子供が初めて生まれたとき、親は誰でも、その子が立派に成長してくれるように願っています。
その立派な成長とは、自分の個性を活かし、みんなから喜ばれるような人間になることです。
そうして、本人が幸せであればそれで十分と考えていたのが、子供が小学校に上がり、3年生になり、4年生になり、高学年になると、次第に自分が初めに考えていた子育ての理想という原点から離れて、目の前の点数をあげることや、他の人と比較して負けないことなどが考えの焦点になっていきます。
それは、大人自身が、自分が若かったころの理想の人生という原点を忘れて、日々の生活の中でさまざまな妥協を繰り返してきたために、同じことを子供の育て方においても再現してしまうのです。
「最後に笑ったものが勝つ」という言葉の最後とは、あの世に向かう時です。
そのときに、自分の思ったとおりの生き方をしていれば、その人は最後に笑えるのです。
子供の育て方においても、決して大げさなことを決断するのではなく、その子の個性を生かし、周りの人を幸せにできる、夢のある生き方をしてほしいという原点を忘れないようにしていきましょう。
そして、それはまた、大人自身が、どんなに年をとっても自分の原点を忘れずに生きていくことなのです。
勉強がつまらないのは、狭い枠の決まった答えがあって、誰がやっても同じ答えになるからです。
それも、ほどほどであればいいのですが、完璧にできるまで同じ答えであることが要求されると、勉強は苦行に近くなります。
自分の自主性が発揮できることであれば、苦しいことでも、子供たちは平気で取り組みます。
たぶん、これからの勉強はそういう自主性の発揮できるものになってくるでしょう。
そのためには、30人学級でもやや多すぎます。
グループが活性化するのは、5、6人ですから、同じ力のある子どうしが5、6人で発表する勉強をすると、それは遊びと同じように楽しいものになるのです。
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子供たちの勉強の様子を見ていると、「人間は、本当はみんな勉強が好きなんだ」と思います。
それぐらい、自分が参加する形の勉強は、どの子も熱中するのです。
そして、もちろんその熱中した分だけ、実力がついています。
それなのに、どうして、その子供たちが、家ではよく「勉強しなさい」と言われるのでしょう。
そして、「今やろうと思ってたのに」と返事をするのでしょう。
それは、勉強が面白くないからです。
その理由は、勉強のほとんどが、受け身でやるものになっているからです。
その同じ勉強を、どうして先生は面白いと思っているのでしょう。
それは、先生が、教えるという主体的な参加の仕方をしているからです。
これからの勉強は、子供たちも参加できる勉強にしていく必要があると思います。
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子供の作文に対する要望で多いのが、もっと字を丁寧に書いてほしいということです。
特に男の子の場合は、かなりのお母さんがそういうことを言います。
文字は最初に書いたときの経験があとまで続くので、幼児期のまだ字の書き方を習っていない時期に、両親や兄弟の真似をして文字を書くと、その自己流の文字が定着してしまいます。
だから、字の下手な子は、頭のよい、好奇心の強い、何でも自分でやってみたがるという積極的な子に多いのです。
だから、子供に正しい字の書き方を教えるのは小学校に上がってから、という一律の基準ではなく、その子が文字を書くことに興味を持ち始めた時期からというように、家庭の方針を決めていくとよいのです。
さて、話は変わって、作文の字の書き方を注意するというような、欠点を直そうとする見方は、子供の成長にとってプラスにはなりません。
世の中で成功するコツは、欠点を直すことではなく長所を伸ばすことだからです。
昔、船井幸雄さんが企業へのアドバイスとしてよく言っていたことは、売上が下がったところに力を入れるのではなく、伸びているところに力を入れる、ということでした。
子供の育て方にも、同じことが言えます。
お母さんやお父さんは、その子のよいところをできるだけ見つけ、それをその子のよさとして認めていくことが大切です。
欠点に目を向けて、欠点を直すことに力を入れるお父さんお母さんは、自分自身の生き方に関しても欠点を直そうという真面目な人が多いように思います。
しかし、そういう真面目さは、周りの人からは評価されますが、本人自身の人生の満足感という点では、かえっては不十分であることも多いように思います。
ところが、ここでまた話は変わって、入学試験のような課題に取り組む際は、よいところを伸ばすよりも悪いところを直す方がよいのです。
例えば、理科がいつも90点以上取れるのに、社会がいつも70点以下だという生徒の場合、得意な理科を90点から100点にするよりも、苦手な社会を70点から80点にする方がはるかに簡単です。
だから、受験勉強は欠点を直すというところに力を入れていくのです。
算数数学の勉強の仕方も同じです。
自分の得意なよくできるところに力を入れるのではなく、自分ができなかったところに力を入れるからこそ得点が上がります。
だから、算数数学の問題集はただ漠然とやるのではなく、一度解いてできなかったところだけをピックアップして2度も3度も、解けない問題がなくなるまで磨いていくことが大事です。
そのためには、算数数学の問題集に直接計算や答えを書き込むのではなく、計算や答えをノートに書き出してやっていくことです。
算数数学の問題集には○か×かの結果をつけるだけにして、それ以上の計算や答えは書きません。
そうすると、その問題集の問題が全部解けるようになるまで、3度でも4度でもその問題集を使い尽くすことができます。
小学校低学年の算数数学問題集は、子供が取り組みやすくするためだと思いますが、問題集に直接書き込む形のものが多いようです。
しかし、ここで問題集に書き込むことに慣れてしまうと、学年が上がってからでもその癖がなかなか抜けません。
低学年のころから、算数の練習は、ノートに計算と答えを書くという習慣にしておくといいと思います。
さて、ではなぜ入学試験では欠点を直す方がいいのでしょうか。
それは、入試が答えのある世界だからです。
答えという枠がある世界では、その答えに向かって欠点を直していくことが最も効率のよいやり方です。
だから、かつての日本の高度経済成長時代のように、欧米の先進国に追いつくという答えがある社会では、足りないところを補ったり、欠点を直したりすることが効率のよい生き方だったのです。
今の大人の世代は、その文化の名残りをまだ持っているのです。
これからの社会では、よく言われるように答えはありません。
社会の変化や技術の変化が早いので、答えをそのつど見つけ、軌道修正し、自分で新しい問題を発見していくことが社会全体の大きな了解事項になってきます。
そういう社会でたくましく生きていくためには、欠点を直す生き方ではなく、長所を伸ばす生き方が重要になるのです。
作文の字の書き方の話から、だいぶ話が広がりましたが、子供の生活や勉強を見るときは答えという枠組みがある世界では欠点を直してもよいが、基本的には長所を伸ばすことで子育てをしていく方がよいと考えることが大切です。