「葦編三絶」という言葉は、孔子が「易経」という書物をとじ紐(ひも)が三度も切れるほど繰り返し読んだという故事から来ています。
なぜ三度も繰り返し読んだかというと、その内容が理解できなかったからではなく、理解が浅かったと思ったからです。
一般に、難しい本を読む場合の理解は、何層にも分けて考えることができます。
1回目に読む場合、理解するところは、自分が既に何らかの形で理解しているものに近いところに限られます。
2回目に読むと、自分の理解が1回目より進んでいるために、もう一段深く新しいことを理解することができます。
3度目に読むと、さらにもう一段深く理解ができるようになります。
このように繰り返し読めば、それだけその本の内容の理解が深まります。
しかし、1回目に読んだだけでも一応自分なりに理解したつもりにはなっているので、自分の理解が浅い理解だという自覚がないのが普通です。
本を繰り返し読むことが大切なのは、繰り返し読むことによって理解を深めることができるからです。
子供が同じ本を繰り返して読むときも、同じような理解の深化があります。
だから、本をたくさん読む子よりも、同じ本を繰り返して読む子の方が、理解力も語彙力も増えてくるのです。
(つづく)
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写真は、昔の本、竹簡です。
こういう竹に書かれた本を読んでいたから、とじひもが三度も切れたのでしょう。
先日、もう既に何度か読んでいるはずの本を読んでみると、前に気づかなかったことが書いてあることに気づきました。
理解するというのは、その時点で自分が理解できる範囲のものを理解するということに過ぎません。
だから、たくさん読んでも、理解が深まることはないのです。
これは、算数や数学の勉強をするときも同じです。
問題集を何冊も解いても実力はつきません。
1冊の問題集を、できないところが1問もなくなるまで繰り返し解くことで本当の実力がつきます。
(ただし、もうできた問題は解かなくていいのですが)
こういうことを、もっと塾や学校で教えてあげればいいと思うのですが、そういう話はほとんど聞きません。
なぜ本を繰り返し読む子が少ないかというと、ひとつには本が豊富すぎるからです。
しかし、もうひとつには、繰り返し読むことの大切さを知らない人が多いからです。
と言っても、子供が読みたくない本を繰り返し読ませても逆効果です。
繰り返し読みたくなる本を見つけるのが最初です。
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先生「プレゼン作文発表会に参加したい人は、ウェブから申し込んどいて」
S君「それ、なあに」
Y君「プレゼントがもらえる発表会なんだよ」
S君「へえ」
ちがうだろ!
でも、意外とそう思っている子が多いのかと思った、昨日の会話でした。
プレゼン作文発表会とは、ただ作文を棒読みするような発表会ではなく、その作文の中身に関連する、写真、絵、物、音楽、動作、問いかけなどを自由に使って行う発表のことです。
https://www.mori7.com/hpk/
今回は、直接ウェブカメラの前で発表する形にしたので、果たしてどのような発表になるでしょうか。
(前回までは、事前にyoutubeアップロードだったので、ちょっと敷居がたかかったかもしれません。)
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「われ十五にして学に志し」から始まる孔子の言葉があります。
この人生の区分は、多くの人にとって納得できるものです。
15歳は、子供が初めて勉強に対する自覚を持つ時期です。
それまでは、人に言われたり、褒められたり、叱られたりしながら、主に他人の意志で勉強してきた子供が、15歳を境にして自分自身で勉強する必要性を自覚するのです。
昔、15歳が元服の時期で、その年齢から成人としてみなされるということも、この年代の持つ性格の故だと思います。
「三十にして立つ」とは、30歳になると、自分ひとりで何か始める時期が来るということです。
「四十にして惑わず」というのは、その自分の意志で歩き始めた道を、自分で選んだものとして続けて行こうという決心をすることです。
「五十にして天命を知る」というのは、50歳になると、その自分の進んできた道が自分の天命で、これから行っていくことが自分の意志を超えたものだという気持ちになっていくことです。
「六十にして耳順う(したがう)」とは、さまざまな否定的な事柄や障害や困難が出てきても、それを平然と受け入れて前に進むことができるようになるということです。
子供を育てていく場合、この大きな年齢区分を前提に考えていくことが大切です。
「十五にして学に志す」というように、子供が自分の意思で勉強の必要性を感じ、勉強の面白さに目覚めるのは15歳の中学3年生のころからです。
だから、それまでの子育てはこの15歳の自立の時期にふさわしい準備をしていくことです。
15歳までは根を張ることが大切で、まだ早く花を咲かせるような時期ではないということが、親が押さえておく最も大切な考え方だと思います。
「三十にして立つ」というように、これからの社会では、多くの人が自分で独立して何かを始めるような生き方になると思います。
それは、独立起業という形もあるでしょうし、副業やフリーランサーのような形もあるでしょうし、定年後の自立ということもあるでしょう。
いずれにしても、他人や組織に依存するだけの生き方ではなく、自分ひとりの決断で生きていくような時期がやってくるのです。
この自立のための準備が、15歳以降の人間の生き方になると思います。
子育ては、年齢によって重点が大きく変わってきます。
今は、多くの人が勉強や成績のようなところを重視していますが、それは人間形成のごく一部です。
「三十にして立つ」ところまでを考えれば、勉強や成績よりもある意味で大事なことは、愛情のある生活、幸福な生き方、自主性のある行動、何かに熱中する経験、読書に没頭する時間、自然と触れ合う機会、友達と深く関わる経験などです。
これらのバランスをいつも考えていくことが、十五にして学に志し、三十にして立つための子育ての大きな前提になると思います。
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子育ての目標は、いい大学に入るところまでではありません。
まして、いい高校に入ったり、いい中学に入ったりするところまでではありません。
それが当面の目標になることはあり、そのために全力で取り組む必要が出てくることはありますが、本当の目標はもっと先にあります。
では、その本当の目標の目安はどこかと言えば、子供が「三十にして立つ」ところまでだと思います。
それは、子育て中の親が、まだ三十代か四十代かせいぜい五十代なので、それ以上先のことは子育ての問題ではなく自分の問題になるからです。
年端のいかない小さな子供を見るときも、その子が「三十にして立つ」様子を想定して見ることです。
今は、親よりも、先生よりも、全く低いレベルにある子供たちが、やがて親や先生と対等になり、いろいろな面で親や先生を乗り越えていくようになるのです。
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昨日、思考発表クラブの小学6年生の作文構想図の発表を見ていましたが、どれも非常にレベルの高いものでした。
11.1週の課題は、「家にある古いもの」ですから、自分の引き出しを開けて適当に小さいころ使った古いものなどを例に挙げて書くこともできます。
けれども、発表された構想図には、どれもお父さんやお母さんに聞いた、家庭の古いものにまつわるさまざまなその家庭の文化的な話が盛り込まれていました。
この、互いの発表を聞いてそれぞれの生徒が自分の考えたこととまた違う他の人の考え方を知ることも、みんなの大きな刺激になったと思います。
勉強の成果を発表するという場があると、まずその発表に向けて、家族の関わりが生まれてきます。
しかも、その発表は正解や優秀作品という答えや目標のある発表ではなく、それぞれの個性を活かした答えのない発表ですから、家庭での親子のふれあいも創造的で前向きなものになります。
また第二に、同年齢のほかの子供たちが見ている前で発表するという気持ちがあると、自然に自分の中のよりよいものを出して行こうという気持ちになります。
このよりよいものを出したいという思いが、実力の向上につながるのです。
みんなの発表を見ていて、こういう互いの作品の発表の場を、普段作文を書いている生徒全員が、もっと日常的に参加できる機会を作っていってもいいのではないかと思いました。
プレゼン作文発表会は、これまで何度か特別の企画として日程を取って行ってきましたが、今後もっと日常的に機会を作っていくことを考えています。
その具体的な方法は、オンライン作文に参加している生徒が、月に一回ある程度時間の幅を決めてその中で自由に発表する場を作るというやり方です。
オンラインの企画への参加は、最初は敷居が高いと感じる人が多いと思いますが、やってみると意外と簡単にできます。
今後、このオンラインで生徒どうしが、作文だけでなく他の算数や理科の勉強も創造的に発表するようなやり方を自主学習クラスで作っていきたいと思います。
その場合の発表というのは、例えば算数であったら問題集をもとに自分のオリジナルな似た問題と解説と解答を作ることです。
理科の場合でしたら、理科実験や工作などを、実際に自分で行ったり作ったりしてみることです。
正解を要求される答えのある勉強は、発表にはあまり向きません。
答えのある勉強のほとんどは点数に還元されてしまうので、満点を取ることが目標という、ある意味で味気ないものになりがちです。
こういう質的な違いのない量的な評価だけの発表は、子供たちの意欲をあまり引き出しません。
答えのない創造的な世界で自分らしい発表することが、勉強の最も強い動機になるのだということを、これまでの思考発表クラブの発表を見て感じてきました。
今後の作文指導も、作文以外の勉強の指導も、このような実力と面白さの両立するやり方で進めていきたいと思っています。
【参考までに小4~小5の生徒の構想図の例】
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生徒たちの読書紹介や作文構想図の発表を見ていて、みんなのレベルが高いことにいつも感心します。
また、生徒どうしも互いに張り合うというのか(笑)、読書の紹介なども結構難しいものや個性的なものを選んできます。
ただし、これは小4以上になると自然にそうなるようで、小3以下のころは、むしろただ楽しいだけの発表の方がいいように思います。
週に1回の発表ですが、子供たちがみんな昔からの知り合いのように話しているところが面白いです。
実際には、横浜と名古屋と九州となど、いろいろなところからの生徒が参加しているのですが。
子供たちの発表の場は、これからもっと広がると思います。
勉強は、このように発表の場と、自学自習の場があれば、それで十分ではないかと思います。
こういう場を運営する人は、講師というよりも、みんなを活気づける司会者という感じです。
この運営に携わる人を、これから森林プロジェクトなどで依頼していきたいと思っています。
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2年前、言葉の森の講師の間でプロジェクト27という企画を立ち上げました。
これは、自分が考える新しい企画が多すぎて、自分ひとりでは運営できなかったので、プロジェクト参加者に運営を任せるという企画でした。
ここで出た成果はかなり大きかったので、やはり自分がやるよりも、ほかの人がやった方がずっといい運営ができると思ったのでした。
しかし、このプロジェクトは、2つの限界がありました。
一つは、プロジェクト参加者に支給する手当が、すぐには経営に結びつかない長期的なプロジェクトにも支給されるようにしていたため、予算的な制約が出てきたことです。
もう一つは、どの会合にもシステム的な仕事が関わることが多いので、システムを作る中根が参加する形にしたことです。そのため、中根が時間が取れないときは、会合が延期になってしまうことが多かったのです。
経営には、選択と集中が大事だと言われています。
それは、一人の人間が本気でできることは、一つかせいぜい二つまでだと言われているからです。(ドラッカーの本にそう書かれていて、なるほどと思いました。)
しかし、思いついたことは、どうしてもすぐにやってみたくなります(笑)。
そして、結局、プロジェクト27は、いったん終了して、現在は、その中で継続的にできる企画だけを続けていました。
ところが、最近、ブロックチェーンを利用した独自仮想通貨ができることがわかりました。
こういうことができるのは、もっと先だと思っていましたが、世の中は考えているよりもずっと早く進んでいたのです。
このブロックチェーンは、個人間でも信用できる取引が可能なので、これからさまざまな分野に利用されていくと思います。
そこで、言葉の森では、この独自仮想通貨を使って新しくプロジェクト2018を立ち上げることにしました。
一種のICO(Initial Coin Offering)という形になりますが、言葉の森の経営が発展すればそれに応じて支給された手当の価値が上がります。
そして、今度の企画には、中根は直接は関わらず、それぞれのプロジェクト責任者が自分でできる範囲で運営し、中根はそれらのプロジェクトの責任者だけの会合に参加する形にしたいと思っています。
だから、運営はすべてそれぞれのプロジェクトに任せるということになります。
今考えている企画はたくさんありますが、その中で特にすぐに進められそうなものから、プロジェクト参加者を募集する予定です。
また、新しいプロジェクトを思いついた人がいれば、それらも採用していきたいと思います。
プロジェクト全体に共通するテーマは、「明日の日本を支える子供たちを育てる教育」です。
ただし、子供たちが中心になりますが、年齢の範囲は、幼児から老人まで含みます。
特に、将来可能性があるのは、老年教育だと思っていますが、これは自分がもっと年を取ってから取り組みたいと思います。
いずれにしても、「教育」という大きな括り(くくり)で新しいプロジェクトを立ち上げていく予定です。
今度は、言葉の森の講師だけでなく、森林プロジェクトの参加者をはじめとする一般の方の誰にでもプロジェクト参加を開放していきたいと思います。
今後、言葉の森のホームページで、プロジェクト2018の企画を公開しますので、ご興味をお持ちの方はぜひご参加ください。
一般参加者は、月1回1時間程度の会合に参加するだけで、ほかの義務的なことは何もありません。
参加手当は、仮想通貨で支払われます。その仮想通貨は、言葉の森の経営の発展に応じて価値が上がります。
みんなの力で、日本から新しい理想の教育を作っていきたいと思います。
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これまでいろいろなことを思いついてやってきましたが、自分ひとりでは継続的にできないことが多かったので、途中で開店休業になっているものがかなりありました。
ほかの人に任せれば、自分以上にうまくやれることはわかっているのですが、自分が関わらないと最終的に完成しないような形のものが多かったのです。
そこで、今度は、独自の仮想通貨を使い、大幅に権限委譲をして新しいプロジェクトを立ち上げることにしました。
日本の子供たちの教育に関心を持っている方は多いと思うので、そういう方が自由に自主的に参加できる企画にしたいと思っています。
この数ヶ月というか数年、ずっと考えてきて、いいやり方は分かってきたのですが、それをやるには自分の時間がないということがネックになっていました。
そこで、今度のプロジェクト群は、参加者に全面的に任せる形にすることにしました。
その準備ができたら、新しいプロジェクト2018を公開したいと思っています。
関心のある方は、ぜひご参加ください。
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引力が距離の2乗に反比例するのは、表面積=4×π×半径の2乗だからです。
スマホでも、お菓子でも、漫画でも、距離が近くにあればあるほど手を出したくなる力が強くなります。
距離を離せば、それだけで引力は急速に弱くなります。
だから、例えば、いくらでも使っていいが、使ったら隣の部屋に置いておくというルールにするのです。
親が禁止するという外的な強制は、強制がなくなれば元に戻ってしまうので、根本的な解決になりません。
子供の自主性を育てるためには、物理的な法則を教え、その法則を生かす工夫をさせていくことです。
それは、人間の身体が物理的世界に属しているから、心の力だけではどうにもならないことがあるからです。
そういう工夫は、子供が、自分で自分をコントロールしなければならない年齢になったときに生きてくるのです。
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先日の保護者懇談会で意外に多かった質問が、子供が誘惑に弱いのでどうしたらいいかということでした。
誘惑に弱いのは、大人も同じです。
その大人の工夫の仕方を子供に教え、それによって子供が自覚的に誘惑と共存できるようにするといいのです。
誘惑に弱いというのは、生きる力があるからです。
最近、再開されたロボット犬アイボは、たぶん誘惑には負けません。
言葉の森のペット犬ゆめは、すぐ誘惑に負けます。
誘惑に弱い子は、人間的な子なのです。
静止摩擦力は、動摩擦力よりも大きいというのも、応用できる法則です。
作文を書くという重い作業をする前に、軽い作業が一つ入ると、やりやすさがかなり違ってきます。
だから、先生の電話指導があります。
それなのに、子供がゆっくり休んでいるときに、突然思いつきで、
「そんなにのんびりしているなら、宿題の作文書いちゃいなさい」
などと言うお母さんが意外と多いのです。
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先日、森林プロジェクトの会合で、作文教室を開いている先生からいろいろな話を聞くことができました。
その中で共通していた大事な指導のコツは、事前の予習を重視するということでした。
作文の勉強をしに来る生徒が、ただ単に教室に来れば指示が与えられて作文を書くだけというのでは、よい作文は書けないのです。
これまでの作文指導の多くは、ただ書かせて、書かれたものを赤ペンで添削し、その添削をもとに生徒がよりよい表現を考えるという、どちらかといえば復習的な勉強を中心としたものでした。
この作文の事後的な見直しというものは受験作文の練習をする時には大切ですが、通常の作文指導では重視していません。
それは第一に、書いた文章見直すというのは、子供にとっても、また大人にとっても退屈な作業だからです。
そして第二に、その退屈な作業の割に、添削された箇所を直して作文が上手になる度合いはかなり限られているからです。
作文で大事なところは、骨格となる構成と、肉付けとなる題材です。
この骨格と肉付けは、作文を書いた段階で決まってしまうので、事後的に直すのは表面に現れる表現だけになります。
骨格と肉付けが決まっているものを、表面だけ直しても上手になる度合いは限られています。(※)
そこで大事になるのが、事前の予習なのです。
※言葉の森は、作文を次の要素に分解して指導しています。
1.構成、2.題材、3.表現、4.主題、5.表記、6.字数、7.内容
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作文に予習を取り入れるというのは、言葉の森が初めて行ったことだと思います。
それまでの作文指導は、事後的な添削が中心でした。
今でも、作文の指導というと、赤ペンの添削を思い浮かべる人が多いと思いますが、その添削というのは、作文指導のごく一部です。
そして、添削は、赤ペンを入れる先生の苦労のわりに、生徒にとって役に立つのはごくわずかなのです。
それは、生徒の文章力がまだ発展途上にあるからです。
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