物事には良いも悪いもなく、ただ事実が淡々と生起するだけです。
それをとらえる人間の側に、その事実を良いものの流れとして見るか、悪いものの流れとして見るかの違いがあるのです。
人生は明るい昼で、時とき暗い夜があるが、それは明日の明るい昼のための準備に過ぎないと考える人もいれば、人生は夜で、時どき明るい昼が来るが、またすぐ夜になってしまうと考える人もいます。
これを単なるものの考え方としてだけとらえることはできません。
量子の世界では、人間の意識が事実に影響するということが明らかになっています。
それはもちろんごく微小な存在のレベルでそうだということですが、世の中の動きのほんの一瞬のことに関して言えば、その一瞬の時間の向きを変えるのも人間の意識だと思います。
物事には良い面も悪い面もありますが、良い面の方に目を向ければ良い面が次第に主要なリズムになり、悪い面に目を向ければ悪い面が主要なリズムになります。
よく子供たちでじゃんけんをすると、「じゃんけん弱いんだよなあ」と言う子もいれば、「じゃんけんなら勝てそうだ」と言う子もいます。
そういう考え方のちょっとした差が、次第にその子の人生のトーンを決めていくのです。
ただし、人間は本来生きていること自体が、たくましく生きているということですから、どんなに弱気な子でも成長の過程でさまざまな困難に出会いそれを乗り越えていくと、次第に自分の力というものに自信がついてきます。
しかし、そういう苦労をする前の準備段階として、親は子供にはできるだけ物事の明るい面を着目していくといいと教えておくといいのです。
現在のニュースメディアは、暗い話を好んで流します。
先日、キャンプに行ったときの子供たちの車中での会話を聞いていると、そういうマイナスのニュースの影響がきわめて大きいと感じました。
事故とか犯罪とか災害とか、そういう話題がひっきりなしに出てくるのです。
親は、くだらないニュースなどは子供に見せずに(笑)、親子で知的で前向きな話をするような時間を大切にしていくといいと思います。
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人間には誰でも欠点がありますが、その欠点を直そうとすると、欠点がますます重要なものに思えてきます。欠点を直せばすべてうまくいくような気がしてくるのです。
ところが、もし万一その欠点を直せたとしても、次の欠点が出てくるのが普通です。
それよりも、今ある長所を伸ばしていけば、ほとんどの欠点はかえって人間味のあるエピソードぐらいになってくるのです。
こういう肯定的な人生観を教えてくれるのが、いちばん身近にいる両親です。
動物たちはみんな前向きです。
飼っている犬や鳥たちを見ていると、彼らは、過去をふりかえったり、未来に恐れをいだいたり、自分の欠点を直そうとしたり、本当にしたいことがわからないなどと言ったりは、決してしません。みんな現在を充実して生きています。
人間ももともとはそうなのです。ただそれだけでは際限なくだらしなくなる可能性があるから、少しだけ考える必要があるというだけなのです。
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言葉の森の作文指導は、親子の対話を重視しています。特に小学生のうちはそうです。
子供の語彙力、思考力は、国語の問題集によってではなく、親といろいろな話をすることによって育つからです。
語彙力と思考力のある子は、どの教科の勉強もできるようになります。
だから、わざわざバランスよく、国語、算数、理科、社会などの勉強を家庭でする必要はありません。いろいろな教科の勉強は、学校でしているだけで十分です。
家庭の学習では、国語的なこと最重点にしてやっていく必要があります。その国語的なことが、読書、作文、対話、暗唱です。
小3から小6の生徒には、作文の準備をするための予習シートを渡していますが、それは、作文のテーマについて、お父さんお母さんに取材をするためというのが大きな目的です。
この取材の中で、語彙力、思考力が育ちます。
本を読むには、目から入る読解力が必要ですが、人の話を聞くには耳から入る読解力が必要です。そして、この両者の読解力は共通しています。その共通しているところが思考力です。
小2までの生徒は、自由な題名の課題なので、予習シートで親に取材するという形は取れませんが、そのかわりに実行課題集を渡しています。
これは、季節の行事や遊びを家庭で企画することを通して、やはり親子の対話を盛んにするためです。
予習シートも、実行課題集も、作文を書くことを前提にしていますから、対話の内容も自然に知的、論理的なものになります。「楽しくてよかったね」という話で終わらずに、「どうしてだろうね」と考えるような方向に話が進むのです。
この親子の対話で大事なことは、真面目さよりも楽しさを優先させることです。
対話の目的が、作文を書くことに結びついているので、対話は自然に真面目な方向に向かいますが、ここで親があまりにきちんと勉強的な位置づけで話をすると、子供はそれを息苦しく感じるようになります。
真面目にやりすぎることのいちばんのマイナスは、親子ともにくたびれて、長続きしなくなることです。
国語的な勉強は、読書も作文も含めてすべて長期戦ですから、何しろ長続きさせることが大事です。その長続きのコツは、楽しさを優先させて、面白おかしく、力を抜いて行うことです。
▼親子の対話を生かす日曜朝の「親子作文」体験学習はこちらから
https://www.mori7.com/kform_pre.php?f=tkg201809
▼通常の電話通信の体験学習はこちらから
https://www.mori7.com/ftaikenn.php
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苦しいことは長続きしません。
どのような習い事でも、成果を上げるためには、長続きさせることが大事です。
その長続きさせるコツが、楽しく肩の力を抜いて続けることです。
ところが、小学1、2年生のころの子供は、親の言うことは何でも素直に聞くので、親が真面目にやりすぎても、それについていってしまうのです。
しかし、その真面目さは無理があるので、いずれ行き詰まります。
だから、子供が小さいときほど、親は楽しさを優先させて接することが大事なのです。
「親子の対話を楽しさを優先させて」と反対のことのようですが、親子の対話は知的であることが大事です。
子供が子供のレベルで感じたまま言ったことを、親は更に知的に高いレベルで、しかし楽しく話してあげる必要があります。
そのためには、親自身がものごとを知的に考える習慣を持っていることが大切です。
子供に何か聞かれたとき、「ない」とか、「わからない」とか、「自分で調べなさい」とか言わずに、必ず何か中身のあることを話してあげる必要があるのです。
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