木彫りは掘って削っていくことだけだが、塑像は粘土でいくらでも付け加えて調整ができる。そこで何度も手を加えてしまう。そこに、卑しさのようなものが出てくる。
このようなことを、木彫りの彫刻家池上俊氏が、中島多加仁氏との対話の中で話していました。(「超宗教」中島多加仁著より)
中島氏はそれに関連して、水墨画や書に見る1回限りの仕事と、西洋の油絵などの何度も上書きできる仕事との対比していました。
同じことは、文章を書くことについても言えます。
手書きの作文であれば、手直しをすることはあまりできません。特に、ペンで手書きの作文を書けば、うっかり間違えた場合でも大幅な手直しはできなくなります。
そこで、文章を書くことに、一種の気合が入るのです。
ところが、パソコンのキーボードで入力するときは、手直しが容易にできるためにかえって時間がかかってしまうことがあります。
だから、パソコンの入力をするときも、できるだけ直さずに書くということを心がけていくといいのです。
しかし、人間の考えるスピードは手書きやパソコン入力よりもずっと速いので、書いているうちに文章の流れが不自然になることもあります。
ここが難しいところです。
また、日本語の場合は特に同音異義語の変換をしなければならないために、パソコン入力では思考の流れが中断されるということもあります。
ところが、ここに新しい入力方法として、音声入力というやり方が出てきました。
音声入力は、考えながらゆっくり喋るようにすれば、少し慣れると誰でも楽にできるようになります。
この音声入力の利点は、同音異義語の選択による思考の中断がないことと、言い直しや修正がしにくいことです。
そのため、ゆっくり話していけば、同音異義語の変換と文章の修正という後戻りがないために、手書きやキーボード入力よりもずっと早く文章をテキスト化することができます。
これが、文脈によって文字変換をするようになった深層学習の成果だと思います。
ただし、音声入力は自分が喋ろうとする内容の全体の見取り図を持っていることが必要です。
その見取り図は、構想図を書く過程で深めておくという形の分業ができます。
今後の作文は、この音声入によるテキスト変換が第一で、第二に手書きOCRによるテキスト変換というものになっていくと思います。
付け加えることのできるやり方ではなく、削ることしかできないやり方で物事を仕上げて行くのが作文のひとつのコツになるのです。
だから、今後の作文指導は、長くたくさん書くことよりもむしろ、短く削っていかに簡潔に書くかということが重点になってくると思います。
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文章を書くときは、消しゴムを使わないつもりで書いた方がいいものが書けます。
いつでも消して直せると思うと、かえって書くことに時間がかかり、そしていい文章が書けないのです。
これが、記述問題の練習をするときの一つのコツです。
推敲というのは、推す(おす)か敲く(たたく)のどちらにするかという選択から来た言葉ですが、気合いが入っているときに書く文章は、そういう選択はほとんど出てきません。
だから、時間をかけた作文より、あっという間に書き上げた作文の方がいい文章になっていることが多いのです。
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昔、学習院大学の学長だった木下是雄さんが、「理科系の作文技術」という本を書いていました。(1981年)
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今、見てみたら、その漫画版も出ているようです(笑)。
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私もちょうどそのころ、理詰めに書く文章が大事だと思っていたので、その内容を共感を持って読みました。
国語というと、文章表現の巧みさのようなところで評価されることが多いようですが、生活に役立つ国語は理屈で成り立つ国語です。
当時行われていた国語を教える学習塾では、学年が上がるにつれて古文や漢文の世界に進んでいくようでしたが、それは国語の本来の方向とは違う気がしました。
そこで考えたのは、国語の究極の目標は哲学であり、それはまた理系の頭脳を必要とするということでした。
今の国語の先生の多くは、文系の教科として国語を考えているので、子供たちにも理屈で説明しきれない心情や表情などを過大に評価する傾向があるように思います。
また表現の上でも、川がさらさらと流れているか、とうとうと流れているかというようなニュアンスの違いをやはり過剰に重視する傾向あるように思います。
さらさらか、とうとうかということは、文化の問題であって国語の問題ではありません。
国語の本質で大事なことは、流れているかどうかということと、更に詳しく説明するのであれば、その流量や速度や川幅や透明度がわかるように表現することです。
そして、それを単なる自然の記述だけに終わらせないために、そこにより抽象的な思考が入ってくるのです。
抽象的な思考とは、なぜそこにそう流れているのかとか、それをどう生かせるのかというような、今の川の現象面を超えた思考です。
だから、国語の好きな人は、国語でとどまらずに理系の勉強を進める必要があり、逆に、理系の人は国語の文章力を伸ばすようにしていくことが大切で、その両者の共通点は、哲学的な深い思考にあると思ったのです。
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理科系の国語ということで、小学生の子供たちに奨めたいのはこういう本です。
理科好きな子に育つ ふしぎのお話365
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この本は、単に現象面だけの不思議な話にとどまらず、その原因などもわかりやすく書かれています。
言葉の森の高校生の作文項目に「自然科学実例」というのがありますが、その実例としても使える内容ですから、小学生だけでなく、中高生も読んでみる価値があると思います。
自然科学系のわかりやすい本を読むと、子供たちはその話をすぐにほかの人に伝えたくなります。
それは、人間に知的好奇心というものがあり、何かを理解できたということがうれしいからです。
子供のそういう話を聞いたお母さんやお父さんは、それをうるさいとは思わずに(笑)、感心して聞いてあげることです。
そして、できれば、子供の話を上回る質問をして、一緒に考えてみるといいのです。
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オンライン学習が、さまざまなところで行われていますが、それらのオンラインの形態は大きく二つに分けられます。
一つは、一斉指導型のオンライン学習で、一人の先生が大勢の子供をオンラインで教える形の学習です。
その発展した形態が、あらかじめ作られているビデオ教材でいつでもどこでも無料に近い低価格で提供されるMOOCなどのオンライン学習です。
このビデオ授業が優れている点は、生徒の個別の進度に対応できることです。
この大規模な教材提供型のオンライン学習は、コストが低いという利点があります。
しかし、勉強をする動機づけに弱いので、生徒が飽きずに続けることが難しいという弱点があります。
この打開策として、アメリカなどでは、教室に通ってオンラインで学ぶ形の教育が行われているようでが、教室に通う形だと、場所と時間の制約がないネット教育の利点がなくなります。
もう一つは、一対一のマンツーマン型のオンライン学習です。
一対一の学習の場合は、対応する先生がいるので、勉強の動機づけは高くなります・。
しかし、それと同時にコストも高くなります。
言わばオンラインの家庭教師を頼むようなものですから、ネットを使ったオンラインの利点があまり生かされているとは言えません。
ただ、場所の制約がなくなるという利点はあります。
言葉の森の行っているオンライン学習の思考発表クラブは、これらの二つのオンライン学習とは異なっています。
それは、先生と生徒が、少人数のクラスの中で学習するという点を特徴としています。
このオンラインクラス学習は、生徒の動機づけの高さとコストの低廉化を両立させます。
このようなオンラインクラス学習が、これまでほとんど行われてこなかったのは、担当の講師が急に休むような場合に対応することが難しかったからです。
だから、少人数クラスのオンライン学習が行えるのは、小回りの利く比較的規模の小さい個人塾のようなところだけだったと思います。
ほとんどのオンライン学習は、大規模なビデオ学習のようなものか、又は一対一のマンツーマン指導によるものかになってしまうのです。
しかし、言葉の森は、これからこの少人数クラス型のオンライン学習に力を入れていこうと思っています。
言葉の森がオンラインクラス学習に力を入れるのは、人間の成長にとって他の人との直接的な交流が欠かせないと思うからです。
その交流とは、先生と生徒だけの単調になりがちな交流ではなく、他の生徒や家族との多様な対応できる交流です。
子供たちは、ロボットが知識を吸収するような仕方で学ぶのではなく、人と人との触れ合いの中で生きた知識を学びます。
そこに学び方の個性があり、その個性が、学ぶこと以上に大事になってきます。
このオンライン少人数クラスは、現在の思考発表クラブだけでなく、今後は作文指導の分野と、自主学習の分野でも行っていく予定です。
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このオンラインの少人数クラスによる作文指導と自主学習指導は、かなりユニークなものになります。
それは、単にオンラインという形になるだけでなく、新しい勉強観のようなものが必要になるからです。
しかし、いちばんの違いは、やはり勉強が面白いものになることだと思います。
オンライン少人数クラスの作文指導は、生徒は手書きの作文をアップロードするだけですから今とそれほど変わりませんが、講師は結構変わります。
その作文に、ペンタブレットで印をつけ、口頭で講評を伝える形が中心になるからです。
これで、講師の負担はかなり軽くなります。
講師には、森林プロジェクトのメンバーの協力を得たいと思っています。
かねてから思考クラブにも興味がありましたが、在米で時差のため参加が困難な状況です。
東海岸は13-14時間の時差なので、日本時間の土日朝7時―11時か土日夜9時などで枠を作ることが可能であればぜひお願いしたいです(六年生の息子)。海外からの希望者は少ないでしょうか?
るうくさん、ありがとうございます。
思考発表クラブは面白いので、海外の方も参加できるようにしたいと思っています。
そこで、今考えているのは、海外の人で森林プロジェクトの講師資格を受講した人を講師としてお願いすることです。
今後、その募集を行っていく予定です。
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中学生や高校生がスマホを持つと、年中YouTubeを見ていたり、Lineで友達とやりとりをしたりするようになると思います。
イギリスの中学生がfacebookをやりだしてから、途端に読書量が減った調査結果も出ています。
この問題に対して、多くのお母さん方はスマホを禁止するということを考えるようです。
しかし、その「禁止する」という方法では、問題は何も解決しません。
むしろ、親の管理がなくなったときに、子供が自分でコントロールできなくなるというマイナスの方が大きいのです。
では、どうしたらいいかというと、一つは本人がいろいろな誘惑に負ける経験を通して、その誘惑とうまく折り合いをつけてコントロールする方法を自分自身で身につけていくことです。
だから、親には、多少の脱線を大目に見てあげるような余裕が必要です。
しかし、もう一つのもっと根本的な対策は、スマホとインターネットによる受け身の娯楽ではない、より主体的な娯楽を作っていくことです。
その主体的な娯楽が勉強です。
と言っても、学校や塾で先生の授業を聞くような勉強ではなく、勉強の成果を他の人に発表したり新しい勉強を考え出したりするような創造的な勉強なのです。
例えば、思考発表クラブで子供たちが取り組んでいるような勉強は、スマホとインターネットによる娯楽よりもずっと面白いはずです。
そういう子供たちは、スマホとインターネットによる娯楽を楽しみながらも、それらとうまく折り合いをつけて自分の勉強を進めていくことができます。
似た例として、読書と漫画の関係を考えるとわかりやすいと思います。
漫画ばかり読んでいて本を読まない子がいた場合、漫画を禁止すれば本を読むようになるかというと、そういうことはありません。
読書の好きな子は、漫画も好きです。
どちらもたっぷり読むことが大事なのです。
遊びと勉強の関係も同じです。
遊んでばかりいて勉強しない子がいた場合、遊びを禁止すれば勉強するようになるかというとそういうことはありません。
勉強のできる子は、遊びも好きです。
よく遊び、よく学べが、最も健康的な過ごし方なのです。
大事なことは、子供が主体的に取り組みたいと思うものを見つけることです。
大人の役割は、マイナスを禁止することではなく、プラスを用意してあげることなのです。
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勉強もするが、遊びもする。普段は真面目だが、脱線も好き。
親の言うことをよく聞くが、全く聞かないこともある。
というような子が、本当はいい子です。
親の言うとおりにやっているだけだったら、それはかえって親の枠組みの中までしか成長しない子です。
子供は、いつか親をおぶってあげるのですから、親より強く大きくならなければならないのです。
私は基本的に真面目な子だったが、途中からどんどん脱線していったのは、親が何でも認めてくれたということが大きかったと思う。
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ここで思い出すのは、日本のロケット開発の生みの親である糸川英夫氏の子供時代の話です。
糸川氏は昔の中学5年生で志望校を選ぶ際に、上野の音楽学校(今の芸大)の作曲科にするか、東京高校(今の東大)の理科にするか、入学願書を出すまぎわまで決心がつかずに悩み、母親に相談したそうです。
すると、母親は一瞬顔色をかえたものの、即座に次のように返答しました。
「自分のやりたいものを選べ。ただし入試の難易によって決めるな」
https://www.mori7.com/index.php?e=2774
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親の判断の基準は、損得に傾きがちだが、子育ての目標は損得で考えてはいけないのだと思う。
いつも記事で勉強させていただいています。
「やるべき勉強は必ずやる、それがどん
なに多くてもやる、読書も必ずやる、だ
からゲーム(パズドラ)や動画をやるの
は自分で好きにさせて」と聞きません。
「ゲームの時間は一日これくらい」と
時間で決められるのが嫌だそうです。
やることをやったら、好きなだけ熱中し
てやりたいという息子です。やるべき勉
強量を増やしても、それを短縮して、
ゲームの時間をなんとかしても作り出す
と思います。こういう場合って、本人の
自由に任せるべきなのでしょうか。
塾には行っていません。
書かれている内容から判断する限り、それは子供の言うとおりにやらせた方がいいです。
自分でそれだけ言えるということは、本人が自分の人生を自分でコントロールするつもりでいるということですから、その自己決定をすることが大きく成長するきっかけになります。
とは言っても、やると言ったとおりには必ずしもできないのが普通ですから、たとえちゃんとできなくても親は長い目で子供の成長を見守っていく必要があります。
そういう自分で自分のことをきめられる子が、将来いちばん頼りになる子になるのです。
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東京学芸大学附属国際中等教育学校、三田国際中学、八雲学園中学
R.Kさん
(担当講師より)
東京学芸大学附属国際中等教育学校 に進学します。
受験コースで、毎回すばらしい作文を書いていたので合格できると思ってはいましたが、ホッとしました。
(2年前から受講)
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都立桜修館中等教育学校 K.Tさん
(担当講師より)
女子は倍率が7倍。先程、合格者の番号一覧を見ましたが、合格者の少ないこと。あの中に入っているなんて、見事です。
受験コースで過去問に取り組みましたが、どれも難題ばかり。私自身も勉強になりました。
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都立南多摩中、同志社中、滝中、名古屋中 H.Iさん
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作文小論文の指導をしている人の中に、どういう作文がよくないのかということを事細かく説明する人がいます。
そういう人たちが教える作文指導は、事後添削が中心です。
子供が書いてきたものを見て、どこがよくないのかということを詳しく説明するのです。
それを聞くと、まるで勉強を詳しく教えられているような気がします。
しかし、だからといって、指摘されたところを直せば、上手な作文が書けるようになるというわけではありません。
よくないところを直せば自然に上手になるのではないのです。
上手な作文というのは、よくないところがあるかないかということとは別の次元の話です。
よくないところを直した作文は、よくないところがない作文であって、上手な作文ではありません。
そして、直すことを中心にした作文指導は、子供をどんどん暗くしていくのです。
作文の学習は、長く続けることに意義があります。
それは、作文力は国語力の集大成なので、上達に長い時間がかかるからです。
作文指導を、直すこと中心に行っていくのは、作文指導をしないことよりもかえってマイナスが大きいとさえ言えます。
作文指導に熱心な先生のクラスほど、作文嫌いの子が多くなるというのは、そういう事情があるからです。
では、上手な作文を書くにはどうしたらいいかというと、それは書いたあとの作文を添削するのではなく、書く前に事前の指導をする必要があるのです。
その事前の指導というものには、指導の枠組みが必要ですから、簡単にはできません。
思いつきでいくつかの事前指導をすることができたとしても、その事前指導を何年も続けて系統的に進めて行くことは普通できないのです。
作文指導は、子供が明るく勉強できることを基準にして進めていく必要があります。
作文の勉強が嫌いにならなければ、必ず上達していくからです。
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欠点を直すことと、長所を伸ばすことは別の次元の話です。
ところが、作文教育の分野では、赤ペンでよくないところを直すのが指導の中心のようになっています。
作文は、いくら悪いところを直しても、それでよくなるわけではありません。
もっと明るく褒める指導を行っていく必要があるのです。
作文が苦手だった子が、毎週書いているうちにだんだん上手になり、そして何年かたつと見違えるようになるのは、ずっと褒め続ける指導をしているからです。
どうしてそれほど長い間褒め続けることができるかというと、それは事前指導があるからです。
「ここができるようにがんばろう」と指導して、子供がそれができるようになるから褒めているということなのです。
ただ単に褒めるというだけでは、何年も続けることはできません。
これは、子育てすべてに共通することだと思います。
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