言葉の森のスマホアプリは、今回アップルが新しい登録の仕組みにするために、やむをえず終了することになりました。
これまでご利用くださったみなさん、ありがとうございました。
なお、言葉の森のアプリは、ウェブで代替できるものがほとんどでしたので、今後アプリの更新は考えていません。
生徒や保護者や関係者のみなさんとは、ホームページやfacebookやメルマガやオンライン懇談会などで情報交換をしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
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言葉の森のスマホアプリを終了します。
昨日まで新しかったことが、今日には古くなっているような感じで、世の中の変化はかなり速いというのが実感です。
これから新しく出てくると思うのが、既に何人もの方が言っていますが、自動翻訳で世界中の人が言語の壁なく会合できるようになることです。
だから、これからの新しいトレンドは、特に日本の場合、海外への発信になると思っています。
言葉の森のスマホアプリは、これまであまり活用していませんでした。
それは、私(森川林)がスマホをあまり使わず、ほとんどパソコンで仕事をしていたためです。
将来は、スマホとパソコンを超えたデバイスができると思います。
それは、googleグラスのようなもので、空中に仮想のキーボードや画面があるという形になるのではないかと思っています。
いつごろできるかなあ。
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小さな修正や追加が続いたために、わかりにくくなっていた「寺子屋オンライン」の案内を全面改訂しました。
内容的には大きく変わったことはありませんが、これから参加する人にもわかりやすくなるように名称を統一しました。
少人数クラスの作文は、「寺オン作文コース」としました。
少人数クラスの学習で、これまで思考発表クラブや自主学習クラスとしてやっていたところは、「寺オン学習コース」としました。
オンラインで行う個別指導の作文で、これまでオンライン作文としてやっていたところは、「ウェブ作文コース」としました。
オンラインで行う個別指導の自主学習で、これまでオンライン自主学習としてやっていたところは、「ウェブ学習コース」としました。
この変更に伴い、これまで通信作文コースと呼んでいたところは、「電話作文コース」と呼ぶことにしました。
通学作文コースは、これまでと同じ「通学作文コース」です。
| 個別電話指導 | 少人数寺オン指導 | 個別寺オン指導 | 個別通学指導 |
作文 | 電話作文コース | ■寺オン作文コース | ■ウェブ作文コース | 通学作文コース |
学習全般 | | ■寺オン学習コース | ■ウェブ学習コース | |
「寺子屋オンライン案内」の方は、わかりにくいところを修正しましたので、読みやすくなっていると思います。
https://www.mori7.net/teraon/
▽「寺子屋オンライン案内」の最後のページの記事の引用です。
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■■江戸時代の寺子屋の光景
江戸時代の寺子屋の特徴は、次のようなものでした。
1.男女貧富の差なく、誰でもが勉強に参加できた。
2.子供たちは、時にふざけたりいたずらしたりしながら、自由にのびのびと勉強した。(画像の中に、いたずらをしながら勉強している子供たちが何人も描かれています)
3.勉強の中心は、素読、書写、算盤などで、先生が講義するよりも、子供たちが自学自習で取り組むものが中心だった。
この寺子屋教育によって、日本は当時世界一の識字率を誇り、それがのちの日本の急速な近代化を可能にしました。(当時の日本の識字率70~80%、同時代のヨーロッパ先進国の識字率20~30%)
この寺子屋教育の本質はひとことで言えば、子供の自主性の尊重と、子供・家庭・地域の信頼関係に基づいたつながりでした。
言葉の森の寺子屋オンラインは、この江戸時代の寺子屋教育の本質を現代の科学技術と教育文化の中で再生しようとするものです。
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これからの教育で大事になるものは、真の学問を学ぶ力、家庭力、文化力、創造力を育てることだと思います。
ところが、今の教育は、受験力、順応力、点数力、競争力をつけることに偏っています。
そして、真面目でよくできる子ほど、その古い教育に過剰適応しているように思います。
東大の推薦入試や京大の特色入試がその理念として求めているような子を育てることが、これからの新しい教育の目標です。
(それは、合格するテクニックを身につけるという発想とは対極にあるものですが。)
これからの子育てのイメージをひとことで言うと、全教科がよくできているだけではだめなのです。そういう人は世界中にたくさんいるからです。
どれか一つの教科が飛び抜けてよくできているでもダメなのです。そういう人もたくさんいるからです。
だれもやっていないようなことに熱中していることが第一の条件です。
第二は、その上で全教科も一応はできているということです。
そして、その土台の上で、社会に出たら大きな冒険をするのです(笑)。
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現在の教育界のいちばんの問題は何かと言うと、過ぎ去りつつある過去の教育に多くの人が過剰適応していることです。
その一方、これからの世の中で要求されるようになる教育を、多くの人が夢物語のように考えていることです。
この変化は、ここ数年急速に進んだことなので、まだ実感を持って考えている人は多くありません。
教育の現場に近い人よりも、一歩離れた場所にいる人の方が未来を確実に予測しているように見えます。
落合陽一さんの「日本再興戦略」という本を読んだとき、私が普段思っていることが、より正確に、より説得力を持って書かれていると思いました。
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しかし、すぐにこの新しい教育に進もうとすることは、当事者にとってリスクが高いと思われると思います。
だから、今の教育で成果を上げつつ、未来の教育も担保するという二正面の教育を行っていく必要があります。
その未来の教育の最も重要なポイントは、創造力を育てる創造教育です。
そして、その創造教育の基盤になるのは、創造性を大切にする家庭文化です。
思考発表クラブ(寺オン発表学習クラス)の生徒たちの発表を見ていて、家庭の文化の創造性ということをしばしば感じました。
旧世代の人にとっては、「そんなことに時間をかけるよりも、もっと能率よく答えの書いてあるものを読んで覚えればいい」というような実験や観察を多くの子供たちが生き生きとやっていました。
こういう子供たちが、これから学力をつけて、世の中に新しい価値を創造していくのだと思います。
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過去の教育の目標は、人間が歩く辞書になることでした。
そういう科挙的な教育が、AIに取って代わられるようになることがわかったのは、ここ数年の話です。
その端的な例が、囲碁ソフト、音声認識、google翻訳などの急速な精度の向上です。
しかし、その歩く辞書を超えた教育の目標をまだ多くの人が持っていないように思います。
学校や塾や予備校は、答えのあることを教える機関です。
その答えが目的で、子供はその答えに近づくための手段でした。
しかし、本当は子供自身が目的です。
そういう子供自身を目的として見る見方は、家庭でしかできません。
これが、家庭教育の考え方です。
学校半分、家庭半分がこれからの教育の姿なのです。
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ゆとり教育は、過去の文脈では死語になりつつある言葉ですが、これから求められる新しい学力の本質は、「新ゆとり教育」です。
答えがあり、点数があり、比較があり、競争がある従来の教育は、すべての子供にほどほどに力をつける教育でしたが、百点を超えようとする子は生まれませんでした。
これまでの答えのある世界はわかりやすいので、多くの大人はそのほどほどで満足していましたが、ほどほどの世界の先には、AIしか待っていません。
点数や比較のない世界は、いくらでも高度になる一方、いくらでもさぼれる世界です。だから、その世界に進むためには新しい勉強観が必要になります。
そういう新しい勉強観を育てる教育を行っていきたいと思います。
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世の中の大きい流れから要求されることと、現実の教育界で要求されることとは、かなりギャップがあります。
例えば、今の算数や数学では、計算間違いのしやすい複雑な計算を問題として解かせることがありますが、計算はルールさえ知っていればいいのであって、計算の作業はもう人間がわざわざやることではないのです。
それは、明治維新が始まる前夜に、剣術や馬術の練習を一生懸命していたことと同じです。
マイナスになるわけではありませんが、今は、もっと大事なことがあるのです。
本当に学力のある子にとって、今の勉強は退屈です。
百点を取ったらおしまいで、その先を要求されることはないからです。
しかし、今ある百点を取れないような問題は、ただ難しいだけで、その難しさは意味のない難しさです。
(例えば、短い時間で大量の問題を解かせるような難問(笑))
点数を超えた勉強こそが、これから求められる勉強なのです。
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野口悠紀雄さんの勧める英語の勉強法は、教科書の音読でした。
中学生のころの教科書は、あまり面白い文章がなかったそうですが、高校生の教科書になると読み応えのある文章が増え、それを毎日楽しんで音読しているうちに英語が得意になったそうです。
そして、野口さんは、こんなに簡単な勉強法をなぜみんながしないのか不思議に思うと書いていました。(「超英語法」より)
勉強の基本は、英語に限らずこの「楽しんで続ける」ところにあります。
ところが、今の学校や塾の勉強は、知識を詰め込み、その詰め込み具合をテストするような形で行われていることが多いので、学力のある生徒にとっても学力のない生徒にとっても、熱中できるような面白い勉強とはなっていません。
子供たちが遊びに熱中するのは、遊びには、勉強にはない創造性と自由度と友達との交流があるからです。
それでは、勉強も遊びと同じように創造性を発揮できる自由度の高いものにして友達と交流する機会を作ればいいのではないかと思いました。
それが、今進めているオンライン少人数クラスの作文と学習です。
新しい仕組みの勉強なので、試行錯誤の期間がかなりありましたが、ここのところ大体の流れが固まってきました。
自主的な発表、発表の持ち時間制、保護者との懇談、生徒どうしの交流、そして学習内容は、答えのあるものよりも、自分で問題を作るような創造的なもの、ということで進めていこうと思っています。
この連休中にシステムを作り直して、連休明けから本格的に取り組んで行く予定です。
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勉強は、本来楽しいものだというのが私の持論です。
しかし、今の勉強は、つまらないものを、競争や褒美で面白く思わせようとしているところがあります。
何かの見返りがないと、面白いとは思えない勉強になっているのです。
これに対して、遊びは何の見返りも求めずに面白いものです。
そういう遊びのような勉強ができるようにしたいと思っています。
言葉の森が最初に作文教室を始めたときも、毎週のようにやり方を変えていました。
当初思っていたことが、実際にやってみると、意外と実態に合わないということが多かったからです。
海幸彦と山幸彦の昔話にもあるように、頭で考えている分には簡単に見えることでも、実際にやってみると、世の中にはそう簡単なことはないのです。
こういうのが三次元の世界なのだろうなあと思いました。
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不足の時代には、入れる勉強が必要でした。勉強とは、何かを吸収することでした。
しかし今は、いろいろなものを入れすぎて消化不良を起こしているのが現状です。
それが、忙しさの原因になっています。
入れる勉強には、テストが必要でした。
そして、テストのために、更に入れる勉強をしていました。
出す勉強には、テストのようなものは必要ありません。
出す本人が、自ずからわかるからです。
しかし、出す勉強には、一緒に学ぶ友達が必要です。
だから、出す勉強には、遊びのような雰囲気があります。
この遊びのような勉強が、本来の勉強の姿です。
友達との遊びのために、子供たちは一生懸命準備をします。
それは、テストのために一生懸命一夜漬けをするよりも楽しいことだと思います。
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これまでの勉強は、知識をいかにたくさん吸収しているかで評価されていました。
しかし、そういう評価が、あまり役に立たないことがわかってきたのです。
むしろ大事なのは、何を作り出せるかということです。
しかし、作り出したものの評価には、手間も時間もかかります。
だから、今は、ちょうど教育の踊り場のところにいるのです。
自分自身の小中学校時代をふりかえり、なぜ学校が退屈だったのかを考えると、それが授業を聞くだけの勉強だったからです。
先生の授業は、youtubeのように早送りでは見られなかったからです。
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ちょうど天外伺朗さんの本が届いたので、今日は午後、その本を読んでいました。
天外さんの言う「世界は分離から統合へと向かっている」ということは、私もうすうす感じていました。
教育についても、これまでの主流は分離の教育でした。
社会に出たあとに特に役立つわけでもない煩瑣な知識をなぜ詰め込むのかというと、それは子供のためというよりも、むしろ評価のためでした。
なぜ評価が必要なのかというと、評価による差をつけて、限られた資源を傾斜配分する必要があったからです。
その限られた資源とは、いい教材、いい先生、いい教育環境という資源です。
しかし、インターネットによる情報のオープン化によって、それらの資源は既にありあまるものになりつつあります。
これまでの教育は、いかによいものを吸収するかということでした。
しかし、吸収が誰にとっても制約でなくなった時代において、大事なことは吸収よりもむしろ創造になります。
では、創造を伸ばすために必要なものは何かと言えば、それは、自由な精神を持った友達と、自由な創造を許容する空間なのです。
教育において、最も価値あるものは、いい教材でも、いい先生でも、いい学校でもなく、いい友達集団と過ごした長い時間ということになっていくのだと思います。
そういう観点で、今の少人数オンラインクラスを運営していきたいと思っています。
そして、その子たちが成長して大きくなったあとも、ときどき那須の合宿所で同窓会をするのです(笑)。
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子供の教育を考えるには、これからの世の中がどういう世の中になるかを考える必要があります。
これからの世の中は、今よりももっとよい世の中になります。
そのよい見通しを前提に、よりよい世の中で生きる子供を育てて行く必要があるのです。
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ウサギとカメの話ですが、日本人はこの倦(う)まず弛(たゆ)まず努力するという姿勢を文化的に身につけているようです。
「転石苔を生ぜず」という言葉は、日本と欧米では正反対の意味でとらえられています。
ところが、今の社会は、情報も豊富でさまざまなツールやソフトも豊富なので、子供たちがつい目移りして次から次へといろいろなことに手をつけるという状態になってきました。
勉強の基本は1冊の参考書を5回読むことですが、多くの子は、それよりも5冊の参考書を1回だけ読むことを好みます。
時には、読みかけのものを更に何冊も読むということもあります。
子供がまだ親の言うことを聞く小学校低学年のころから、この1冊を5回という勉強の姿勢を習慣にしておくと、あとでその姿勢が必ず役に立ってきます。
この継続には、一緒に勉強を続ける友達というのも大事です。
言葉の森が、作文のオンライン少人数クラスを始めたのは、退屈になりがちな勉強を友達どうしの交流で活性化していこうと考えたからです。
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「長く続けられる習い事で「GRIT(やりぬく力)」を育てる」
https://www.mori7.com/index.php?e=2825
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「やり抜く力 GRIT(グリット)」という本に、成果をもたらすものは、才能ではなく、「やりぬく力」だと書かれています。
これは、実証的な調査研究なので、説得力があります。
日本には、「石の上にも三年」という言葉があります。
結果が見えないようなものについても、やり続けていると、そこから自ずから開けてくるものがあるということです。
こういう人生観は、その人の生活すべてにわたっていると思います。
これまで見てきた子供たちについても、やりぬく力のある子は、そのときは特に優れているように見えなくても、長い年月の間に必ず力をつけ、最初から才能があるように見えた子を追い越していきます。
このように考えると、子供に何か習い事をさせるときも、長く続けられるものを選ぶことがいいのだと思います。
小1から始めて高3まで続けられるようなものがあれば、それを中心にして子育てをしていくのです。
ただし、それは子供が好きなものであることが前提になります。
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世の中には、画期的ないい方法というものは滅多にあるものではありません。
勉強でも、仕事でも、長く続けることがいちばんいい方法です。
そして、その時間をかけたものが、その人の個性になっていくのです。
情報機器が発達した便利な世の中では、時間をかけずに済ませることのできるものが増えてきました。
しかし、だからこそ何に時間をかけるかということが大事になってきます。
子供の勉強も、能率よく全部やろうとするのではなく、大事なものに絞って時間をかけていく方が結局は本当の実力がつくのです。
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