■小学1~3年生は、毎日の自習の習慣作りを
幼稚園年長から小学3年生のころは、だれでも好きなことを自由に書ける時期ですから、作文の勉強を特にする必要はあまり感じないと思います。しかし、このあと、小学校高学年から、中学生、高校生へと進むと、作文の勉強は小論文の勉強へと発展していきます。
言葉の森では、大学受験生の小論文、現代文の指導につながるかたちで小学生の作文の勉強を位置づけています。小学生のときに上手な作文を書くことが目的なのではなく、大人になってからも必要な表現力と思考力を育てていくことが指導の目的です。
国語の勉強は、学校で習う面よりも日常の生活の中で身につける面の方がずっと大きい特殊な勉強です。英語や数学は、学校や塾で勉強すればそれに応じて成績は上がりますが、国語は、生活の中で年齢に応じた読書や対話の習慣をつけていかなければ塾や学校でいくら勉強をしても、その効果は限られています。
小学校の低学年の時期は、この学習習慣を無理なくつけることのできる最も大事な時期です。学校の勉強だけしていれば十分なこの時期に、家庭で毎日決まった勉強をする習慣をつけ、特にその中でも年齢に応じた読書の習慣をつけていくことが、その後の勉強の進み具合に大きく影響します。
言葉の森では、毎日の自習として、1日10分程度の音読の自習を生徒にすすめています。よい文章を音読できるということは、そのまま自分が書く作文にも自然にその文章のリズムを応用していくことができるということです。現代は、知的に理解すればそれで終了というかたちの勉強が多いので、音読や暗唱の効果ということはなかなか理解されにくいようですが、国語の学習はほかの教科の勉強とは異なり、頭で理解するだけでなく心でまるごと感じとるという要素が必要ですので、ぜひ毎日の自習に取り組んでいってくださるようお願いします。
また、読書は低学年のうちに毎日の習慣として身につけておくものです。習慣として定着させるためには、本を読む日があったり読まない日があったりするような読み方ではなく、毎日欠かさず読むということが必要です。自分で読むことがまだ難しいうちは、お母さんやお父さんが読んで聞かせてあげてください。
| 水面上の作文と、水面下の読書・音読。
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■小学4~6年生は、作文教室と塾との両立を
現在の受験体制のもとでは、高学年になるにつれて、塾などに通わないと学習がしにくくなるという状況があります。しかし、学習の主体はあくまでも家庭学習にあります。家庭学習での主体性がないと、塾のスケジュールに流されたり、志望校の受験とは部分的な関係しかない偏差値に左右されたりしてしまいます。
小学生も高学年になると、塾に通う時間が増え、一時期、言葉の森との両立が困難になることがあります。しかし、両立が困難な時期は、大体数カ月で終わり、そのあとは、時間的に忙しくはなるものの、再び同じようなペースで学習を続けていけるものです。
作文の学習は、ちょうど高学年から「説明文」「意見文」の段階に入り、思考力を要求されるようになります。この段階の学習は学校などでもあまりなされず、本格的な国語力をつける点でとても重要なものです。
言葉の森では、曜日や時間の変更は、随時できるようになっています。また、通信指導による学習も、他の教室の通信指導と比べて、きわめて継続しやすいものになっています。高学年になり、塾の時間が増えて忙しくなった方も、曜日や時間の変更によってできるだけ両立させる工夫をしていってくださるようお願いします。ただし、塾によっては言葉の森との両立が時間的に困難になるところもあります。そのためにやむをえず退会される場合は、中学入学後のなるべく早い時期に再開されることをおすすめします。
■中学生は、小論文の前段階としての作文練習を
| 生活作文の山、意見文の山、小論文の山。
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作文力、読解力のうち、意見文を書く力と論説文を読みとる力は、中学生以降に本格的にのびる分野です。小学生の間に既に意見文を書いたり読んだりする段階にまで進んでいる生徒もいますが、全体的にみて、構成の形式を身につけたり文章を要約をしたりすることが精一杯で、内容のある意見文を書ける生徒は限られています。これは、表現力、読解力に、まだ、本人の内面的な成長がともなっていないためです。
小学6年生までに学習する生活文中心の作文と物語文中心の読書は、作文力、読解力の半分にすぎず、もう半分は、中学生以降の意見文、論説文の練習によって完成します。
しかし、実際には、中学、高校では、作文、読書の学習はほとんどなく、あるとしても、その多くは、小学校の延長のようなかたちでおこなわれています。また、中学生の時期は、作文の学習がいちばん続けにくい時期でもあります。その理由は、(1)中学生の時期が、無邪気に出来事を書くわけにもいかず、かといって、自由に意見文を書くほどには語彙が充分ではないという過渡的な時期にあたること、(2)宿題や定期テストなど、外から拘束される勉強の時間が比較的多くなり、自主的な勉強の時間がとりにくくなること、(3)中学校自体も、作文や読書の指導をほとんどしなくなるので、学習の意義やきっかけを見つけにくくなること、などという事情があるからです。
現在の受験体制のなかで行なわれる勉強は、人生にとって価値のある分野というよりも、点数の差がつきやすい分野に重点が置かれがちです。基礎的な知識を身につけるという点で、点数で測られるような勉強も大切ですが、生涯にわたって役立つのは、考える力、読書する力、発表する力など、点数の差のつけにくい、したがって現在の受験体制の中では、重点の置かれにくい分野です。
しかし、最近では、大学入試でも小論文や面接が重視されてくるなど、単なる知識の量よりも、それらの知識を活用する力を評価するようになってきました。中学生での作文、読書の学習は、小学生の学習の延長としてではなく、高校生以降の小論文学習や論説文読書の先取りであるという前向きの姿勢をもって取り組んでいくことが大切です。
中学生が、作文、読書の学習を継続していけるように、言葉の森では、学習の時間に弾力性をもたせています。具体的には、(1)曜日や時間の変更や振替は、いつでもできるようにしています。(2)テスト期間中の欠席は、その前後にふりかえることができるようにしています。(3)ホームページの動画によるヒントなどを充実させ、先生の説明を受けられないときでも作文を書けるようにしています。
3月から4月にかけては、決まった時間に授業を受けることがむずかしいことも多いと思いますので、出席できるときに出席するというかたちにして、新しい生活のペースを早く作っていってくださるようお願いします。
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3月の今の時期は、新しいことを始めたくなる時期です。
新しいことを始めることも大事ですが、続けてきたものを続けるということもまた大事です。
新しい経験をすることで学ぶこともありますが、あとに残るのは長く続けてきたものだからです。
言葉の森でも、「作文はもう一応書けるようになったから、今度は別のことを」と言う人がときどきいますが、子供が書くことを好きであれば、その好きなことを続けていった方がいいのです。
特に、小6~中1に変わると、作文の構成の仕方も大きく変わってきます。
この時期に、意見文の基礎をしっかり身につけていくことが大事なのです。
小6まで本をよく読み、作文もよく書き、いろいろなことを考えていた子が、中学生になったから作文は卒業で今度は勉強だと割り切ってしまうと、途端に本も読まなくなり、文章も書かなくなり、何も考えなくなり(笑)ということがよくあります。
中学で作文の勉強がないのは、先生が指導し切れないからであって、必要がなくなったからではありません。
長い目で見たら、読むことと書くことは、最後まで残る勉強の基本なのです。
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寺オン自主学習クラスの小4以上のクラスで、英語暗唱が上手にできるようになったら、英作文発表会をしたいと思っています。
それは、どうするかというと、自分の作文をgoogle翻訳にかけるのです。
ほんの少し前までは、google翻訳はあまり使い物になりませんでした。
しかし、人工知能というか深層学習の成果で、今はかなり正確に日英翻訳ができるようになっています。
この翻訳の仕組みは、音声認識の仕組みと同じで、単語や文法を一つずつ判断して翻訳しているのではありません。
言葉や音声の群全体をとらえて、そういう群にあてはまりそうな文章をあてはめているという感じなのです。
だから、意外なところで誤変換があります。
例えば、珍しい固有名詞は、うまく認識できません。
また、翻訳では、「……ならなくなります」というような微妙な否定文を肯定文に変えてしまうことがあります。
しかし、これらも学習する文章が増えるにつれて次第に改善していくと思われます。
では、今のgoogle翻訳の水準で、どうやって日本語を正しい英文にするかというとそれは次のようにやるのです。
まず、日本語の作文をGoogle翻訳で英文にします。
次に、その英文をもう一度Google翻訳で日本語に変換します。
すると、最初に入れた日本語と異なる部分が出てきます。それはGoogle翻訳がうまく翻訳できなかったところですから、元の日本語を正しく翻訳しやすいように変えてあげるのです。
そのようにして、最初の日本語の作文と、変換したあとの英語の作文と、再度変換したあとの日本語の作文を比べれば、途中の英語の作文は正しく翻訳されたと見て差し支えないレベルまで洗練されていきます。
その英作文を暗唱してスピーチをするのです。
一方、世界には日本語を勉強したい外国人の子供たちも増えています。例えば、ベトナムでは小学校の段階から、日本語が第一外国語として教えられるようになっています。
(「
日本語が「第1外国語」に ベトナムの小学校で東南アジアで初」)
それは、単に経済上の理由からだけでなく、日本の文化に関心が持たれているからだと思います。
その日本語を学ぶ子供たちが、自分の国の言語で作文を書き、その作文をGoogle翻訳で日本語に直し、その日本語を暗唱し日本語作文スピーチを行います。
Google翻訳を使う作文発表会ですから、言語は日本語と英語に限りません。
日本語と中国語、日本語とスペイン語、日本語とポルトガル語など、いろいろな言語を話す子供たちと作文発表会を通して交流することができるようになります。
これで、世界中のさまざまな言語を話す子供たちが、Zoomで多言語作文発表会を行うのです。
さて、言語は、これまで伝達のツールとして考えられてきました。そのツールを身につけるのが、英語教育でした。
伝達の言語として世界的に使われている英語は、世界のグローバル化によって更にツールとしての必要性を増しています。
これまでは、だから世界に通用する言語としての英語学ばなければいけないのと考えられていました。
しかし、ツールは必ず人間の手足から離れて機械化されていきます。
google翻訳のような外部化されたツールが自由に使われるようになれば、言語のもうひとつの面が重要になってきます。
それは伝達のツールとしての言語ではなく、教育のツールとしての言語あるいは人間形成のツールとしての言語です。
日本語は、世界でもほとんど唯一の母音言語であるために、幼児期から日本語を使っていると、自然界の音を左脳で受け止めるようになります。それが、日本人が虫の声や鳥の声や風の音に心を動かされる理由です。
この教育のツールは、機械で代替することはできません。なぜなら、それは肉体化というものが習得の基礎になっているからです。
教育としての言語は、外側にあるツールではなく内側に組み立てるツールなので、時間をかけて身につけることしかできないのです。
だから、これからは英語教育というひとつの言語に限った教育ではなく、言語全体の教育として日本語も英語も中国語も学び、その一方で教育の言語であり人間形成の言語でもある日本語を確実に学ということが必要になってくるのだと思います。
このように、普段私が思っていることと同じようなことを井口さんがブログに書いていました。
井口さんの話は、説得力があるので、ぜひ読んでいただければと思います。
▽英語論争、藤原正彦vs谷山雄二朗:俺も参戦!?「やはり日本語教育が一番さ!」
https://quasimoto2.exblog.jp/238374487/
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世界中の子供たちが、自分の国の言語を使いながら日本語で交流できるという話は、今は夢のように思われていますが、そのうちあたりまえのことになってきます。
例えば、私が子供のころは、自動ドアなどは夢のような話で、思いつきもしませんでしたが、というか必要性も感じていませんでしたが、今は普通のことになっていて、手で開けるドアには不便さを感じるようにさえなっています。
ツールの普及は、いったん始まると早いのです。
英語作文も、音声入力作文も、オンライン作文少人数クラスも、やがて普及して、すぐに時代遅れになります。
だから、私たちの目は、そのツールの普及の先にあるものを見る必要があります。
それが、創造性を育てる作文教育です。
「ZOOM革命」の田原さんが、やがてZoomに自動翻訳機能が搭載されるようになるだろうということを述べていました。
私も、それはかなり早くそうなるだろうと思います。
そして、今の音声認識の精度と言語翻訳の精度を見ると、すぐに実用に使えるレベルになると思います。
すると、ますます伝える中身が重要になってきます。
その中身とは、ひとことで言えば、創造性のある中身かどうかということなのです。
この創造性が、これからの教育の最重要テーマになると思います。
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作文のオンライン少人数クラスが始まりました。
このオンライン少人数クラスは、授業の様子を参加者が動画として記録できるので、あとでお父さんお母さんが授業参観のような形で見学をすることができます。
また、自宅で勉強するオンラインクラスですから、授業のあと、必要があればすぐに懇談会や父母面談なども行えます。
こういうコミュニケーションが容易になるところが、オンライン少人数クラスの利点です。
しかし、その反面、今後予想されるマイナス面もあります。
それは、子供の勉強の様子があまりはっきりわかるようになると、親は注意を始めることがあるということです。
例えば、生徒どうしの作文の発表会などがあると、自分の子供に対して、「もっとこうした方がよかったのに」などと言わないまでも、ほかの子の上手な発表を例にして、ほかの子を褒めるという遠回しの注意をするお母さんもよくいるのです。あるいは、無意識にやってしまうのかもしれませんが。
しかし、そういう話を聞いて、子供は嬉しいわけがありません。
すると、だんだんと、発表会の様子や勉強の様子を親に見てほしくないと思うようになるのです。
注意をされて育った子は、確かに勉強はよくできるようになります。
しかし、長い目で見ると勉強に対する肯定的な感情が乏しくなっていきます。
注意して直す方が、褒めて直すよりも結果が早く出ます。
しかし、子供は次第に注意する人から遠ざかるようになります。
ときどき、リビングで勉強をしたり音読をしたりするのを嫌がり、自分の部屋でやるという子がいますが、それは注意されることから離れようとしているからです。
だから、結局、注意の効果があるのは、最初のうちだけになってしまうのです。
子供の躾と犬の躾は、親や主人が一方的にできるという点で似ています。
遠くにいる犬を、呼んですぐに来させるようにするには、長い紐をつけて呼ぶと同時に少しずつ引っ張り、近くに来たら褒めるということを繰り返していくといいのです。
ところが、注意して直そうとする人は、犬が呼んでもなかなか来ないときは、近くに来てから叱るのです。
すると、犬は、近くに行くと叱られるということを学びます。
そして、ますます呼んでも来なくなります。
犬が来たときに、「早く来なきゃだめでしょ」と叱るのではなく、「遅かったけどよく来たね」と褒めるのが褒めて直すコツです。 時間のかかる直し方ですが、子育てはもともと時間のかかる仕事なのです。
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褒めて直すよりも叱って直す方が即効性があります。
だから、忙しい親はつい叱って直そうとしてしまうのです。
仕事はバリバリ子育てはのんびり、と気持ちを切り換えていくことが大事なのだと思います。
家庭学習を続けるのが難しいのは、子供の様子がよく見えすぎるからです。
塾に行かせると、子供の様子が見えなくなるので、親は安心できます。
しかし、いちばんいいのは、見えても気にせずに気長に一つのことを続けることです。
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