昔、子供向けの説明文の良書が少ないと書いたことがありました。
その中で、数少ない良書の一つとして、「理科好きな子に育つふしぎのお話365」(誠文堂新光社)を推薦しました。
これは通り一遍の知識の羅列のような科学本ではなく、どうしてそうなるのかという理由の説明などもあり、子供の知的好奇心に応える内容を持っていました。
先日、同じような本を探してみたところ、この一年ほどのうちに、子供の科学的関心を引き出すような本がかなり多く出ていました。
その中でも、特におもしろいと思ったのは、「しぜんとかがくのはっけん! 366」(主婦の友社)でした。
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この本のいいところは、やはり単なる科学的知識の羅列ではなく、考えて読む要素があることと、もう一つは、子供なりに実験して調べてみるという要素があることです。
今、寺子屋オンライン思考発表クラスでは、作文構想図と読書紹介と自由発表を行っていますが、この自由発表の理科実験のところで使えると思いました。
また、小学3年生から学校では理科が始まり、小学5年生から社会が始まります。
この理科、社会の勉強も、テストの知識の詰め込みは面白くありませんが、自分なりに考える勉強として行えば、かなり知的な興味を引き出すものになると思います。
そのための参考書として、「これでわかる理科」「これでわかる社会」(いずれも文英堂)が使えると思いました。これは、中学生版も出ています。
こういう本で、勉強は面白いものだということを多くの子供たちが感じてくれるといいと思っています。
今は、テストで評価するつまらない詰め込み勉強を、競争や賞品で面白くしている面があるので、勉強の本来の面白さを味わう子が増えてくれるといいと思います。
「賢い子を育てる、お母さんの科学的関心」
https://www.mori7.com/index.php?e=2794
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子供が、最初に接するのは、両親、特にお母さん、そしてお父さんです。
子供は両親を通して、社会に接していきます。だから、親の関心が子供の関心に結びつくのです。
親が科学的なものの見方に関心を持っていれば、子供もそのような関心を通して世の中を見るようになります。
これが、賢い子を育てる出発点です。
本を読んだり、勉強をしたりする以前に、子供が親の関心に自分の関心を重ね合わせることが大事なのです。
しかし、もとから科学好きな親ならまだしも、多くのお母さんは科学的なことにはあまり関心がないと思います。
そこで、使えるのが、子供向けの科学の本です。
子供と一緒に科学の本を読んでいると、「へえ、そうなんだ」と、世の中や自然の現象についての新しい理解に感心することがあります。
特に、自然界は、科学的な考え方の宝庫です。
自然の中にあるものは、どれもそれなりに必要な科学的裏付けを持って成り立っているからです。
これに対して、人間社会の現象は、にぎやかな話題が多い割に、科学的な裏付けを通して理解するということはあまりありません。
また、一般に勉強と言われるものも、科学的なものの見方にはあまり結びつかないものがかなりあるのです。
特に、成績にすぐに結びつくような勉強は、知識と手続きの理解でなりたっているので、それはそれでとても必要なことなのですが、子供を賢い子にするということにはあまり結びつきません。
むしろ、勉強の時間が多すぎると、勉強以外の読書や遊びや対話の時間が減る場合もあり、その方が子供の成長にとってマイナスになることもあるのです。
最近出た科学の本として面白いと思ったものは、「理科好きな子に育つふしぎのお話365」(誠文堂新光社)です。
390ページもあり、結構重たいので、読み聞かせに使うとしたらお母さんはかなり大変です。
しかし、ルビがふってあるので、ある程度お母さんが読み聞かせをして、子供が興味を持てば、続きを自分で読むようになると思います。
科学の本の選び方として大事なことは、ただ知識が書いてあるだけでなく、因果関係のような構造が書いてあることです。
科学の本とは少し違いますが、時事問題などでも、事実の経過が重要なのではなく、その背後にある因果関係の解説が大切です。しかし、世の中にある時事問題に関する本でそういう観点で書かれているものはあまり多くありまぜん。
知識が大事なのではなく、その知識の背後にある科学的な関係を知ることで、知的な好奇心が刺激されることが大事なのです。
以上のような科学的関心について考えたのは、ドクター・中松さんの「私は死んでる暇がない」を読んだのがきっかけです。
これも、とてもいい本ですから、子供向けではありませんが、ぜひ多くの方におすすめしたいと思います。
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昔は、本が少なかったので、同じ本を何度も繰り返し読むのが普通でした。
私の場合は、「世界ふしぎめぐり」(偕成社)の本を隅から隅まで何十回も読みました。
しかし、その後、そういう説明文の本はしばらくなく、科学の本のように見えるものでも、ただ知識が書かれているだけのものになっていました。
それで、言葉の森の講師に頼んで、みんなで面白い説明文の長文を作ったのです。
その長文は、小1から小3まで、全部で150編近くありました。
これは、子供たちにかなり人気がありました。なぜかというと、説明文の難しい内容でありながら、どの長文にも必ず何か所かダジャレを入れるようにしたからです(笑)。
小学生の子供たちの将来なりたいものに、科学者が入るようになりました。
これが、人間の本来の姿だと思います。
というのは、学問の面白さが基本にあって、それをもとにいろいろな仕事の選択肢があるからです。
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私はこれまで、頭さえよくしておけば成績は勉強し始めたときからすぐに上がるから心配ないと言ってきました。
そして、実際にそういう形で子育てをしてきましたし、言葉の森の生徒たちの中にも、受験期に入ってからぐんぐん成績を上げる子を数多く見てきました。
だから、子供時代は勉強に追われるよりも、のびのびと過ごした方がよいと思っていました。
しかし、のびのびと過ごしている子供たちの中に、勉強の方法が正しくない子もかなりいて、そういう子供たちはいざ勉強始める時期になってもやはり能率の悪い勉強の仕方を続けてしまうことも多かったのです。
そこで今回、寺子屋オンラインの少人数クラスでハイパー作文を始めたことをきっかけに、自主学習クラスと思考発表クラスでもハイパー国語・算数・英語・理科・社会という要素を取り入れることにしました。
これは、具体的には、国語の読解力・記述力をつけること、算数のいわゆる難問を解く力を身につけること、英語の丸ごと理解と文法的な緻密さを身につけること、理科・社会の幅広い知識をマスターすることなどです。
幸い、今の世の中は、優れた市販の教材が数多く出ています。また、ネットでの教材も広く利用できるようになっています。
そこで、作文、国語、算数、英語、理科、社会の成績を上げることを目標にして、さらにその上にプラスアルファの創造的な勉強を行うクラスとして少人数クラスを運営していきたいと思っています。
こういう運営が可能になるのは、やはりオンラインの少人数クラスという要素があるからです。
勉強は、どんなにいい先生が、いい方法で教えても、子供たちが家庭の中で日常的にその指導に沿った学習を行わなければなかなか力はつきません。
子供たちの家庭学習に欠かせないのは、母親または父親が勉強の内容を把握していて、必要に応じてチェックできることです。
寺子屋オンライン少人数クラスでは、オンラインの授業のあとで随時保護者懇談会を開き、質問や相談を受けたりアドバイスをしたりすることができます。
この、家庭とタイアップして行える教育というのが、学力のつく最も効率のよい教育のスタイルなのです。
家庭学習だけでは、偏った勉強の仕方になることがあります。
先生が教える形の勉強だけでは、日常的な学習の徹底が不十分になることがあります。
先生と両親という複数の大人の目によって、バランスよく能率のよい勉強の仕方がしていいけるようになるのです。
▽参考ページ
「寺子屋オンライン紹介」
https://www.mori7.net/teraon/syoukai/
「寺子屋オンライン案内」
https://www.mori7.net/teraon/
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勉強にはコツがありますが、そのコツを実行するのは本人です。
これまで、子供にも、保護者にも、いろいろな勉強のコツをアドバイスしてきましたが、それをそのとおり実行できた子はあまりいませんでした。。
例えば、過去問は春に取り組むということを、毎年高校3年生に言ってきましたが、ほとんどの生徒は秋や冬の受験近くになってから腕試しというような形で過去問に取り組むことが多かったのです。
しかし、今回の寺子屋オンライン少人数クラスは、直接家庭での学習に関与する度合いが高まります。
そこで、作文だけでなく、教科の勉強も、成績を上げることを一つの目標として取り組むことにしたのです。
成績を上げるには、時間をかけるという要素も必要です。
しかし、時間をかけることを中心にするのは、受験期の半年か1年だけです。
それ以外の勉強は、時間はできるだけかけずに、勉強の質を高め、自由な時間を確保することが大事です。
今の親は、子供が小学校低中学年のうちから、勉強に時間をかけすぎている人が多いと思います。
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デジタルの情報は便利です。
検索もできるし、コピーもできるし、必要に応じて自分の好きなように加工できます。
だから、情報はデジタルで処理していくといいのです。
しかし、学習はそうではありません。
それは、学習というものが、情報を身体化する作業だからです。
身体化には時間がかかります。
コピー、貼り付けという機械的な作業ではできません。
何度も同じことを繰り返して、少しずつその情報が自分の身体に染み込んでいき、やがて意識せずにその情報が引き出せるようになるのです。
その身体化に必要なものは、同じものを、同じ順序や同じ配置で、同じように繰り返すことです。
そのときに、デジタル情報の加工のしやすさがかえって定着を妨げます。
身体化された情報は、あの辺の棚にある、あのぐらいの大きさの本の、確かあの辺に書いてあったはずだという身体の感覚と結びついています。
だから、学習の基本は紙ベースで、その補助的なールとしてデジタルがあると考えておくといいのです。
その紙についても、ばらばらになりやすいプリント類ではなく、1冊に製本されている問題集の方が基本になるのです。
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「もとになる勉強、枝葉の勉強――作文と結びつけて読む力をつける」
https://www.mori7.com/index.php?e=2789
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教育に関する情報が豊富にあると、かえってその中で、何が重要で何が重要でないかを見失ってしまうことがあります。
親も子供も熱心にやっているように見えても、その方向が脇道にそれている場合も多いのです。
勉強の中心は、家庭で毎日取り組むと決めたことを繰り返す勉強です。生活の中で毎日当然のように行う平凡な勉強の積み重ねが、もとになる勉強のです。
これに対して、学校や塾から宿題で出されるような勉強は、枝葉の勉強です。宿題のプリントをもらってきて、それをやるような勉強は、繰り返して身につけるというようなことがしにくいので、結局一回きりの勉強にになってしまうことが多いからです。
子供が小さいときは、そういうばらばらのプリントをこなすような勉強も、親がファイルをして整理してやらせることができます。
しかし、子供がひとりでそういうプリント類の管理をすることは難しいので、学年が上がると、与えられた勉強を次々とこなすだけの勉強になりがちです。
宿題というと、やることが義務のように思うので、その勉強を第一に考えてしまう人が多いのですが、自分のペースでやると決めた勉強がもとになる勉強で、人から与えられた勉強は枝葉の勉強だという区別をしておくことが大切です。
勉強の内容として大事なものは、第一に読む力をつけることです。小学生時代は特に、速く、楽に、和多く読む力をつけておくことが勉強の中心になります。
第二に大事なものは、計算する力です。これも、速く、楽に、正確に計算する力をつけておくことです。
それは、計算が苦手だと、その延長で算数や数学が苦手だと思ってしまうことがあるからです。
ただし、計算力はあくまでも第二です。
計算は電卓に代わってやってもらうことができますが、読書は機械に代わってやってもらうことはできません。
計算力に比べると、読書力の差は表面には出ませんが、実はこの読書力の差がいちばん大きいのです。
読む力を更に発展させるものとして、音読、暗唱、親子の対話などの勉強もあります。これらは単独で取り組むよりも、作文の勉強の中で取り組むようにすると定着します。
習い事の中には、子供の個性にあったさまざまなものがあります。英語、プログラミング、スポーツ、音楽など、今は多様な学習の機会がありますが、それらは、読む力、計算する力の勉強に比べると、あくまでも枝葉の勉強と考えておくことが大切です。
子供の好きな分野で個性を伸ばすことは大事ですが、その個性も、もとになる土台の勉強ができて初めて生きてくるのです。
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通い慣れた道は、道順を意識しなくても歩けます。
それは、道順が身体化されているからです。
勉強も、同じです。
早く身につけるためには、1冊の同じ本を同じ順序で繰り返しやるのがいいのです。
1冊の問題集のできなかったところにだけ印をつけてやり直すというのは手間がかかりますが、それが身体化のいちばん能率のよい方法なのです。
作文の構想図を手書きで書のは、手で書く方が頭が活性化するからです。
しかし、清書はパソコン書きで能率よくやるのがいいのです。
その反対に、志望理由書は、下書きはパソコンで情報処理的に行い、清書は手書きで仕上げるのです。
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今の世の中、今の子育て、これからの世の中、これからの子育てについての動画をアップしました。
大きな目で見たこれからの教育のあり方について、後半は特に具体的に話しています。
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言葉の森が考えるこれからの教育のビジョンについて話しました。
前半はやや抽象的な話かもしれませんが、中盤ぐらいから具体的なこれからの子育ての話になってくるので、たぶん参考になると思います。
今朝入れたので、やや眠そうな顔をしていますが(笑)。
今子育て真っ最中の方の参考になるように話しています。
今後の展望、言葉の森の目指すところ、子育て感など大変わかりやすかったです。また、お話に深く共感致しました。
寺子屋オンライン思考クラブでお世話になっていますが、小6になるのを機に大変だったら辞めてもいいよと言ったところ、「絶対ヤダ。理由は、自分で考えたことをたくさん話せて、みんなも僕の話をきちんと聞いてくれるから」と。それを聞いて、私自身もそこまで子供の話をきちんと聞く時間を持てていないことに反省・・・。また学校でもそのような機会はないのだと気づきました。思考クラブの先生や仲間たちがいかに子供の学ぶ意欲を高めてくれているのかよくわかりました。
あお母様
長い動画を見ていただきありがとうございました。
これからは個人が活躍する時代になると思います。
そのときに大事なのは、あお君のような自分の意見を持って、ほかの人としっかりコミュニケーションを取れることです。
学年が上がると、勉強が難しくなるので、つい本人と先生任せになりがちですが、中3の義務教育期間の間は、親が勉強の内容を把握できるようにしておくといいです。
そのためにも、思考発表クラブや作文などをきっかけにして、お母さんやお父さんと話をする時間をこれからも大切にしていくといいと思います。
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低学年の作文と高学年の作文の最も大きな違いは、低学年の作文が題材中心であるのに対して、高学年の作文は主題中心であることです。
だから、よく出す例ですが、「私の友達」という題名で作文を書く場合、低学年のうちは友達とのさまざまな交流の出来事を書いていけばいいのですが、高学年になったら、「友情とは何か」ということを考えながら書いていくようになるのです。
そして、更に言えば、その主題に合わせて実例を選び直すという書き方をします。
同じ題名で書いていても、低学年と高学年では、頭の使い方が180度違うことが要求されるのです。
しかし、厳密にそういう評価をしたら、小学6年生の子でその要求に沿って書ける子はほとんどいなくなります。
だから、構成の形だけ指示して、その構成に合わせる勉強をする中で、学年が上がるにつれて次第に主題中心に書く書き方ができるようにしていくのです。
▽関連記事
「高学年になって作文が得意になるには、低学年のときからの作文指導が大事」
https://www.mori7.com/as/2890.html
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低学年のときの作文指導は、実は簡単です。
書き方の間違いもまだかなり多いので、それを直して、直ったことを褒めていれば作文が上達するような感じがします。
だから、学校でも塾でも通信教育でも、低学年の作文指導に力を入れていることが多いのです。
しかし、この低学年のうちに、高学年の作文につながるような指導がないと、課題がだんだん難しくなるにつれて作文が書けなくなります。
そして、たぶんほとんどの作文教室がそういう結果になっているのではないかと思います。
作文の勉強を家庭で続けていると、だんだん親子喧嘩になる場面が増えてきます。
それは、子供が、難しい課題になってくると、だんだん作文が書けなくなってくるからです。
作文を書くというのは、高学年や中学生以上の生徒にとってはかなり負担の大きい勉強です。
まず1200字の作文を1本仕上げるには、時間は1時間から1時間半かかります。しかも、その間休みをとるようなことはできません。
学校の宿題などをいろいろ片付けなければならない中で、毎週作文の時間を確保して、難しい文章を読んで考えて書くということにはかなり強い意志力が必要です。
しかし、そういう苦しい勉強を続けてきた子は、大学生になるころには、必要に応じて楽に文章が書けるようになるのです。
低学年の作文の勉強で大事なのは、作文の土台となる読書と対話にも力を入れていくことです。
そのために、言葉の森では、長文音読、暗唱検定、自主学習クラス、思考発表クラブなどのオプションの勉強に力を入れています。
そして、勉強の中で続けるのは最も難しいと言われる作文の勉強を中心にして、あらゆる教科の勉強の力をつける指導を目指しているのです。
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卒業生からのメッセージ「言葉の森の思い出」
https://www.mori7.com/index.php?e=2108
今年、慶應義塾大学文学部に合格したKMさんが、「言葉の森の思い出」という話を書いてくれました。
KMさんは、小1から言葉の森で勉強し、森リン大賞にも何度も選ばれていました。
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私が言葉の森で作文の勉強を始めたのは、小学1年生の8月でした。
やっと、電話で知らない人と、なんとか話すことができるようになったのが、そのころだったのです。
初めは、本当に、聞かれたことに「はい」と返事をするのがやっとでした。「いいえ」すらも言いにくかったので、沈黙してしまったり。そうすると、先生が「じゃあこうだったのかな?」と逆の質問をしてくれて、やっと「はい」が言えるときに口を開くというような状態でした(笑)。
それでも、先生の質問に答えるかたちで、書くことを決め、電話の後に、今度は母が同じような質問をするので、その答えを作文用紙に書いていったというような記憶があります。
できあがった、確か100字程度の作文は、作文と言えるようなものでもありませんでしたが、返却された作文を見ると、先生が、作文用紙いっぱいに花丸をつけてくれていて、たくさんの「上手!」「うまい!」「すごい!」という文字が踊っているのを見て、大変満足し、「これからも続ける!」と宣言したのでした。
低学年の間は、基本的に毎週そのような調子で気分よく書いていたのですが、字数ランキングに燃えて、ひたすら長く(内容の薄い作文を)書いていたこともありました。かなり時間もかかりましたが、「すごく長くかけたねえ!」と、先生に褒めてもらえるのが嬉しくて、とにかく長く、1000字、2000字と書いていたのです。今思うと、先生にご迷惑だったような。思い出してみると、母もいつも先生に謝っていたような記憶が蘇りました(笑)。
中学年になると、題名が決まっていたので、最初は書きにくく感じましたが、このころは、課題について、父や母や祖母に取材をするのを楽しんでいた時期でもありました。感想文課題は、内容も難しいし、書くのが大変でしたが、先生もいつもヒントを与えてくれたし、両親も、協力してくれました。
5年生になると、長文の内容はさらに難易度が上がり、そのときの私にとって、「難しい」というより「分からない」文章になってしまいました。しかし、たとえ長文全体をよく理解できなくても、感想文を書くことができるように説明してもらえたし(実際、それでなんとか形になっていたと思います)、また、何度も音読をしているうちに、最初は全く分からなかった文章が何となく理解できるようになる、という経験もできました。おかげで、難しい文章に取り組むのが怖くなくなったというか、落ち着いてくり返し読めば分かる、と信じて読めるようになりました。この経験は、その後の中学受験でも、大学受験でも役に立ったと思います。
また、私は、低学年のころから自分でパソコンで作文を書いていたのですが、「今読んでいる本」の欄を利用して、担当の先生と雑談をしたこともいい思い出です。例えば、当時流行っていたドラマの原作小説を読み、それを読書欄に書くついでに、お気に入りの主演俳優の話を書くと、先生も講評の中で返事をくれて、翌週の電話でまた好きなアイドルの話をしたり……といった具合に盛り上がったのも、とても嬉しかったです。言葉の森では、学校の先生よりも長く一人の先生に習うこともあるので、そのような交流が深まるのも楽しいことだと思います。
中学受験を挟み、言葉の森をお休みした時期がありましたが、再開後に取り組んだ勉強は、より具体的に受験小論文に役立ちました。小論文の構成を教えてもらって、どんな形で、どんな順番で書いていけばいいのか、という枠を決められるようになり、中学3年間で勉強した書き方で、ほぼどんなテーマにも対応できる自信がつきました。
実際の第一志望校の小論文課題は、制限字数が短かったのですが、基本的には、言葉の森で教わった「構成」「題材」「表現」「主題」を意識することで、対応できました。そのおかげで、他の教科の勉強に多くの時間を割くことができ、また、例えば、英語の長文を読む際にも、言葉の森の勉強で身につけた日本語読解力に助けられたと思うので、やはり、作文の勉強は、多くのアドバンテージを与えてくれたと思います。
本当に感謝しています。ありがとうございました。
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算数や英語の勉強は先取りができますが、作文の勉強は先取りができません。
それは、算数や英語が、知識や方法を身につければできるようになるのに対して、作文は精神年齢の成長が伴わなければできないものが多いからです。
その一つが、物事を構造的に考えることと、より大きな主題で一般化して考えることです。
友達に関する話で、友情というような抽象的な概念が使えるようになるのほ、小学6年生ごろからです。
これは、学力の問題ではなく、その子の成長の問題なのです。
子供の作文にあれこれ注文をつける人は、自分がその子と同じ年齢のころに書いた作文がもしあれば、それを見てみるといいと思います。
私もそうですが、作文の先生をやっているような人でも、子供のころに書いた作文はみんな幼稚で、今自分が見たら直したくなるところばかりなのです。
だから、人間は成長するという観点で子供たちを見ていく必要があります。
評価の対象として見るのではなく、成長するものとして見るということが大事です。
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幼児のころから、勉強も、スポーツも、音楽もといろいろなことをやって、どれも優秀な成績を収めている子がいました。
しかし、その子が、高学年になったころ、どれもほどほどにやるようになっていたのです。
どれも、一応合格点ぎりぎりのところまでやるが、決してそれ以上はやろうとしない、つまり熱中するような取り組みなどはなく、言われたことを言われた範囲できちんとこなすというやり方になっていたのです。
こういう子と反対の子もいました
大人が見て、いかにも無駄で無意味だと思われるようなことに熱中する子です。
しかし、その子が学年が上がり、入試に取り組むようになると、その集中力であっという間に実力をつけていきました。
小学校時代の子供の生活で大事なことは、今の成績を上げることではありません。
能率は悪くてもいいから、自分の意志でやることと、何かに熱中できる生活をすることです。
親は、子供の生活をコントロールする前に、まず自分が子供のころ、どういうことがうれしかったかを考えてみることです。
そして、自分にないものを子供に求めるのではなく、自分の今につなかっていることと同じことを子供にも認めてあげることです。
今の自分を形成しているものの中には、当時は無駄だと思われていたようなこともたくさんあったはずです。
そうすれば、さまざまな勉強や習い事で子供の時間を埋めるのではなく、もっと役に立たないように見える時間を大切にすることができるのではないかと思います。
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「勉強をコントールする力をつける――そのための親の勉強観」
https://www.mori7.com/as/2921.html
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今、子供たちの身の回りには、さまざまなやらなければならないことが押し寄せています。
それは、大人も同様です。
最近、時間が不足するという人が増えているのは、生活の本質に関係のないような雑事があまりにも増えてきたためです。
大人の場合は、それでも自分で計画を立てて自分の生活をコントロールすることができます。
しかし、子供はこれからそういうことを学ぶ時期にいるのですから、自分で生活をコントロールすることはまだできません。
だから、親が子供に、大事なことで継続することと、大事でないことで適度に抑制することを教えてあげる必要があります。
それは食べ物の好みのコントロールと同じで、子供が好きな甘いものばかり食べさせるのではなく、野菜などもきちんととることをすすめることと共通しています。
子供の時間のコントールを考えるときに、大事になってくるのが、親の勉強観です。
学校や塾で言われたとおりにやっていると、子供の勉強時間はどんどん長くなります。
どの先生も、自分の教えていることが大事だと思っているからです。
その結果、誰からも何も言われない読書の時間が削られてしまう子も多いのです。
小学生のころは、長い目で見れば、勉強よりも読書の方が大事です。
今の成績をよくすることに追われて、読書を後回しにしている子は、かえってあとで伸びなくなります。
例えば、漢字の書き取りテストなどをすれば、出来不出来の結果がすぐに出ます。
結果が出るものは、誰でもつい優先してしまいます。
しかし、読書はしてもしなくても、結果として出てくるものはありません。
だから、読書は置いておいて、まず漢字の勉強をということになってしまいがちなのです。
両方できるのがもちろんいいのですが、どちらが大事かと言えば、明日の漢字のテストより今日の読書の方です。
これは、異論のある方も多いと思いますが、これまでいろいろな子供たちを見ているとそういうことがわかるのです。
だから、親は、できるだけ長期的な視野で子供の成長を考え、子供の生活時間を考えていく必要があります。
思考発表クラブでは、毎週、子供たちに今読んでいる本を紹介してもらいます。
互いの本の紹介が刺激になるのか、どの子もいい本を選んできます。
こういう読書を柱とする勉強をしていくことが、将来の子供たちの大きな力になっていくと思います。
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うちの子供がまだ小学校低学年だったころ、子供たちがほしいとも何とも言っていないのに、私は子供たちを連れて近所のゲームショップに行き、端末とソフトを買ってきました。それから、みんなで熱中してやりました。「ゼルダの伝説」と「ファイナルファンタジー4」でした。自分が子供だったら、そういうことをしたいだろうと思ったからです。
それから、いかにも面倒で退屈そうな学校の宿題が出たときは、代わりにやってやるからやらなくていいよと言いました。自分が子供だったらやりたくないだろうと思ったからです。小1で、足し算の同じ答えのところに同じ色を塗るという宿題でした。面倒でした(笑)。
そういう育て方をして、好きなことしかやらない怠け者になったかというとそんなことはありませんでした。
子供は子供らしく成長するのがいちばんいいのだと思います。
人間には誰にも向上心があり、知的好奇心があります。
自然に成長すれば、誰もがそういう能力を発揮していきます。
今は少子化で、子供はいろいろなところから管理されて育っています。
無駄に熱中できる時間をもっと大切にしてもいいのではないかと思います。
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