言葉の森の暗唱検定は、現在、初段の約10,000字分に続いて、二段の10,000字分もできました。このあと、三段、四段と暗唱検定の段階を上げていく予定です。
最近、暗唱練習に取り組む人が増えてきたので、ほぼ毎週のようにそれぞれの級で合格者が出ています。
暗唱は、子供がするだけでなく、大人がしても楽しいものです。
家庭によっては、お母さんも一緒に暗唱しているところもあります。
暗唱にはコツがあり、そのコツさえわかれば、誰でも楽にできるようになります。
年齢による差のようなものは、ほとんどありません。
何歳になってもできるのが暗唱のいいところです。
しかし、すぐにできるのは、暗唱の仕方を素直に受け入れる幼児から小学2年生のころです。
学年が上がると、音読を繰り返すという基本を忘れて、その文章を意識して覚えようとするようになるので、かえって暗唱が難しくなることがあるのです。
暗唱の練習を続けることによって暗唱力のついた子は、学校の勉強がすべてできるようになります。
これは、特に受験勉強のときなどには有利です。
今の入試問題は、考える問題が増えてきたとは言っても、基本は知識をベースにしたものになっています。
また、算数・数学のような、一見考える問題にように見えるものでも、その本質は解法の記憶です。
暗唱力のある子は、難しい算数・数学の問題でも、その解法を覚えてしまうので、似た問題にもすぐ応用できるようになるのです。
ただし、暗唱をしていれば自然に勉強ができるようになるというのではありません。
暗唱力のある子は、勉強をする気になればすぐにできるようになるということです。
ところで、この暗唱の練習は、家庭でスムーズに続けている人もいる一方、家庭ではなかなか続けられないという人もいます。
暗唱は、成果がはっきりわかるので、本当は続けやすいものなのですが、家庭でひとりで取り組んでいると、時には飽きてしまうということもあるようです。
そこで、利用できるのが、寺子屋オンラインのクラスでの毎週の暗唱発表です。
クラスによっては、参加している生徒が全員それぞれの暗唱の発表をするようになっている曜日もあります。
すると、自然に毎日暗唱の練習をするようになります。
この暗唱発表のいいところは、進度は各自で決められるので、たまに練習をしなかった週があっても、それまでに覚えた分の暗唱は確実に発表できるということです。
毎日10分程度の暗唱練習が定着すると、家庭学習の柱ができるので、ほかの勉強にも取り組みやすくなります。
暗唱力をつけることは、子供たちの勉強の基本と言ってもいいと思います。
言葉の森では、10月以降も、日曜朝のオンライン作文体験学習を行いますので、この寺子屋オンラインクラスで暗唱の練習に取り組んでいかれるとよいと思います。
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暗唱力があれば、数学も語学もそのほかの勉強もすべてできるようになるということのひとつの例は、本多静六です。
赤点を取るほどできなかった数学を、わずか数ヶ月の暗唱法で克服し、大学の卒業時には、「数学の天才だから授業に出なくていい」とさえ言われるようになりました。
留学先のドイツでは、最も難しいと言われる教授の著書をすべて暗唱できるようにし、口頭試問も完璧に合格しました。
その静六少年は、子供のころ、家が貧しかったために勉強をしたり本を読んだりする時間がほとんど取れず、家の仕事を手伝っている間、覚えた暗唱をただ繰り返す練習をしていたのです。
暗唱力のある子は、やる気になればすぐできるようになるという点で、この本多静六に似ているところがあります。
暗唱を順調に続けていた子が、いちばんよくつまずくのが百人一首のところです。
ひとつひとつの歌が独立しているので、次の歌を「思い出す」というワンクッションが入ってしまうのです。
暗唱のいちばんのブレーキになるのは、この「思い出す」という癖です。
思い出さない練習法をもっと徹底させるか、思い出して時間がかかってもいいことにするか、今、どちらがいいか考えているところです。
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読解力をつけるコツは、問題文と選択肢を大ざっぱに読むのではなく緻密に読むことです。
緻密に読むとはどういうことかというと、合っていそうなものを選ぶのではなく、必ずしも合っているとはいえないものをすべて選び出して、残ったものを合っているものとみなすことです。
この消去法という解き方は、よく言われているわりに、実行している人がほとんどいません。
国語の先生が具体的に教えていないのだと思います。
緻密に書く記述力は何かというと、問われていることを書くだけでなく、問われてないこととの対比を意識して書くことです。
例えば、「……はAだから。」と書くだけでなく、「……はBではなくAだから。」と書くか、あるいは「Bではなく」ということを意識しながら書くことです。
その書き方によって、記述の輪郭がはっきりとしてきます。
しかし、こういう記述指導をしている人はほとんどいないようです。
緻密な作文力は何かというと、構成を意識して書くことです。
何かの意見を書いたら、その理由や方法などを書き、その裏付けとなる実例を書くかたちで展開していくことです。
小学校低中学年までは、まだ構成を意識する年齢になっていないので、表現項目を意識して、「たとえを入れる」とか「会話を入れる」とかいう条件の中で書いていくことです。
これも、言葉の森の独自の指導法で、ほとんどの作文指導は、こういう教え方はしていないと思います。
読解力も、記述力も、作文力も、基本になるものは緻密に考える力です。
その緻密に考える土台として、読書による語彙力を育てていく必要があるのです。
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国語力の本質は思考力です。それは、読解も、記述も、作文もそうです。
ところが、国語を教える先生は、論理的に教えるよりも感覚的に教えることを好む人が多いのです。
そのため、子供たちも国語は感覚的に解くものだと考えるようになってしまうのだと思います。
国語をどうして理詰めに解くことが大事かというと、進歩の跡がわかるからです。
感覚的に国語の問題を解いているうちは、「当たった」「はずれた」ということでしか見ることができません。
理詰めに解くことによって、自分の不足しているところがわかるのです。
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