言葉の森では、構成を重視した書き方の作文指導をしています。
小学校高学年から中学生高校生まで、すべて同じ大きな四段落の構成でいろいろな形の書き方を学びます。
なぜ四段落かというと、四段落は三段落に縮めることもできるし、段落の中を分けて更に多い段落にすることもできるので、短い字数にも長い字数にも対応しやすいからです。
四段落の内訳は、書き出しの説明又は意見、展開1、展開2、まとめの意見という形です。
展開の部分には、実例、理由、意見、方法、原因、対策などが入ります。
この四段落のそれぞれの段落を同じぐらいの字数で書くと、文章全体の印象が安定したものに見えてきます。
複数の実例を書く場合でも、第一の実例と第二の実例が同じぐらいの長さで書かれていると、全体の構造が理解しやすくなるのです。
この段落ごとに同じぐらいの字数でまとめるというのは、ある程度の文章力がないとできません。
文章力の第一の条件は、字数をコントロールする力でもあるとも言えます。
書く力のある生徒は、800字の作文課題と言うと800字ぴったりに収める書き方をします。
原稿用紙の最後の行の最後のマス目に、句点がくるような書き方をすることができるのです。
作文の採点評価には、内容の評価以前に外見の印象評価が大きく影響します。
字数がぴったりにまとまっていて、それぞれの段落が同じぐらいの長さできちんと書いてある文章を見ると、内容を読む前から印象点が大きく上がります。
場合によっては、それで合否がほぼ決まってしまうこともあるのです。
しかし、もちろんこれは、作文試験に対しての作文ということで、作文の勉強全体について字数の力というのは枝葉の話です。
作文で最も大事なことは、創造性のある文章を書くということだからです。
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作文試験の合否が字数で決まる場合があるというのは、字数ぴったりにまとめることのできる生徒は、文章を書く力があるということがわかるからです。
800字の課題の作文で、780字ぐらいでまとまりそうになったとき、文章力のある生徒は必ずもうひと工夫して800字の最後の行まで書こうとするからです。
これは、記述試験の場合でも同じです。
日本語の作文で字数が大きな意味を持つのは、近代の日本語がマス目の文化の中で育ってきたからです。
そのマス目の文化は、大きく見れば日本の型の文化です。
大事なのは内容であっても、その内容に到達する方法として型から入ることが多いのです。
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名城大学附属高校 T.Iさん
担当講師より
小2から続けてくれているT.Iくん、第一志望の高校、コースで合格できたとお話してくれました。
部活と勉強の両立ができる一般進学コースで、さらに名城大学に進学して頑張りたいとのことでした。
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芦屋国際中学 R.Sさん
(おうちの方より)
日本語から英語に最後変更しましたが、先生より教わった事がベースになっていたので、本人も字数全て埋めることができ、いい結果に結びつきました。本当にありがとうございました。
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オンライン学習には、場所の制約なしに参加できるという利点がありますが、もう一つ意外に知られていない長所があります。
それは、子供たちの勉強している様子を、保護者が授業参観のように見学することができるという点です。
例えば、子供が家庭でオンライン学習をしているときに、お母さんがまだ仕事から帰る途中で電車に乗っているような場合でも、ネットにつなげば子供たちの勉強している画面を見学することができます。
もう一つは、その勉強の様子を記録しておくことができるという点です。
これは、授業を欠席した日にも、あとで授業の記録を見ることができるということもありますが、例えば、帰宅の遅いお父さんが子供の勉強している内容を知りたいというときにその記録を見るということができます。
このオンライン学習の見学や記録ということは、まだほとんど利用されていませんが、今後もっとシステム的にこの見学と記録を取り入れるようにし、それを保護者との懇談会などに生かしていきたいと思っています。
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これまでの日常生活はほとんどがリアルで、たまにオンラインを利用するという感じでしたが、オンラインの便利さが広がると、それが逆転してくると思います。
日常生活の大体がオンラインで済ませられるようになり、たまに息抜きでリアルに参加するという形になるのです。
しかし、だからこそリアルが貴重になるのだと思います。
今は、共働きのお父さんお母さんが家に帰るまで子供を学童に預けておくという形が多いと思いますが、これからは、子供たちが地域の世話役の人の家に行き、そこでオンラインで学年別の学習や遊びをして親の帰りを待つというふうになると思います。
地域と家庭とオンラインというのが最強の組み合わせです。
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湘南学園中学校・捜真女学校中学部 A.Tさん
担当講師より
どんな課題でも、安定的した実力を発揮できるA.Tさん。毎週きちんと予習をして、しっかり作文を出すという「継続は力なり」を実践していました。
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言葉の森は、この3月からオンライン学習として、新たに「寺オン作文クラス」と「寺オン自主学習クラス」を開始します。
このオンライン学習を紹介するページができましたのでごらんください。
https://www.mori7.net/teraon/syoukai/
新しくスタートするオンライン学習の特徴は、5~6人の少人数クラスで行うことです。
参加する生徒が全員たっぷり話ができるような形で、生徒と先生の交流を深めながら勉強を進めていきます。
今は、時差の関係で、日本国内とアジアの生徒が参加しやすい時間設定をしていますが、今後、森林プロジェクトを海外で受講される方が増えれば、それらの人が講師としてオンラインクラスをf担当できるようになります。
できるだけ早くアメリカやヨーロッパの日本人の子供たちも、これらのオンライン学習に参加できるようにしたと思っています。
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オンライン学習の特徴は、場所を超えてリアルな交流ができることです。
これまで行ってきた少人数の思考発表クラブでも、参加している生徒どうしが互いにとても親しくなっています。
そして、たまに、相手の今いる場所を聞いて、「えー!」などと驚いていることがよくあります。
しかも、こういう交流が真面目な勉強を通して行われていることが、子供たちにとってユニークな機会になっているのではないかと思います。
この「寺子屋オンライン案内」と「寺子屋オンライン紹介」を作るのに、3日ぐらいかかりました。
そのため、机の前は仕事の山、というか付箋の山。
面白いから、写真を撮ってみた(笑)。
https://www.mori7.net/izumi/gazou/2018/2151723230.jpg" width="450">
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横浜市立南高校附属中 S.Nさん
受験コースで10月から1月いっぱいまで受講されていたS.Nさん。作文で点数が取れたおかげとおっしゃっていました。
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これまでの社会は、競争によって発展してきました。
相手に負けない品質とコストによって競争に勝つということが、供給する側にとってもそれを消費する側にとっても利益のあることでした。
競争がなければ、かつての社会主義の悪しき平等のように、改善する意欲がなくなるということが言われていました。
今のスポーツや音楽のような人間的な活動においても、それに携わる喜びの多くは、スポーツや音楽体の喜びではなく競争に勝つことの喜びに結びついています。
しかし、この競争の元になっている哲学は何かといえば、それは欧米の個人主義だったのです。
個人の利益に立脚している限り、競争は個人と社会の両方の利益をつなぐ見えざる手と考えられます。
しかし、人間は個人で生きるのではなく集団で生きるのだという日本的な人間観に基づけば、この競争優位の考え方とはまた別の考え方が生まれてきます。
日本の文化の中には、個人ではなく集団で利益を分かち合うという考え方が根付いていました。
その一つの例が、運動会の赤組と白組の競争や、紅白歌合戦のようなグループに分かれた競争です。
この集団がひとつの単位となる競争においては、優れた個人と劣った個人は、競争の関係ではなく助け合う関係になります。
強い者が弱い者から奪うのではなく、強い者がその集団の中での弱い者を助けるという関係が生まれるのです。 それによって弱い者が成長し強くなり、集団全体の強さが増すというのが、集団を単位とする他の集団の競争との利点でした。
今日の社会では、競争はますます速く激しくなっています。
それはインターネットの時代には、情報が瞬く間に広がり、情報の差による競争優位は瞬時に解消してしまうからです。
このような時代に生き残るためには、競争から共創へと考え方を変えていく必要があります。
競争に勝つことを動機とするのではなく、強者が弱者を助け互いに成長することを動機とするような時代がやってきつつあるのです。
そういう形の文化を、教育の分野においても実現していきたいと思っています。
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子供の勉強においても、競い合わせるより助け合わせる方が効果が出るようになっています。
それだけ、みんなの人間性が高まっているからだと思います。
競争は即効性があるように見えますが、かえって長続きしません。
それは、強制と自覚の関係と同じです。
競争に価値があるとする考え方の根底には、人間にはもともと差がありその差は埋められないとする人間観、生物観があります。
だから、競争に勝った者が生き残れば社会はよくなるという、弱肉強食の自然淘汰説で考えてしまうのです。
しかし、本当はそうではありません。
あるのは差ではなく単なる違いであり、その違いを生かせば勝者も敗者もありません。
かえって、競争よりも、みんなが利益を得られるようになるのです。
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