本当の勉強は、大学入試の合格を目指して行うようなものではありません。
合格したあとの大学時代、更にそのあとの長い社会人の時代に役立つものとして行うものです。
そのときに役立つものとは、漢字力とか計算力とかさまざまな知識のようなものではなく、自ら学ぶ姿勢のようなものです。
そういう姿勢のことを、岡潔さんは、「まだわからない問題の答、という一点に精神を凝集して、その答がわかるまでやめないようになること」と言いました。(「春風夏雨」より)
これは、「わからない問題は、すぐに答えを見て解法を理解すること」という勉強法と正反対の姿勢です。
本当は、このどちらも必要なのです。
しかし、どちらかひとつを選ぶとしたら、それは、「わかるまで考え続ける」という姿勢の方です。
「解法を見て理解する」という姿勢が役に立つのは、大学入試に合格するところまでです。
そのあとの長い人生は、「解法を見て理解する」というようなことはほとんどなく、ほぼすべてが「わかるまでやめない」ことだからです。
寺オン作文クラスや発表学習クラスの子供たちの勉強も、これに似ています。
多くの子が、答えのない勉強に取り組んでいます。
答えのある勉強では、百点満点を取ればおしまいです。その先はありません。
答えのない勉強は、いくらでも時間がかけられ、おしまいということがありません。
ある意味で、能率的な勉強の対極にある勉強です。
しかし、この遠回りをする力こそが、生涯役立つ勉強の姿勢につながるのです。
この力は、わかりやすい言葉で言えば、思考力、表現力、創造力のことです。
思考力や表現力や創造力を、漢字力や計算力やさまざまな知識の勉強と同じものとして考えている人が多いと思いますが、両者は次元の違うものです。
「思考力を鍛える算数」とか、「考える力をつける○○」のような言い方があるとしたら、それは岡潔さんの言うような「わかるまでやめない」勉強のことですが、そういうものはまずありません。
今の世の中で言われている「思考力をつける勉強」は、すべて「解法を理解する難問」です。
何度も言いますが、そのどちらももちろん必要です。
岡潔さん自身も、学校時代の定期テストでは、解法を全部覚えて取り組んだそうです。
しかし、学校を卒業したあとに残ったものは、解法の理解ではなく、わかるまでやめないことの方だったのです。