5月31日に、読書作文キャンプを行う那須の合宿所に行ってきました。
ちょうど天気がよかったので、日中の主な遊び場になる鳥野目オートキャンプ場を中心に写真を撮ってきました。
読書作文キャンプの詳細は、6月4日にお知らせします。
オートキャンプ場の入り口です。
園内の地図。
トイレもちゃんとしています。
せせらぎ水路。
炊事場。
去年、テントを張ったところ。今年はここではなく、フリーサイトに。
よくわからないモニュメント。
屋根付きの炉があるんので雨天の場合でもココで食事ができます。
園内の駐車場とゴミ箱。
炊事場とトイレ。
せせらぎ水路がずっと続く。
鳥野目文庫。図書室。兼研修室。
フリーサイト。ここにテントを張る予定。
大きな池があります。
池の近くのフリーサイト。
去年遊んだ浅い池。
この近くにきれいな川がありました。
自然が残っています。
ヤマメもたくさん泳いでいました。
広くて使いようのない(笑)自由広場。
もう一つのフリーサイト。
そのフリーサイトから炊事場を臨む。
炊事場。
一応、コンロもあった。
炊事場とトイレ。
トイレの中(笑)。
近くには那珂川。
那珂川の河原。
那須のマップに、言葉の森が載っていた。(真ん中の縦の折れ線のところ。やや上の方)
昼は、徒歩数分のペニーレインで。
座ったところ。
メニュー1。
メニュー2。
飲み物1。
飲み物2.
きのことアサリのパスタ。
帰り道に野菊がさいていた。
合宿所に戻った。
合宿所の和室。(大人用)
洋室の二人部屋。(大人用)
合宿所全景。左手の車はバン。
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今年の読書作文キャンプは、読書、作文、自然、発表をテーマに行っていく予定です。
子供だけでなく、保護者も祖父母も参加できるキャンプにしていきたいと思います。
天気予報は雨の予定でしたが、着いてみたら晴れていました。
そこで、写真をいろいろ撮ってきました。
水の冷たい川のきれいなところがあるので、本当はウェットスーツで泳げるようにしたいのですが、きつくてひとりで着られない子が多そうなので保留です(笑)。
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天外伺朗さんの本で、「ホワイト企業」という考え方があることを知りました。
ブラック企業というのは、会社の業績を上げるためには社員を犠牲にしてもやむを得ないとする考え方です。
業績が上がれば社員に還元できるのだからという理由で、業績第一社員第二としているのです。
ところが、業績第一社員第二と考えると、肝心の業績もなかなか上がらなくなります。
その反対に、社員第一業績第二という経営をしていると、自然に業績も向上してくるというのです。
同じことが、子供の勉強についても言えるのではないかと思いました。
成績第一子供第二というと何か変ですが、今の子供たちの勉強生活はそのようになっているのではないでしょうか。
これは、成績を上げていい学校に入ればその結果として楽しい生活が送れるだろうから今は苦しくても我慢するという考え方です。 しかし、この考え方だと、成績もなかなか上がらないのです。
その反対に、子供が楽しく幸福に暮らすこと、つまり子供の笑顔を第一にし、成績や合格は第二と考えていると、自然に成績もよくなっていきます。
確かに、短期間の成績に関しては、そのときの頑張り方が影響します。
しかし、長い期間の成績を考えると、成績よりも子供の幸福を第一に考えていくことで、子供は勉強だけでなくあらゆる面で成長していくのです。
これをブラック勉強と対比する形で、ホワイト勉強と名付けることができます。
このホワイト勉強を支える母親がホワイトマザーであり、その母親を支える父親がホワイトファザーなのです。
なんだかわけのわからない言葉になりましたが。
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子供がテストで悪い成績を取ってきたとき、お母さんが言うひとことは、
「人生は長いんだから大丈夫」と、まず安心させてあげることです。
そして、実際に、子殿もころの成績は、その後の人生に何の影響も与えないのです。
子供の人生に影響を与えるものは、いかに幸福な子供時代を過ごしたかということだけです。
こういう考えを大前提にして、家庭での勉強は楽しさ第一でやっていくことです。
天外伺朗さんは、この本の中で、子供時代に無条件の受容を経験することが大事だと述べています。
その無条件の受容を与えるのは、多くの場合母親です。
無条件の受容と対比されるのが、子供をコントロールすることです。
勉強に関するコントロールの例は、「成績がよかったら何かを買ってあげる、悪かったらお小遣いを減らす」というようなやり方です。
本当は、成績がよくても悪くても、お母さんはにこにこしていればいいのです。
昔の母親は、ほとんどの人がそうだったのではないかと思います。
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「日本一労働時間が短い“超ホワイト企業”は利益率業界一!」 山田昭男のリーダー学
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この動画は、ある日の発表学習クラスの勉強の様子(一部)です。
このクラスは、現在、小3から小6の生徒が参加しています。
今、小5と小6になっている生徒は、1年ほど前からこのクラスでの勉強を続けているので、発表の仕方も自然です。
驚くことは、どの子も、かなり高度で準備に時間がかかることを、普通の勉強のような感じで発表していることです。
この授業のあと、読んでいる本の紹介や、互いの発表に対する質問感想などがありますが、それもどの子も自分から進んで積極的に行っています。
こういう創造的で学問的な発表をする背景には、家庭での親子の協力があります。
それは、考えようによっては、親の負担のように思う人もいるかもしれませんが、親と子が共通の話題で知的な対話と創造を楽しむということができる時期は、長い人生の中でほんのわずかです。
そして、そのわずかな時期の経験が、その子の生涯の学問に対する姿勢を形成します。
今、日本中の子供たちに、勉強に対するアンケートを取れば、勉強が好きという子の割合より、勉強が嫌いという子の割合の方がずっと多いと思います。
しかし、それは、勉強そのものに問題があるのではなく、勉強の仕方に問題があるのです。
自主的で、創造的で、友達どうしで自由な交流できる勉強であれば、勉強は遊びと区別がつかないくらい面白いものです。
そういう経験をした人が、将来、仕事に対しても、遊びと同じぐらい熱中して仕事をするようになるのです。
この子たちの学校の成績がどの程度かは聞いていませんが、このように自分から勉強ができる子であれば、センター試験の8割を取るぐらいは、受験前の1年間取り組めば楽勝です。半年でも大丈夫です。
そして、東大の推薦入試の学力とは、こういう自分から進んで個性的で創造的なことに取り組む学力なのです。
もちろん、それは、東大に入ればいいということではありません(笑)。
そういう学力をもって、これから世の中で活躍していくことができるということです。
実は、どの子も、本来、この子たちのような、創造的で個性的な学力を持っています。
それが、学校や塾でわけのわからない難問をやらされ、テストで点数をつけられ、競争を煽られているうちに、次第にすり減らされていくのです。
これから、多くの子供たちに、こういう本当の勉強の面白さを伝えていきたいと思っています。
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これまで子供たちは、あまりにも受け身の勉強にならされてきました。
テストで100点を取るなどということは、本当は面白くも何もないことなのです。
それは、やれば誰でもできることだからです。
それよりも、自分しかできないことや、自分しか考えつかなかいことを工夫して勉強すれば、それは遊びと同じぐらい面白い勉強になるのです。
勉強の本当の面白さは、点数や競争や賞や罰とは関係がありません。
それは、仕事の本当の面白さと同じです。
他人に勝って嬉しいというのは、低いレベルの喜びです。
創造的なことは、勝ち負けや他人の評価とは関係なく面白いのです。
(もちろん、人間には、低いレベルの喜びも高いレベルの喜びもどちらも必要ですが。)
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読書を進めるための第四の読み方が、難しい本を読むことです。これが、「難読」です。
そして、読書の最終的な目標は、この難しい本を読むことにあると言ってもいいのです。
本格的に難しい読書のできる時期は、18歳から20代の前半にかけてです。
高校3年生から大学生の辺りの年齢で、古今の古典と呼ばれるような評価の確定した本を読むのです。
例えば、学校の教科書の歴史や倫理社会などの勉強で取り上げられたような、多くの人が名前だけは知っているという本を読んでいくのです。
この難しい本を読む力が、創造力の重要な源泉になります。
小中学生の間でも、この難しい本を読む力の基礎をつけていく必要があります。
それが、説明文の読書です。
最近は、自然科学の分野で、小学生の子供たちが楽しく読めるようなふりがな付きの本が何冊も出るようになりました。
こういう本を、小学校の低学年から読めるようにしていくことが大切です。
しかし、それは、その子の個性に応じてですから、毎日の多読や復読とぶつからない形で、少し難しい説明文の本を読む習慣を作っていく必要があります。
言葉の森では、読書が苦手だという子に対しては、「毎日10ページでいい」、「かいけつゾロリのような面白い本でいい」ということをよく言っています。
しかし、それはそれでいいのですが、そこがまるで読書のゴールであるかのように、いつまでもゾロリを毎日10ページ読んでおしまいにしている子もいます。
決して性急に行う必要はありませんが、読書は、それぞれの子供の個性と読書力に合わせて、より高度な読書に進めていく必要があります。
それを子供の実態に即して判断できるのは、やはり身近に子供に接しているお母さんだけなのです。
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読書の最終的な目標は、難しい本を読むことにあります。
易しい本を10冊読むよりも、難しい本を1冊読む方が、ずっとその人の知的な財産になります。
しかし、小中学生の子供たちに、ストレートに難しい本を読ませようとすれば、すぐに読書嫌いになります。
だから、小学生の間は特に、面白い本が読書選びの基本になるのです。
しかし、そこに少しずつ説明文の読書を取り入れていく必要があります。
幸い、最近そういう楽しく読める説明文の本が少しずつ増えてきました。
毎読、多読、復読と並行して、難読を進めていくのが、読書の進め方の基本になります。
(毎読は毎日読むという意味、難読は難しい本を読むという意味の造語です。)
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子供の読書生活を先に進める第三の読み方が復読です。
よく多読と精読が比較されますが、精読とは繰り返し読むことです。
幼児期の読み聞かせのときに、同じ本を何度も読んでもらいたがる子がいます。
また自分で本を読めるようになったあとも、好きな本を何度も繰り返して読む子がいます。
繰り返し読んだ経験のある子ほど、読書力がつきます。
また、この繰り返し読む読書によって、その子供が文章を書くときのリズム感が育ってきます。
だから、いろいろな本を次々と1回だけ読むよりも、ある特定の本を何度も読むような読み方ができるように勧めていくといいのです。
しかし、これは本人が好きで繰り返し読む本に出合うまで待っているわけにはいかないこともあります。
そこで、言葉の森では、長文の音読や問題集読書という繰り返し読む勉強法を取り入れています。
繰り返し読むことによって、その文章の内容を理解するだけでなく、その文章にある語彙や表現やリズム感が作られていきます。
ところが、この繰り返し読むということが、単調でなかなか続けられない子が多いのです。
子供たちは、問題集を次々に新しく解くような勉強の方を好みます。
その方が、勉強をしている感じがするからです。
しかし、本当は、問題集を解く勉強は、問題文を読んでいるときだけ読む力を使っているのですから、時間がかかるわりに密度の薄い勉強なのです。
問題を解く勉強に意味があるのは、間違っていた問題を、なぜ間違っていたか理詰めに説明できるようにするときだけです。
ところが、ほとんどの場合、国語の問題は、「当たった」「外れた」のレベルで済ませられてしまいます。
だから、それよりも、問題文を繰り返し読むだけの勉強をした方が読解力がつくのです。
長文音読の勉強や、問題集読書の勉強は、問題を解く勉強の5分の1から10分の1の時間でできます。
そういう短時間でできる勉強を毎日繰り返していくといいのです。
(つづく)
次は、読書の中で最も重要な難読についてです。
https://youtu.be/quNAEJQOYTo
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長文音読や、問題集読書や、暗唱練習は、形が残らないので、続けにくい麺があります。
そこで、家庭と教室が連携してできるオンラインの自主学習コースという仕組みを考えたのです。
そして、先生と生徒だけの個別指導とは別に、少人数のオンラインの発表学習コースで読書紹介も始めると、子供たちの読書生活も進み出しました。
ほかの人が紹介した本に興味を持ち、自分も読みたくなるという子が増えてきたのです。
これからの勉強は、先生と生徒の関係だけでなく、こういう親子や友達との関係の中でで進んでいくのだと思いました。
昔の子供たちは、読む本が少ないので、同じ本を何度も繰り返し読んでいました。
それが、自然に子供たちの読書力を育てたのです。
今は、本が豊富なので、新しい本を次々と読むような読み方になりがちです。
この次々に読む「多読」とは、別に、同じものを繰り返し読む「復読」を両方並行して進めていくといいのです。
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5月26日に音声入力講座を行いました。その動画の記録(一部)を紹介します。
音声入力の方法をマスターすると、作文を書く際の負担が大幅に軽減します。
それは、1200字の作文でも、10分程度でとりあえず書くことができるからです。
音声入力でテキスト化された文章を手直しする時間があるとしても、それはほとんど苦になりません。
手直しは、単なる作業としてできるからです。
大事なのは作文の中身であって、どういう方法で書くかということではありません。
作文を書く前の構想図の段階でしっかり考えを深めていれば、あとはどのような方法で書いてもいいのです。
だから、自分の最もやりやすい能率のよい方法で書いていくといいのです。
ところで、構想図を書くのは、もちろん手書きです。
考えを深めるためには、紙とペンによる手書きという組み合わせが今のところ、最も自然だからです。
しかし、ソクラテスの時代には、対話が思考を深める方法だったようですから、そういう方法もいずれは開発されるかもしれません。
今のところは、構想図を書くために、親子で対話をするということでやっていくといいと思います。
https://youtu.be/qC_g7rg11eg
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言葉の森が、子供たちの作文にパソコン入力を取り入れたのは、20年ほど前でした。今でもそのこのろ子供たちの作文がネットに残っています。
https://www.mori7.net/hana/
そのころは、ワープロ入力をすることが仕事として成り立ち始めた時期でした(笑)。
今はもうそういう仕事はありませんが。
しかし、世の中に次第にパソコン入力が普及し出したころ、言葉の森では、パソコン入力はやめて、手書きに戻したのです。
それは、構想図を書くという考える作業は、手書きでないとできないと思ったからです。
手書きは数千年の歴史がありますが、パソコン入力は百年の歴史もありません。
人間の思考と手書きは、長い伝統に支えられているのです。
しかし、手書きよりももっと長い伝統を持つものがありました。
それが、口頭で話をすることです。
音声入力は、新しいことのように見えますが、実は手書きよりもずっと人間の思考になじんだものなのです。
そして、その後、テレパシーの時代になるかどうかはわかりませんが(笑)。
手書きをもっと速く楽にしたいという思いから、行書や草書や速記が生まれました。
パソコン入力をもっと速く楽にしたいという思いから、さまざまな入力法が考案されました。
今は、人工知能の力によって音声入力ができるようになりました。しばらくは、音声入力の方法が発展していくでしょう。
しかし、音声入力の先にあるものがあるのです。
それが、四行詩の世界です。
四行詩は、1200字の作文を、四行にまとめて表すという方法です。
昔で言うと、短歌の世界です。
文章は速く書ければいいというのではなく、できるだけ短く美しく書くことの方が大事だからです。
その四行詩に四コマ漫画を組み合わせたものが、将来の文章表現のひとつのジャンルになると思います。
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答えのない勉強としての読書をどう進めるかということについて、第二の重要な読み方となるのが多読です。
読書は、毎日読むだけでなく、できるだけたくさん読むことが大切です。
毎日10ページ読めばいいというのではなく、たくさん読めればその方がいいのです。
毎日1時間読む子と、毎日10分しか読まない子との読書量の差は、1年間に直せば約300時間です。
勉強でついた差は、集中学習をすればすぐに追いつきますが、読書でついた差はまず追いつきません。
それどころか、年々その差は広がっていきます。
これが、あとになって学力の決定的な差になっていくのです。
では、どのくらい読んだらいいかというと、目安は学年の10倍ページです。
小1は10ページ、小2は20分ページ、そして、小5以上は毎日50ページ以上読むというのが目安です。
これは、大学生になっても、社会人になっても同様で、勉強や仕事が忙しくても、毎日50ページ以上は何かの本を読んでいくといいのです。
毎日50ページ読むと、平均して週に2冊程度の本を読み終えます。
これが、多読の基準です。
子供たちの多読を妨げているものの一つが勉強のし過ぎです。
勉強は、答えのある界なので点数という結果が出ます。
そのために、限られた時間で、勉強と読書の両方をやる必要があった場合、勉強を優先させてしまう人が多いのです。
ところが、本当は、小学生にとっては勉強よりも読書の方がずっと大切です。
勉強は基礎ができていればいいのであって、基礎以上に難しい応用問題に対してもよい成績を取るということは、小学生には必要ありません。
成績をあげる勉強をするよりも、その時間を読書や自由な遊びの時間に充てた方が、本当の学力がつきます。
小学校低中学年のときの成績は、高学年や中高生になると、簡単に逆転します。
しかし、それがわかるのは、学年が上がってからです。
小学生時代は、読書が先で、勉強があとと考えておくといいのです。
多読を妨げるもう一つのものは、ためになる本を読ませようとして、かえって読書量を減らしてしまうことです。
子供がまだ興味を持てないような本を、よい本だからという理由で読ませようとすると、その結果読む量が減ります。
よい本を読むこととたくさんの本を読むことを両立させるためには、本に付箋を貼るなどして、何種類かの本を並行して読めるようにすることです。
小学生の間は良書を読むことよりも、良書を読むこともそうでない本を読むこともも含めて、たくさんの本を読むことが大切です。
たくさん読むということの中には、同じ本を何度も読むことも含みます。
(つづく)
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宿題が多すぎて本を読む時間がないという人が時どきいます。
そういう宿題は、お母さんが代わりにやってあげればいいのです。
これは、冗談でも何でもなく、本を読む時間が取れないような小学校生活はおかしいのだという常識を持つことが大切です。
同じ本を何週間も読んでいる子がいます。
それは、その本がつまらないということです。
そのつまらない本と並行して、もっと面白い本も読んでいくといいのです。
本は1冊ずつ読むものではなく、何冊も並行して読んでいっていいのです。
多読という言葉はやや曖昧なので、基準を学年の10倍ページとするといいと思います。小1は10ページ、小2は20ページ、そして小5は50ページ以上です。
大人も場合も、毎日50ページ以上読むというのが、読書生活の目安になると思います。
毎日50ページ読むと、1週間に平均して2冊の本を読み終えます。これは、現在の小学生の平均読書量です。
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読書は、作文と同じように、答えのない勉強です。
これが、算数の計算問題や国語の漢字書き取り問題など答えのある勉強と違って、一律の取り組みというものを難しくさせています。
読書も、作文も、その子の個性が関係する勉強なのです。
答えのある勉強が客観的な基準を持っているのに対して、答えのない読書には、これがよいと言えるものがありません。
その反対に、こういうことはよくないということを、それぞれの子供に応じて言うことはできます。
その子に応じた読書が必要になるので、ある子にはAがよいと言い、ある子にはBがよいと言うことがあるのです。
どういう読書が大切かということについて、大きく四つのことが言えます。
しかし、この四つを全部やればよいということではなく、それぞれの子供の読書力の状態に応じて、重点を決めていく必要があります。
第一は、毎日読むということです。
読書は習慣になるものなので、毎日本を読む時間があれば、それが生活の一部として無理なく続けられるようになります。
しかし、読まない日が2、3日続くと、そのまま本を読まない生活が習慣になってしまうことが多いのです。
したがって、どんなに本が苦手な子であっても、最初の出発点とするのは、毎日10ページ以上を読むということなのです。
読書が苦手な子でも、10ページという基準は苦になりません。
そして、毎日欠かさずに10ページ読んでいるうちに、あるとき、ふとその本の内容に引かれて10ページ以上読み、そのまま最後まで読んでしまうというようなことが出てきます。
そこから、読書の面白さということに目覚めるのです・
この、毎日10ページ以上必ず読むという読み方が、読書生活の出発点です。
どんな本を読ませたらいいかということよりも、毎日10ページは読むということが最も大切なことなのです。
しかし、ここで大きく誤解する人が出てきます。
それは、毎日10ページ読んでいるから、それで十分だと考えてしまう人がいることです。
毎日10ページという基準は、最初の出発点なのであって、それがゴールなのではありません。
毎日読むというところから、それぞれの子供の読書力に応じて、読書を発展させていく必要があります。
それが、以下に述べる、第二、第三、第四の読み方です。
それは、多読、復読、難読という読み方です。
(「難読」というのは、難しい本を読むという意味の造語です。)
(つづく)
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勉強の差は点数ですぐに見えますが、読書の差というものは見えません。
しかし、勉強の差は大きく見えても、やればすぐに追いつくものですが、読書の差は目立たないように見えても、どんどん広がっていくものなのです。
だから、家庭では、子供の読書生活を発展させることを第一に考えていくことです。
宿題が多くて読書の時間が取れないなら、宿題はお母さんがやってやり、子供には読書をさせることです。
それぐらい、今の子供たちは、わけのわからない勉強で忙しいのです。
「勉強は成績をよくするが、読書は頭をよくする。」
これが、これからの子育ての標語です。
勉強の差は、どんなに大きく見えても、集中勉強をすればすぐに追いつきますが、読書の差はいったんついたら、集中読書ぐらいではもう追いつきません。
それぐらい、読書力は本質的な学力なのです。
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