文明堂のカステラのような題名ですが。
発表学習クラスで行う子供たちの発表は、楽しいものであることが一番です。
楽しいということは、本人が面白がってできるものであるということです。
実は、これを見つけるのがなかなか難しいのです。
子供が何を楽しいと思っているかということは、日常の子供の生活に目を向けてその子の関心を推測できるお母さんやお父さんにしかできません。
どんな子にも、自分の興味の持てる世界があるものです。
電車の好きな子は、異常に電車が好きです。
生き物の好きな子は、やはり異常に生き物が好きです。
この異常なくらい好きなものというのが、その子の勉強の出発点になるのです。
楽しくできるものを探したあと、二番目に大事なことは、それを学問にまで高めていくことです。
先日、ジェットコースターに乗った経験を、重力加速度の話に結びつけて説明してくれた中1の生徒がいました。
そういう遊びに近い経験を、学問の世界にまでつなげていくことが大事なのです。
高学年になれば、自分で学問的な話に結びつけることができますが、低中学年では子供だけではなかなかそういうところまでは考えが回りません。
そこで、お父さんやお母さんが手助けをしてあげるのです。
その手助けをしてあげるときの親子の対話が、子供の思考力と勉強観を育てていきます。
実は、子供の真の学力を育てるのは、勉強そのものよりも、勉強の準備の段階で考えたり話し合ったりするところでなのです。
学問の世界につなげたあと、三番目に心がけることは、そこに創造性を付け加えることです。
創造性とは、まだ他の人がやっていないことをしたり、他の人が考えていないことを考えたりすることです。
学問の世界の話だけであれば、例えば参考書を書き写すだけでもそれなりのことはできます。しかし、それではその子の個性というものが出てきません。
その学問の世界の話に、その子らしいもうひとつの創造を付け加えることが大事なのです。
ただし、創造といっても、もちろんノーベル賞級のものを目指すというのではありません。
最も手軽な創造は、発表の内容を言葉だけでなく絵で描いてみることです。
その絵も、資料に載っているような絵を書き写すだけではなく、自分の頭の中にあるものを描いていくようにすれば、そこにその子らしい創造が加わります。
また意外に考えられる創造としては、ダジャレや俳句などがあります。
学問的な勉強で理解したことを、ダジャレや俳句で言い表せば、そこにやはりその子らしい創造が生まれます。
つまり、大事なことは、発表する勉強の中に、いつも自分らしい創造性を盛り込んでいくということです。
その姿勢が、将来その子が社会に出たときに、言われた仕事を言われたままにするのではなく、ひと工夫もふた工夫もして取り組むという生き方につながっていくのです。
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今の勉強の多くは、本人が興味を持てないものを、知識として教え込み、与えられた答えになるようにテストするというつまらないものになっています。
本当は、勉強はもっと生き生きとした楽しいものなのです。
そして、楽しい勉強をやっているうちに、つまらない必要な勉強も乗り越える力がついてくるのです。
遊びを勉強にまで高め、勉強を創造にまで高めるというのが、未来の理想の勉強の姿になると思います。
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作文の勉強で、いちばん困るのが時間がかかることです。
特に、考える力の要求される作文になる、小5以上、中学生、高校生になると、本人が納得のいく1200字の文章を仕上げるには、1時間半ほどかかります。
そのために、多忙な高学年の生徒は、つい作文の勉強を後回しにしてしまうことがあるのです。
そこで、言葉の森がおすすめするのが、音声入力作文です。
音声入力と言っても、普通と同じ速度で話すのでは、いい文章になりません。表現を考えながら話すと、普通の速度の3倍から4倍の時間がかかります。
しかし、それでも、10分も話せば、約1000字の作文が仕上がります。
できあがった文章は、もちろん音声認識ミスがあるので、修正する必要がありますが、全く修正しないままアップロードしても、先生が読むのには差し支えありません。
それぐらい、今のAI音声認識は精度が高くなっています。
そして、いったん作文が仕上がると、それを修正するのには、あまり苦労を感じません。
最初から全部手書き、又はパソコン書きで書こうとすると、1時間半かかる高い山をひたすら登るというイメージですが、音声入力を利用すると、頂上近くまで10分間でケーブルカーで行き、そこで帰ってきてもよいが、一応頂上まで徒歩でもう少し行ってみようという気になるのです。
この音声入力の方法をマスターすれば、夏休みの読書感想文の宿題やレポート提出の宿題も簡単に手がけられます。締め切りぎりぎりになるまで後回しにするということがなくなるのです。
この音声入力講座をオンラインで行います。
■日時
5月26日(土)11:00から30分程度
■準備しておくもの
ICレコーダー
オーディオケーブル(ICレコーダーとパソコンをつなぐもの。35mmオスオスが多いと思います。)
googleドキュメントが開けるブラウザ
テラパッドやワードのように全文置換できる機能のあるエディタ又はワープロソフト
■費用(講座受講料)
言葉の森の生徒及び兄弟、保護者は無料
言葉の森の生徒以外の方は2,000円
▽講座受講料は5月20日まで下記の口座にお振り込みください。
三井住友銀行 港南台支店 普通 6599615 株式会社言葉の森
■参加お申し込みは、下記のページからお願いします。
https://www.mori7.com/kform_pre.php?k=osm201805
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中3の生徒の保護者から、「先生からの電話では楽しく話しているが、その後、忙しいなどと言って作文を書かない」という相談がありました。
同じ悩みを持っている中学生の生徒の保護者も多いと思い、音声入力講座を開くことにしました。
音声入力ができるようになれば、これまで1時間以上かかっていた1200字の作文が、10分ほどで仕上がります。
作文の本質は、書くことではなく考えることなので、忙しいときはこれでいいのです。
では、考えるのはどこでやるかというと、それは構想図を書くところなのです。
音声入力は、日本語ではまだ句読点には対応していません。
本当は、時間があれば、句読点を自撮的につけるソフトを作りたいのですが、いずれそれはgoogleがやるだろうと思うので、今のところその仕事は後回しです。
しかし、ワードやテラパッドの全文置換機能を使えば、敬体の文章の場合かなり簡単に句点がつけられます。
中高生がみんな音声入力ができるようになれば、作文を書くのはもっと楽になると思います。
拝見しました。
面白い試みを教えてくれてありがとうございます。
これからは、作文の書く要素よりも、内容の方が重視されるようになりますね。
いずれ、読書感想文の宿題や、会社のエントリーシートなどもなくなります。
最後に残るのは、対話をすることですから、試験で言えば、口頭試問ということになると思います。
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小学1年生から中学1年生の国語と算数と理科の問題集を見ていてふと思いました。
ここで勉強したことの多くは、忘れてしまっても、生涯困ることのないようなものだろうということです。
ただテストがあるから覚えなければならない、といった類の勉強が問題集のかなりの部分を占めているのです。。
例えば、国語の勉強で、どの言葉がどこにかかるかというようなことは、小学生が覚える必要はないことだと思います。
文章を読んで内容を理解することさえできれば、主語がどうしたとか述語がどうしたとかいうことは二の次、三の次のの問題です。
また小カッコや大カッコや分数や小数を使った複雑な計算も、計算する順序さえ理解していればいいことであって、それを間違えずに早く計算する能力は、電卓の時代にはほとんど必要ありません。
中学生の理科で、左心房、左心室、右心房、右心室という区別をする勉強がありますが、それもそういう区別があるということを分かっていればいいのであって、どこからどこに血液が移動するかというようなところまでは覚えておく必要はありません。それらの知識は人間が覚えていなくても教科書を見ればすぐにわかることだからです。
というようなことを考えると、現在の教育を改善するには、テストで、辞書持ち込み可、電卓持ち込み可、教科書持ち込み可、インターネット検索可を原則にするのが、いちばん手っ取り早い方法になるではないかと思います。
そういう、すべて持ち込み可のテストで残るのは何かと言えば、やはり作文と口頭試問です。
その作文と口頭試問の実力をつけるのは、読書と対話と文章を書く練習です。
特に重要なのは、高度な読書です。
しかし、なぜそういうテストが行なわれないかというと、採点する手間がかかりすぎるからです。
教わる側のことを考えるよりも、教える側の都合で教育が行なわれていることにいちばんの問題があるのです。
これが、心に残らない勉強です。
では、心に残る勉強とはどういう勉強でしょうか。
それは、逆説的に聞こえるかもしれませんが、今挙げた細かい知識の勉強でもあるのです。
ほとんどの人にとって生涯不要になる煩瑣な知識であっても、それが人類の学問からも不要になるのかというとそうではありません。
心臓の細かい働きに強い興味を持っている子は、その知識を学校のテストで求められる以上に深めたいと思うかもしれません。
言葉と言葉の関わりに興味を持った子は、主語や述語や修飾語という区分を超えて、更に深く文法の研究をするようになるかもしれません。
大事なことは、興味を持った人がその興味の範囲で高度な研究をしていくことであって、そのための基礎学力は今のように高く設定しておく必要はないということなのです。
今の学校の勉強のほとんどは、興味の持てない知識をテストという評価によって子供たちに強制しています。
だから、そこで得た知識は、テストが終わればほとんど忘れてしまう心に残らない勉強になっているのです。
心に残る勉強とは、自分が興味を持ったものを研究し、その研究成果を発表する勉強です。
受け身の勉強は心に残りませんが、主体的な勉強は心に残る勉強になるのです。
これからの教育を考えた場合、本当の学力をつけるのは、そのような心に残る勉強の時間をできるだけ多く取ることです。
言葉の森が今取り組んでいる
寺オン作文コースや
発表学習コースについても、その目的は、自分から進んで興味のあることを学ぶという心に残る勉強の時間を大事にしたいということです。
これまでの終身雇用時代の価値観で考えると、人に教わるとか、テストで強制されるとか、間違いを直されるとかいう勉強が、勉強らしい勉強だと思えると思います。
しかし、そのような勉強は、その子のその後の人生にほとんど何ももたらしません。
本人が興味を持って取り組んだことが、あとまで生きる心に残る勉強になるのです。
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小中学校時代、長い時間勉強したはずですが、何を勉強したかはほとんど思い出せません。
それでも、四則計算や、何県がどの辺にあるかということはわかるので、勉強に意味がなかったわけではありませんが、その程度の知識や技能であれば、あれほど長い時間をかける必要はなかったと思うのです。
それよりも、自分の好きな本を読んだり、自分の好きなことを研究したりする時間があった方が、ずっとその後の人生に役立っていたと思います。
今、子供たちがやっている勉強が、本当に意味あるものだと思っている親はあまりいないと思います。
とりあえず人並みにやっておかないと心配だからとか、受験に間に合わせるためにはやむを得ないからと思っている人がほとんどだと思います。
しかし、本当は、子供たちが自分の好きな勉強を、好きなだけやるのがいちばんいいのです。
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