海外で受講されている生徒と、7月にファクス送信モニターに応募された生徒のみなさんを対象に、1月からウェブ添削を開始します。(一部、試験的に12月から開始しています)
このほかの一般の生徒のみなさんは、システムが安定的に運用できる見通しがつくまでご利用はお待ちください。
これまでは、ファクスで送られた原稿は、事務局で赤ペンを入れたあと、PDFファイルに変換して作文の丘にアップロードしていました。
これからは、ファクス原稿をJPGファイルに変換してアップロードします。このJPGファイルの作文画像に、担当の先生がウェブ上で赤ペンを入れるという形になります(12月中は、試験的に事務局で赤ペンを入れています)
また、JPGファイルのアップロードとともに、本文も一緒に送れるようにしました。本文はなくてもかまいませんが、空のままだとエラー表示が出ますので、「○月○週の作文を送ります」のような短い一言を一緒に送るようにしてください。
このウェブ添削は、これまでの郵送やファクスに取って代わる新しい作文送信システムです。
リアルタイムでカラーの手書き原稿を送ることができ、担当の講師がウェブ上で赤ペンを入れることができるというこの方法は、将来の作文通信添削の主流になると思います。(まだ添削の仕方などに慣れるまで時間がかかるので、教室の生徒全体に広げるのはしばらく先になります)
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「港南台のウインターイルミネーション」
http://ameblo.jp/kotomori/entry-10173780525.html
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来春以降、実施することを考えている企画です。
1、通学教室を展開していきます。
これまでは、暗唱自習をノウハウ化していなかったので、通学教室は広げていませんでした。
しかし、言葉の森はもともと通学教室主体で運営していたので、通学教室の指導の蓄積はたっぷりあります。
通学教室のメリットは、生徒の勉強の敷居が低くなること、必要に応じて父母との面談が実施できることです。
今後、暗唱自習を取り入れながら、小規模の通学教室を全国に広げていく予定です。
2、中学生以上はマインドマップ風構成図の指導を取り入れていきます。
生徒のみなさんの中には、既に自分でマインドマップを使った書き方をしている人もいると思います。
通学教室でも、マインドマップ風構成図(以下、構成図)を書いてから作文を書くという方法によって、密度の濃い文章が早く書けるという効果が出ています。
今後、ノウハウを整理して、通信教室の中学生以上で構成図を書く練習を取り入れていく予定です。
3、3月末に作文検定試験
昨年3月末に実施したものと同じ作文検定試験を2009年3月にも実施します。
通信生は、自宅で試験を行うようになるため、正式の検定試験ではなく検定試験模試となります。
しかし、通信生でも、通学教室に来て検定試験を受ける場合は、正式の作文検定試験となります。
詳細は、3月に入りましたら、言葉の森新聞でお知らせします。
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これまで、言葉の森新聞で、長文暗唱の仕方を載せてきました。
これを見て、自宅で暗唱に取り組んでいる人の参考になるように、更に具体的な説明をします。
勉強のコツとして、いったん始めたことは最後までやり続ける、ということが大事です。始めたことを途中でやめると、子供は、始めたことを学習せずに、途中でやめたことを学習してしまうからです。
この長文暗唱は、これまでの音読よりもずっと面白いはずです。音読は、同じものを読むのが飽きるので継続しにくい面がありましたが、暗唱は、できなかったことが10分でできるようになるという手ごたえがあります。
また、暗唱は、読解力と作文力の実力向上により早くつながります。もちろん、より早くと言っても暗唱を始めてすぐに実力向上が目に見えるわけではありませんが、ほかの方法よりも確実に成果が上がります。
暗唱の代わりに、音読や読書でも実力はつきます。しかし、音読は毎日継続しにくいという面があります。また、読書は小学校高学年以降の多読が大事なのですが、多くの人は小学校高学年以降にだんだん読書量が減るという傾向があります。暗唱は、この音読と読書の不足をカバーし、更にそれ以上の効果をもたらすと思います。
以下、わかりやすく絵で説明をしていますが、絵が表示できない人のために、文章の説明を入れておきます。
「1枚目の図の説明」
1、暗唱の自習のために用意するものは、長文のコピー(課題フォルダのままでもよい)、10分間を計るタイマー(なくてもよい)、タイマーの代わりとなる回数カウンター(なくてもよい)、などです。
2、タイマーや回数カウンターがない場合、回数を数えやすくするために「正」の字を書くとか、おばあちゃんに数珠を借りるとかいう方法もありますが、もっと簡単に紙でカウンターを作ることができます(図解参照)
3、暗唱の分量は、1日100字(4行分)ぐらい、時間は10分ぐらい、時間ではなく回数で数える場合は30回ぐらいを目安としてください。
「2枚目の図の説明」
4、最初は、長文を見ながら、100字(4行分)を何度も音読します。この場合、ある程度早口で音読した方が覚えやすくなります。大体15回(4〜5分)で空で言えるようになると思います。
5、長文を見ないでも言えるようになったら、そのまま空で暗唱を続けます。大事なことは、長文を見てすらすら言えるようになるまでは、空で言おうとしないということです。つっかえたり考えたりしながら覚えようとすると、その「つっかえたり考えたり」を覚えてしまうので、かえってすらすらとした読み方を覚えにくくなるからです。
6、空で暗唱しているときは、歯磨きをしたり、お風呂に入ったり、ご飯を食べたりと、ほかのことをしながら暗唱を続けることができます。ですから、長文を見ながら暗唱する正味の時間は最初の4〜5分だけです。
7、長文を読み始めてから10分(30回)ぐらいで、すっかり暗唱できるようになります。
8、1日目に100字暗唱できるようになったら、それはもうそのまま何もせずに、2日目は新たに続きの100字を暗唱できるようにします。同様に、3日目、4日目と100字ずつ暗唱します。
9、5日目からは、4日間で覚えた400字分を通して暗唱します。6日目も7日目も同様です。
10、短時間の勉強は、毎日決まった時間にやる方が続けやすいので、原則として毎日暗唱する時間をとるようにします。
このようにして、毎日の暗唱を続けていくと、途中から自分でも頭がよくなっていく感じがつかめるようになると思います。
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早速息子に暗唱させてみました。
すらすら言えるようにするまでがまず一苦労なのですが、ただ長文を読むだけとは違って、目的があるせいか、目を輝かせて取り組んでいます。頭が輝くようになるにはまだしばらくかかりそうですが、目が輝くようになっただけでも十分だと思っています。
それから、息子に、チラシを折りながら数える方法を教えてみたのですが、面倒がってなかなかやらないので、この方法はボツになりました。とりあえずは、台所にあったタイマーを使っています。
チラシを折って覚える方法は、実は、暗唱することと同じぐらい大事です(笑)。
なぜかというと、こういう経験を積み重ねることで、自力で何かをするという姿勢が身につくと思うからです。
暗唱ができるようになると、最初はお母さんも褒めますが、この褒め言葉を最初のうちだけで終わらせずに、これからも飽きずにずっと続けていってください。
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小1の女の子。
作文を書いている途中に、「むー」。
「どうしたの。○○ちゃん」
「むー」
「そう、むーなんだね(笑)」
「むー」
「ふうん、むーなんだあ(笑)」
「むー」
「はいはい、むーだね(笑)」
「むー」
相手をすること十数分。
ただ「ム」というカタカナを教えてほしいということでした。
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今日は、教育の目的について考えてみたいと思います。
現在の教育の目的は、受験に合格することになっています。昔は、それでもよかったでしょう。なぜなら、学歴社会が厳然とあったからです。もちろん、今でも学歴社会は残っています。有名大学を出れば、その人物の保証書となるという面での学歴です。しかし、現在では、その保証書は紙切れだけで、真の保証とは言えない状態です。
よい学校に入ることは、単なるスタート地点に着くことでしかありません。そう考えると、教育の目的も、受験に合格することだけではなく、その先の社会人になってからのことも考えなければならなくなってきます。
図式的に言うと、受験という近距離の目的で教育をすると、受験が終わったあとそのまま失速する可能性もあるということです。
社会人になってからの生活は、仕事又は人生です。人生における成功とは、何でしょうか。それは、人間の幸福、向上、創造、貢献という四つの目的を実現することだと思います。
仕事は、他人と関わる面を持っています。仕事とは、自分の得意を生かして、人、物、金、知を動員することだと言えます。これからの教育は、そういう能力を育てる必要があるのです。
そこで、大事なことの第一は、得意分野を育てるということです。
第二は、その得意分野を現代の社会にどう生かしていくかという生かし方を学ぶということです。
「得意を育てる」「生かし方を学ぶ」、この二つが教育の目的になると思います。それは、「竿を手に入れて」(得意分野)、「釣り方を身につける」(生かし方)こととも言えます。
これに対して、試験で合格していい学校や会社に入るということは、いい魚屋さんに行って魚を買うことと言えるかもしれません。
この二つの発想の違いは、長い年月のうちに大きな差になってきます。つまり、これからは、就職さえも、釣り方を身につけるための勉強と考えていく必要があるということです。
さて、得意を育てるためには、どのような教育が必要なのでしょうか。いちばん大切なのは、小さいころから意欲を育てていくということです。そのために幸福を味わう能力を身につけることが必要です。この幸福感が仕事の動機になっていくのです。……(1)
生かし方を学ぶということは、総合力をつけるということです。その力は、第一に、トータルな理解力、読解力をつけるということです。……(2)
第二に、自分で考えて物事を統合する力をつけるということです。……(3)
第三に、必要な道具を使いこなす技能を身につけるということです。……(4)
以上の四つの能力は、それぞれ、(1)心身(2)科学(3)哲学(4)工学と言い換えることもできます。
将来、豊かな社会の中では、生活のための仕事ではなく、人生のための仕事をするということになってきます。教育も、そのような時代における仕事を目的として考えていく必要があると思います。
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
音声入力
構成図をもとに音声入力した原稿を2倍速にしたものです。
2倍速
四行詩
近くをねらえば、当たる確率は高くなるが、矢は近くに落ちる。
遠くをねらえば、当たる確率は低くなるが、矢は遠くまで飛ぶ。
勉強の目的を、受験だけに向けるのではなく、
受験の先に続く自分の人生に向けよう。
ブログ
森川林のブログを更新しました。
「身体の活用」「社会とは何だったのか」「未来のコモデティバスケット」
(いずれも四行詩)
http://ameblo.jp/kotomori/entry-10173054688.html
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「差は家庭でつく」というのは刺激的なタイトルですが、実は、これは単に学校の成績の差がつくということだけではありません。もっと大きな人間の能力の差が家庭でつくということです。
全国の学力調査の結果は、いろいろなことを示しました。はっきりわかったことの一つは、地域によって学力の差があるということでした。この地域による差がどこに帰因するかを考える必要があります。
学校教育のレベルは、地域によって大して変わるものではありません。学校よりも広い範囲をカバーする大規模学習塾のレベルは、更に差が少ないと思われます。そう考えると、差の原因は、家庭教育にあるのではないかということです。
この学力の差として表れた家庭教育の差は、実は学力の差よりももっと大きな人間力の差を生み出しているように思います。
理想的な家庭は、昔で言えば厳父慈母の家庭です。現代風に言うと、父親の勇気、母親の愛、そして子育てのノウハウとしての家庭教育の知恵がある家庭です。
家庭教育の充実を考えるとき、経済状態の差も考慮しないわけにはいきません。しかし、現代よりももっと貧しい昔の時代にも、立派な家庭教育は行われていました。また、当然、現代でも、貧しい環境の中で立派な家庭教育が行われている例はいくらでも挙げられます。経済状態の差は、知恵と努力によって克服できる二次的なものに過ぎません。
この家庭教育のノウハウとしての知恵を提供するのが、今後の教育機関の役割になると思います。
現在の学校教育や塾教育の形態は、過渡的なものです。例えば、通信教育は、通学が行えないというやむをえない状態で生まれた形態です。逆に、駅前に立地する大きな学習塾は、生徒数をたくさん集めて規模の経営をせざるをえないというこれもやむをえない状態で生まれた形態です。更に、学校が教育のすべてを担うということ自体が過渡的な形態です。なぜならば、学校と子供の間にある地域や家庭が、現在の教育では抜け落ちているからです。
将来の理想的な教育の形態は、次のようになると思います。第一に、現在の学校のような数百人単位の拠点は引き続き必要です。第二に、その学校の中に指導の中核となる数十人単位の学級があります。しかし、この学級は学校と同じ場所に置かれるのではなく、地域の中に置かれるべきだと思います。地域の運営に任される寺子屋的な学級は、雰囲気としては現在の公文教室のようなものになると思います。つまり、教育の中核である学級は、隣近所という地域に根ざしたものになるということです。これは、核家族化や少子化に対する教育的な対策にもなります。第三に、家庭においては、生活を通した教育が行われます。この学校—地域の学級—家庭という三つのレベルが組み合わさった形が、将来の安定した教育形態になると思います。
戦後の日本において家庭教育が崩壊したのは、核家族化の進展と無関係ではありません。祖父母から父母へと伝えられてきた家庭教育の伝統が、核家族化によって切れてしまったことに一つの問題があります。
家庭とは、決して宿題対策やテスト対策の場ではありません。また、単に食べてテレビを見て寝るという場でもありません。もっと豊かに子供たちの根を育てる場所になるべきです。
言葉の森は、今後、通学教室を広げていく予定です。そこで、理想的な家庭教育のノウハウを広げていきたいと思います。例えば、読書、ゲーム、テレビ、対話、しつけなどをどう行うかというようなノウハウです。もちろん勉強のノウハウが中心になりますが、もっと総合的な人間教育を伴うことが、勉強のノウハウをより根の深いものにしていくと思います。
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
音声入力
構成図をもとに音声入力した原稿を2倍速にしたものです。
2倍速
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森川林のブログに四行詩を更新しました。
「googleの先にあるもの、youtubeの先にあるもの」
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家庭が教育の基本であるというのは、本当にそのとおりだと思います。我が家は、共働きのため、ゆっくり子供と対話する時間が取れず、ジレンマを感じることも少なくありません。でも、子供と接する時間の長さよりもその温かい雰囲気のようなものの方が重要なのだと自分に言い聞かせつつ、子供と向き合っております。ときには、子供との間にすきま風が吹くこともありますが…。
今後、通学教室を広げていかれるとのこと、神戸にも是非是非進出なさってください。楽しみに待っています。
神戸の先生は多いので、いずれ通学教室ができると思います。
我が家も共働きでしたが、工夫すればいろいろな対話の機会を作れそうです。通学教室では、そういうノウハウなども交換していきたいと思っています。
大阪にも通学教室をぜひ開校してください!!
切に願います!!
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マインドマップ風構成図
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2倍速
文章
今日は、読解力の本質について述べてみたいと思います。
読解力は、国語の成績にその一部が表れます。しかし、国語のテストで評価される国語力は表面的なものです。そのため、だれでも正しいやり方で勉強すれば高得点が取れるようになるという面を持っています。そこで、現在の国語の入試問題は、長文化する傾向にあります。つまり、速度によって成績をふるいわけするという方向に進んでいるのです。
この国語の性質は、英語、数学、理科、社会などの他の教科の性質とは異なっています。英数理社の教科は、知識の体系がまず先にあり、問題はその組み合わせ方として作られます。ですから、過去問のパターンを身につけることが最良の勉強法となります。そのこと自体は問題ありませんが、そのパターン作りが点数の差をつけるためのもととなっているところが問題です。勉強の目的は、差をつけるためではなく、人間の幸福を育てるためのものとなるべきだからです。
国語の問題を改善する対策として作文試験を課すということも考えられています。しかし、これは今のところ、評価に時間がかかるという技術的な難しさがあります。将来は、森リンなどの作文自動評価システムがもっと利用されるようになると思いますが。(我田引水です)
さて、長文化され、速度が要求されるようになった国語の問題に、速読力をつけることによって対応することは有効でしょうか。速度が要求されるから速読力をつけようというのは表面的な考え方です。読解力をつけるためには、読解力についての本質を探る必要があります。
読解力とは、言葉のつながり(文章)をより豊かにより速く把握する能力です。(定義)
すると、読解力のない人とある人の差は、どのようになるのでしょうか。
読解力のない人は、言葉のつながりとして与えられた文章を、それぞれの言葉について狭い範囲の理解で受け取ります。したがって、言葉と言葉のつながりを把握することに時間がかかります。これに対して読解力のある人は、与えられたそれぞれの言葉を豊かな理解を伴って受け取ります(文化化)。したがって、言葉と言葉のつながりをすばやく理解することができます(チャンク化)。なぜそういうことができるかというと、自分の頭の中に言葉とそのチャンク化された思想が豊富に用意されているからです(自己化)。
例えば、「香炉峰の雪はいかならむ」の問いに、御簾(みす)を高くあげるような対応がすぐにできるのは、清書納言に言葉の文化化、チャンク化、自己化ができていたからです。
つまり、言葉の文化化、チャンク化、自己化が、読解力の本質になっているのです。実は、これらは、暗唱で身につける能力そのものです。
ここから、国語力アップの秘訣として、難読の復読がなぜ必要なのかということがわかってくると思います。
四行詩
暗唱力をつきつめていくと、読解力につながっている。
英数理社とは異なる知の仕組みが、国語にはある。
国語の本質は、言い換えれば哲学。
知識を学ぶのではなく、知識の学び方を身につける。
笑い
「少納言よ、香炉峰の雪はいかならむ」
「何言ってんのー。頭悪いんじゃないのー。ここ日本よー。奈良時代はテレビなんてないんだから、こうろほうの雪がどうなってるかなんて、わかるわけないじゃん」
「……」
(しかも、奈良時代じゃないし)
おまけ
森川林のブログ「詩と思索と笑いの日々」を更新しました。
今回は「勉強のよくできる子」の四行詩です。
http://ameblo.jp/kotomori/entry-10172020771.html
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