まず要素還元主義的な要約の方法です。
文章全体があった場合、まず、最小単位である文に着目し、その文を主語と述語に圧縮します。
次に、一つの段落に着目し、その段落の中で最も重要だと思われる一文を抽出します。
次に、段落ごとの一文の集合である文章全体から、その文章の内容を最もよく表すいくつかの文を抜き出します。
こうして文章全体の要約が完成します。
しかし、こういう回りくどい勉強法が果たして毎日できるでしょうか。
一度だけなら我慢してできるかもしれませんが、毎日の要約の勉強としてやるには、あまりに手間がかかりすぎます。
しかし、こういう要素還元主義的な要約の説明が多いのは、要素に還元された話は、教えやすくわかりやすい気がするからです。
もちろん、わかりやすい気がすることと、本当にわかって実行できることとは違います。
言葉の森の要約法は、要素還元主義とは正反対の全体論的な要約です。
まず、文章全体を最初から最後までひととおり読みます。
とりあえず全体を読み終えることが第一です。
そして文章を読むときに、自分なりによくわかったと思うところに傍線を引いておきます。
大事なところに線を引くのではなく、自分なりによくわかったと思うところに線をひくというのがコツです。
次に、傍線を引いた箇所だけをすばやく何度も読み返します。
すると、その文章全体が何を述べているかということがわかってきます。
このときにわかる全体は、部分の総和だけではありません。
部分の総和としての全体とともに、自分なりに理解した全体というものがわかってきます。
その自分なりに理解した全体とは、生きた全体です。
この生きた全体から、その文章に対する自分の考えというものが出てきます。
言わば自分の考えを展開する出発点として、その文章を理解したということなのです。
しかし、ここで自分の考えを展開する前に、いったん戻って文章全体の要約をします。
その方法は、いくつもの傍線を引いた文から、文章全体の内容に合った文をいくつか抜き出すことです。
これを3つの文として抜き出すとすれば、それが三文抜き書きです。
この全体論的な要約が、分析主義的な要約よりも優れている点は、回りくどくないことです。
部分から取り組んでいる間は、最後に完成するまで全体が見えません。
全体から取り組む場合は、そのまま全体が見通せます。
そして、この全体論的な要約に慣れてくれば、文章を読んですぐに要約するということができるようになるのです。
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要約の練習をする場合、できるだけ簡単な方法でやることが大事です。
難しい方法は長続きしないからです。
また、要約の素材となる文章でいちばんいいのは、実際の入試問題の問題文です。
新聞のコラムがいいという人もいますが、コラムでは易しすぎるからです。
言葉の森では、要約の方法を簡単に教えているので、誰でもすぐに要約ができるようになります。
しかし、要約の勉強には力を入れていません。
それは、あまり面白い勉強ではないからです。
要約の勉強が面白くない証拠に、それはパソコンのソフトなどでもとっくの昔にできるようになっています。
人間がやるのは、ソフトにはできないことです。
それが作文です。
だから、作文で最も大事な要素は、その作文の中にある創造性なのです。
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日本の経済は、ほとんどの分野で需要が縮小しています。
人口が減っているだけでなく、消費する量も減っているのです。
だから、昔のように物がたくさん売れて供給が間に合わないという状態はほとんど目にしなくなっています。
そのため、これまでの経済に合わせて効率よく組織されてきた大きな供給力が、その力を持て余しているというのが、今の日本の経済の姿です。
物を供給する側は、いかにコストを下げて競争に勝ち抜くかという方向に力を傾け、互いに相手から需要を奪い合うというレッドオーシャンの中で勝ち組になることを目指しています。
このレッドオーシャンで頑張り続けることが、今の過労死などの問題を生み出している一つの要因です。
そして、これは子供の教育についても当てはまります。
受験勉強は、合格するという目的が明確なので、その分勉強の仕方という方法も年々洗練されてきています。
かつて中国では、科挙の試験に特化した受験勉強するために古典を丸ごと暗記するというような方法がとられていました。
狭い目的のためには、最も優れた方法はひとつに絞られてくるので、あとはそのことにひたすら時間をかけたものが勝利するという仕組みになっていたのです。
今の大学入試も、多分にその傾向を持ち始めています。
そのため、近年の大学生の中には、偏差値の高い学校に合格しているのに、優れているのは受験勉強だけで人間の全体的な能力としては逆に低下しているというような人たちも見受けられるようになっています。
これは会社などの現場では実際に発生していることだと思いますが、まだ社会全体の問題にはなっていないので、いまだに旧来の受験勉強を中心にした体制が続けられているのです。
これに対して、レッドオーシャンの中で頑張ることはやめて、新しいブルーオーシャンを探すという動きも生まれています。
それはまだ大きな流れにはなっていませんが、多くの人がその必要性を感じているようです。
子供の教育において、ブルーオーシャンを探すための最初の準備となるものが、それぞれの子供の個性、興味、関心を活かすということです。
ただし、その個性の現れ方は、初めのうちは既にある既成の文化に基づいていますから、今の時点で見れば、子供の興味や関心は、優れているものよりも遊び的なものに向かっているように思われることがあります。
しかし、今は遊びに見られるものに関心を示す子供たちの、その関心の中に、未来の新しいブルーオーシャンの可能性を考えていく必要があるのです。
私は、そのための方法として、寺子屋オンラインでの勉強を考えています。
これは、少人数の生徒が、自分の勉強の発表を中心として学び合うという仕組みです。
ここで、単に受け身に、既に答えのある問題をいかに速く正確に解くかということに方向に力を入れるのではなく、いかに自分の興味や関心を知的、創造的に発展させるかということに力を入れていくのです。
もちろん、答えのある問題をできるだけ速く正確に解くという勉強が必要な時期もあります。
それは、受験の直前の半年から1年間の時期です。
中学、高校の定期テストであれば、試験前の1週間から2週間の時期です。
勝負に勝つことを目的とした時期には、勝つための勉強をしなければなりません。
しかし、そういう時期以外はすべて勝つためではなく自分の本当の実力をつけるために勉強していく必要があります。
その実力をつけるための勉強が、自分の好きなことを出発点として、それを知的、学問的な方向に進め、更に創造的に発展させていくということです。
好きなことだけで終わるのではなく、また、知的、学問的なことだけで終わるのでもなく、創造的に発展させるという目標をいつも意識して勉強を進めていくことが大切なのです。
こういう創造的な勉強をする子供たちは、通常の点数を取るための勉強も自然にできるようになります。
創造的な勉強で、伸びしろができているので、その結果、既存の勉強もできるようになるのです。
これからは、点数を取るための勉強を目的とするのではなく、創造的な勉強をすることを第一の目的とし、点数を取ることはその副産物としてやっていくような時代になっていくと思います。
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親はつい、「とりあえず今の苦手なところを直しておこう」と考えがちですが、苦手対策を中心にすると勉強が苦しいだけのものいなります。(受験期はそれでもいいのですが)
まず最初に、「今の得意なところを伸ばしておこう」と考え、苦手対策はそのあとにするのです。
その方が、勉強が楽しいものになるだけでなく、将来の子供の成長にも結びつくからです。
今はまだ日本の社会全体に余力があります。
だから、とりあえず今の状態で少しずつ改善していこうと考えがちです。
しかし、本当は今のうちに新しい可能性を見つけておかなければならないのです。
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