今回の記事は、遠い未来の話まで含めたビジョンです。
言葉の森の教育の目標は、子供たちの個性、知性、感性を育てることと、日本を守りよりよい国にしていくことです。
その二つを両立させるビジョンが、ひとことで表すと、「明日の日本を支える子供たちを育てる」という言葉です。
子供たちの学力や人間性や創造性を育てることと、日本を守り発展させることを、次のような形で実現していきます。
まず当面は、オンラインの作文や学習を進め、本当の役に立つ学力を育てる教育を行っていくことです。
その背景には、現在の受験学力が本当に役立つ学力になっていないという考えがあります。このことは、またいつか書きたいと思います。
将来、このオンラインの少人数クラスの教育は、そのままオンラインの学校になるようにして行く予定です。
多数の少人数クラスが集まった形が、一つの学校になるということです。
この少人数のオンラインクラスを支える先生は、森林プロジェクトのメンバーです。
小中学生の子供たちの教育で最も大事なのは、教える先生の人間性です。
人生経験のある高い理想を持つ先生が、子供たちの共感力や文化力を育てることが第一の条件で、その先生の学歴などは関係がありません。
むしろ、関係がある経歴としては、学歴ではなく職歴の方です。
このオンラインの少人数クラスを統合したオンラインの学校は、オフラインの「森の学校」と連携するようにします。
森の学校は、自然の豊かな田舎に作り、オンラインで学ぶ子どもたちが年に何回かその森の学校で交流できるようにします。
そして、森の学校の周辺に子供たちや先生たちが継続的に集まるようになれば、そこが学問や教育を核にした一つの町になっていきます。
ちょうど城下町や門前町と似たような経過で、学校を中心に輪のように形成される町で、学輪町というようなものになっていくのです。
その学輪町で進めていくことが二つあります。
一つは、子供たちの創造的な教育を、よりリアルな形で行うことです。
オンラインでは十分にできない様々な設備や素材を用意して、そこで子供たちが実際の手作業で創造的なものを作る環境を作っていくのです。
この創造は、子供たちだけでなく、大人も行えるので、ここから創造的なリアルなものの生産が生まれます。
もう一つは、子供たちを教える森林プロジェクトの先生が、自分の得意な分野を生かして新しい教育科目を作っていくことです。
江戸時代に様々な新しい文化が生まれたように、これからの時代は既存のメジャーな文化に限定されない個性的で多様な文化が生まれる時代になります。
限られた科目で全員が同じゴールを目指して序列化されるような社会ではなく、各人が自分の個性と関心を生かしてその個性的な分野で第一人者となるような文化の多様化の時代がこれから生まれるのです。
そして、その創造的な文化は、その文化を教える仕組み自体がひとつの産業になり、日本の経済発展に寄与していくことになります。
これが、創造文化教育産業です。
このようにして、日本の国内で軌道に乗った「森の学校」や「森林プロジェクト」のシステムを、次は世界に輸出していきます。
その際に、システムを輸出するだけではなく、そのシステムの根底にある日本の文化というものも世界に広げていくのです。
それは、日本の文化をそのまま他国に広げるというのではなく、日本の文化の精神を他国の文化を活かす形で広げていくということです。
世界が日本のような国になれば、地球はもっと平和で穏やかで創造的で幸福な星になっていくと思います。
さて、日本の国土面積は、海洋まで含めると世界第6位です。
「日本の国土面積は約38万k㎡で世界61位。しかし領海と排他的経済水域(EEZ)は計447万k㎡で、海の広さなら米国、オーストラリア、インドネシア、ニュージーランド、カナダに次いで世界6位だ。日本の近くには深い海が多く、EEZ内の海水の体積で比べると世界4位という計算もある。」(朝日新聞Globeより)
中国が、ユーラシア大陸に向けて現代のシルクロードを作ろうとしているように、日本は、東に広がる海洋に向けて新しい日本列島を作っていくことができます。
その新日本列島を形成する土地は、メガフロートです。
数多くの新しい島が海洋に作られ、それらの島がそれぞれ独特の特区を形成できるようにすれば、そこでさまざまな社会や文化の実験が行なわれます。
そこで、旧来の日本では既得権益のためにやりきれなかった新しい試みを次々に実現していくのです。
このようにして、日本だけでも、新しい社会のビジョンを作り、更にそれを世界に広げていくことが、日本をよりよい国にしていく展望です。
この創造教育と日本教育の世界化と並行して行なっていきたいのは、人間の幸福を育てることを目標とした心身教育です。
これまでの人類の歴史を見て、イエスキリストやブッタや聖徳太子や空海のような様々な優れた人物が実際に存在していたことを考えると、あらゆる人がそのレベルまで達するような教育が生まれる可能性はいつか実現すると思います。
そのときにこそ、地球が、この広大な宇宙の中で、真に生命の理想を実現する惑星になっていくのだと思います。
図は、森の学校の前身となる夏休みの那須合宿教室のイメージです。(馬はまだいません。プールもまだありませんが。)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
今回の記事は、超長期のビジョンです。
しかし、こういういい世の中が意外に早く来るのではないかという気がします。
人間の思いついたことは、いつか必ず実現します。
足元は見ずに、いつも遠くの山の向こうを見て仕事をしていきたいと思います。
いい世の中を作るのは簡単です。
みんながいっせーのせで、いい人間になればいいだけだからです。
理屈の上では何も困難なことはないので、何千年たってもそうならないのは、自分の利益だけを考える気持ちがまだ人間の中にあるからです。
だから、これからの教育に必要なものは、受験学力ではなく、本当の学力、共感力、文化力、創造力になると思います。
エゴイズムは、もちろんあってもいいのです。
しかし、誰かが言ったように、「我もよし、人もよし、我の方がちょっとよし」ということでやっていけばいいのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。言葉の森のビジョン(51)
算数や数学の問題で正解を答えるというのは、解法のパターンさえ理解すれば誰でもできます。
しかし、その問題を自分で作るとなると、ただ数字を入れ替えるだけでもかなり難しい勉強になります。
というの、は問題集に載っているような問題の多くは、すっきりした答えが出るように作られているのに対して、自分で作る問題はその答えがすっきりするようなところまでなかなか行かないからです。
国語の問題の場合も同じです。
大学入試センター試験で高得点を取るのは、問題文を緻密に読み取る練習をすれば誰でもできるようになります。
しかし、そういう緻密な読み取りを必要とする選択問題を作るのは、問題を解くことの何倍も難しいのです。
考える力のある生徒は、この問題を作る勉強の方に関心を示します。
それは、問題を解くことが、狭い決められた道を歩くような作業であるのに対して、問題を作ることは、自分の持っている力を総動員できるからです。
問題に答える勉強であっても、穴埋め問題や選択問題より、記述式の問題の方が記入の自由度が高まります。
そして、実力のある生徒ほど、記述問題の方を好みます。
ところが、採点する側にとっては、選択問題や穴埋め問題は機械的な作業で採点できるのに対して、記述問題や作文小論文問題は採点に非常に手間がかかります。
しかし、子供たちの真の学力向上を考えた場合、たとえ採点の手間がかかっても、子供たちが自分で考える形の勉強をすることが大事です。
これからの少子化は、むしろこういう充実した勉強をするために有利な条件になると思います。
言葉の森で行っている作文の勉強は、答えのない勉強です。
新しく始めたオンライン発表学習も、答えのな勉強です。
答えのない勉強は、ある意味で手を抜くこともできます。それが、かつてのゆとり教育のマイナス面として指摘されたことです。
しかし、今言葉の森で行っている発表学習クラスの多くは、毎回かなりレベルの高い発表をしています。
このレベルの高い発表学習を普遍化することが、これからの日本の教育の課題になると思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
解ける問題を喜んで解く子は、解くことが嬉しいというよりも、答えが合っていて褒められることが嬉しいのだと思います。
本当は、解ける問題を解くというのは、面白くも何ともないことです。
面白いのは、何ができるかわからないが、自分で作ってみるという創造性のある問題の方です。
そういう本来の勉強に触れる機会を増やしていきたいと思っています。
算数や数学の問題を作ってみるとわかりますが、本当は世の中には、すっきりした答えの方が少ないのです。
自分で問題を作るというのは、自分がこれまでやってきた勉強の世界が実は人工的なものだということを知る上でプラスになると思います。
そして、そういう子は、模範解答を探すよりも、自分で模範解答を作り出すようになるのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。教育論文化論(255)
今週のオンライン学習クラスは、説明会と懇談会を行う関係で、授業時間を15分ほど早めて行いました。
そのため、子供たちの読んでいる本の紹介などができなかったので、懇談会のあとにブレイクアウトルームに残って生徒どうしで自由に話してもいいということにしました。
すると、いつも一緒に勉強している子供たちが、30分近く何やらいろいろ話し合いをしていたようです。
昔、港南台の通学教室で土曜日の午後のクラスがあったとき、中学生や高校生が毎週来ていましたが、そのときの雰囲気がちょうど部活で集まっているような感じだったことを思い出しました。
子供たちの交流といっても、遊びだけの交流では、たまにはいいかもしれませんがそれほど充実感はないと思います。
しかし、読んでいる本の紹介のように勉強的な面での交流となると、しかも、それを先生や親に言われてやるのではなく自分たちで自主的にやるとなると、その時間はかなり充実したものになると思います。
オンラインの生徒どうしですから、そのクラスに参加するまではお互いに 会ったことも見たこともない子供たちどうしでした。
住んでいる場所も遠く離れている子どうしでしたが、それがわずか数か月から一年の間に、これほど親しくなるというのは、やはりオンラインの Web 会議室を利用したやり取りの成果だと思います。
これから、このオンラインの少人数クラスの学習というスタイルを、あらゆる面で広げていきたいと思っています
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
オンラインの少人数クラスの成否は、積極的に参加する子が複数いるというところにあります。
今の子供たちの中には、親や先生から言われてやることに慣れていて、自分から動こうとしない子もかなりいます。
積極的な子が何人かいると、そういう消極的な子も自然に自分から進んでやるようになります。
そのために大事なことは、やはり子供の生活をもっとゆとりがあるようにすることです。
勉強を詰め込んで忙しい子よりも、ゆとりのある中で勉強を楽しめる子の方が、将来必ず伸びるはずだからです。
オンラインの自由な発表を充実させるためには、
1.親の協力が必要ですが、
2.同時に子供と一緒に楽しむという姿勢も大事です。
3.だから、発表は失敗したことも含めて、自分らしいものが価値ある発表になるのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。寺子屋オンライン(101)