中学生や高校生がスマホを持つと、年中YouTubeを見ていたり、Lineで友達とやりとりをしたりするようになると思います。
イギリスの中学生がfacebookをやりだしてから、途端に読書量が減った調査結果も出ています。
この問題に対して、多くのお母さん方はスマホを禁止するということを考えるようです。
しかし、その「禁止する」という方法では、問題は何も解決しません。
むしろ、親の管理がなくなったときに、子供が自分でコントロールできなくなるというマイナスの方が大きいのです。
では、どうしたらいいかというと、一つは本人がいろいろな誘惑に負ける経験を通して、その誘惑とうまく折り合いをつけてコントロールする方法を自分自身で身につけていくことです。
だから、親には、多少の脱線を大目に見てあげるような余裕が必要です。
しかし、もう一つのもっと根本的な対策は、スマホとインターネットによる受け身の娯楽ではない、より主体的な娯楽を作っていくことです。
その主体的な娯楽が勉強です。
と言っても、学校や塾で先生の授業を聞くような勉強ではなく、勉強の成果を他の人に発表したり新しい勉強を考え出したりするような創造的な勉強なのです。
例えば、思考発表クラブで子供たちが取り組んでいるような勉強は、スマホとインターネットによる娯楽よりもずっと面白いはずです。
そういう子供たちは、スマホとインターネットによる娯楽を楽しみながらも、それらとうまく折り合いをつけて自分の勉強を進めていくことができます。
似た例として、読書と漫画の関係を考えるとわかりやすいと思います。
漫画ばかり読んでいて本を読まない子がいた場合、漫画を禁止すれば本を読むようになるかというと、そういうことはありません。
読書の好きな子は、漫画も好きです。
どちらもたっぷり読むことが大事なのです。
遊びと勉強の関係も同じです。
遊んでばかりいて勉強しない子がいた場合、遊びを禁止すれば勉強するようになるかというとそういうことはありません。
勉強のできる子は、遊びも好きです。
よく遊び、よく学べが、最も健康的な過ごし方なのです。
大事なことは、子供が主体的に取り組みたいと思うものを見つけることです。
大人の役割は、マイナスを禁止することではなく、プラスを用意してあげることなのです。
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勉強もするが、遊びもする。普段は真面目だが、脱線も好き。
親の言うことをよく聞くが、全く聞かないこともある。
というような子が、本当はいい子です。
親の言うとおりにやっているだけだったら、それはかえって親の枠組みの中までしか成長しない子です。
子供は、いつか親をおぶってあげるのですから、親より強く大きくならなければならないのです。
私は基本的に真面目な子だったが、途中からどんどん脱線していったのは、親が何でも認めてくれたということが大きかったと思う。
====
ここで思い出すのは、日本のロケット開発の生みの親である糸川英夫氏の子供時代の話です。
糸川氏は昔の中学5年生で志望校を選ぶ際に、上野の音楽学校(今の芸大)の作曲科にするか、東京高校(今の東大)の理科にするか、入学願書を出すまぎわまで決心がつかずに悩み、母親に相談したそうです。
すると、母親は一瞬顔色をかえたものの、即座に次のように返答しました。
「自分のやりたいものを選べ。ただし入試の難易によって決めるな」
https://www.mori7.com/index.php?e=2774
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親の判断の基準は、損得に傾きがちだが、子育ての目標は損得で考えてはいけないのだと思う。
いつも記事で勉強させていただいています。
「やるべき勉強は必ずやる、それがどん
なに多くてもやる、読書も必ずやる、だ
からゲーム(パズドラ)や動画をやるの
は自分で好きにさせて」と聞きません。
「ゲームの時間は一日これくらい」と
時間で決められるのが嫌だそうです。
やることをやったら、好きなだけ熱中し
てやりたいという息子です。やるべき勉
強量を増やしても、それを短縮して、
ゲームの時間をなんとかしても作り出す
と思います。こういう場合って、本人の
自由に任せるべきなのでしょうか。
塾には行っていません。
書かれている内容から判断する限り、それは子供の言うとおりにやらせた方がいいです。
自分でそれだけ言えるということは、本人が自分の人生を自分でコントロールするつもりでいるということですから、その自己決定をすることが大きく成長するきっかけになります。
とは言っても、やると言ったとおりには必ずしもできないのが普通ですから、たとえちゃんとできなくても親は長い目で子供の成長を見守っていく必要があります。
そういう自分で自分のことをきめられる子が、将来いちばん頼りになる子になるのです。
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東京学芸大学附属国際中等教育学校、三田国際中学、八雲学園中学
R.Kさん
(担当講師より)
東京学芸大学附属国際中等教育学校 に進学します。
受験コースで、毎回すばらしい作文を書いていたので合格できると思ってはいましたが、ホッとしました。
(2年前から受講)
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都立桜修館中等教育学校 K.Tさん
(担当講師より)
女子は倍率が7倍。先程、合格者の番号一覧を見ましたが、合格者の少ないこと。あの中に入っているなんて、見事です。
受験コースで過去問に取り組みましたが、どれも難題ばかり。私自身も勉強になりました。
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都立南多摩中、同志社中、滝中、名古屋中 H.Iさん
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作文小論文の指導をしている人の中に、どういう作文がよくないのかということを事細かく説明する人がいます。
そういう人たちが教える作文指導は、事後添削が中心です。
子供が書いてきたものを見て、どこがよくないのかということを詳しく説明するのです。
それを聞くと、まるで勉強を詳しく教えられているような気がします。
しかし、だからといって、指摘されたところを直せば、上手な作文が書けるようになるというわけではありません。
よくないところを直せば自然に上手になるのではないのです。
上手な作文というのは、よくないところがあるかないかということとは別の次元の話です。
よくないところを直した作文は、よくないところがない作文であって、上手な作文ではありません。
そして、直すことを中心にした作文指導は、子供をどんどん暗くしていくのです。
作文の学習は、長く続けることに意義があります。
それは、作文力は国語力の集大成なので、上達に長い時間がかかるからです。
作文指導を、直すこと中心に行っていくのは、作文指導をしないことよりもかえってマイナスが大きいとさえ言えます。
作文指導に熱心な先生のクラスほど、作文嫌いの子が多くなるというのは、そういう事情があるからです。
では、上手な作文を書くにはどうしたらいいかというと、それは書いたあとの作文を添削するのではなく、書く前に事前の指導をする必要があるのです。
その事前の指導というものには、指導の枠組みが必要ですから、簡単にはできません。
思いつきでいくつかの事前指導をすることができたとしても、その事前指導を何年も続けて系統的に進めて行くことは普通できないのです。
作文指導は、子供が明るく勉強できることを基準にして進めていく必要があります。
作文の勉強が嫌いにならなければ、必ず上達していくからです。
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欠点を直すことと、長所を伸ばすことは別の次元の話です。
ところが、作文教育の分野では、赤ペンでよくないところを直すのが指導の中心のようになっています。
作文は、いくら悪いところを直しても、それでよくなるわけではありません。
もっと明るく褒める指導を行っていく必要があるのです。
作文が苦手だった子が、毎週書いているうちにだんだん上手になり、そして何年かたつと見違えるようになるのは、ずっと褒め続ける指導をしているからです。
どうしてそれほど長い間褒め続けることができるかというと、それは事前指導があるからです。
「ここができるようにがんばろう」と指導して、子供がそれができるようになるから褒めているということなのです。
ただ単に褒めるというだけでは、何年も続けることはできません。
これは、子育てすべてに共通することだと思います。
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東京学芸大学附属国際中等教育学校 R.Aさん
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「読むことは人間を豊かにし、書くことはが人間を正確にする」という言葉があります。
この「正確にする」という意味は、書くことによって物事をはっきりさせることができるということです。
これは、事実を正確に書くということ以外に、自分との対話を深めるという意味も含んでいます。
作文を書くことによって、書く自分と、その文章を読む自分との間に対話が生まれます。
そのことによって物事と自分を正確に、つまりより客観的に捉えられるようになるということです。
生活の中には、さまざまな困難があります。
また、さまざまな喜びもあります。
動物であれば、その困難や喜びに対して、直接その状態を生きることしかできません。
しかし、人間はその困難や喜びから一歩離れて、それらを対象として見ることができます。
これが人間の工夫や文化を生んできたのです。
苦しいことも嬉しいことも、言葉を通すことによって人間的なものに昇華されます。
作文の勉強は、文章を書くことによって、言葉をより正確に使える力を育てています。
物事を正確に考えることによって、ある一つの考えから、新しい次の考えへと進んでいくことができるのです。
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「読むことは人間を豊かにする」というのは、わかりやすい言葉です。
しかし、「書くことは人間を正確にする」というのは、特にピンとくる言葉ではないと思います。
この「正確にする」という言葉は、正確にすることによって、人間はより強くより創造的に生きられるようになるということなのです。
正確さは、それ自体が目的でもあるよりも、よりよく生きるための手段なのです。
「読むことは人間を豊かに……」の続きに、「話し合うことは、役に立つ人間を作る」という言葉があります。
これは、対話が社会に役立つ人間を作るという意味でしょう。
意訳すると、読書が向上で、作文が創造で、対話が貢献になると思います。
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聖光学院中学校、渋谷教育学園幕張中学校 A.Tさん
12月まで受験コースでがんばっていたA.Tくんですが、聖光学院中学校、渋谷教育学園幕張中学校などに合格し、聖光学院に通うことに決めたそうです。
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