都立南多摩中、同志社中、滝中、名古屋中 H.Iさん
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作文小論文の指導をしている人の中に、どういう作文がよくないのかということを事細かく説明する人がいます。
そういう人たちが教える作文指導は、事後添削が中心です。
子供が書いてきたものを見て、どこがよくないのかということを詳しく説明するのです。
それを聞くと、まるで勉強を詳しく教えられているような気がします。
しかし、だからといって、指摘されたところを直せば、上手な作文が書けるようになるというわけではありません。
よくないところを直せば自然に上手になるのではないのです。
上手な作文というのは、よくないところがあるかないかということとは別の次元の話です。
よくないところを直した作文は、よくないところがない作文であって、上手な作文ではありません。
そして、直すことを中心にした作文指導は、子供をどんどん暗くしていくのです。
作文の学習は、長く続けることに意義があります。
それは、作文力は国語力の集大成なので、上達に長い時間がかかるからです。
作文指導を、直すこと中心に行っていくのは、作文指導をしないことよりもかえってマイナスが大きいとさえ言えます。
作文指導に熱心な先生のクラスほど、作文嫌いの子が多くなるというのは、そういう事情があるからです。
では、上手な作文を書くにはどうしたらいいかというと、それは書いたあとの作文を添削するのではなく、書く前に事前の指導をする必要があるのです。
その事前の指導というものには、指導の枠組みが必要ですから、簡単にはできません。
思いつきでいくつかの事前指導をすることができたとしても、その事前指導を何年も続けて系統的に進めて行くことは普通できないのです。
作文指導は、子供が明るく勉強できることを基準にして進めていく必要があります。
作文の勉強が嫌いにならなければ、必ず上達していくからです。
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欠点を直すことと、長所を伸ばすことは別の次元の話です。
ところが、作文教育の分野では、赤ペンでよくないところを直すのが指導の中心のようになっています。
作文は、いくら悪いところを直しても、それでよくなるわけではありません。
もっと明るく褒める指導を行っていく必要があるのです。
作文が苦手だった子が、毎週書いているうちにだんだん上手になり、そして何年かたつと見違えるようになるのは、ずっと褒め続ける指導をしているからです。
どうしてそれほど長い間褒め続けることができるかというと、それは事前指導があるからです。
「ここができるようにがんばろう」と指導して、子供がそれができるようになるから褒めているということなのです。
ただ単に褒めるというだけでは、何年も続けることはできません。
これは、子育てすべてに共通することだと思います。
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東京学芸大学附属国際中等教育学校 R.Aさん
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「読むことは人間を豊かにし、書くことはが人間を正確にする」という言葉があります。
この「正確にする」という意味は、書くことによって物事をはっきりさせることができるということです。
これは、事実を正確に書くということ以外に、自分との対話を深めるという意味も含んでいます。
作文を書くことによって、書く自分と、その文章を読む自分との間に対話が生まれます。
そのことによって物事と自分を正確に、つまりより客観的に捉えられるようになるということです。
生活の中には、さまざまな困難があります。
また、さまざまな喜びもあります。
動物であれば、その困難や喜びに対して、直接その状態を生きることしかできません。
しかし、人間はその困難や喜びから一歩離れて、それらを対象として見ることができます。
これが人間の工夫や文化を生んできたのです。
苦しいことも嬉しいことも、言葉を通すことによって人間的なものに昇華されます。
作文の勉強は、文章を書くことによって、言葉をより正確に使える力を育てています。
物事を正確に考えることによって、ある一つの考えから、新しい次の考えへと進んでいくことができるのです。
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「読むことは人間を豊かにする」というのは、わかりやすい言葉です。
しかし、「書くことは人間を正確にする」というのは、特にピンとくる言葉ではないと思います。
この「正確にする」という言葉は、正確にすることによって、人間はより強くより創造的に生きられるようになるということなのです。
正確さは、それ自体が目的でもあるよりも、よりよく生きるための手段なのです。
「読むことは人間を豊かに……」の続きに、「話し合うことは、役に立つ人間を作る」という言葉があります。
これは、対話が社会に役立つ人間を作るという意味でしょう。
意訳すると、読書が向上で、作文が創造で、対話が貢献になると思います。
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聖光学院中学校、渋谷教育学園幕張中学校 A.Tさん
12月まで受験コースでがんばっていたA.Tくんですが、聖光学院中学校、渋谷教育学園幕張中学校などに合格し、聖光学院に通うことに決めたそうです。
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東京農業大学第一高校中等部 K.Uさん
国語が一番成績が良かったそうです。
言葉の森のおかげです、とおっしゃっていました♪
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栄光学園中、聖光学院中、浅野中 T.Kさん
小3から受講しているT.K君が栄光学園中、聖光学院中、浅野中の3校に合格しました!
栄光学園に進学するそうです。
おめでとう!
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勉強は、本来面白いものです。それは勉強することによって身につけた知識や技能が、他の何かの役に立つという経験ができるからです。
人間に向上心や好奇心があるのは、この学んだことが役に立つということを知っているからです。
ところが、今の子供たちの勉強は、こういう役に立つ勉強という実感があまりないようです。
それはなぜかと言うと、点数に差をつけるための勉強で競争に勝つことを求められるような勉強をしているからです。
その一つの例が、うっかり間違えやすい算数の問題です。
算数の力は大切ですが、それは物事を算数的にとらえ処理する力をつけることが目的で、それ以上に、引っかかりやすい問題やパズルのような難問を解く必要はないのです。
もちろん、そういうパズルを解くような難問に頭を使うことを趣味にできる子はそれでいいのですが、ほとんどの子にとって、そういう難問の解法パターンを覚える勉強は時間の無駄です。
それよりも、もっと読書をしたり、自然と触れ合ったり、人間と交流したりする時間の方がずっと大切なのです。
では、勉強はどういうところで面白くなるかというと、それは自分の学んだことを人に教えたり新しい分野に応用したりすること、つまり発表したり創造したりできる機会がある時です。
思考発表クラブの子どもたちの勉強の発表が生き生きしているのは、その勉強の結果を採点されたり評価されたりするからではありません。
評価の全くない中で熱心に勉強に取り組むのは、自分がしたことを発表して他の人に教える場があるからです。
これからの勉強は、このような発表学習と創造学習を組み合わせたものが中心になり、その基礎力をつけるために自学自習があるという形になっていくと思います。
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これまで学校がなかったために勉強できなかった途上国の子供たちが、やっと学校ができ、勉強ができるようになったというときの喜びは、純粋に勉強できる喜びです。
しかし、教育環境に恵まれた先進国の日本で、こういう喜びを持って勉強している子供たちはほとんどいないと思います。
それはなぜかというと、勉強が主体的なものではなく、他から評価されるだけの受け身の勉強になっているからです。
しかし、そういう受け身の勉強の克服する道はあるのです。
今の子供たちに対する勉強の教え方は、レッドオーシャンで勝ち抜くために行われているようです。
本当は、ブルーオーシャンで生きる力をつけるために勉強するのです。
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