今、新しいコンセプトの勉強を考えています。
第一は、先生の授業を聞くことよりも、生徒が自分で考えて発表することを大事にする勉強です。
第二は、みんなと同じ正しい答えを出すことよりも、自分らしい問題を作ることを大事にする勉強です。
第三は、子供だけにさせる勉強ではなく、お父さんお母さんと協力して行う過程を大事にする勉強です。
第四は、すぐ役に立つことばかりでなく、今は役に立つかどうかわからないようなことでも本人の好きなものをやることを大事にする勉強です。
これからの世の中は、ますます創造性が必要とされるようになります。
正しいことをきちんとこなす仕事は、人工知能が代替していきます。
答えのある勉強は学力の基礎ですが、その基礎は勉強の目的ではなく創造性を発揮するという勉強の手段です
だから、学校で教わる勉強以上のことをするのが、寺子屋オンラインの勉強です。
今度、寺子屋オンラインでは、理科、社会の勉強も取り入れる予定です。
テスト勉強という目から離れると、理科も社会も面白い創造的な勉強になるのです。
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みんなと同じことを、ただ努力だけでがんばれば何とかなる時代は過ぎました。
みんなと同じでよかったのは、経済が右肩上がりの時代の話でした。
今は、みんなと違うことを工夫しなければならないのです。
それは、大人の仕事でも、子供の勉強でも同じです。
答えのない時代には、答えのない生き方をたくましく生きていくのです。
社会の変化も、技術の進歩も加速しています。
こういう時代に大事なことは、新しい知識を吸収することと、新しい工夫を実行することです。
未来は、向こうからやってくるのではなく、自分たちが作るものなのです。
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オンラインの作文の少人数クラスでは、開始の合図とともに、みんなが一斉に作文を書き出します。
通信指導や家庭学習で作文を書く場合、書き出す前にはエネルギーがかなり必要ですが、オンラインを少人数クラスではみんなが書き出すので自然にすぐに書き始める雰囲気ができあがります。
オンラインの少人数クラスのいいところは、このように他の人と一緒に交流することが勉強の励みになることです。
また、個別に説明が必要な場合は、ブレイクアウトセッションという分科会の会場に移動してもらい、その生徒だけに詳しく説明することができます。
これは、リアルな教室よりも優れている点です。
リアルな教室では、みんなが静かに書いている中で一人ひとりに個別の話をすると、中にはその声が気になって集中しにくいという子も出てきます。
作文の勉強は、他の勉強と違って人の声が聞こえるところではかなり書きにくくなるからです。
オンライン少人数クラスの場合は、静かな部屋は静かなままで書き続けることができます。
このオンラインの教室のもう一ついいところは、授業の様子をあとでお父さんやお母さんが見ることができるという点です。
先生がどんなことを説明して、子供がどんな風に勉強したかということが分かるのです。
また、授業のあとの保護者懇談なども、すぐに行うことができます。
オンラインの作文の少人数クラスは、先生にとっても利点があります。
それは赤ペン添削のような時間のかかることを大幅に省略して、口頭での説明を中心にできるからです。
口頭説明とは、作文の該当する箇所に番号をつけて、その番号のところを詳しく説明するのです。
ですから、同じ時間内に伝えられる内容はかなり多くなります。
オンライン少人数クラスの作文指導というのは、全く新しい授業形態なのでまだどこでも行われていないと思います。
しかし、これから作文指導の理想的な形として広がっていくと思います。
ところで、今、電話通信で作文の授業を受けている生徒は、今の先生のまま授業を続けたいと思っている人も多いと思います。
その場合は、今の電話通信の先生が、オンラインの作文の少人数クラスを担当するまで待っていただくといいと思います。
電話通信から、オンライン少人数クラスへの移行は、意外に早く進むのではないかと思っています。
「思います」や「思っています」ばかりになりましたが(笑)。
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世の中の変化は、加速しています。
アマゾンが登場した最初のころは、「やっぱり本は手に取ってみないとわからない」などと言っていたのが、あっという間に近所の書店にはもうほとんど足を運ばないようになっていると思います。
こういう時代に最後に残るのは、親しい人間どうしの関係です。
本はネットで購入しても、その本を人に奨めるのは人間で、その人間のつながりを強化するものがネットの技術革新です。
オンライン作文少人数クラスも、そういう方向に進んでいくと思います。
何か宣伝文句みたいなタイトルですが(笑)、これは本当です。
作文を書き出すというのは、ほかの勉強に比べると、何倍もの大きな精神的エネルギーを必要とします。
だから、夏休みの読書感想文の宿題が、最後の最後まで残ってしまったりするのです。
そのエネルギーを出しやすくするのが、集団の力学です。
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実は、私のうちの子も小学校4年生のころに不登校になりました。
理由は、学校で友達が授業中に先生からいじめられているのを見るのが嫌だからということでした。先生からというところが何か変ですが(笑)。
私は、自分自身が学校に行くのがあまり好きではなかったので、その話を聞いたときにはすぐに賛成しました。
私が、学校時代にいちばん苦痛だったのが、硬い椅子に座って先生の話をただ聞いているだけの退屈な時間を我慢することでした。
だから、学校に行かずに家でのんびり楽しいことをしていた方が、ずっと人間らしい生活が送れるという感覚が自分の中にあったのです。
子供の不登校ということについては、全く何も心配していませんでした。
子供と話をしていて、まともに対話ができるのであれば、学校に行くとか行かないとかいうことはどうでもいいことだと思っていたからです。
社会が決めた路線から子供を見るのではなく、親が自分の目で見てちゃんと育っていると思う子であれば、学校に行こうが行くまいが、成績がよかろうが悪かろうが、そういうことはあとからどうにでもなるのです。
特に、今は学校に行かなくても、主要教科の参考書を一冊ずつ用意して家庭で勉強すれば、学校に行くよりもずっと短時間で多くのことを学べます。
授業的なことをしたいのであれば、スタディサプリなどで勉強をしていくこともできます。
学校の利点は、友達や先生との集団生活が行えるということですが、それは放課後の地域のサークルのようなところに参加してもいいですし、又は、インターネットでいろいろな集まりに参加してもいいと思います。
今の社会では、勉強する手段はいくらでもあるし、友達と交流する手段もいくらでもあるので、学校に行くということを義務と感じる必要は全くないのです。
そして、いちばん大事な考え方は、人生の目的は仕事をすることであって学校に行くことではないということです。
昔は、学校に行くことが仕事の最初のステップであるかのように考えられていましたが、今はそういうことはありません。
学歴で採用を決めるような企業はもちろんありますが、世の中にはどこの学校を出ていようが関係がないという仕事の方がずっと多いのです。
今仕事をしている大人の人は、同じ仕事をしている仲間がどこの学校を出たかということとその人の実力はほとんど関係がないことを知っているはずです。
関係があるとすれば、それは偏差値の高い学校を出た人は誤字が少ないとか、長い文章を読むのが苦にならないとかいう程度のことです。
その程度の長所は、その他の様々な長所でいくらでも逆転するごく一部の長所にすぎません。
ですから、今子供が不登校になると心配している人については、むしろ不登校を活かして自分らしい個性的な生き方をしていくチャンスだと考えていくことです。
今の世の中の大人の多くは、まともな路線を歩んできている人が多いので、人と違うことをやることに不安や恐怖を覚えるようです。
しかし、大きく考えれば人生は誰にとってもチャレンジの連続で安心できるような道などはどこにもありません。
それならば、むしろ人と違う道を歩むということをいい機会だと考えていくといいのだと思います。
ところで、最初に書いたうちの子は、今は普通の社会人で子供もいて普通に仕事をしています。
不登校の時期に、北海道の山村留学に行きしばらく暮らしていましたが、近くの海でウニを取って浜辺で焼いてみんなで食べたのがすごくいい思い出になっているようでした。
どんなことも過ぎてしまえば、みんな楽しい思い出になるのです。
だから、今起きていることは、どれも必然で必要なことで、それがあとで必ずいい結果になると考えていくといいのです。
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少子化が進み子供の数は年々減っているのに、不登校の子の数は増えています。
しかし、学校に行きたくないというのは、表面的な現象に過ぎません。
不登校の本質は、もっと人間らしく、あるいは自分らしく生きていきたいということなのです。
だから、大人はその本質を生かせる道を考えてあげることです。
これは宣伝ではないので、問合せはしないでほしいのですが、不登校になったらオンラインの少人数クラスで勉強すればそれでいいと私は思います。
当事者がいちばん事情をよくわかっているでしょうから、不登校の子のお母さんが、同じような不登校の子の保護者に呼びかけて、オンラインの少人数の勉強会をすればいいのです。
そうしたら、みんなそっちの方がいいと言うようになるかもしれません。
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横浜市立金沢高校 M.Hさん
(担当講師から)
受験勉強をしながらも言葉の森は絶対続けたいと頑張ってくれた生徒さんなので、合格を知りとても嬉しかったです。
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この春から、作文のオンライン少人数クラスを始めました。それが、寺子屋オンライン作文クラスです。
このオンラインと、少人数という組み合わせが、実はかなり難しいのです。
オンラインのビデオ授業や、オンラインのマンツーマン指導はどこでもやっていますが、オンラインの少人数というのは、多くの場合ごく狭い範囲でしかできません。組織的にオンライン少人数指導を行うとなると、運営上のハードルが格段に高くなるからです。
さて、このオンライン少人数クラスは、グループディスカッションができるクラスですから、特色のある教え方をしたいと思っています。
その一つが、作文の好きな子が集まり切磋琢磨をしながら、よりレベルの高い作文を書くという前向きな勉強をしていくことです。
それで、この少人数作文クラスの愛称を、ハイパー作文クラスとしました。何しろ前向きに、高度なことをしていくのです。
この場合、作文が好きであるということが唯一の条件で、上手だとか下手だとかいうことは問いません。
作文が苦手な子であっても、書くことが好きであればいいのです。または、面白そうだからやってみたいという子であればいいのです。子供の意向が第一です。
ただし、作文を毎回アップロードするのに、保護者の協力が必要です。といっても、もちろん難しい操作ではありません。慣れれば子供でもできる手順です。
また、お母さん又はお父さんが、最低限月に1回は必ず懇談会に参加できるということも条件にします。ただし、懇談会と言っても、授業のあとのミニ懇談会を予定しているので、15分程度のものです。
こういう親子の協力があれば、子供の作文は更に充実したものになるからです。
ハイパー作文クラスは、次のようなわかりやすい目標を決めて勉強していきます。
まず第一に、小学校低学年・中学年であれば、各種コンクールに入選することを目標にします。
しかし、大事なことは実力で入選することですから、先生が作文に手を加えたり、上手になる表現を教えたりというようなテクニック的な指導はしません。本人の実力を伸ばして入選することが目標です。
第二に、小学校高学年の場合は、公立中高一貫校の作文試験に合格できるだけの作文力をつけることを目標にします。
かなり難度の高い指導項目も出てきますが、小学校高学年の生徒はそういう難しいチャレンジを喜ぶようなところがあるので、かえって面白い勉強になると思います。
第三に、小学校高学年、及び中学生で、パソコン入力ができる生徒は、森リン大賞の毎月入賞を目標にして書いていきます。
森リン点を上げるにはいろいろな条件が必要になりますが、その条件を工夫していくことが表現力と語彙力を伸ばすことにつながるからです。
中学生の場合は、高校入試に作文があれば、これがそのまま入試作文の対策になります。
高校生の小論文入試対応講座や、センター試験国語満点講座したいのですが、今は時間的に難しいのでそれはまたいつか単発講座としてやっていきたいと思います。
ハイパー作文クラスは、当面は限られた曜日・時間でしかできませんが、運営が軌道に乗ったら、また別の特色を持った作文クラスを運営していきたいと思っています。
例えば、kindle出版を目指すクラスとか、祖父母の自分史を取材して書くクラスとか、四コマ漫画とセットにした作文クラスとか、英語翻訳作文クラスとか、いろいろ考えられます。
教える先生の個性を生かした特色あるクラスが、いくつもできると思います。
講師は、中根と、森林プロジェクトで作文講師資格講座に合格した先生です。
オンライン少人数クラスは、リアルな教室と違ってオープンな研修環境があります。
リアルな教室は、学級王国と言われることがあるように、どうしても閉鎖的になりがちです。たまに、授業参観や研修があっても、そのときだけ外向けの特別な授業になりがちです。
その点、オンライン少人数クラスは、日常的な指導の中でも常時研修が可能なので、生徒ばかりでなく講師も成長する条件が整っています。
このオンライン少人数クラス(正式名称は、寺子屋オンライン作文クラス)を、これからの作文小論文指導のスタンダードにしていきたいと思っています。
▽現在開設している寺子屋オンライン作文クラス(カッコ内は講師コード)
・月19:00~19:45(ゆた)
・水17:00~17:45(ほえみ)
・木17:00~17:45(きら)
・木19:00~19:45(いさき)
・土 9:00~ 9:45(なね)
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言葉の森に作文を習いに来る生徒には、作文が好きで得意だからという子もかなりいます。
もちろん、苦手で困っているからという子もいますが。
得意な子と苦手な子がいた場合、教える先生は人情としてどうしても苦手な子に力を入れがちです。
得意な子は、教えればどんどん上手に書けるので、それ以上のことは特に必要ないと思ってしまうのです。
そこで、今度のオンライン少人数クラスは、むしろ得意な子、好きな子の力を伸ばすという方向で進めることにしました。
と言っても、何もスパルタ式でやるのではありません(笑)。
子供たちどうしのディスカッションを生かし、自然に前向きになる勉強をしていくのです。
子供たちが勉強に対して意欲的になる大きな条件が、講師と保護者とのコミュニケーションです。
保護者面談などを行うと、別に何も特別なことを話すわけではないのですが、子供たちがそれからシャキッとするのです(笑)。
オンライン少人数クラスは、自宅でできるという利点を生が活かせるので、随時父母懇談会を行っていきたいと思っています。
クラスのみんなが入選しているのに、一人だけ入選しない子がいたらどうしたらいいのでしょうか。
それは、簡単です。
「選者が、君の作文のよさを理解できないぐらい個性のある作文を書いているんだから、それでいいんだよ」
ということなのです。
私は、いつも自分に対しても、子供に対しても、この路線でやってきました(笑)。
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言葉の森のオンライン少人数クラスの紹介(生徒保護者向け記事)
| 自宅でみんなと一緒に勉強できるオンライン少人数クラス。
|
■オンラインの作文少人数クラス
言葉の森では、これまで担当の講師によるマンツーマンの電話作文指導を中心に行ってきました 。これは、作文の得意な子にも苦手な子にも、その子の実力に合わせた指導できるという点で効果があるものでした 。
しかし、環境の変化が少ないために、子供がスランプに陥ったときなど、そのスランプ状態からなかなか抜け出せないということもありました。
そこで言葉の森は、この春からオンラインによる少人数クラスの作文指導も併せて行うことにしました。
これは、Zoomという Web 会議システムを使い、5、6人の少人数で全員が参加できる形で作文の発表や交流をしながら勉強を進めていくというコースです 。
全員が毎回作文を発表するので、今のところまだ作文があまり得意でない子には向いていないと思います 。(将来は、作文の苦手な子にも対応した少人数クラスも行っていく予定ですが)
この少人数クラスの利点は、参加者が毎回他の生徒との交流で刺激を受けながら勉強を進めていくことができる点です 。
ただし、現在電話通信コースで担当の先生と順調に勉強を進めている子は、そのままそのコースで継続していった方がいいと思います 。
■オンラインの自主学習少人数クラス
この作文の少人数クラスと同じように。言葉の森では、自主学習の少人数クラスと思考発表の少人数クラスも開催しています。
自主学習の少人数クラスとは、国語の問題集読書と感想記述、算数の問題演習と似た問題作成、日本語の暗唱(小3まで)と英語の暗唱(小4から)という、主要教科の基本的な勉強を生徒どうしの交流を活かす形で進めていくクラスです。
■オンラインの思考発表の少人数クラス
思考発表の少人数クラスとは、読んでいる本の紹介、作文の構想図発表、自由な学習や経験の発表を行っていくクラスです。
このクラスは、既に1年以上経過していますが、参加者は毎回熱心に発表を行い、活気のあるクラスになっています。
■お問合せは事務局まで
いずれも体験学習が2回できます。詳しい資料をご希望の方は言葉の森事務局までご連絡ください。
ウェブで案内をご覧になる方は、下記のページにアクセスしてください。
https://www.mori7.net/teraon/syoukai/
■オンライン少人数クラスと担当講師(2018年3月現在)
時間帯 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 時間帯 | 土 |
---|
1700~1745 | 自主学習・中根 | 自主学習・中根 | 作 文・細田 | 作 文・木村 | | 900~945 | 作 文・中根 |
1800~1845 | 思考発表・富山 | 思考発表・安藤 | 思考発表・木村・竹本 | 思考発表・冨田・村田 | 自主学習・中根 | 1000~1045 | |
1900~1945 | 作 文・湯谷 | 思考発表・塚田 | 思考発表・大西 | 作 文・市川 | 自主学習・中根 | 1100~1145 | |
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今の子供たちは習い事が多いせいか、よく、土曜日しか空いていないという声を聞くことがありました。
そのうち、土曜日の体験学習がいっぱいになり、今は9時から10時の間は、担当する先生の空き時間がほとんどなくなってしまいました。
そこで、3月から土曜日にも、新たに少人数クラスを設けることにしました。
まだ始めたばかりで空いていますが、そのうちすぐに定員になってしまうと思いますので、土曜日の体験を希望される方はお早めにご連絡ください。
昔、土曜日の午後の通学クラスを開いていたとき、土曜日の午後クラスは中高生の部活のような雰囲気でした。
勉強が終わると、みんなでお喋りをしたり、パソコンで遊んだり、楽しくやっていました。
オンラインクラスも、勉強が終わったら、「じゃあ、中庭で遊ぼう」というようなことになるかもしれません。
(中庭というのは、フリーに使えるZoom会議室のことです)
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■小学1~3年生は、毎日の自習の習慣作りを
幼稚園年長から小学3年生のころは、だれでも好きなことを自由に書ける時期ですから、作文の勉強を特にする必要はあまり感じないと思います。しかし、このあと、小学校高学年から、中学生、高校生へと進むと、作文の勉強は小論文の勉強へと発展していきます。
言葉の森では、大学受験生の小論文、現代文の指導につながるかたちで小学生の作文の勉強を位置づけています。小学生のときに上手な作文を書くことが目的なのではなく、大人になってからも必要な表現力と思考力を育てていくことが指導の目的です。
国語の勉強は、学校で習う面よりも日常の生活の中で身につける面の方がずっと大きい特殊な勉強です。英語や数学は、学校や塾で勉強すればそれに応じて成績は上がりますが、国語は、生活の中で年齢に応じた読書や対話の習慣をつけていかなければ塾や学校でいくら勉強をしても、その効果は限られています。
小学校の低学年の時期は、この学習習慣を無理なくつけることのできる最も大事な時期です。学校の勉強だけしていれば十分なこの時期に、家庭で毎日決まった勉強をする習慣をつけ、特にその中でも年齢に応じた読書の習慣をつけていくことが、その後の勉強の進み具合に大きく影響します。
言葉の森では、毎日の自習として、1日10分程度の音読の自習を生徒にすすめています。よい文章を音読できるということは、そのまま自分が書く作文にも自然にその文章のリズムを応用していくことができるということです。現代は、知的に理解すればそれで終了というかたちの勉強が多いので、音読や暗唱の効果ということはなかなか理解されにくいようですが、国語の学習はほかの教科の勉強とは異なり、頭で理解するだけでなく心でまるごと感じとるという要素が必要ですので、ぜひ毎日の自習に取り組んでいってくださるようお願いします。
また、読書は低学年のうちに毎日の習慣として身につけておくものです。習慣として定着させるためには、本を読む日があったり読まない日があったりするような読み方ではなく、毎日欠かさず読むということが必要です。自分で読むことがまだ難しいうちは、お母さんやお父さんが読んで聞かせてあげてください。
| 水面上の作文と、水面下の読書・音読。
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■小学4~6年生は、作文教室と塾との両立を
現在の受験体制のもとでは、高学年になるにつれて、塾などに通わないと学習がしにくくなるという状況があります。しかし、学習の主体はあくまでも家庭学習にあります。家庭学習での主体性がないと、塾のスケジュールに流されたり、志望校の受験とは部分的な関係しかない偏差値に左右されたりしてしまいます。
小学生も高学年になると、塾に通う時間が増え、一時期、言葉の森との両立が困難になることがあります。しかし、両立が困難な時期は、大体数カ月で終わり、そのあとは、時間的に忙しくはなるものの、再び同じようなペースで学習を続けていけるものです。
作文の学習は、ちょうど高学年から「説明文」「意見文」の段階に入り、思考力を要求されるようになります。この段階の学習は学校などでもあまりなされず、本格的な国語力をつける点でとても重要なものです。
言葉の森では、曜日や時間の変更は、随時できるようになっています。また、通信指導による学習も、他の教室の通信指導と比べて、きわめて継続しやすいものになっています。高学年になり、塾の時間が増えて忙しくなった方も、曜日や時間の変更によってできるだけ両立させる工夫をしていってくださるようお願いします。ただし、塾によっては言葉の森との両立が時間的に困難になるところもあります。そのためにやむをえず退会される場合は、中学入学後のなるべく早い時期に再開されることをおすすめします。
■中学生は、小論文の前段階としての作文練習を
| 生活作文の山、意見文の山、小論文の山。
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作文力、読解力のうち、意見文を書く力と論説文を読みとる力は、中学生以降に本格的にのびる分野です。小学生の間に既に意見文を書いたり読んだりする段階にまで進んでいる生徒もいますが、全体的にみて、構成の形式を身につけたり文章を要約をしたりすることが精一杯で、内容のある意見文を書ける生徒は限られています。これは、表現力、読解力に、まだ、本人の内面的な成長がともなっていないためです。
小学6年生までに学習する生活文中心の作文と物語文中心の読書は、作文力、読解力の半分にすぎず、もう半分は、中学生以降の意見文、論説文の練習によって完成します。
しかし、実際には、中学、高校では、作文、読書の学習はほとんどなく、あるとしても、その多くは、小学校の延長のようなかたちでおこなわれています。また、中学生の時期は、作文の学習がいちばん続けにくい時期でもあります。その理由は、(1)中学生の時期が、無邪気に出来事を書くわけにもいかず、かといって、自由に意見文を書くほどには語彙が充分ではないという過渡的な時期にあたること、(2)宿題や定期テストなど、外から拘束される勉強の時間が比較的多くなり、自主的な勉強の時間がとりにくくなること、(3)中学校自体も、作文や読書の指導をほとんどしなくなるので、学習の意義やきっかけを見つけにくくなること、などという事情があるからです。
現在の受験体制のなかで行なわれる勉強は、人生にとって価値のある分野というよりも、点数の差がつきやすい分野に重点が置かれがちです。基礎的な知識を身につけるという点で、点数で測られるような勉強も大切ですが、生涯にわたって役立つのは、考える力、読書する力、発表する力など、点数の差のつけにくい、したがって現在の受験体制の中では、重点の置かれにくい分野です。
しかし、最近では、大学入試でも小論文や面接が重視されてくるなど、単なる知識の量よりも、それらの知識を活用する力を評価するようになってきました。中学生での作文、読書の学習は、小学生の学習の延長としてではなく、高校生以降の小論文学習や論説文読書の先取りであるという前向きの姿勢をもって取り組んでいくことが大切です。
中学生が、作文、読書の学習を継続していけるように、言葉の森では、学習の時間に弾力性をもたせています。具体的には、(1)曜日や時間の変更や振替は、いつでもできるようにしています。(2)テスト期間中の欠席は、その前後にふりかえることができるようにしています。(3)ホームページの動画によるヒントなどを充実させ、先生の説明を受けられないときでも作文を書けるようにしています。
3月から4月にかけては、決まった時間に授業を受けることがむずかしいことも多いと思いますので、出席できるときに出席するというかたちにして、新しい生活のペースを早く作っていってくださるようお願いします。
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3月の今の時期は、新しいことを始めたくなる時期です。
新しいことを始めることも大事ですが、続けてきたものを続けるということもまた大事です。
新しい経験をすることで学ぶこともありますが、あとに残るのは長く続けてきたものだからです。
言葉の森でも、「作文はもう一応書けるようになったから、今度は別のことを」と言う人がときどきいますが、子供が書くことを好きであれば、その好きなことを続けていった方がいいのです。
特に、小6~中1に変わると、作文の構成の仕方も大きく変わってきます。
この時期に、意見文の基礎をしっかり身につけていくことが大事なのです。
小6まで本をよく読み、作文もよく書き、いろいろなことを考えていた子が、中学生になったから作文は卒業で今度は勉強だと割り切ってしまうと、途端に本も読まなくなり、文章も書かなくなり、何も考えなくなり(笑)ということがよくあります。
中学で作文の勉強がないのは、先生が指導し切れないからであって、必要がなくなったからではありません。
長い目で見たら、読むことと書くことは、最後まで残る勉強の基本なのです。
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寺オン自主学習クラスの小4以上のクラスで、英語暗唱が上手にできるようになったら、英作文発表会をしたいと思っています。
それは、どうするかというと、自分の作文をgoogle翻訳にかけるのです。
ほんの少し前までは、google翻訳はあまり使い物になりませんでした。
しかし、人工知能というか深層学習の成果で、今はかなり正確に日英翻訳ができるようになっています。
この翻訳の仕組みは、音声認識の仕組みと同じで、単語や文法を一つずつ判断して翻訳しているのではありません。
言葉や音声の群全体をとらえて、そういう群にあてはまりそうな文章をあてはめているという感じなのです。
だから、意外なところで誤変換があります。
例えば、珍しい固有名詞は、うまく認識できません。
また、翻訳では、「……ならなくなります」というような微妙な否定文を肯定文に変えてしまうことがあります。
しかし、これらも学習する文章が増えるにつれて次第に改善していくと思われます。
では、今のgoogle翻訳の水準で、どうやって日本語を正しい英文にするかというとそれは次のようにやるのです。
まず、日本語の作文をGoogle翻訳で英文にします。
次に、その英文をもう一度Google翻訳で日本語に変換します。
すると、最初に入れた日本語と異なる部分が出てきます。それはGoogle翻訳がうまく翻訳できなかったところですから、元の日本語を正しく翻訳しやすいように変えてあげるのです。
そのようにして、最初の日本語の作文と、変換したあとの英語の作文と、再度変換したあとの日本語の作文を比べれば、途中の英語の作文は正しく翻訳されたと見て差し支えないレベルまで洗練されていきます。
その英作文を暗唱してスピーチをするのです。
一方、世界には日本語を勉強したい外国人の子供たちも増えています。例えば、ベトナムでは小学校の段階から、日本語が第一外国語として教えられるようになっています。
(「
日本語が「第1外国語」に ベトナムの小学校で東南アジアで初」)
それは、単に経済上の理由からだけでなく、日本の文化に関心が持たれているからだと思います。
その日本語を学ぶ子供たちが、自分の国の言語で作文を書き、その作文をGoogle翻訳で日本語に直し、その日本語を暗唱し日本語作文スピーチを行います。
Google翻訳を使う作文発表会ですから、言語は日本語と英語に限りません。
日本語と中国語、日本語とスペイン語、日本語とポルトガル語など、いろいろな言語を話す子供たちと作文発表会を通して交流することができるようになります。
これで、世界中のさまざまな言語を話す子供たちが、Zoomで多言語作文発表会を行うのです。
さて、言語は、これまで伝達のツールとして考えられてきました。そのツールを身につけるのが、英語教育でした。
伝達の言語として世界的に使われている英語は、世界のグローバル化によって更にツールとしての必要性を増しています。
これまでは、だから世界に通用する言語としての英語学ばなければいけないのと考えられていました。
しかし、ツールは必ず人間の手足から離れて機械化されていきます。
google翻訳のような外部化されたツールが自由に使われるようになれば、言語のもうひとつの面が重要になってきます。
それは伝達のツールとしての言語ではなく、教育のツールとしての言語あるいは人間形成のツールとしての言語です。
日本語は、世界でもほとんど唯一の母音言語であるために、幼児期から日本語を使っていると、自然界の音を左脳で受け止めるようになります。それが、日本人が虫の声や鳥の声や風の音に心を動かされる理由です。
この教育のツールは、機械で代替することはできません。なぜなら、それは肉体化というものが習得の基礎になっているからです。
教育としての言語は、外側にあるツールではなく内側に組み立てるツールなので、時間をかけて身につけることしかできないのです。
だから、これからは英語教育というひとつの言語に限った教育ではなく、言語全体の教育として日本語も英語も中国語も学び、その一方で教育の言語であり人間形成の言語でもある日本語を確実に学ということが必要になってくるのだと思います。
このように、普段私が思っていることと同じようなことを井口さんがブログに書いていました。
井口さんの話は、説得力があるので、ぜひ読んでいただければと思います。
▽英語論争、藤原正彦vs谷山雄二朗:俺も参戦!?「やはり日本語教育が一番さ!」
https://quasimoto2.exblog.jp/238374487/
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世界中の子供たちが、自分の国の言語を使いながら日本語で交流できるという話は、今は夢のように思われていますが、そのうちあたりまえのことになってきます。
例えば、私が子供のころは、自動ドアなどは夢のような話で、思いつきもしませんでしたが、というか必要性も感じていませんでしたが、今は普通のことになっていて、手で開けるドアには不便さを感じるようにさえなっています。
ツールの普及は、いったん始まると早いのです。
英語作文も、音声入力作文も、オンライン作文少人数クラスも、やがて普及して、すぐに時代遅れになります。
だから、私たちの目は、そのツールの普及の先にあるものを見る必要があります。
それが、創造性を育てる作文教育です。
「ZOOM革命」の田原さんが、やがてZoomに自動翻訳機能が搭載されるようになるだろうということを述べていました。
私も、それはかなり早くそうなるだろうと思います。
そして、今の音声認識の精度と言語翻訳の精度を見ると、すぐに実用に使えるレベルになると思います。
すると、ますます伝える中身が重要になってきます。
その中身とは、ひとことで言えば、創造性のある中身かどうかということなのです。
この創造性が、これからの教育の最重要テーマになると思います。
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