発表学習コースは、日常生活で子供が疑問に思ったり関心を持ったりしたことをもとに学問的な研究や実験を行い、それを創造的に発展させて作品として発表するということを目標としています。
しかし、もちろん小学校低中学年の子供が、そこまでできるとは限りません。
小学校低中学年の子が子供だけの力でやろうとしたら、身近な疑問や関心や経験をそのまま取り上げて発表するところまでがせいぜいです。
しかし、家庭で準備することのできる発表学習は、お父さんやお母さんが協力することができます。
子供の関心を学問的な研究と結びつけ、その研究を創造的に発表するというやり方に、決まった道筋はありません。
その発表までに至る過程で、いろいろな試行錯誤や小さな失敗や小さな成功があり、その積み重ねの結果が発表する作品となるのです。
この試行錯誤の過程で子供が学ぶものは、お父さんやお母さんの物事に対する取り組み方の姿勢です。
学校や塾で教わることは、答えのある結果が中心です。
その結果に至る途中の過程で、教える先生が試行錯誤をしたり失敗したり脱線したりするようなことでは授業は成り立たないからです。
ところが、家庭の学習では、失敗も成功も脱線もあらゆることが可能です。
そして、そのときのお父さんやお母さんの取り組み方が、子供の学問や人生に対する姿勢を育てていくのです。
創造力は、教えられて身につくものでありません。
創造に取り組む身近な人の後ろ姿を見て、子供が自然に創造することの魅力を感じ取っていくものです。
特に、小学生のころは、子供が自分の生き方の模範となるような身近な人を求める時期です。
その時期に、お父さんやお母さんが物事に取り組む姿勢を見せることが、子供の成長で大切なものになってくるのです。
言葉の森の発表学習コースは、そういう家庭での親子の対話や協力というものを大切にしています。
これは、お父さんやお母さんにとっても、新しい形の子供との関わり方になります。
発表学習コースは、子供の思考力と創造力を育てるための、家庭における親子の関わりの機会にもなっているのです。
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湯川秀樹が、当初志していた数学の道から、物理の道へ転向したのは、数学の先生に、答えが合っているが解き方が教えられたものでないからという理由で×にされたということがあったからだそうです。
学校の先生としては、そういう指導はやむを得ない面もあります。
学校の仕組みは、1年生が終わったら2年生に進み、2年生が終わったら3年生に進むという形になっているからです。
しかし、家庭は違います。
子供が興味を持つものであれば、小学生でも高校生並みのことができます。
また、その逆もできます。
家庭は、学校の宿題をやるところではなく、独自に子育てをしていくところなのです。
教育は、学校と家庭が協力してやっていくものですが、それは学校が主で家庭が従という関係なのではありません。
学校と家庭はそれぞれ独自の役割があります。
知識と技能の教育が学校の役割だとすれば、家庭の役割は創造と文化の教育です。
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以前、「材料七分に腕三分」ということで書きましたが、作文の勉強で最も大事なのは事前の準備です。
小学校低学年のころは、まだ表現力だけで書けますが、課題が難しくなってくると、保護者への取材など事前の準備の有無が出来栄えを大きく左右します。
寺オン作文コースの利点は、その事前の準備そのものを発表し合う時間を設けていることです。
書いたあとの添削ではなく、書く前の準備が作文力上達のいちばんの近道です。
これは、特に、受験作文のような難しい課題に取り組む生徒にとっては必須です。
幼中から育てていたカブトムシが、突然みんな成虫になりだしました。
えさは、とりあえずバナナ。
昼間は土の中で寝て、夜だけ起きて食べています。
という写真は、記事の中身には全く関係ありませんが(笑)。
記事の内容は、作文の勉強で大事なのは事前の準備という話です。
事前の準備のための保護者とのやりとりの中で、子供たちは学力だけでなく、物の考え方や人としての生き方なども身につけているのです。
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