時代によって変化します。
江戸時代は、読み書き算盤と並んで、馬術や剣術が教育の中心でした。
しかし、今、馬術や剣術を習っているような子は、趣味の世界をのぞいてはまずいません。
現代の教育は、制限時間内に多数の難問を解く受験教育が中心になっています。
このため、解法を身につけるとか、捨てる難問を見極めるとかいう本来の学力とは関係のない技術が重視されています。
しかし、これからは人工知能をはじめとした科学技術の発展によって、そういう不自然な教育が是正される時代がやってきます。
そのときに必要になるのが、作文力を中心とした本当の学力なのです。
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言葉の森が作文教室を始めたとき、全国で、作文を教えているような教室はどこにもあありませんでした。
だから、すべてオリジナルに、小学生から社会人まで一貫して学べるような教材を作ったのです。
この教材の基本は、今でもほとんど変わっていません。。
人工知能(AI)の導入で変わるのは、職業だけではありません。
教育の内容も大きく変わります。
今、進められている2020年度からの入試改革も、今考えられている水準よりも更に大きく変わります。
それは、辞書になる教育から、辞書を使える教育へという、教育の本来の姿に戻ることなのです。
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勉強で一番大事なことは、意欲をもって取り組むことです。
試験の前日の勉強の能率は、普段の勉強とは何倍も違います。
受験の一年間の勉強の密度は、受験がまだ意識に上る前の勉強とやはり何倍も違います。
この意欲を持たせる方法として行われやすいのが、競争や賞や罰で意欲づけをすることです。
しかし、本来持っていない意欲を、競争や賞罰で持たせることは、あとになってマイナスの面を生み出すことがあります。
また、自分の内面から出た意欲ではなく、外から与えられた意欲というものは、自分の生き方として定着しません。
子供に、自然な意欲を持たせるにはどうしたらいいかということが勉強を進める上でのひとつの大きな課題です。
今、思考発表クラブで、本の紹介と作文の構想図や自由な経験の発表を行っています。
この発表には、評価も競争もありません。賞も罰もありません。
しかし、どの子も、自分が発表したり、他の人の発表に感想を述べたりすることによって、自然に意欲的な取り組みになっています。
これからは、こういう形のオンラインの生徒どうしが発表したり感想を述べたりする学習がだんだん増えてくると思います。
勉強は、独学で自分のペースでやっていくやり方が最も能率がよいのですが、同時に、人間は同じような関心を持つ友達と一緒に学び合うことで意欲を持つことができます。
自学自習型の勉強と参加交流型の勉強の組み合わせで、能率と意欲の両立する勉強をこれから作っていきたいと思っています。
そして、こういう勉強の要になっているものが作文です。
ここで、話が少しややこしくなりますが、作文は必ずしも文章を書くことではありません。
文章を書いて発表するつもりで考えることが、作文の本質です。
だから、構想図を書いてそれを発表するところまで行けば、それで作文は半分以上できたことになります。
簡単に言えば、その構想図を読んで説明するところを音声入力でテキスト化すれば、それがそのまま作文になります。
話し言葉の文章の密度と、書き言葉の文章の密度は違いますが、構想図を媒介することで話すことがそのまま作文に近い文章になるのです。
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意欲を持たせることは大事ですが、自然に持たせなければなりません。
賞や罰で意欲づけをしようとすると、賞や罰がないと動かない子になってしまいます。
意欲の多くは、人間との関わりの中で出てきます。
小学校低学年の場合は、お母さんやお父さんの関心がその子の意欲になるのです。
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これまでの日本の社会では、よくできたものを手本として真似することが一つの学力となっていました。
しかし、他の人の真似を上手にできる力では、いつまでたっても二番手にしかなれません。
これからの社会は、それぞれの人が自分の得意分野で一番、あるいは第一人者となることが求められる社会です。
人の真似を上手にするだけでなく、自分の独自のものを作り上げていくことが重要になってくるのです。
答えのある勉強は、最初から高いレベルの学習ができますが、そこから先にはなかなか進めません。
一方、答えのない勉強は、最初はそれほど高いレベルではありませんが、自分の力でいくらでも先に進んでいけます。
作文を書く勉強は、答えのない自分で作りだす勉強です。
この自分で作り出す勉強が、その子の創造力を育てていきます。
答えのある勉強の大部分は、記憶力でカバーできます。
考える問題と言われているものも、多くは解法の記憶でできるようになります。
だから、小学生のころの勉強は、創造力を伸ばす作文と、記憶力を伸ばす暗唱と、読書と対話と、自然や人間と関わる経験を中心にしていくといいのです。
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漢字を覚えたり、問題集を解いたりする勉強は、誰でもある程度充実した勉強として取り組めます。
これに対して、作文のような勉強は、手を抜くことも力を入れることも本人次第です。
だから、本当に実力のある子は、作文のような勉強の方を好むのです。
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かつての日本の社会は、高度経済成長に見られるように満ち潮の時代でした。
この時期には、多数派に属することが有利な選択でした。
なぜなら、自分が先に進めば後からついてくる人が次々と現れるという状況だったからです。
この満ち潮の時代の価値観に、まだ多くの大人の人は影響されています。
「寄らば大樹の陰」というのは、周りにも多くの樹木が生まれてくる時期には正しい選択だったのです。
就職でも、大きい企業に入ることは、社会と企業の成長に伴って自分も成長することでした。
ところが、現在は、日本の社会は引き潮の時代に入っています。
その原因は、日本の社会で新たに消費するものがなくなってきているからです。
その結果、社会が停滞し、その影響で少子化が進んでいるのです。
こういう社会では、多数派に属しているほど、社会の停滞に伴って、自分の位置は下降していきます。
しかし、少数派に属していれば、社会の停滞にも関わらず、自分の位置は固定してます。
それどころか、かえってそこに新たな個性を求める人が集まってくる可能性があるのです。
そして、実は、その個性の中から、次の時代の新しい需要が創造され、それがやがて新しい満ち潮の時代を生み出すのです。
比喩的に言うと、満ち潮の時代には、狭い入り江から広い海洋に出た方が可能性が広がりました。
しかし、引き潮の時期には、狭い入江に戻っていく方が、そこで安定した新しい生き方ができる可能性が生まれます。
満ち潮の時代は、多くの人に共通する正解がある時代でした。
大きな海に出ることが、ほとんどの人にとっての正解だったからです。
引き潮の時代は、それぞれの人が自分の個性に合わせて正解を見つけ出さなければなりません。
だから逆に、個人の可能性がさらに広がっている時代だとも言えるのです。
これを具体的に子供の生活にあてはめると、次のようなことが言えると思います。
例えば、これからの社会では、スポーツや音楽などの趣味の世界で、みんなと同じことをやっても先は見えています。
その世界でプロになったり一流になったりすることは、市場そのものが小さくなる中で、今後ますます難しくなってきます。
これが、もし市場が年々拡大する時代であれば、コーチングプロのような形でも、自分の技術を生かす道はあったでしょう。
しかし、引き潮の時代には、一番になるか一番に近い位置のものしか自分の技術を生かすことができなくなります。
このことを多くの人が感じるようになれば、社会の関心は次第に自分の個性を生かすという方向に進んでいきます。
そのときに、ある一つの個性で先に進んでいる人が、あとから来る人の目標となります。
新しい目標になるということは、そこで新しい需要が生まれるということです。
最近よく話題として登場する「さかなクン」の誕生には、そういう現代の状況を象徴する意味があります。
同じことは、勉強の世界についても言えます。
満ち潮の時代には、主要教科というものに代表される多数派の教科に力を入れることが生き残る道でした。
その分野で上位につけば、それを教える仕事も数多くあったからです。
しかし、ここでも、引き潮の時代には、一番に近いものしか生き残ることができなくなります。
ところが、自分の得意なある分野に限定された学習に取り組んでいれば、その分野で第一人者になることは、多数派の教科で第一人者になるよりもずっと容易です。
個性というものは、持って生まれたものはごくわずかで、その個性を育てるものは、ひとことで言えばその個性にかけた時間です。
ある分野で、人よりも先に長い時間をかけていれば、それ以上の時間をかけられる人は理論的には出てきません。
後の人がいくら時間をかけても、先の人はそれと同じ時間をかけることができるからです。
だから、できるだけ早く自分の個性を見つけ、それに時間をかけられるようにしておくといいのです。
これからの時代の舵取りは、難しくなってきます。
みんなと同じことをしないことが正解になってくるからです。
しかし、その分、自分の個性を生かせる面白い時代になっているとも言えるのです。
言葉の森の作文指導や思考発表クラブも、実はそういう観点で取り組んでいます。
そして、個性を支える基礎学力は、自主学習クラスの自学自習で確保し、個性を実際の自然や人間との関わりの中で生かす機会は、自然寺子屋合宿で作り、それらを運営する主体は、森林プロジェクトで募集するという教育モデルを考えているのです。
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現代は、恐竜の時代から哺乳類の時代に移行する時期です。
この時期に大切なことは、過去の蓄積を守ることではなく、新しい未来の可能性を試してみることです。
そして、それを大変だと思うのではなく、面白いと思うことです。
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受験生の保護者が、子供と一緒に受験に取り組む際の大事なポイントは3つあります。
第一は、保護者が受験の合否に対する耐性をつけておくことです。
合否はその後の人生に大きな影響を及ぼすように思われがちですが、そういうことはありません。
合格不合格にかかわらず、その子のその後の生き方がすべてです。
合格してよかった子もいれば悪かった子もいるし、不合格になってよかった子も悪かった子もいます。大事なのは、その後なのです。
そういう大きな視野を保護者が持っていることが大切です。
だから、合否が決まっ翌日には、もう合否に関係なく新しい取り組みを始めていくことです。
第二は、大きな視野を持つことと反対のように見えるかもしれませんが、親が全面的に子供の受験に協力する体制を作ることです。
勝負の目的は勝つことですから、勝つという目的に徹することが大切です。
塾に任せるだけでなく、親が志望校の傾向を分析したり、子供の勉強の重点を決めたりすることが大切です。
受験作文については、事前に作文課題に関する材料を親子で集め、話し合い、作文が返却されたらそれを親子でよりよく書き直しておくことです。
こういう形で10問ぐらい志望校に合った練習しておけば、どういう課題が出ても、それまでに練習した作文の題材と表現と主題を組み合わせて構成を考えることができます。
第三は、その志望校についてですが、受験する学校の過去問を独自に分析しておくことです。
学習塾によっては合格可能性を測定するために、受験の直前になるまで過去問をさせないところがありますが、これは本末転倒です。
過去問の研究は、受験の1年前から始めていくのが原則です。
これは、高校入試でも、大学入試ても同じです。
大学入試の場合は、高2から高3になるときの春休みに、志望校の過去問を答えを書き写しながらでいいので、全部解いておくことです。
それでこそ、1年間の受験勉強の作戦が立てられるのです。
先に過去問を研究して、自分の弱点を補強するという対策を取るのが、最も効率がよい勉強の仕方です。
しかし、実は、以上の三つと正反対のことをしている保護者がとても多いのです。
それでも、合否はある確率で決まりますから、正反対の勉強の仕方をして合格する人はたくさんいます。
だから、いまだに、合否は人生の岐路、受験は塾や予備校にすべてお任せ、過去問は最後の仕上げと考えている人も多いのですが、それはよい勉強法とは正反対の勉強法なのです。
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受験の合否は、ほんの第一歩で、その後の取り組み次第でよくも悪くも変わるものです。
合否は当面の目的ですが、本当の目的はその後の人生なのです。
「人間万事塞翁が馬」というのは、その場ではそうは思えませんが、時間がたってみるとそうなっていることが多いのです。
だから、今悪くてもそれでおしまいだと思わないこと、今よくてもそれで完璧だと思わないこと、そして、今がよくても悪くてもいつも明るく前向きに生きていくことです。
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小学1年生は、その後の小学校生活の勉強のスタイルの基本が作られる大切な時期です。
しかし、このころは勉強もやさしいし子供も言うことをよく聞くので、あまり先のことを考えずに子育てをしてしまうことがあります。
よくあるのが、親が教えたり指示したりしすぎることです。
小学1年生のときに親に言われたとおりに勉強をしていると、その後、自主的に自分でやる工夫ができなくなることがあります。
よく言うことを聞くからといって、それで聞かせて済ませるのではなく、子供が自分で考えて行動するようにしていくといいのです。
作文に関しては、逆に、子供に自分ひとりの力で書かせようとして、かえって親子の勉強がうまくいかなくなってしまうことがあります。
この場合は、親がどんどん手助けして、楽に書かせるようにするといいのです。
また、勉強の方法で大事なことは同じものを繰り返し身につけることですが、小学1年生のときに、子供が喜ぶからといって、新しい教材を次々にさせてしまうようなことがあります。
すると、学年が上がったときに、同じものを繰り返すという勉強の基本がかえってできにくくなることがあります。
このような勉強の仕方のアドバイスをお話しし、そのあと、保護者からの質問と相談の時間をたっぷりとっていく予定です。
お申し込みは、言葉の森のホームページの
小1オンライン相談会 のページからお願いします。
小1の保護者以外の方も参加できます。
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小1のころの勉強でよくあるのが、やり過ぎとやらなさ過ぎです。
このころの子供は、素直で親に言われたとおりにやるので、どちらかに偏ることが多いのです。
ところで、やらさな過ぎが大きな問題になることはまずありませんが、やり過ぎがあとで問題になることは結構あります。
子供との距離を適度に置いて、できるだけ子供の自主性を尊重してやっていくといいのです。
小学1年生の生活で大事なことは、勉強をできるようにさせることではなく、幸福に生きるようにさせることです。
このころは、何しろ楽しくやっていくことが大事で、それさえできていれば、子供はのびのびと成長します。
暗い気持ちで勉強するよりも、明るい気持ちで遊んでいる方が、頭脳は何倍も活性化するのです。
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うちの子供が保育園に通っていたころ、毎朝、子供の様子をノートに書いて先生に渡すという決まりがありました。
せっかく書くのだからと、毎朝必ず何か面白い笑える話を入れて書くようにしました。
朝の慌ただしい時間帯ですから、毎日、面白い話を見つけて書くのは大変です。
しかし、何年か経ってそのノートを読み返してみると、その時の情景がありありと思い浮かび、大変だった子育てがその大変さの分だけいい思い出になっていると気がついたのです。
今、言葉の森で作文を書くために、お母さんやお父さんが子供の話に付き合ったり、また、思考発表クラブで構想図を書くのを手伝ったりアップロードしたりするのは、お母さんやお父さんにとっては結構大変なことだと思います。
しかし、それが何年か経ってみると、その大変さに比例していい思い出になっているのです。
だから、大事なことは時々手を抜いて、あまり真面目にやろうとしすぎないことです。
子供時代というのは、振り返るとあっという間に過ぎてしまうような時期です。
この時期を楽しみながら取り組んでいくといいと思います。
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子供が言うことを聞いてくれないとイライラするときは、ちょっと遠くを見るのです。
10年後とか。
そして、やがてこんなことがいい思い出になるだろうと思うのです。
子供時代は、ふりかえると一瞬の出来事です。
ときどき手を抜いて、できるだけ楽しくやっていくことです。
子供を見ていると、いろいろなことが心配になります。
しかし、困った子も、みんな立派な社会人になっていきます。
そして、どちらかというと、困った子ほどたくましく生きていくようなのです。
だから、困ったことは起こらないと考えておくといいのです。
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