この動画は、ある日の発表学習クラスの勉強の様子(一部)です。
このクラスは、現在、小3から小6の生徒が参加しています。
今、小5と小6になっている生徒は、1年ほど前からこのクラスでの勉強を続けているので、発表の仕方も自然です。
驚くことは、どの子も、かなり高度で準備に時間がかかることを、普通の勉強のような感じで発表していることです。
この授業のあと、読んでいる本の紹介や、互いの発表に対する質問感想などがありますが、それもどの子も自分から進んで積極的に行っています。
こういう創造的で学問的な発表をする背景には、家庭での親子の協力があります。
それは、考えようによっては、親の負担のように思う人もいるかもしれませんが、親と子が共通の話題で知的な対話と創造を楽しむということができる時期は、長い人生の中でほんのわずかです。
そして、そのわずかな時期の経験が、その子の生涯の学問に対する姿勢を形成します。
今、日本中の子供たちに、勉強に対するアンケートを取れば、勉強が好きという子の割合より、勉強が嫌いという子の割合の方がずっと多いと思います。
しかし、それは、勉強そのものに問題があるのではなく、勉強の仕方に問題があるのです。
自主的で、創造的で、友達どうしで自由な交流できる勉強であれば、勉強は遊びと区別がつかないくらい面白いものです。
そういう経験をした人が、将来、仕事に対しても、遊びと同じぐらい熱中して仕事をするようになるのです。
この子たちの学校の成績がどの程度かは聞いていませんが、このように自分から勉強ができる子であれば、センター試験の8割を取るぐらいは、受験前の1年間取り組めば楽勝です。半年でも大丈夫です。
そして、東大の推薦入試の学力とは、こういう自分から進んで個性的で創造的なことに取り組む学力なのです。
もちろん、それは、東大に入ればいいということではありません(笑)。
そういう学力をもって、これから世の中で活躍していくことができるということです。
実は、どの子も、本来、この子たちのような、創造的で個性的な学力を持っています。
それが、学校や塾でわけのわからない難問をやらされ、テストで点数をつけられ、競争を煽られているうちに、次第にすり減らされていくのです。
これから、多くの子供たちに、こういう本当の勉強の面白さを伝えていきたいと思っています。
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これまで子供たちは、あまりにも受け身の勉強にならされてきました。
テストで100点を取るなどということは、本当は面白くも何もないことなのです。
それは、やれば誰でもできることだからです。
それよりも、自分しかできないことや、自分しか考えつかなかいことを工夫して勉強すれば、それは遊びと同じぐらい面白い勉強になるのです。
勉強の本当の面白さは、点数や競争や賞や罰とは関係がありません。
それは、仕事の本当の面白さと同じです。
他人に勝って嬉しいというのは、低いレベルの喜びです。
創造的なことは、勝ち負けや他人の評価とは関係なく面白いのです。
(もちろん、人間には、低いレベルの喜びも高いレベルの喜びもどちらも必要ですが。)
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読書を進めるための第四の読み方が、難しい本を読むことです。これが、「難読」です。
そして、読書の最終的な目標は、この難しい本を読むことにあると言ってもいいのです。
本格的に難しい読書のできる時期は、18歳から20代の前半にかけてです。
高校3年生から大学生の辺りの年齢で、古今の古典と呼ばれるような評価の確定した本を読むのです。
例えば、学校の教科書の歴史や倫理社会などの勉強で取り上げられたような、多くの人が名前だけは知っているという本を読んでいくのです。
この難しい本を読む力が、創造力の重要な源泉になります。
小中学生の間でも、この難しい本を読む力の基礎をつけていく必要があります。
それが、説明文の読書です。
最近は、自然科学の分野で、小学生の子供たちが楽しく読めるようなふりがな付きの本が何冊も出るようになりました。
こういう本を、小学校の低学年から読めるようにしていくことが大切です。
しかし、それは、その子の個性に応じてですから、毎日の多読や復読とぶつからない形で、少し難しい説明文の本を読む習慣を作っていく必要があります。
言葉の森では、読書が苦手だという子に対しては、「毎日10ページでいい」、「かいけつゾロリのような面白い本でいい」ということをよく言っています。
しかし、それはそれでいいのですが、そこがまるで読書のゴールであるかのように、いつまでもゾロリを毎日10ページ読んでおしまいにしている子もいます。
決して性急に行う必要はありませんが、読書は、それぞれの子供の個性と読書力に合わせて、より高度な読書に進めていく必要があります。
それを子供の実態に即して判断できるのは、やはり身近に子供に接しているお母さんだけなのです。
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読書の最終的な目標は、難しい本を読むことにあります。
易しい本を10冊読むよりも、難しい本を1冊読む方が、ずっとその人の知的な財産になります。
しかし、小中学生の子供たちに、ストレートに難しい本を読ませようとすれば、すぐに読書嫌いになります。
だから、小学生の間は特に、面白い本が読書選びの基本になるのです。
しかし、そこに少しずつ説明文の読書を取り入れていく必要があります。
幸い、最近そういう楽しく読める説明文の本が少しずつ増えてきました。
毎読、多読、復読と並行して、難読を進めていくのが、読書の進め方の基本になります。
(毎読は毎日読むという意味、難読は難しい本を読むという意味の造語です。)
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子供の読書生活を先に進める第三の読み方が復読です。
よく多読と精読が比較されますが、精読とは繰り返し読むことです。
幼児期の読み聞かせのときに、同じ本を何度も読んでもらいたがる子がいます。
また自分で本を読めるようになったあとも、好きな本を何度も繰り返して読む子がいます。
繰り返し読んだ経験のある子ほど、読書力がつきます。
また、この繰り返し読む読書によって、その子供が文章を書くときのリズム感が育ってきます。
だから、いろいろな本を次々と1回だけ読むよりも、ある特定の本を何度も読むような読み方ができるように勧めていくといいのです。
しかし、これは本人が好きで繰り返し読む本に出合うまで待っているわけにはいかないこともあります。
そこで、言葉の森では、長文の音読や問題集読書という繰り返し読む勉強法を取り入れています。
繰り返し読むことによって、その文章の内容を理解するだけでなく、その文章にある語彙や表現やリズム感が作られていきます。
ところが、この繰り返し読むということが、単調でなかなか続けられない子が多いのです。
子供たちは、問題集を次々に新しく解くような勉強の方を好みます。
その方が、勉強をしている感じがするからです。
しかし、本当は、問題集を解く勉強は、問題文を読んでいるときだけ読む力を使っているのですから、時間がかかるわりに密度の薄い勉強なのです。
問題を解く勉強に意味があるのは、間違っていた問題を、なぜ間違っていたか理詰めに説明できるようにするときだけです。
ところが、ほとんどの場合、国語の問題は、「当たった」「外れた」のレベルで済ませられてしまいます。
だから、それよりも、問題文を繰り返し読むだけの勉強をした方が読解力がつくのです。
長文音読の勉強や、問題集読書の勉強は、問題を解く勉強の5分の1から10分の1の時間でできます。
そういう短時間でできる勉強を毎日繰り返していくといいのです。
(つづく)
次は、読書の中で最も重要な難読についてです。
https://youtu.be/quNAEJQOYTo
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長文音読や、問題集読書や、暗唱練習は、形が残らないので、続けにくい麺があります。
そこで、家庭と教室が連携してできるオンラインの自主学習コースという仕組みを考えたのです。
そして、先生と生徒だけの個別指導とは別に、少人数のオンラインの発表学習コースで読書紹介も始めると、子供たちの読書生活も進み出しました。
ほかの人が紹介した本に興味を持ち、自分も読みたくなるという子が増えてきたのです。
これからの勉強は、先生と生徒の関係だけでなく、こういう親子や友達との関係の中でで進んでいくのだと思いました。
昔の子供たちは、読む本が少ないので、同じ本を何度も繰り返し読んでいました。
それが、自然に子供たちの読書力を育てたのです。
今は、本が豊富なので、新しい本を次々と読むような読み方になりがちです。
この次々に読む「多読」とは、別に、同じものを繰り返し読む「復読」を両方並行して進めていくといいのです。
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