小学2年生の生徒のお母さんから、質問がありました。
その子は、とてもよくかける子で、字数も表現もほぼ完璧です。
作文の評価ということで言えば、申し分ないものを書いています。
そこで、お母さんは、この作文の勉強をただ自分の今の実力で書くだけではなく、もっと先に進めるためにはどうしたらよいかということを質問されたのです。
小学校1、2年生で作文が上手に描ける子のお母さん方は、同じような質問を持っていると思います。
あるいは、作文はもう上手に書けるので、特に何もしなくていいと考えるお母さんも多いと思います。
国語や算数は英語であれば、勉強の仕方次第でいくらでも学年より先の学年に進めることができます。
それは、その勉強がその子の精神的年齢の成長に関わらない知的なものだからです。
ところが、作文は知的な面があるとともに、精神年齢的な面がかなりあります。
小学2年生のころに書く作文は、読んでいる本の文章がそのまま頭に入っているので、その表現を生かして作文として書けるという面があります。
ですから、達者な子は、大人が書く文章と似た文体で書くようなこともあるのです。
しかし、その時期は小学2年生までで、小学3年生になると今度は自分の言葉を作って書くようになります。
小学2年生までは、ほとんどの子が長い作文を書きたがりますが、小学3年生になるとそういう子供たちが逆に長く書くよりもほかのことに関心を持つようになります。
その関心を持つ先は何かと言うと、盛り上がりのある内容を書くということと、ほかの人に読んでもらい楽しく思わせるような面白い話を書くという方向です。
小学2年生までの作文は、自分の書きたいことをただ書くだけですが、小学3年生からは人に読んでもらうことを意識して書くという面が出てくるのです。
そこで、言葉の森では、小学3年生から表現の工夫と題材や感想の工夫という指導を始めます。
しかし、小学2年生でまだ他人の目にあまり関心がない時期に、そのような表現や内容の工夫という指導をしても空回りする面があるのです。
算数や英語で、小学校低学年のうちに小学校高学年や中学生の勉強をすることは、やり方によってはいくらでもできます。
しかし、小学校低学年で、小学校高学年の課題の作文を書くことはできません。
例えば、小学6年生では、一般化の主題という項目でその事柄が自分にとってだけでなく人間にとってあるいは社会にとってどういう意味があるのかということを書く練習をします。
そういう感想は、小学校低学年では書きようがありません。
小学6年生でさえ、そういう発想が自然にできる子は50パーセント程度だと言われています。
それは、学力の問題ではなく、精神年齢の成長度の問題です。
ですから、小学校低学年で小学校高学年の課題の作文が書けるかというとそういうことはありません。
年齢による差は勉強の仕方でが埋められないというのが作文の特徴なのです。
では、小学校低学年でよく書ける子の作文指導はどうしたらよいか、ということは次回に。
(つづく)
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幼児から小学2年生までの子は、素直で何でも吸収する力がありますから、勉強でも、音楽でも、スポーツでも、暗唱でも、やり方次第でどんどんできるようになります。そして、学年の先取りもできるようになります。
しかし、作文の勉強は、精神年齢の発達と関連が深いので、先取り学習ということができません。
では、どうしたらいいかというと、先取りよりも今の学年の作文を楽しむという勉強の仕方をするのです。
それが、次の学年の土台になるからです。
小学2年生までの子は、その子が読んでいる本の文体そっくりに作文を書くことがあります。
それだけ、吸収力や適応力があるのです。
だから、いい本を読ませるということがまず第一で、次に、その時期の作文はまだ本当の実力ではないと考えておくことが第二です。
学年が上がるにつれて、次第に本から離れた自分の文体で書くようになるからです。
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土曜日の電話通信作文クラスがほとんど満員になってしまったので、新たに、土曜10:00のオンライン少人数の作文クラス(オンライン発表作文)を開始することにしました。
この時間帯は、日本国内の生徒だけでなく、アメリカの東海岸方面の生徒も参加しやすい時間帯だと思います。
特に、海外帰国子女枠の受験作文を将来考えている方には、いいお知らせになるのではないかと思います。
少人数クラスのオンライン発表作文は、まだ始めたばかりですが、構想図の発表と交流、グループ別の指導と講評という形で授業の流れが決まってきました。
友達との交流で楽しく勉強できて、しかも実力がつくという教室になると思います。
※オンライン少人数クラスは定員があるので、希望される方は早めに体験学習にご参加ください。
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土曜日10:00のオンライン少人数作文クラスをスタートします。
この時間帯は、時差のあるアメリカ在住の方も参加しやすいのではないかと思います。
土曜日は、欠席した分の振替の授業も希望する人も多く、結構混み合っている曜日です。
電話通信のクラスは、もうほとんど空きがないので、少人数のオンラインクラスを10:00に解説することにしました。
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5月からオンラインの少人数クラスに関して、名称変更、組織変更を行います。
これは、これまでいろいろなクラスの名称があり、わかりにくい面があったためです。
5月からの名称と組織は、次のようになります。
┃個別指導 ┃少人数グループ指導 ┃
━━╋━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━╋━━━━━
作文┃(1)電話通信作文 ┃(2)オンライン発表作文┃通学作文
━━╋━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━╋━━━━━
教科┃(3)オンライン自主学習┃(4)オンライン発表学習┃
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(1)電話通信作文は通常の通信作文のことで、約10分間の個別電話指導があります。ここには、Zoom会議室参加のオンライン作文も含まれます。Zoom会議室参加については、担当の先生との話し合いで自由に参加不参加を決めて結構です。(小8,434円、中高8,948円)
(2)オンライン発表作文は、これまでオンラインのZoom会議室を利用した少人数クラスの作文指導のことです。45分の時間枠で、5~6名の少人数のグループで、構想図の発表と交流、グループ又は個別作文指導、作文実習を行います。グループ指導は学年別に行い、小学校高学年の生徒の希望者には受験作文コースに入る前の先取り指導も行います。(小8,434円、中高8,948円。ただし電話通信作文と併用する場合は2,160円)
(3)オンライン自主学習は、Zoom会議室を利用して、担当の先生が個別に家庭での自主学習をチェックするコースです。学習チェックの時間は約10分です。教科の内容は、国語問題集読書が必修で、希望者には算数数学、英語、理科、社会のチェックも行います。週に複数曜日受講できます。(指定参考書問題集あり)(1曜日2,160円)
(4)オンライン発表学習は、これまでの思考発表クラス、自主学習クラスを統合したものです。学習の内容は、国語、算数、理科、社会、作文構想図などの自由な発表と交流です。発表の内容は、授業の動画などを参考に自分で自由に決められます。いずれも実験、調査、観察、研究など自主的かつ創造的に行うものを中心に発表を行っていただきます。週に複数曜日受講できます。(指定参考書問題集あり)(1曜日2,160円)
※なお、新規の生徒に関しては、電話通信作文、又はオンライン発表作文を受講していることが条件で、オンライン自主学習、オンライン発表学習の単独受講はできないこととします。
これは、自動振替などの手続きを、生徒の受講料処理と別に行なわなければならないため、事務処理が煩瑣になってしまうためです。
以上の詳細は、寺子屋オンライン通信でもお知らせします。
また、4.3週にこの件に関する説明懇談会を授業のあとに行う予定です。
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昔、作文教室を始めたとき、そういう概念が世の中になかったので説明するのに苦労しました。
今行っているオンラインの少人数クラスの学習と、その学習の内容が発表と創造と交流を中心としたものだということも、ひとことで言い表すのはかなり難しいです。
しかし、アクティブラーニングとか、反転授業とか、インタラクティブ・ティーチングとか、ブレンデッドラーニングとかいう日本語にあまりなじんでいない言葉を使いたくなかったので、発表作文、発表学習という名称にすることにしました。
発表と創造と交流を中心とした作文の勉強、教科の勉強という意味です。
近い将来、今の紙ベースの通信教育は、ほとんどがオンライン化されると思います。
また、電話通信指導というものも、ほとんどがオンライン会議室での指導に切り替わると思います。
更に、今のスマホやタブレットとは違う新しい端末が利用されるようになると思います。
そういう技術革新の大きな変化の中にあって変わらないものは、その人を取り巻く時間と空間と人間です。
ただし、空間はかなりの程度オンライン化されるので、残るものは時間と人間になります。
その時間と人間に依拠する勉強形態が発表作文と発表学習で、その発表を価値あるものにするのが交流と創造という関係になります。ややこし(笑)。
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4月9日(月)から13日(金)まで、海外帰国子女枠の中学作文受験対策の説明会を行います。
当初、オンラインの操作の仕方がわかりにくい人が多いのではないかと思い、その説明を中心にしようとしました。
しかし、オンラインの経験はないものの、そういう操作の説明よりも、実際の受験対策に関心を持たれている方が多いようなので、作文受験対策の話を中心にすることにしました。
どんな勉強も、実力が大事ですが、受験勉強の場合は実力以外の受験のコツというものも需要になります。
例えば、中学入試の作文試験の場合は、「体験に基づいて」という条件で作文の課題が出される場合がかなりあります。
それはなぜかというと、世間で出回っていた模範解答のようなものの多くが、あたりさわりのない説明と意見だけで書かれているものがほとんどだからです。
また、志望理由書に関しても、合格に結びつく志望理由書とそうでない志望理由書があります。
しかし、一応書いて出しておけばいいだろうというような志望理由書も意外と多いのです。
教科の試験の場合は、正解がありますから、独学でも勉強できます。
しかし、作文の場合は、正解がありませんから、他人の目で見てもらう必要があります。
どういう目で見たらいいかということを、この説明会で話していきたいと思います。
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受験勉強の基本はもちろん実力ですが、倍率の高い試験になるほど、実力以外のコツが必要になってきます。
例えば、毎年の受験生の志望理由書の添削にしても、最初から完成度の高いものを出す人はほとんどいません。
どの志望理由書も、平均して7、8か所直すところがあります。
本当はそういうコツなどが必要のない試験になればいいのですが、今のところはまだやむを得ないと思います。
昔は、作文試験だけで合格するということがありました。
例えば、本多静六なども、数学はほとんど全滅で、ただ作文がうまかったから合格したということでした。
今は、採点の期間が短いので、そのように作文をじっくり見る学校はあまりないと思います。
しかし、これから少子化が進み、じっくり評価する試験になると、作文と面接だけで合否が決まるようになるところも出てくると思います。
その方がペーパーテストの点数よりもあてになると考えている人も多いからです。
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面白い動画を見ました。
フィンランドの教育がなぜ世界一になったかを、生徒や教師など当事者たちのインタビューで紹介している動画です。
この動画の中で特に印象に残ったところが六つありました。
第一は、学校のテストで選択問題がなかったという卒業生たちの証言です。テストの問題はすべて記述式だったので、その内容を自分が確実に理解していなければできない問題だったということです。
第二は、学校が宿題を出さないということでした。
国の方針として、子供は遊ぶことによって能力を育てるという考えだったのです。
第三は、学校における勉強の授業時間が少ないということでした。
小中学校の勉強の基本はほんのわずかです。テストで差をつけるための難問に時間を取られなければ、正味の時間はずっと少なくてよいのだと思いました。
第四は、学校がすべて公立で、できる子もできない子も同じように学んでいたということです。
これは子供たちが成長したときに、社会の問題を自分の身近な問題として考えることに役立っているということでした。
第五は、テストというものがほとんどなかったということです。これも第三の話と同様で、小中学校の勉強は基本をおさえるということであれば、テストをなどで評価しなくてもほとんどの子が授業の中で身につけられるということから来ているのではないかと思いました。
第六は、音楽や芸術も含めてすべての教科にバランスよく力を入れているということでした。主要教科だけに力を入れることは、かえって子供たちの人生にとってマイナスになるという考えでした。
ちょうどこの動画を見る前に、ある高校生の成績を見せてもらい、受験に関係のない科目は捨てているという話をその生徒から聞きました。
その生徒は普通に真面目な考えを持っている生徒だったので、多少照れ隠しに言っているのだろうと思いましたが、私は一応、
「高校時代の勉強は全部自分のプラスになるのだから、受験に関係なくどの教科もしっかりやっておくといいんだよ」
という話をしました。
そういう話をしたばかりでしたから、教育における文化というものが、フィンランドと日本ではすでにかなり違っているという印象を受けました。
もう一つ考えさせられたのは、選択問題がなく、すべてが記述式の問題だったということです。
日本では2020年度の入試改革に合わせて、記述式の問題をどのように客観的に評価するかということが話題になっていますが、これが問題になるのはテストの評価ということを前提にしているからです。
小中学生の本当の学力を育てるということが目的であれば、客観性云々よりもまず記述式の問題を中心にするということを考えなければいけないのではないかと思いました。
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フィンランドの人口は550万人ですから、小さい国だからこそできる教育改革という意見もあるでしょう。
しかし、すべては教師や親の取り組み方次第で、日本でもすぐにできることだと思います。
言葉の森の目指しているものも、同じようにバランスの取れた学力と、記述力を中心とした本当の学力です。
更に、それに加えて、創造性と文化性を育てる教育を、作文指導と少人数クラス指導で実現していきたいと思っています。
私がいつも疑問に思うのは、昔の子供たちは60人学級のような大人数の教室で勉強し、家に帰れば表で遊んでばかりいたのに、今の勉強の山に苦しんでいる子供たちよりも、頭がよかったのではないかということです。
しかも、その頭のよさは年を取れば取るほど伸びるような性格の頭のよさだったと思うのです。
それは、なぜかというと、机上の勉強だけでなく、自然や人間との関わりがある中で学んでいたからではないかと思います。
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小学校低学年のときから、勉強のとてもよくできる子がいます。
それは、お母さんが勉強をよく見てあげているからです。
単に出来合いの教材を渡して勉強の時間を決めて守らせるという外側だけの勉強ではなく、勉強の内容面も把握して、子供が楽しめるように能率よく勉強を見てあげているのです。
ところが、そのときは、それで全く問題ないように見えますが、小学校低学年までの親子の勉強が、小学4年生ごろからだんだん難しくなってきます。
それは、子供に自立心が芽生えてくるからです。
どんなにいい教え方を親がしていたとしても、子供は親に教えてもらうこと自体から自立したくなってくるのです。
その結果、多くの家庭では、親がもう勉強を見ることはできないからと、子供を塾に行かせるような方向に向かいます。
その結果、親が子供の勉強を把握できなくなっていくのです。
子供の勉強の能率を考えた場合、親が勉強の内容を把握しているかどうかは、大きな差になります。
子供の勉強を点数だけで見るのではなく、どういうところがわかって、どういうところがわかっていないかという内容的なところで見る必要があるのです。
そうすれば、学年が上がっても、時間をかけない能率のいい勉強を続けることができます。
そこで、言葉の森が勧めたいのは、子供が親の言うことをよく聞く小学校低学年のころから、少人数クラスで勉強をする時間を作っておくことです。
低学年のころは、親が教えているだけで十分に見えますが、その親子関係だけのつながりは、そのときは太いように見えても学年が上がると急に細くなるときが来るからです。
子供が少人数クラスの中で勉強をしていると、親子の関係だけでなく、子供どうしの友達関係ができます。
すると、子供の勉強に関して、親と子、子供と友達、子供と先生という3つのつながりができるのです。
これが、少人数クラスで勉強することの一つの利点です。
つまり、子供の勉強面でのつながりが何重にもできるので、親子の勉強も、そのつながりの一つとして続いていくのです。
言葉の森の少人数クラスの場合は、もう一つ利点があります。
それは、言葉の森の勉強の方針が、知識を詰め込み、それを評価し、互いに競争させるという勉強法ではなく、それぞれの生徒が自分で問題を作り、それをみんなの前で発表し、互いの創造を認め合うという形で進めることを基本にしているからです。
この創造する勉強は、実力のある子ほど熱心に取り組みます。
単に問題を解くだけの勉強ではすぐに飽きる子が、問題を作る勉強では何時間もかけて仕上げることがあります。
問題を解くだけの勉強は、訓練をすれば誰でもできるようになります。
できることがわかっていて、誰でも同じ答えになる勉強をするのは、実力のある子ほど退屈なことです。
問題を作り発表する勉強はそうではありません。自分の持てる力を全部出して取り組めるからです。
しかし、問題を創造する勉強は、やってみると意外に難しく、子供ひとりではなかなか完成しません。
実力のある子は、特に自分の力以上のことをやろうとするので、発想だけはよくても最後まで仕上げられないことが多くなります。
そこで、登場するのが、お母さんやお父さんです。
問題を解いて答えを出すだけの勉強であれば、親が関わる必要はあまりありません。
せいぜい、子供がわからないところを教えてあげるだけです。
そのわからないところも、学年が上がり子供が自分で解法を見て理解できるようになると、親がすることはほとんどなくなります。
しかし、問題を創造する勉強はそうではありません。
子供がうまく行かないときは、親も一緒に考えてあげないと、形として仕上がるところまで行かないことが多いのです。
少人数クラスの勉強では、親、友達、先生とい3つのつながりができると書きましたが、更に、創造する勉強では、親と子のつながりが深くなるのです。
しかも、その創造する勉強の発表で何が大事かというと、少人数クラスの場合、それは面白さなのです。
コンクールに出品する作品とか、宿題として提出する作品とかいうものであれば、同じ創造する勉強であっても、きちんと完成していることが条件になります。
正しいもの、完成したものを出そうとすれば、無理が出てきます。
まして、入賞をねらうような高度な完成度を求めるようになると、子供の興味関心よりも、親の意図の方が強く出てきます。
創造する勉強であっても、親が子供を引っ張るうような勉強では、子供にとって面白い勉強ではなくなります。
ところが、少人数クラスであれば、発表する勉強は、失敗も含めて面白いことがいちばんの条件になります。
それは、その発表を友達が見てくれているからです。
もちろん、完成度を高めてすばらしい発表をすることもできます。
しかし、たとえ失敗しても、面白い発表であれば、それも同じようにみんなに評価されるのです。
こういう勉強で何が身につくかというと、創造することの面白さを感じる心、つまり創造性です。
今の学校や塾の勉強では、創造性が評価されることは滅多にありません。
創造性を発揮して間違ったことをするよりも、先生に言われたとおりにやって正しい答えに到達することが求められるからです。
だから、勉強のよくできる子ほど、創造性を失っていきます。
勉強などは、本人がやる気になったときに、正しい方法で時間をかけて取り組めば、誰でも必要なところまではすぐにできるようになります。
その準備としては、家庭で毎日の自主学習をしていればいいだけです。
つまり、その学年で習う勉強が普通にできていれば、勉強はそれで十分なのです。
勉強ができることよりもずっと大事なのは、あらゆることに創造性を発揮して取り組む姿勢です。
それが社会に出てから、最も必要になるからです。
社会では、言われたとおりにすることよりも、言われた以上のことをすることが重要になります。
その言われた以上のことをするのが、創造性という姿勢です。
実は、子供はみんな、生まれつきそういう創造性を持っています。
いたずらっ子というのは、その創造性をよく発揮する子です。
ところが、今の教育体制の中では、創造性を発揮することを我慢しないといけないような空気があり、よくできる子ほどそういう空気に適応してしまうのです。
言葉の森のオンライン少人数クラスは、そうではありません。
ただし答えを出すことよりも、面白い問題や作文や発明や発見や実験や経験を発表するクラスなのです。
盛りだくさんすぎますが(笑)。
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親に言われたとおり、先生に言われたとおりにやる勉強は面白くありません。
やれば、誰でも同じようにできるようになるだけだからです。
能力のある子ほど、そういう答えの決まった勉強よりも、自分で創造する勉強を好みます。
実は、子供はみんなそういう創造性を持っています。
それが、今の教育体制の中では、創造性を発揮しない方が褒められることが多いのです。
創造性を発揮して失敗するよりも、言われたことをそのままやって成功する方が評価されるからです。
だから、よくできる子ほど創造性を失ってしまうのです。
難問を出すと喜んで取り組む子がいます。
能力も意欲もある子です。
しかし、そういう子は、本当は難問を解くような方向で勉強させるのではなく、新しいものを創造する方向で勉強をさせるといいのです。
というのは、難問というのは結局答えのある勉強なので、解法を理解すれば誰でも解けるようになるからです。
難問を解くというのは、受験期に受験勉強としてやればいいことであって、普段から、特に低学年からやることではないのです。
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勉強は子供がするもので、それを教えてくれるのは先生だと思っている人が多いと思います。
そうではありません。
勉強は親子でするものなのです。
小中学校の勉強の中身などは、大したものではありません。
教科書準拠の参考書や問題集を読めば、誰でもできるようになります。
なぜ、教科書でなく教科書準拠なのかというと、教科書は先生が教えることを前提に作られているため、子供の自主学習には向いていないからです。
では、その親子の勉強で何を身につけるかというと、勉強の中身は二の次で、本当は親の生き方や考え方を身につけるのです。
そして、子供が成長して世の中に出たときに、その親子の関わりの中で身につけたものが本当の教育だったとわかるのです。
だから、親は、仕事で忙しいからなどと言わずに、子供の勉強に関わることです。
しかし、それはつきっきりで何かを教えるというような関わり方ではありません。
子供が話しかけてきたら、すぐに対応できるように、近くにいるということなのです。
それは、場所の近さではなく、心の近さのようなものです。
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勉強ばかりしている子よりも、親子の関わりのある子の方が、本当の学力が身につきます。
子供が小さいときは、勉強をすれば誰でもすぐに成績は上がります。
しかし、学年が上がると、親子でコミュニケーションを取っている子の方が、成績も人間関係もよくなります。
子供の勉強を親が見てあげるとき、勉強は単なる手段で、本当の目的は親子の関わりの方なのです。
それが特にはっきり出るのが、作文の勉強をするときです。
子供の勉強を見てあげるとときは、それを時間の負担だと思わずに、これがやがて懐かしい思い出になると思ってやることです(笑)。
そうすれが、親子喧嘩の度合いはずっと減ると思います。
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言葉の森に、小学校低学年から来る子には、とてもいい子が多いです。
成績も優秀で、親の言うこともよく聞き、ていねいではきはきしていて、模範的な小学生であることが多いのです。
ところが、そういう子供たちの何割かは、大きくなると悪い子になるのです(笑)。
悪い子というと大げさですが、親の言うことを聞かなくなるとか、学年が上がるとやる気がなくなるとか、そういう意味の悪い子です。
なぜそうなるかと言うと、子供時代のいい子というのは、親の期待に沿う意味のいい子だったので、子供は我慢していい子を演じていたということなのです。
子供時代の悪い子というのは、親が何かを言っても、自分の意に沿わなければ「いやだ」というようなことを言う子です。
親が「こっちに行こう」と言っても、「いやだ。あっちに行きたい」と言うような子です。
その悪い子は、ある意味で自主性があるから悪い子になっていると言えるのです。
一方、子供時代もいい子でありながら、大きくなってもそのままもっといい子になる子もいます。
それは、親の関わり方の差のようです。
子供を、親の言うとおりに育てるのではなく、子供の自主性を尊重しながら親子の関わりを深めているというところにそのコツがあります。
この典型的な例として思い浮かべるのは、いつも同じことを書くようですが、さかなクンの子供時代です。
幼児のころ、さかなクンは、公園で暗くなるまでひたすら泥団子作りを続けました。それをお母さんはずっと見守っていたのです。
このように、自主性を尊重しながら関わりを持つということが子育ての極意です。
自主性を奪うような関わり方ではなく、また放任に近い自主性の尊重でもなく、温かく見守りながらその子のやりたいことを伸ばすとい微妙なハンドルさばきが必要なのです。
その意味で、子育てには、子供それぞれに異なっている面があります。
だから、大事なことは、子供のことをよく見、よく聞き、よく触れ合い、そしてすべてを子供の立場で考えることです。
子供に対する深い関わり方が親のエゴを実現することにならないように、視点をいつも子供の立場に置いておくといいのです。
子供がみんなに評価されるようなことは、親にとってうれしいことですが、コンクールに入選するとか、何かの賞をもらうとかいうことは、子供の成長にとって意味があるわけではありません。
親の自慢にとって意味があるだけです(笑)。
本当のいい子というのは、親にとってのいい子なのではなく、その子供の成長にとっていい子であるということなのです。
話は少し変わりますが、今度の保護者懇談会は、この子育てのコツについて、みんなで話し合うような場にしたいと思っています。
これまでのように、保護者の質問に先生が答えるという形式ではなく、保護者どうしが少人数のグループで子育ての経験を交流するというようなセッションです。
こういうワールドカフェ的な保護者懇談会の企画を考えています。
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子供が小さいうちは、やらせれば何でもできるようになります。
それだけ集中力と吸収力があるからです。
しかし、それを親の自慢の方向にではなく、子供の本当にやりたいことの方向に向ける必要があります。
子供が勉強が好きで、いつも学校で一番を取っているというのは親の自慢になります。
子供が泥団子作りが好きで、暗くなるまで公園で泥団子を作っているというのは、あまり自慢になりません。
その自慢にならない熱中の方が、子供の本当の身になっていることが多いのです。
本当のいい子というのは、素直でありながら反発もできるという子です。
そういう子でなければ、世の中に出てから、周囲の反対を押し切って自分の意志を貫くということはできません。
と考えれば、もっと大きな視野で子供を見ることができると思います。
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