「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」で、著者の新井紀子さんが調査した面白いデータがありました。
それは、かなりおおまかに言うと、文章を緻密に読むテスト問題で、東大クラスの学生の得点だけがきわめて高く、そのほかの大学は早稲田大、慶応大も含めて、大学のレベルに応じてはいるものの、それほど大きな差がない程度に並んでいたのです。
この表とグラフだけを見ると、東大生はダントツに頭がよく、そのほかの大学は難易度の違いはあるが、それはただ量的な差だけであるような印象を受けると思います。
しかし、私はこれを見てすぐにわかりました。
東大受験を目指す生徒は、受験勉強として文章を緻密に読む訓練をしているのです。そのほかの大学は、そういう訓練をせずにただ実力だけで試験に臨んでいるということなのです。
私がそう思ったのは、大学入試センター試験の国語問題を解く勉強を教えたことがあるからです。(今は時間がないのでやっていませんが、そのコツを知りたい方は、言葉の森のホームページでセンター試験という言葉で検索してみてください。)
高校3年生に、夏ごろからセンター試験国語の解き方の授業をすると、最初はどの生徒も平均点の60点ぐらいしか取れません。
ところが、解き方を説明すると、次の週からほとんどの生徒が満点近い高得点を取れるようになるのです。
この緻密に解くというコツは、英語の試験でも同じです。
センター試験の問題は、文章の全体を大体読み取るという読み方ではなく、文法的な知識をもとに厳密に読むという読み方で問題を解かないと、うっかり間違えるという問題がかなりあるのです。
それは、実力というよりも、解く訓練で身につく力です。
だから、現在の入試の主流になっているこういう入試問題は、生徒の実力を必ずしも反映したものではないと思ったのです。
では、生徒の実力は、国語の場合、どういうところで表れるかというと、それは、緻密に読むことよりも、長い文章をばりばり読むというところにおいてです。
国語の実力のある人は、長い文章を見てもすぐに読みますが、国語の実力がない人は、その長さを見ただけで読む気がなくなることがあります。
今は、スマホで文章を読んだりやりとりしたりすることが多く、昔のように本をじっくり読むという時間が少なくなっています。スマホで読んでいると、長い文章はそれだけでパスしてしまうようになります。
だから、長い文章を読む力は、全体に低下していると思います。
中学入試の作文の試験問題でも、そういう長い文章を読み取れることを条件とする問題が増えています。
これは、緻密な問題で学力を評価するよりも、ずっと生徒の学力の実態に合っていると思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
入試ということ自体が将来はなくなると思いますが、今の段階で、最も生徒の実力を反映する入試問題は、長い文章を読ませ、長い作文小論文を複数書かせ、口頭試問を行う形の入試問題です。
もちろん、それは、採点する側の負担が大きすぎるので、当面は実現しないでしょう。(AIで作文小論文を評価するようになるまでは、です)
しかし、子供の真の学力としては、そういう本質的な方向を考えておくことが大切です。
昔の入試は、牧歌的な問題でしたから、大学のランクと受験生の実力がほぼ一致していました。
今の入試は、科挙化していて、訓練をした人が高得点を取れるようになっています。
だから、そういう入試ではない、推薦入試や特色入試のようなものが行なわれるようになってきたのです。
しかし、もちろんそのためには、学力は5段階のオール4まで取っておくことが条件になります。
教える人の最初の目標は、全員がオール4が取れるようにすることです。
そして、第二の目標が、個性と創造性の教育なのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。国語力読解力(155)
オンラインの少人数で行う教育を、発表教育という名で呼びたいと思います。
発表教育は、発表自体に意味があるのではありません。
発表ということを契機として、学習面での交流ができ、学習を媒介とした親子の協力が生まれ、創造的な学習ができるというところに意味があります。
なぜ発表が創造的学習につながるかというと、少人数のグループの中では、創造的な発表こそが最も価値あるものになるからです。
その反対に、誰でもできるものを人より上手に行うというのは、それがよほど優れたものでないかぎり、少人数のグループの中ではあまり評価されません。
誰でもできるものとは、要するに既に答えがあるものです。
今の教育の主流は、誰でもできる答えのある問題を子供たちに取り組ませ、薄い輪切りの点数の差を拡大し、そこに競争という要素を加味して学習の意欲を持たせる仕組みになっています。
それは、誤解を恐れずに言えば、勉強だけでなく、スポーツも、音楽も、芸術も、進学も、就職も、ビジネスも、社会全体がそういう答えのある世界で小さな差を競い合うような仕組みになっているからです。
しかし、そういう世界での勉強は、本質的に面白いものではありません。
子供たちにとって、勉強よりも遊びが面白いのは、勉強には答えがあり、その答えの道筋さえ決められていることが多いのに対して、遊びには答えがなく、また答えに近いものがあったとしてもその答えに至る道筋は自由だからです。
この自由が創造性を生む土台になっています。
これからの教育に求められるものは創造性だということはよく言われています。
しかし、その創造性の教育を具体的に実践しているとほとんどないと思います。
2020年度からの入試改革は、そういう新しい学力を目指していますが、問題作成自体に非常に手間がかかり、しかもその評価が多くの人の納得できるものになっていません。
だから、こういう新しい学力を日常的な教育として行うことは更に難しく、現状では、ゆとり教育のやり直しと、その反省から来る詰め込み教育の間を行き来するだけのものになるのではないかと思います。
ところが、言葉の森がこれまで行っていた思考発表クラブという少人数のクラスの勉強では、特に小学4年生以上の生徒のグループで、この1年間、毎回きわめてレベルの高い発表と交流が行なわれていました。
点数も、評価も、競争もない中で、毎週そのグループの中だけで見るのではもったいないぐらいの、高度な発表学習と交流があっったのです。
それは、この思考発表クラブに参加していた生徒が、学力的にもレベルが高かったことと、保護者の理解と協力があったことが大きかったと思います。
しかし、学力に関して言えば、創造性には、これまでの学力よりも、これから取り組む姿勢の方に意味があります。
例えば、算数・数学の問題を解くだけの勉強では点数の差が出るだけですが、似た問題を作るという勉強の仕方をすれば、誰でも創造的なものが作れます。
それは作文に関しても同様で、これまでの作文力が表れる、結果としての作文を発表するだけでは、交流はあまり面白いものにはなりません。
その反対に、作文の準備としての構想図作りであれば、取り組み次第で誰でも創造的なものができます。
そういう創造的な学習を日常的に行っていく場として、これまでの思考発表クラブで行っていたスタイルを、作文にも、教科の勉強にも生かしていきたいと思いました。
それが、寺子屋オンラインという名称で行っていた発表教育です。
ただし、こちらの意図していることが、わかりにくい面があると思いましたので、4月3週に、寺子屋オンライン保護者説明会・懇談会を臨時に開くことにしました。
その説明の動画を作っていたところ、動画が4本で合計1時間以上になってしまいましたので、それらの動画は時間のあるときに見ていただくことにして、いちばんのエッセンスを「5月から寺子屋オンラインの概要説明」というタイトルで12分にまとめました。
▼5月からの寺子屋オンラインの概要説明
https://www.mori7.net/izumi/gazou/2018/4150732470.jpg
この動画をもとに、4月3週の寺子屋オンライン保護者説明会・懇談会を行います。
この説明会は、現在、オンラインの学習を受けている生徒の保護者が主な参加者になりますが、今後参加したいと思っている方もご参加いただいて結構です。
■4月3週の寺子屋オンライン説明会・懇談会
https://www.mori7.com/kform_pre.php?k=hogb201804
・すべての保護者の方がご参加いただけるように、通常の授業時間の終了を15分早めて、授業の直後に説明会・懇談会を行うことにしました。ただし、それでも時間的に参加しにくいという場合は、別の曜日時間にご参加ください。
※寺子屋オンラインの思考発表クラブ、自主学習クラス、作文クラスは、これまでに体験学習をされたことのある生徒でも、新たに体験学習に参加することができます。(ただし、定員になっているところは、その曜日時間のクラスが増えるまで予約待ちとなります。)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
言葉の森は、これまでの教育にはなかった新しい教育を始めます。
新しい教育ですから、わかりにくいところが多いと思いましたので、保護者説明会を行うことにしました。
学習塾と同じような感覚で勉強しても、あまり身につきません。
そのかわり、新しい教育として取り組めば、大きな成果があります。
自分の子供が小さかったら取り組ませたかったところです(笑)。
いつでもコミュニケーションがとれるというオンラインの利点を生かして運営していきたいと思います。
世の中の変化は、予想以上に速いです。
しかも、そのほとんどが、よりよい状態への変化です。
世間では2020年度の入試改革が話題になっていますが、言葉の森は更にその先の教育を2018年度からスタートさせます。
その教育の重点は、これまでも何度か同じことを書きましたが、少し言葉を変えて、
1.受験から学問へ
2.社会から家庭へ
3.点数から文化へ
4.競争から創造へ
という言葉で表して実行していきたいと思います。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。寺子屋オンライン(101)
(写真は、那須合宿所の木の切り株。30kgありました。)
小学1、2年生のころの作文は、物事の中心を決めて詳しく書く練習をしていきます。
これが、第一に重要なことです。
よく遠足くの作文などを書くと、家を出発してから、また家に帰るときまでの話を延々と書く子がいます。
それは、物事を文章として記述する練習としては意味があるので、特に直す必要はありません;
しかし、よりよい文章力をつけるためには、その中のある一つの事柄について詳しく書くという練習をしていくといいのです。
第二は、作文を書くための土台となる読書に力を入れていくことです。
言葉の森の作文を目指す方向は、上手な文章を書いて小説家になるような方向ではなく、考える作文を書き高校生、大学生、社会人になっても使える文章を書くという方向です。
だから、読書についても、物語文的な本と並行してその子の興味のある範囲で説明的な文章の書かれている本を読んでいくといいのです。
第三は、やはり作文を書くための土台となる経験に力を入れていくことです。
読書の好きな子の中に、読書ですべてを理解したつもりになり、知識と理屈だけで物事の理解が終わってしまう子がいます。
学校のテストに関しては、それで十分すぎるほど十分なのですが、実際に何かを作り出すという創造力という点から見ると、知識と理屈だけの理解では役に立たないことが多いのです。
では、創造力のために何が必要かと言うと、それは実際に手足を動かし、自分の目で見たり耳で聞いたりして、現実と関わるような経験をすることなのです。
それは、実験や観察や調査という言葉で表せるものと似ています。
実際にやってみることによって、それが予想どおりうまくいったり、予想に反してうまくいかなかったりするという経験をすることがその子の創造力の源になっていきます。
ですから、小学1年生で勉強がよくできる子、作文が上手に書ける子は、読書のジャンルを広げていくことと、経験の幅を広げていくことが大事で、これらによって精神年齢が上がったときの文章を書く準備をするということになるのです。
そして、第四に、作文は、単に先の学年の準備をするだけのものではありません。
その時代に、その子が生きた証となるものが作文です。
小学1年生のころに書いた作文は。その子が1年生の時でなければ書けなかったただものですから、それを書いて残しておくことがその子の一つの記念になります。
上手に書けるから先に進むと考えるよりも、上手に書ける今の時期をそのこと自体を一つの目的として残しておくという方向で子供の作文を見ていくといいのです。
(次回は、小4から小5に切り替わるときの作文について)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
勉強の先取りにはもちろん意味がありますが、なぜ先取りができるかというと、それは答えのある世界だからです。
答えのある世界は、幸福や創造が乏しい世界です。
答えのある世界で子供の時間を埋めていくと、それは灰色の男たちの世界に近づいていきます。
だから、健康な子供は、自然にそういう世界から離れるようになるのです。
受験勉強で成果を上げるためには、能率が必要です。
それは答えがはっきりしている世界だからです。
しかし、子供の実力をつけるのは、能率ではなく時間です。
時間をかけてああでもない、こうでもないとぐるぐる巡りをすることがその子の実力を育てます。
だから、この二つは分けて考える必要があるのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。小学校低学年(79)
小学2年生の生徒のお母さんから、質問がありました。
その子は、とてもよくかける子で、字数も表現もほぼ完璧です。
作文の評価ということで言えば、申し分ないものを書いています。
そこで、お母さんは、この作文の勉強をただ自分の今の実力で書くだけではなく、もっと先に進めるためにはどうしたらよいかということを質問されたのです。
小学校1、2年生で作文が上手に描ける子のお母さん方は、同じような質問を持っていると思います。
あるいは、作文はもう上手に書けるので、特に何もしなくていいと考えるお母さんも多いと思います。
国語や算数は英語であれば、勉強の仕方次第でいくらでも学年より先の学年に進めることができます。
それは、その勉強がその子の精神的年齢の成長に関わらない知的なものだからです。
ところが、作文は知的な面があるとともに、精神年齢的な面がかなりあります。
小学2年生のころに書く作文は、読んでいる本の文章がそのまま頭に入っているので、その表現を生かして作文として書けるという面があります。
ですから、達者な子は、大人が書く文章と似た文体で書くようなこともあるのです。
しかし、その時期は小学2年生までで、小学3年生になると今度は自分の言葉を作って書くようになります。
小学2年生までは、ほとんどの子が長い作文を書きたがりますが、小学3年生になるとそういう子供たちが逆に長く書くよりもほかのことに関心を持つようになります。
その関心を持つ先は何かと言うと、盛り上がりのある内容を書くということと、ほかの人に読んでもらい楽しく思わせるような面白い話を書くという方向です。
小学2年生までの作文は、自分の書きたいことをただ書くだけですが、小学3年生からは人に読んでもらうことを意識して書くという面が出てくるのです。
そこで、言葉の森では、小学3年生から表現の工夫と題材や感想の工夫という指導を始めます。
しかし、小学2年生でまだ他人の目にあまり関心がない時期に、そのような表現や内容の工夫という指導をしても空回りする面があるのです。
算数や英語で、小学校低学年のうちに小学校高学年や中学生の勉強をすることは、やり方によってはいくらでもできます。
しかし、小学校低学年で、小学校高学年の課題の作文を書くことはできません。
例えば、小学6年生では、一般化の主題という項目でその事柄が自分にとってだけでなく人間にとってあるいは社会にとってどういう意味があるのかということを書く練習をします。
そういう感想は、小学校低学年では書きようがありません。
小学6年生でさえ、そういう発想が自然にできる子は50パーセント程度だと言われています。
それは、学力の問題ではなく、精神年齢の成長度の問題です。
ですから、小学校低学年で小学校高学年の課題の作文が書けるかというとそういうことはありません。
年齢による差は勉強の仕方でが埋められないというのが作文の特徴なのです。
では、小学校低学年でよく書ける子の作文指導はどうしたらよいか、ということは次回に。
(つづく)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
幼児から小学2年生までの子は、素直で何でも吸収する力がありますから、勉強でも、音楽でも、スポーツでも、暗唱でも、やり方次第でどんどんできるようになります。そして、学年の先取りもできるようになります。
しかし、作文の勉強は、精神年齢の発達と関連が深いので、先取り学習ということができません。
では、どうしたらいいかというと、先取りよりも今の学年の作文を楽しむという勉強の仕方をするのです。
それが、次の学年の土台になるからです。
小学2年生までの子は、その子が読んでいる本の文体そっくりに作文を書くことがあります。
それだけ、吸収力や適応力があるのです。
だから、いい本を読ませるということがまず第一で、次に、その時期の作文はまだ本当の実力ではないと考えておくことが第二です。
学年が上がるにつれて、次第に本から離れた自分の文体で書くようになるからです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。小学校低学年(79)
土曜日の電話通信作文クラスがほとんど満員になってしまったので、新たに、土曜10:00のオンライン少人数の作文クラス(オンライン発表作文)を開始することにしました。
この時間帯は、日本国内の生徒だけでなく、アメリカの東海岸方面の生徒も参加しやすい時間帯だと思います。
特に、海外帰国子女枠の受験作文を将来考えている方には、いいお知らせになるのではないかと思います。
少人数クラスのオンライン発表作文は、まだ始めたばかりですが、構想図の発表と交流、グループ別の指導と講評という形で授業の流れが決まってきました。
友達との交流で楽しく勉強できて、しかも実力がつくという教室になると思います。
※オンライン少人数クラスは定員があるので、希望される方は早めに体験学習にご参加ください。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
土曜日10:00のオンライン少人数作文クラスをスタートします。
この時間帯は、時差のあるアメリカ在住の方も参加しやすいのではないかと思います。
土曜日は、欠席した分の振替の授業も希望する人も多く、結構混み合っている曜日です。
電話通信のクラスは、もうほとんど空きがないので、少人数のオンラインクラスを10:00に解説することにしました。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。言葉の森サイト(41)
5月からオンラインの少人数クラスに関して、名称変更、組織変更を行います。
これは、これまでいろいろなクラスの名称があり、わかりにくい面があったためです。
5月からの名称と組織は、次のようになります。
┃個別指導 ┃少人数グループ指導 ┃
━━╋━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━╋━━━━━
作文┃(1)電話通信作文 ┃(2)オンライン発表作文┃通学作文
━━╋━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━╋━━━━━
教科┃(3)オンライン自主学習┃(4)オンライン発表学習┃
━━┻━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━┻━━━━━
(1)電話通信作文は通常の通信作文のことで、約10分間の個別電話指導があります。ここには、Zoom会議室参加のオンライン作文も含まれます。Zoom会議室参加については、担当の先生との話し合いで自由に参加不参加を決めて結構です。(小8,434円、中高8,948円)
(2)オンライン発表作文は、これまでオンラインのZoom会議室を利用した少人数クラスの作文指導のことです。45分の時間枠で、5~6名の少人数のグループで、構想図の発表と交流、グループ又は個別作文指導、作文実習を行います。グループ指導は学年別に行い、小学校高学年の生徒の希望者には受験作文コースに入る前の先取り指導も行います。(小8,434円、中高8,948円。ただし電話通信作文と併用する場合は2,160円)
(3)オンライン自主学習は、Zoom会議室を利用して、担当の先生が個別に家庭での自主学習をチェックするコースです。学習チェックの時間は約10分です。教科の内容は、国語問題集読書が必修で、希望者には算数数学、英語、理科、社会のチェックも行います。週に複数曜日受講できます。(指定参考書問題集あり)(1曜日2,160円)
(4)オンライン発表学習は、これまでの思考発表クラス、自主学習クラスを統合したものです。学習の内容は、国語、算数、理科、社会、作文構想図などの自由な発表と交流です。発表の内容は、授業の動画などを参考に自分で自由に決められます。いずれも実験、調査、観察、研究など自主的かつ創造的に行うものを中心に発表を行っていただきます。週に複数曜日受講できます。(指定参考書問題集あり)(1曜日2,160円)
※なお、新規の生徒に関しては、電話通信作文、又はオンライン発表作文を受講していることが条件で、オンライン自主学習、オンライン発表学習の単独受講はできないこととします。
これは、自動振替などの手続きを、生徒の受講料処理と別に行なわなければならないため、事務処理が煩瑣になってしまうためです。
以上の詳細は、寺子屋オンライン通信でもお知らせします。
また、4.3週にこの件に関する説明懇談会を授業のあとに行う予定です。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
昔、作文教室を始めたとき、そういう概念が世の中になかったので説明するのに苦労しました。
今行っているオンラインの少人数クラスの学習と、その学習の内容が発表と創造と交流を中心としたものだということも、ひとことで言い表すのはかなり難しいです。
しかし、アクティブラーニングとか、反転授業とか、インタラクティブ・ティーチングとか、ブレンデッドラーニングとかいう日本語にあまりなじんでいない言葉を使いたくなかったので、発表作文、発表学習という名称にすることにしました。
発表と創造と交流を中心とした作文の勉強、教科の勉強という意味です。
近い将来、今の紙ベースの通信教育は、ほとんどがオンライン化されると思います。
また、電話通信指導というものも、ほとんどがオンライン会議室での指導に切り替わると思います。
更に、今のスマホやタブレットとは違う新しい端末が利用されるようになると思います。
そういう技術革新の大きな変化の中にあって変わらないものは、その人を取り巻く時間と空間と人間です。
ただし、空間はかなりの程度オンライン化されるので、残るものは時間と人間になります。
その時間と人間に依拠する勉強形態が発表作文と発表学習で、その発表を価値あるものにするのが交流と創造という関係になります。ややこし(笑)。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。寺子屋オンライン(101) 生徒父母連絡(78)
4月9日(月)から13日(金)まで、海外帰国子女枠の中学作文受験対策の説明会を行います。
当初、オンラインの操作の仕方がわかりにくい人が多いのではないかと思い、その説明を中心にしようとしました。
しかし、オンラインの経験はないものの、そういう操作の説明よりも、実際の受験対策に関心を持たれている方が多いようなので、作文受験対策の話を中心にすることにしました。
どんな勉強も、実力が大事ですが、受験勉強の場合は実力以外の受験のコツというものも需要になります。
例えば、中学入試の作文試験の場合は、「体験に基づいて」という条件で作文の課題が出される場合がかなりあります。
それはなぜかというと、世間で出回っていた模範解答のようなものの多くが、あたりさわりのない説明と意見だけで書かれているものがほとんどだからです。
また、志望理由書に関しても、合格に結びつく志望理由書とそうでない志望理由書があります。
しかし、一応書いて出しておけばいいだろうというような志望理由書も意外と多いのです。
教科の試験の場合は、正解がありますから、独学でも勉強できます。
しかし、作文の場合は、正解がありませんから、他人の目で見てもらう必要があります。
どういう目で見たらいいかということを、この説明会で話していきたいと思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
受験勉強の基本はもちろん実力ですが、倍率の高い試験になるほど、実力以外のコツが必要になってきます。
例えば、毎年の受験生の志望理由書の添削にしても、最初から完成度の高いものを出す人はほとんどいません。
どの志望理由書も、平均して7、8か所直すところがあります。
本当はそういうコツなどが必要のない試験になればいいのですが、今のところはまだやむを得ないと思います。
昔は、作文試験だけで合格するということがありました。
例えば、本多静六なども、数学はほとんど全滅で、ただ作文がうまかったから合格したということでした。
今は、採点の期間が短いので、そのように作文をじっくり見る学校はあまりないと思います。
しかし、これから少子化が進み、じっくり評価する試験になると、作文と面接だけで合否が決まるようになるところも出てくると思います。
その方がペーパーテストの点数よりもあてになると考えている人も多いからです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。受験作文小論文(89)
面白い動画を見ました。
フィンランドの教育がなぜ世界一になったかを、生徒や教師など当事者たちのインタビューで紹介している動画です。
この動画の中で特に印象に残ったところが六つありました。
第一は、学校のテストで選択問題がなかったという卒業生たちの証言です。テストの問題はすべて記述式だったので、その内容を自分が確実に理解していなければできない問題だったということです。
第二は、学校が宿題を出さないということでした。
国の方針として、子供は遊ぶことによって能力を育てるという考えだったのです。
第三は、学校における勉強の授業時間が少ないということでした。
小中学校の勉強の基本はほんのわずかです。テストで差をつけるための難問に時間を取られなければ、正味の時間はずっと少なくてよいのだと思いました。
第四は、学校がすべて公立で、できる子もできない子も同じように学んでいたということです。
これは子供たちが成長したときに、社会の問題を自分の身近な問題として考えることに役立っているということでした。
第五は、テストというものがほとんどなかったということです。これも第三の話と同様で、小中学校の勉強は基本をおさえるということであれば、テストをなどで評価しなくてもほとんどの子が授業の中で身につけられるということから来ているのではないかと思いました。
第六は、音楽や芸術も含めてすべての教科にバランスよく力を入れているということでした。主要教科だけに力を入れることは、かえって子供たちの人生にとってマイナスになるという考えでした。
ちょうどこの動画を見る前に、ある高校生の成績を見せてもらい、受験に関係のない科目は捨てているという話をその生徒から聞きました。
その生徒は普通に真面目な考えを持っている生徒だったので、多少照れ隠しに言っているのだろうと思いましたが、私は一応、
「高校時代の勉強は全部自分のプラスになるのだから、受験に関係なくどの教科もしっかりやっておくといいんだよ」
という話をしました。
そういう話をしたばかりでしたから、教育における文化というものが、フィンランドと日本ではすでにかなり違っているという印象を受けました。
もう一つ考えさせられたのは、選択問題がなく、すべてが記述式の問題だったということです。
日本では2020年度の入試改革に合わせて、記述式の問題をどのように客観的に評価するかということが話題になっていますが、これが問題になるのはテストの評価ということを前提にしているからです。
小中学生の本当の学力を育てるということが目的であれば、客観性云々よりもまず記述式の問題を中心にするということを考えなければいけないのではないかと思いました。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
フィンランドの人口は550万人ですから、小さい国だからこそできる教育改革という意見もあるでしょう。
しかし、すべては教師や親の取り組み方次第で、日本でもすぐにできることだと思います。
言葉の森の目指しているものも、同じようにバランスの取れた学力と、記述力を中心とした本当の学力です。
更に、それに加えて、創造性と文化性を育てる教育を、作文指導と少人数クラス指導で実現していきたいと思っています。
私がいつも疑問に思うのは、昔の子供たちは60人学級のような大人数の教室で勉強し、家に帰れば表で遊んでばかりいたのに、今の勉強の山に苦しんでいる子供たちよりも、頭がよかったのではないかということです。
しかも、その頭のよさは年を取れば取るほど伸びるような性格の頭のよさだったと思うのです。
それは、なぜかというと、机上の勉強だけでなく、自然や人間との関わりがある中で学んでいたからではないかと思います。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。教育論文化論(255)