昨日、思考発表クラブの小学6年生の作文構想図の発表を見ていましたが、どれも非常にレベルの高いものでした。
11.1週の課題は、「家にある古いもの」ですから、自分の引き出しを開けて適当に小さいころ使った古いものなどを例に挙げて書くこともできます。
けれども、発表された構想図には、どれもお父さんやお母さんに聞いた、家庭の古いものにまつわるさまざまなその家庭の文化的な話が盛り込まれていました。
この、互いの発表を聞いてそれぞれの生徒が自分の考えたこととまた違う他の人の考え方を知ることも、みんなの大きな刺激になったと思います。
勉強の成果を発表するという場があると、まずその発表に向けて、家族の関わりが生まれてきます。
しかも、その発表は正解や優秀作品という答えや目標のある発表ではなく、それぞれの個性を活かした答えのない発表ですから、家庭での親子のふれあいも創造的で前向きなものになります。
また第二に、同年齢のほかの子供たちが見ている前で発表するという気持ちがあると、自然に自分の中のよりよいものを出して行こうという気持ちになります。
このよりよいものを出したいという思いが、実力の向上につながるのです。
みんなの発表を見ていて、こういう互いの作品の発表の場を、普段作文を書いている生徒全員が、もっと日常的に参加できる機会を作っていってもいいのではないかと思いました。
プレゼン作文発表会は、これまで何度か特別の企画として日程を取って行ってきましたが、今後もっと日常的に機会を作っていくことを考えています。
その具体的な方法は、オンライン作文に参加している生徒が、月に一回ある程度時間の幅を決めてその中で自由に発表する場を作るというやり方です。
オンラインの企画への参加は、最初は敷居が高いと感じる人が多いと思いますが、やってみると意外と簡単にできます。
今後、このオンラインで生徒どうしが、作文だけでなく他の算数や理科の勉強も創造的に発表するようなやり方を自主学習クラスで作っていきたいと思います。
その場合の発表というのは、例えば算数であったら問題集をもとに自分のオリジナルな似た問題と解説と解答を作ることです。
理科の場合でしたら、理科実験や工作などを、実際に自分で行ったり作ったりしてみることです。
正解を要求される答えのある勉強は、発表にはあまり向きません。
答えのある勉強のほとんどは点数に還元されてしまうので、満点を取ることが目標という、ある意味で味気ないものになりがちです。
こういう質的な違いのない量的な評価だけの発表は、子供たちの意欲をあまり引き出しません。
答えのない創造的な世界で自分らしい発表することが、勉強の最も強い動機になるのだということを、これまでの思考発表クラブの発表を見て感じてきました。
今後の作文指導も、作文以外の勉強の指導も、このような実力と面白さの両立するやり方で進めていきたいと思っています。
【参考までに小4~小5の生徒の構想図の例】
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生徒たちの読書紹介や作文構想図の発表を見ていて、みんなのレベルが高いことにいつも感心します。
また、生徒どうしも互いに張り合うというのか(笑)、読書の紹介なども結構難しいものや個性的なものを選んできます。
ただし、これは小4以上になると自然にそうなるようで、小3以下のころは、むしろただ楽しいだけの発表の方がいいように思います。
週に1回の発表ですが、子供たちがみんな昔からの知り合いのように話しているところが面白いです。
実際には、横浜と名古屋と九州となど、いろいろなところからの生徒が参加しているのですが。
子供たちの発表の場は、これからもっと広がると思います。
勉強は、このように発表の場と、自学自習の場があれば、それで十分ではないかと思います。
こういう場を運営する人は、講師というよりも、みんなを活気づける司会者という感じです。
この運営に携わる人を、これから森林プロジェクトなどで依頼していきたいと思っています。
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2年前、言葉の森の講師の間でプロジェクト27という企画を立ち上げました。
これは、自分が考える新しい企画が多すぎて、自分ひとりでは運営できなかったので、プロジェクト参加者に運営を任せるという企画でした。
ここで出た成果はかなり大きかったので、やはり自分がやるよりも、ほかの人がやった方がずっといい運営ができると思ったのでした。
しかし、このプロジェクトは、2つの限界がありました。
一つは、プロジェクト参加者に支給する手当が、すぐには経営に結びつかない長期的なプロジェクトにも支給されるようにしていたため、予算的な制約が出てきたことです。
もう一つは、どの会合にもシステム的な仕事が関わることが多いので、システムを作る中根が参加する形にしたことです。そのため、中根が時間が取れないときは、会合が延期になってしまうことが多かったのです。
経営には、選択と集中が大事だと言われています。
それは、一人の人間が本気でできることは、一つかせいぜい二つまでだと言われているからです。(ドラッカーの本にそう書かれていて、なるほどと思いました。)
しかし、思いついたことは、どうしてもすぐにやってみたくなります(笑)。
そして、結局、プロジェクト27は、いったん終了して、現在は、その中で継続的にできる企画だけを続けていました。
ところが、最近、ブロックチェーンを利用した独自仮想通貨ができることがわかりました。
こういうことができるのは、もっと先だと思っていましたが、世の中は考えているよりもずっと早く進んでいたのです。
このブロックチェーンは、個人間でも信用できる取引が可能なので、これからさまざまな分野に利用されていくと思います。
そこで、言葉の森では、この独自仮想通貨を使って新しくプロジェクト2018を立ち上げることにしました。
一種のICO(Initial Coin Offering)という形になりますが、言葉の森の経営が発展すればそれに応じて支給された手当の価値が上がります。
そして、今度の企画には、中根は直接は関わらず、それぞれのプロジェクト責任者が自分でできる範囲で運営し、中根はそれらのプロジェクトの責任者だけの会合に参加する形にしたいと思っています。
だから、運営はすべてそれぞれのプロジェクトに任せるということになります。
今考えている企画はたくさんありますが、その中で特にすぐに進められそうなものから、プロジェクト参加者を募集する予定です。
また、新しいプロジェクトを思いついた人がいれば、それらも採用していきたいと思います。
プロジェクト全体に共通するテーマは、「明日の日本を支える子供たちを育てる教育」です。
ただし、子供たちが中心になりますが、年齢の範囲は、幼児から老人まで含みます。
特に、将来可能性があるのは、老年教育だと思っていますが、これは自分がもっと年を取ってから取り組みたいと思います。
いずれにしても、「教育」という大きな括り(くくり)で新しいプロジェクトを立ち上げていく予定です。
今度は、言葉の森の講師だけでなく、森林プロジェクトの参加者をはじめとする一般の方の誰にでもプロジェクト参加を開放していきたいと思います。
今後、言葉の森のホームページで、プロジェクト2018の企画を公開しますので、ご興味をお持ちの方はぜひご参加ください。
一般参加者は、月1回1時間程度の会合に参加するだけで、ほかの義務的なことは何もありません。
参加手当は、仮想通貨で支払われます。その仮想通貨は、言葉の森の経営の発展に応じて価値が上がります。
みんなの力で、日本から新しい理想の教育を作っていきたいと思います。
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これまでいろいろなことを思いついてやってきましたが、自分ひとりでは継続的にできないことが多かったので、途中で開店休業になっているものがかなりありました。
ほかの人に任せれば、自分以上にうまくやれることはわかっているのですが、自分が関わらないと最終的に完成しないような形のものが多かったのです。
そこで、今度は、独自の仮想通貨を使い、大幅に権限委譲をして新しいプロジェクトを立ち上げることにしました。
日本の子供たちの教育に関心を持っている方は多いと思うので、そういう方が自由に自主的に参加できる企画にしたいと思っています。
この数ヶ月というか数年、ずっと考えてきて、いいやり方は分かってきたのですが、それをやるには自分の時間がないということがネックになっていました。
そこで、今度のプロジェクト群は、参加者に全面的に任せる形にすることにしました。
その準備ができたら、新しいプロジェクト2018を公開したいと思っています。
関心のある方は、ぜひご参加ください。
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引力が距離の2乗に反比例するのは、表面積=4×π×半径の2乗だからです。
スマホでも、お菓子でも、漫画でも、距離が近くにあればあるほど手を出したくなる力が強くなります。
距離を離せば、それだけで引力は急速に弱くなります。
だから、例えば、いくらでも使っていいが、使ったら隣の部屋に置いておくというルールにするのです。
親が禁止するという外的な強制は、強制がなくなれば元に戻ってしまうので、根本的な解決になりません。
子供の自主性を育てるためには、物理的な法則を教え、その法則を生かす工夫をさせていくことです。
それは、人間の身体が物理的世界に属しているから、心の力だけではどうにもならないことがあるからです。
そういう工夫は、子供が、自分で自分をコントロールしなければならない年齢になったときに生きてくるのです。
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先日の保護者懇談会で意外に多かった質問が、子供が誘惑に弱いのでどうしたらいいかということでした。
誘惑に弱いのは、大人も同じです。
その大人の工夫の仕方を子供に教え、それによって子供が自覚的に誘惑と共存できるようにするといいのです。
誘惑に弱いというのは、生きる力があるからです。
最近、再開されたロボット犬アイボは、たぶん誘惑には負けません。
言葉の森のペット犬ゆめは、すぐ誘惑に負けます。
誘惑に弱い子は、人間的な子なのです。
静止摩擦力は、動摩擦力よりも大きいというのも、応用できる法則です。
作文を書くという重い作業をする前に、軽い作業が一つ入ると、やりやすさがかなり違ってきます。
だから、先生の電話指導があります。
それなのに、子供がゆっくり休んでいるときに、突然思いつきで、
「そんなにのんびりしているなら、宿題の作文書いちゃいなさい」
などと言うお母さんが意外と多いのです。
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先日、森林プロジェクトの会合で、作文教室を開いている先生からいろいろな話を聞くことができました。
その中で共通していた大事な指導のコツは、事前の予習を重視するということでした。
作文の勉強をしに来る生徒が、ただ単に教室に来れば指示が与えられて作文を書くだけというのでは、よい作文は書けないのです。
これまでの作文指導の多くは、ただ書かせて、書かれたものを赤ペンで添削し、その添削をもとに生徒がよりよい表現を考えるという、どちらかといえば復習的な勉強を中心としたものでした。
この作文の事後的な見直しというものは受験作文の練習をする時には大切ですが、通常の作文指導では重視していません。
それは第一に、書いた文章見直すというのは、子供にとっても、また大人にとっても退屈な作業だからです。
そして第二に、その退屈な作業の割に、添削された箇所を直して作文が上手になる度合いはかなり限られているからです。
作文で大事なところは、骨格となる構成と、肉付けとなる題材です。
この骨格と肉付けは、作文を書いた段階で決まってしまうので、事後的に直すのは表面に現れる表現だけになります。
骨格と肉付けが決まっているものを、表面だけ直しても上手になる度合いは限られています。(※)
そこで大事になるのが、事前の予習なのです。
※言葉の森は、作文を次の要素に分解して指導しています。
1.構成、2.題材、3.表現、4.主題、5.表記、6.字数、7.内容
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作文に予習を取り入れるというのは、言葉の森が初めて行ったことだと思います。
それまでの作文指導は、事後的な添削が中心でした。
今でも、作文の指導というと、赤ペンの添削を思い浮かべる人が多いと思いますが、その添削というのは、作文指導のごく一部です。
そして、添削は、赤ペンを入れる先生の苦労のわりに、生徒にとって役に立つのはごくわずかなのです。
それは、生徒の文章力がまだ発展途上にあるからです。
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世の中には答えがある限られた問題だけではなく答えのない無数の問題が存在しています。
子供たちが成長して社会で活躍するときに大事になる勉強法は、何よりもまず熱意を持って取り組めるかどうかということです。
その熱意は、子供時代からの熱意の持った経験の中で作られて行きます。
先日思考発表クラブの準備に時間がかかるという話を書きましたが、この時間のあかる準備を子供たちが喜んでやっているのは、その勉強に熱意を傾けるものがあるからです。
その熱意の源は、自分の発表と他の友達との交流なのです。
オンラインの教育は、前評判のわりに、現在あまりうまく進んでいないように見えます。
ひとつの弱点は、低コストで高品質なものを提供しても、子供たちは飽きるということがあるからです。
一方、先生と生徒の関わりを大事にする個別指導では、コストがかかるようになるという弱点があります。
また、生徒どうしの交流は、それなりに子供たちを喜ばせますが、交流だけが目的になると、参加者の中のより安易な共通点でまとまる面が出てきます。
大事なことは、子供たちの勉強を、発表する形の勉強につなげていくことと、その発表を通して他の友達との交流を図ることです。
これまでの勉強は、発表を前提にしたものではなく習得を前提としたものだったので、テストの評価のように一律の枠組みの中で行われていました。
このようなテストの点数の発表は、交流のきっかけにはほとんどなりません。
習得するだけの勉強は、これからは自学自習で行い、その一方で発表する勉強を少人数の交流の中で行うというスタイルのオンライン教育がこれから必要になってくると思います。
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途上国には、満足に学べない子供がいます。
しかし、それは途上国の問題です。
先進国には、学ぶことにあきた子供がいます。
それが、先進国の問題です。
途上国に、日本の教育を輸出するという話がありましたが、肝心の日本の教育が今行き詰まりつつあるのです。
これを打開する方法の一つが、熱意を持って取り組めるオンライン教育になると思います。
しかし、オンラインと熱意とコストというものは、今はまだうまく結びついていないのです。
その話を、今日の森林プロジェクト交流会で少しだけ話したいと思います。
熱中すると、時間のたつのを忘れます。
しかし、時間をかければ熱中したことになるかというと、そういうことはありません。
逆に、本人の意欲に関係なく時間だけかけるようにすると、かえって熱中する力がなくなってしまいます。
受験勉強は、最後の一年間の集中力がものを言います。
だから、それまでの普段の勉強は、普通にできているぐらいで十分で、その分熱中できる力を育てておくといいのです。
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これまでの社会では、大量の情報を習得しそれらを統合し活用する能力が優れた能力だと見なされてきました。 人間には誰でもそのような能力がありますが、それは実は人間に向いている能力ではありません。
向いていないからできる人が少なく、だからこそその少数のよくできる人、又は努力した人が尊ばれてきたのです。
この時代は、まだこれからしばらく続くかもしれません。
しかし、変化の波は意外に早くやってきます。
ただし、教育の分野は時代から何歩も遅れて変化がやってくるので、しばらくは教育も昔ながらのものが価値あるものとして残るでしょう。
この能力を磨く方法のひとつが、暗唱という学習方法です。
この能力は、これからの社会では、最も重要な能力ではなくなりますが、それでも人間にはかなり役立つ能力として残ります。
だから、従来の教育は、それなりに必要なものとしてこれからも存続していきます。
しかし、これからの社会で、最も価値ある能力となるものは、この従来の能力ではありません。
ダイヤモンド・オンラインに、孫氏が記事を載せていました。
「AIが雇用を奪うとどうなるか【孫泰蔵】」
http://diamond.jp/articles/-/140483
この、人工知能の登場によって、これからの人間に必要とされる能力が大きく変わる、というのが、これからの子供の教育に関して考えなければならないことです。
漢字力や計算力は、学力の基礎ですから、これからも勉強の基本として残ります。
しかし、今、漢字が書けないと困るとか、計算が速くできないと困るということは、社会生活の中でほとんどなくありません。
これと同じことが、今までの大学入試で評価されるほとんどの知識で生じてくるのです。
では、これからは何が最も重要な能力となってくるのでしょうか。
従来の意味での知性の重要さは、これからも残るでしょう。
しかし、その知性のかなりの部分は人工知能によって代替されていきます。
人工知能に取って代わられない人間の能力としての個性と感性がこれから重要になってくるのです。
その中でも、特に重要なものが個性です。
世の中に、新しいものを生み出す独創力が、これから最も価値ある人間の能力となってくるのです。
その独創力は、どのようにして育つかというと、私は、熱中と難読からではないかと思います。
何かに熱中すれば、必ず自分の限界を超えるものに挑戦する場面が出てきます。
その挑戦の場面で、独創力が必要となり、挑戦の繰り返しによって独創的な力が育ちます。
そして、その独創力の素材となるものは、表面的な知識ではなく、より根源的な知識です。
その根源的な知識は、古典的な難解と言われる読書からもたらされます。
それは、難しい本というものは、根源的な知識に近づこうとしているからこそ難しくなるからです。
だから、子育ての中心は、子供自身が熱中できる遊び、本人の関心に基づく豊富な読書、そして感性を育てる両親や友達との対話、ということになってくるのだと思います。
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「AIが雇用を奪うとどうなるか」という記事を、孫泰蔵氏が書いていました。
これは、多くの人が既に言っていることですが、実際の教育の場では、「そんな先のことより、今の成績をどうにかしたい」という声の方がずっと多いと思います。
しかし、長期的な子育てを考えた場合、未来の社会の変化を想定しておくことは重要です。
これからの子育ての重点は、遊びと暗唱と読書と対話と、それらを統合する機会としての作文になると思います。
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先日、思考発表クラブの懇談会で、保護者の方から、「毎回、面白い実験などを考えるのに、親も苦労している」との声が出ていました。
確かに、毎週の生徒の発表は、毎回力作で、どの子も生き生きと発表しているのですが、準備に時間がかかることが感じられるものがとても多かったのです。
思考発表クラブでやることは、読んでいる本の紹介と、次の週の作文課題の構想図の発表ですから、その他の発表は自由です。
ところが、以前、作文の構想図以外にも、理科実験や工作や算数数学の問題作りをやっていたことがあるので、その延長で、理科実験を自宅でやってくる子がかなりいます。
これらの自由な発表は、発表する生徒も楽しんでいますが、それを見ている生徒も、毎回ほかの人の発表を楽しみにし、それに刺激を受けているようでした。
ただし、あまり保護者が苦労しているというのも問題なので、この保護者の関わりをどうするかということを考えました。
まず、第一は、親が苦労を楽しむということです(笑)。
親が子の成長の関われる時間は、過ぎてしまえばほんのわずかな時間だったと思うようになります。
そのわずかな時間を、共通の知的な経験を通して過ごしたということは、親にとっても子供にとっても貴重な思い出になると思います。
また、そういう経験を通して、親も子も成長していくのです。
今は共働きの家庭が多く、両親の帰宅時間も遅いことが多いので、親子で共通の時間を過ごす機会は日曜日ぐらいしかないかもしれません。
しかし、その日曜日を、がんばって子供と一緒に過ごすようにするのです。
とは言うものの、すべて親のがんばりに任せるのでは限界があります。
そこで、第二に考えたことは、理科実験や工作の例を、「親子で遊ぼうワンワンワン」などで互いに紹介していくことです。
子供が楽しめる理科実験や工作などの本は、結構たくさん出ていますが、どの本も、実際に使えるのはあまり多くありません。
面白いものは、準備がかなり必要だったり、逆に、簡単にできるものは、結果が対して魅力的でなかったりということが多いのです。
それを、親子で遊んだり学んだりすることに関心を持つ多くの人の協力で、互いに情報を共有していけたらと思っています。
また、これに関連して、やはり思考発表クラブで、子供たちの紹介する本の情報が多くの人の参考になると思うので、この本の紹介も、Facebookグループの「読書の好きな子になる庭」などで生かせるようにしていきたいと思っています。
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子供の遊びや読書に関する情報交換は、今子育て中の人ばかりでなく、もう子育ての終わった人も、これから子育てする人も(自分の子供時代を思い出して)共有できると思います。
11月の森林プロジェクトの交流会でも、このあたりのことを話す予定です。
今の親は、昔の親よりも忙しいと思います。
しかし、そこをがんばって親子の関わりの時間を増やしていくことが大事です。
昔、うちの子が通っていた保育園の園長先生は、「自営業者の子は預かりたくない」と、はっきり言っていました。
私はそのころ自営業者だったので(笑)、それはよくわかるなあと思いました。{納得するな)
親が忙しいと親子の関わりがどうしても薄くなり、そうすると、子供がバランスよく成長しないのです。
だから、どんなに多忙でも、子供が小さいときは親はがんばって一緒に遊んであげることです。
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先日の小1~小3の保護者の懇談会で、次のような質問がありました。
「作文の構想図を子供がまだ書けないので、親が書いてやっているが、それでいいのか」ということでした。
小学1年生から3年生ぐらいの子は、まだ自分で要領よく構想図が描けない方が多いものです。
そのときは、親が子供と話をしながら構想図を書いてあげ、それを参考に子供が作文を書くということでいいのです。
しかし、その質問のお母さんは、「子供がこれまで曲がりなりにも自分で作文を書いていたのに、親が構想図を書いてやるようになってから、親の書いたものをそのまま写すようになっている」ということを問題にしているのでした。
けれども、私の答えはそれでいいということです。
「それでいい」という理由は、二つあります。
第一は、子供は学年が上がれば必ず自立するようになるからです。
親は、その子が自立するときの手本を教えていると考えるとよいのです。
勉強に限らずどんなことでも、誰でも最初の自信がないうちは、見ているだけのことが多いものです。
見ているうちに自分でもできそうだという自信がつくと、自然にやってみたくなるという流れがあるのです。
第二の理由は、勉強というものの考え方がこれから変わってくるからです。
それは、いい手本を見ることが勉強になるという考え方です。
例えば、算数数学の難問を解く場合、自分で何時間も考えるという方法と、すぐに解法を見て解き方を理解するという方法があります。
自分で考えるというのは、一見正道のように見えますが、難点は時間がかかることです。
ノーベル賞級の最先端の数学の世界であれば、自分で何ヶ月も何年も考えるというのは価値があることでしょう。
しかし、入試問題のレベルの算数数学で、自分で何時間も考えるという無駄な勉強だと考えた方がいいのです。
勉強は、答えや解法を見て理解して、すぐにできるようになることで基礎力がつきます。
その基礎力の土台の上に、自分で考える実力がついたところで、その子にとって答えのない世界で考える機会が出てきます。
その答えのない世界とは、遊びであったり、勉強であったり、又は将来の仕事であったりするのです。
したがって、親が子供の勉強や作文の手助けをするときは、親自身がそれを不本意な手助けだと思ってやるのではなく、逆に親が楽しめるくらい積極的にやっていくといいのです。
それは例えば、構造図を書くときに、ダジャレを使ったり、たとえを入れたり、親の感動的な体験実例を教えてあげたりすることです。
それを、子供に対する押し付けではなく、親が楽しむような余裕を持って行っていくのです。
余裕を持つということは、ほとんどアドリブで手助けをするということです。
もちろん余裕があれば、下準備をして手助けをしてあげることもいいのです。
しかし、準備しすぎるとつい子供にもそれに対応した努力を要求するようになりがちです。
それは、子供の自主性にとっては逆効果です。
子供が小学1年生や2年生のときは、親の子供に対する見方を次のように変えていく必要があります。
「今ここで親の最良の手本を見せておけば、その土台の上に、子供が高校生になったときにやがて親の今のレベルを超えるような考え方をするようになるはずだ」という見方です。
できるだけ視野を遠くに置いて、子供の成長を見ていくとよいのです。
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自分でやらなければ力にならないということは、そうだとも言えるし、そうでないとも言えます。
まだ実力がないうちは、本人が安心して取り組めるように、手本だけ見ていればいいというふうにしておくことです。
作文の場合、本人がなかなか書けないときは、お母さんがすぐに手伝ってあげることです。
その手伝い方を見ることが、子供の勉強になるのです。
私が、「子供が困っていたら、すぐに手伝ってあげるといい」と思っているのは、子供時代はいつも安心して暮らしていた方がいいと思うからです。
子供は自信がつけば、自然にひとりでやるようになります。
自信の源は、安心して暮らした子供時代にあるのです。
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