「読解問題の解き方」という原稿を書いていて、ここ数日、中学入試の国語の問題をまとめて読んでいました。
すると、問題の中には、「これでは正解が違うだろう」というものが意外といくつもあったのです。
入試という重要な試験ですから、問題作成者は何度も問題を見直しているはずです。
それにもかかわらず、答えが違っているものが出てくるというのは、それぐらい読解問題の作成は難しいということなのです。
もちろん易しい読解問題を作るのは、きわめて簡単です。
そのかわり、難しい読解問題を作るのは、問題を解く力の何倍もの思考力と時間が要るのです。
センター試験のような全国規模の試験では、作成する問題の見直しがもっと厳密に行われています。
だから、センター試験では満点を取ることはできるのです。
しかし、それ以外の入試、模試、さらには学校の定期試験などになると、答えの方が合っていないというものが出てきます。
読解の問題もそうですが、記述の問題では、このことはさらにはっきりと言えます。
数年前、小6の受験生から「僕の記述問題の解答が、その学校で出されている模範解答とかなり違う。どうしたらいいでしょうか」という相談がありました。
その学校のホームページに掲載されている記述問題の模範解答というものを見ると、その生徒の解答の方がずっとレベルが高く、むしろ学校で出されている模範解答自体が模範となっていないどころか、減点の対象ともなるような解答だったのです。
こういう記述問題が出されているのですから、学習塾などで行われる記述問題対策もかなり適当なものではないかと思います。
先日も、記述問題の解き方というある塾の先生が書かれている解説のページを見ましたが、「記述問題の解き方は、要するに書き慣れることだ」ぐらいのことしか載っていないのです。
記述問題を出す側が、問題に対する厳密な正解というものを用意しないまま問題作成をしているようなのですから、対策を立てる側も似たり寄ったりです。
それぐらいですから、今後、大学入試のセンター試験で記述問題を採点するなどということは到底できるわけがありません。
AIの活用などといっても、50字から60字程度の短い記述問題では、かえってAIの力が発揮できないのです。
では、国語力はどう評価したらよいかというと、それは作文力によってなのです。
作文力であれば、AIによる採点はかなり信頼性の置けるものになります。
AI評価の上位の作文だけ、その作文の内容面の評価を人間が行うようにすれば、国語力(作文力)の評価は、かなり短時間でしかも信頼性の高い結果を出せると思います。
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国語のテストは、解き方のコツがわかると、急に成績が上がります。
これは、算数数学のテストも似ています。
算数も、解法のパターンを覚えると急に成績が上がります。
ということは、逆に言えば、今行われている国語や算数の試験の成績は、国語や算数の実力よりも、解き方のテクニックに慣れているかどうかだけなのです。
だから、受験直前でない限り、家庭学習の基本は、国語や算数の問題集よりも、むしろ読書と対話と作文に力を入れていくことなのです。
国語の読解力を上げる方法は簡単です。
言葉の森の生徒の場合は、課題フォルダに一部載せている読解問題を、必ず満点を取ることを目標に解いてみることです。そして、もし×だったら、なぜ合っていなかったのか、納得できるまでのその理由を見つけることです。
この方法だけで、中学生、高校生の国語のテスト成績は必ずよくなります。
それぐらい、この問題を作るのは時間がかかって大変だったのです(笑)。
他のテストは100てんとったことあるけど国語だけない
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言葉の森では、毎月、パソコン入力で送られてきた作文を、森リンという独自の自動採点システムで採点し、そのベスト10の作品名と、最高得点を取った代表作品をホームページに掲載しています。
今回は、7月の学年別の代表作品のうち、小6、中2、高2の3人の生徒の作品を紹介します。
森リンの採点は、作文に対しての採点というよりも、その作文を書いたその生徒の作文力に対する採点です。
作文力は、その生徒の潜在的な学力と関連しているので、森リン点の高い作文を書く生徒は、学力のある生徒と言ってもよいのです。
ところが、学力と成績は必ずしも結びつきません。
成績は、その勉強にかけた時間に比例しますから、学力があっても勉強に取り組んでいなければ成績はそれほど上位とはなりません。
しかし、学力のある生徒は、受験前などに本気で勉強をし始めると、すぐに成績を上げることができるのです。
今回、紹介する小6、中2、高2の生徒の学校の成績は、聞いていないのでわかりません。
しかし、読んでみると、学力が高いことはわかると思います。
作文力を育てることは、こういう本質的な学力を育てることなのです。
なお、言葉の森の作文指導は、課題だけでなく、構成の仕方や表現の項目も一定の条件で書くようにしているため、部分的に読み取りにくいところもあると思います。
また、生徒が自分でパソコン入力しているために、入力ミスが残っているところもあります。
しかし、それでも全体の文章の流れは、いずれもよく書けていると思います。
■小6の部
僕の部屋
(長文を読んでの感想文)
僕が一番心に残ったのは、先生がももこの机を開けたときのももこの感情である。なぜなら僕は普段、整理、整頓、清潔、しつけ、志賀家ルールというお父さんが作った5Sルールを心がけ、自分からも整理整頓をするようにしているからだ。普段から僕と同じ事をすればいいと思う。しかし、それでもたまに遊んでいるときにでもたまに遊んでいる時は次の遊びをする前に、遊んだものを片付けなさいと言われてしまう。しかし普段はあまり言わないがいうときはしっかりという母でさえ、母の部屋へ行くと洋服がベットの上に積み重なったりクローゼットの中にパンパンに詰め込まれている。たまにその風景をみると僕にいう前に自分のことをしたらどうだとたまに思う。しかし母は忙しい中で僕のことを思っているんだと思うと余計なお世話とかおせっかいと思うかも知れなけれど、嬉しことである。
僕にもそれなりに整理できていないことがあるそれは、例えば写真や賞状などといったものである。その一つ写真では僕の小学一年生のアルバムの中にたまに不思議な写真が混ざっている。それはおそらく幼稚園での年中の頃と思はれるお泊まり会の写真だ。僕はそのような写真を見るとたまに、
「いつのだこれ(笑)」
などとつい言ってしまうことがある。(笑)そしてもう一つの賞状でも一年はたったっと思える図工や作文の賞状が残っている(笑)さらに賞状をしまうファイルの中には5歳ごろの賞状が未だ眠っているはずだ。他にも満点とか九十五点とかいろんなテストが一年生の時からずっと溜まっているこれは母がしっかりと残してと言ったからである。このように溜まったものを捨てようとすると止められる。理由を聞くと、僕にとっては昔のものでも母にとっては最近で思いで詰まっているかららしい。僕もその思いには納得がいく。それに自分の年齢を忘れたり間違えるほど人生が一瞬に感じられることがきっと僕にもくると思うからである。
話に戻ろう。他の兄弟や父の部屋はどうだろうか。まず父は、5Sを考えただけあって、しっかりと整理整頓されていた。次に兄はどうだろうか普段はあまり入れてくれないので、兄のいない好きに覗いてみよう。ドアを開けると兄の汗をたくさん吸った服の匂いが僕の鼻を直撃した。まず布団がぐちゃぐちゃで次に棚には教科書や中途半端に使ったノートでパンパンだった。机の上は定規やらシャープペンシルが散乱していた。しかし兄はいつも9時ぐらいに帰ってきていて忙し体と考えてもいいだろう。しかしあまりに汚いので少し整理しておくことにした。妹の部屋は比較的綺麗だったがおもちゃがいたるところに少しずつあった。
このように書いて行くとあることに気が付いた。それは人間にとって、整理整頓とは、やらなくてはいけないと知っていてもなかなかできない事という事である。さて今日は賞状を綺麗にしようか。
■中2の部
言葉の意義
「わぁ、すごいね。」
一昨日、住んでいるマンションのエレベーター前で同じ階に住む二つ隣に住む4歳の女の子と偶然、出会いその子と話をした。つい最近、その女の子は、近くのスイミングスクールに通い始めたらしい。そこは、私も通っていたところだったので話が盛り上がった。私は、エレベーターに乗るまでの待っている間、そのこと目線を合わせるために膝を折り曲げてかがんでそのこと目線を合わせた。そのほうがそのこと意思疎通ができると思ったからである。それに加え、こちらのほうが年齢も身長も高く目線を合わせることによってその女の子が私へ対する恐怖を持たなくて済むからである。このようにして、私だけでなく多くの人が小さな子と話をするときは、目線を合わせたり話し方をゆっくり穏やかにしたりと普段の話し方とは違う口調になるのではないだろうか。
確かに、小さな子供に対しては赤ちゃん言葉のようななじみやすい言葉は良いという意見がありる。赤ちゃん言葉のようなオノマトペは、私は今でも生活の中で使うことがある。例えば、店頭でどこまでも押しつぶせそうな人形があれば、「モチモチ」と表現し、幾重にも真っ白いレースが飾りとなっている服やハンカチを見れば、「フリフリ」と表したりする。「ふわふわな人」と天然要素がありどことなく鈍感そうな人のことをこう言ったりするときも多々ある。このように、私は、幼いころに擬音語を使って物事を表し始め、いろいろなことに興味を持ち始めたという名残が今でもある。まるで、オノマトペは人間の言葉の一部であるかのようだ。赤ちゃん言葉とは、その名の通り赤ちゃんでも分かりやすい言葉で、意味を理解しやすいものの象徴といえると私は思う。
しかし、小さな子供でも大人と対等に扱うほうが良いという意見もある。人間は、対等に扱われることで自信が持てる。人類の歴史を見ても日清戦争の講和条約で朝鮮は清の従属国であったが独立国となった。そして、当時は清のみしか「帝国」の名を語ってはいけなかったが朝鮮は、対等な関係を改めて世界に発信するために「大韓帝国」と改名した。これからも、幼いころから大きな大人と言葉だけでも対等に話してもらうことによって、人間の発達に欠かせない「自尊感情」が早く芽生えるのではないかといえると思う。
赤ちゃん言葉のようなものになじみやすい言葉もよい、小さな子供でも大人と対等に扱うのも良い、しかし、一番大切なことは、言葉を通して世界の万物に対して興味を持ち自らの発達を促せるようになることだ。「読書は人間を豊かにし、討議は人間を役立つようにし、文章を書くことは人間を正確にする」という名言がある通り、ここに書かれていることは、言葉はこの地球に生きる我々にとってとても大切なことである。私は、これから、さらに多くのことを知り、社会に役立つ人間になれるよう言葉を様々な方向から研究していくことを決意した。
■高2の部
異文化の取り入れ
あなたの部屋は綺麗か。私の部屋は時と場合による。必ずと言ってよいほどテスト前には綺麗にしていたのだが、今回のテストでは一度も綺麗にしなかった。(いや、もとからきれいだったのかもしれない。(笑))正確には自分の部屋で勉強する機会が少なかったからだ。部屋が汚くなることは大昔の日本人の祖先たちが暮らしてきた森に逆戻りしようとしている心的作用なのかもしれない。今回に限ってはそのように開き直ることにした。日本人は流行に流されやすい。渋谷、原宿には同じような格好とメイクをしている人が多いと思う。まるでAKB48のメンバーの区別がつかない世界に入り込んでしまったようである。このように自分の主張を失ってしまっているのは問題だと思う。その原因は何なのであろうか。2つの原因が考えられる。
その問題を生じさせた原因としては第一に、日本が西欧に追い付くことを進歩だと考えてきた歴史があるからだ。日本は西欧の進んだ文化を取り入れることに必死になってしまって、自国の文化と調和することをしてこなかった。まずは形からという事であろうか。日本で売られている服には英語が書かれているものが多い。一時期前(私が小学6年生のくらい=5年前)の子供服売り場は英語だらけだった。日本は欧米や西欧に憧れが強いのだろう。英語圏の人は日常的に英語の書かれた服を着ていなかったと思うが、形から真似をしていく、日本らしい方法だと思った。
その問題を生じさせた原因としては第二に、日本人が日本の文化について学ぼうとしなかったからである。私たちの生活をしている場所を客観的に見ることは難しいが自国の文化を見つめ直すことは必要だ。私は今月の後半(7月29日から8月4日まで)にカナダのサスカツーンから男の子二人がホームステイをしに来る。その子たちのためにも!と日本を案内するために調べてみた。その中には自分が知らない日本のことも書いてあって、ある意味勉強になった。自分は日本に住んでいるのに、日本の日常生活や日本文化に触れていないような気がする。学ぼうとしていなかったこともいえるが、そもそも身に付いていなかった可能性も考えられる。
確かに、西欧の発展した文化を取り入れることによって生活は便利になったと思う。しかし、取り入れることに集中したため、自国の文化がおろそかになってしまった。これは悲しいことである。便利を追及することも大切だが自国の文化・環境を知ることの方がもっと大切なことだ。文化とは自然と身に付くものでなく、海外に行って(外に出て自国を客観的に考えることによって)気付くものだ。私たちは上辺だけの西欧化に走り続けてしまった。そして、日本らしさや主張を失ってしまった。これは問題だ。
あなたの部屋は綺麗か。
部屋が汚いことを良しとはしないが、日本の文化をもう一度見直すべきだと思う。
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作文の勉強のいちばんの問題点は、どのくらい進歩したかという基準がわからないことです。
しかも、作文力は、国語力の集大成とも言えるものですから、一犯に進歩はかなり時間がかかります。
ところが、森リン点の推移を見ると、平均して年間2ポイントほど上昇しているのです。
だから、小学6年生以上は、この森リン点を参考にして勉強していくといいと思います。
なぜ小学6年生以上かというと、低中学年の作文だと、漢字の使い方や字数の関係で誤差が大きくなる面があるからです。
森リン点の基準となっているものは、語彙の多様性とバランスです。
なぜバランスが大事かというと、多様なだけだと、冗長な文章になったり、重すぎる文章になったり、硬すぎる文章になったりすることがあるからです。
ただし、大学入試の小論文の場合は、多少重すぎたり硬すぎたりするぐらいでちょうどいいのです。
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言葉の森の暗唱検定は、現在、初段の約10,000字分に続いて、二段の10,000字分もできました。このあと、三段、四段と暗唱検定の段階を上げていく予定です。
最近、暗唱練習に取り組む人が増えてきたので、ほぼ毎週のようにそれぞれの級で合格者が出ています。
暗唱は、子供がするだけでなく、大人がしても楽しいものです。
家庭によっては、お母さんも一緒に暗唱しているところもあります。
暗唱にはコツがあり、そのコツさえわかれば、誰でも楽にできるようになります。
年齢による差のようなものは、ほとんどありません。
何歳になってもできるのが暗唱のいいところです。
しかし、すぐにできるのは、暗唱の仕方を素直に受け入れる幼児から小学2年生のころです。
学年が上がると、音読を繰り返すという基本を忘れて、その文章を意識して覚えようとするようになるので、かえって暗唱が難しくなることがあるのです。
暗唱の練習を続けることによって暗唱力のついた子は、学校の勉強がすべてできるようになります。
これは、特に受験勉強のときなどには有利です。
今の入試問題は、考える問題が増えてきたとは言っても、基本は知識をベースにしたものになっています。
また、算数・数学のような、一見考える問題にように見えるものでも、その本質は解法の記憶です。
暗唱力のある子は、難しい算数・数学の問題でも、その解法を覚えてしまうので、似た問題にもすぐ応用できるようになるのです。
ただし、暗唱をしていれば自然に勉強ができるようになるというのではありません。
暗唱力のある子は、勉強をする気になればすぐにできるようになるということです。
ところで、この暗唱の練習は、家庭でスムーズに続けている人もいる一方、家庭ではなかなか続けられないという人もいます。
暗唱は、成果がはっきりわかるので、本当は続けやすいものなのですが、家庭でひとりで取り組んでいると、時には飽きてしまうということもあるようです。
そこで、利用できるのが、寺子屋オンラインのクラスでの毎週の暗唱発表です。
クラスによっては、参加している生徒が全員それぞれの暗唱の発表をするようになっている曜日もあります。
すると、自然に毎日暗唱の練習をするようになります。
この暗唱発表のいいところは、進度は各自で決められるので、たまに練習をしなかった週があっても、それまでに覚えた分の暗唱は確実に発表できるということです。
毎日10分程度の暗唱練習が定着すると、家庭学習の柱ができるので、ほかの勉強にも取り組みやすくなります。
暗唱力をつけることは、子供たちの勉強の基本と言ってもいいと思います。
言葉の森では、10月以降も、日曜朝のオンライン作文体験学習を行いますので、この寺子屋オンラインクラスで暗唱の練習に取り組んでいかれるとよいと思います。
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暗唱力があれば、数学も語学もそのほかの勉強もすべてできるようになるということのひとつの例は、本多静六です。
赤点を取るほどできなかった数学を、わずか数ヶ月の暗唱法で克服し、大学の卒業時には、「数学の天才だから授業に出なくていい」とさえ言われるようになりました。
留学先のドイツでは、最も難しいと言われる教授の著書をすべて暗唱できるようにし、口頭試問も完璧に合格しました。
その静六少年は、子供のころ、家が貧しかったために勉強をしたり本を読んだりする時間がほとんど取れず、家の仕事を手伝っている間、覚えた暗唱をただ繰り返す練習をしていたのです。
暗唱力のある子は、やる気になればすぐできるようになるという点で、この本多静六に似ているところがあります。
暗唱を順調に続けていた子が、いちばんよくつまずくのが百人一首のところです。
ひとつひとつの歌が独立しているので、次の歌を「思い出す」というワンクッションが入ってしまうのです。
暗唱のいちばんのブレーキになるのは、この「思い出す」という癖です。
思い出さない練習法をもっと徹底させるか、思い出して時間がかかってもいいことにするか、今、どちらがいいか考えているところです。
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読解力をつけるコツは、問題文と選択肢を大ざっぱに読むのではなく緻密に読むことです。
緻密に読むとはどういうことかというと、合っていそうなものを選ぶのではなく、必ずしも合っているとはいえないものをすべて選び出して、残ったものを合っているものとみなすことです。
この消去法という解き方は、よく言われているわりに、実行している人がほとんどいません。
国語の先生が具体的に教えていないのだと思います。
緻密に書く記述力は何かというと、問われていることを書くだけでなく、問われてないこととの対比を意識して書くことです。
例えば、「……はAだから。」と書くだけでなく、「……はBではなくAだから。」と書くか、あるいは「Bではなく」ということを意識しながら書くことです。
その書き方によって、記述の輪郭がはっきりとしてきます。
しかし、こういう記述指導をしている人はほとんどいないようです。
緻密な作文力は何かというと、構成を意識して書くことです。
何かの意見を書いたら、その理由や方法などを書き、その裏付けとなる実例を書くかたちで展開していくことです。
小学校低中学年までは、まだ構成を意識する年齢になっていないので、表現項目を意識して、「たとえを入れる」とか「会話を入れる」とかいう条件の中で書いていくことです。
これも、言葉の森の独自の指導法で、ほとんどの作文指導は、こういう教え方はしていないと思います。
読解力も、記述力も、作文力も、基本になるものは緻密に考える力です。
その緻密に考える土台として、読書による語彙力を育てていく必要があるのです。
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国語力の本質は思考力です。それは、読解も、記述も、作文もそうです。
ところが、国語を教える先生は、論理的に教えるよりも感覚的に教えることを好む人が多いのです。
そのため、子供たちも国語は感覚的に解くものだと考えるようになってしまうのだと思います。
国語をどうして理詰めに解くことが大事かというと、進歩の跡がわかるからです。
感覚的に国語の問題を解いているうちは、「当たった」「はずれた」ということでしか見ることができません。
理詰めに解くことによって、自分の不足しているところがわかるのです。
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日曜朝の親子作文の1回目の課題は、「しぜんとかがくのはっけん366」の本の280ページです。
このページを見て、親子でブーメランを作ってみます。
作文の時間というよりも、工作の時間です(笑)。
参考までに、この本の推薦者でもある米村でんじろう先生がが作っているブーメランの動画を紹介します。
▽【実験86】詳しいペーパーブーメラン / 米村でんじろう[公式]
https://www.youtube.com/watch?v=dLSDj5uyPy8
▽でんじろう先生オススメ 『ブーメラン』 遊び方説明ビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=4SoFip3Ev3o
こういう工作や実験を通して、親子で構想図を書き、お母さんが作文を書くというのが、親子作文です。
そして、お母さんが書いた作文に、そのときの写真を貼ったり家族のコメントを入れたりしてひとつの作品とし、それを読み聞かせの本のひとつとして読んであげるのです。
小学校低学年のころの学力は、読書と対話によって育ちます。
その読書と対話のきっかけになるのが、親子で楽しみながらできる知的な課題に取り組むことなのです。
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作文のような苦しい勉強をどう続けさせるかというと、小学1年生のうちに、作文は楽しい勉強だと自然に思わせるようにしてしまうことなのです。
何事も最初の印象が大事です。
しかし、子供に作文を書かせて、間違いを直して、書き直しをさせるような勉強をしていたのでは、決して楽しい勉強にはなりません。
お母さんと一緒に作文を書くから、楽しいだけで負担のない勉強になるのです。
最近、実験や工作を含めた説明文の良書がたくさん出ています。
物語文には、感性を育てるという面がありますが、同じように、説明文には、知性を育てるという面があります。
そして、説明文には、そこに書かれていることを実際の世界でほかの人と共有できるという重要な役割もあるのです。
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■受験作文コースの受け付け開始
中学入試の場合は、試験の行われる月の4ヶ月前から受講できます。
高校入試の場合は、3ヶ月前から、大学入試の場合は2ヶ月前からです。
受験作文コースの受講料は、通常の作文受講料にプラスして月額3,240円です。
受講を希望される方は、志望校の過去問の情報も併せてお知らせください。
■9月4週に保護者懇談会
9月4週(9月22日~9月28日)の夕方に保護者懇談会を行います。
のちほど、ホームページに参加申し込みフォームを設けますので、参加を希望される方は希望日を送信しておいてください。
今回の主なテーマは、「幼長、小1の親子作文について」「受験作文コースについて」です。
そのほか、自由なご質問ご相談を受け付けます。
■9月17日は休み宿題、
言葉の森のカレンダーの9月17日(月祝日)が「休み」と表示されていましたが、正しくは「休み宿題」です。
申し訳ありませんが、課題フォルダの訂正をお願いいたします。
https://www.mori7.net/ca/
■9月6日は言葉の森のホームページ記念日
言葉の森がホームページを解説したのは、記憶では今から22年前の1996年9月6日でした。
ふと、思い出して、昔のホームページのアーカイブを残しているサイトを見てみました。
▽Wayback Machine
https://web.archive.org/
すると、このサイトが保存を始めたのが1998年以降でしたから、言葉の森の最初のころのホームページはなく、1999年10月23日のページが最初のページになっていました。
それが、上の写真です。
画像、テーブルタグ、カウンタなど、全部手作りでした。
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9月の日曜日朝の「親子作文」体験学習の仕方の説明です。
■参加一覧表
ご参加いただく日程は、参加フォームの一覧表に記載されています。
変更などがある場合は、ご連絡ください。
https://www.mori7.com/kform_pre.php?f=tkg201809
■教材
参考にしていたく教材は、「しぜんとかがくのはっけん366」(主婦の友社)と、言葉の森の教材、「実行課題集9月」です。
また、「暗唱検定文集」で暗唱の仕方の説明もしますが、暗唱の取り組みは自由ですので、ご希望の方だけ練習してください。
▼「しぜんとかがくのはっけん366」
http://amzn.asia/d/1SzBWd7
▼「実行課題集9月」
https://www.mori7.net/jk/index.php?n=p&p=9&tuki=9
▼暗唱検定文集
https://www.mori7.net/mine/as2.php
■授業の流れ
全3回の授業の流れは次のとおりです。
決められた課題で取り組みにくい場合は、「しぜんとかがくのはっけん366」の別のページ、又は、「実行課題集9月」から自由に選んでいただいて結構です。
授業は約45分間で、そのあとミニ保護者懇談会を行います。懇談会の参加は自由です。
●1回目 ブーメラン(「しぜんとかがくのはっけん366」P280)
1回目の授業では、勉強の仕方を説明するだけですので、事前の準備をしていただく必要は何もありません。
お母様又はお父様とお子様が一緒に参加していただければ結構です。
なお、読んでいる本の紹介をしていただくので、今読んでいる本があれば手元に用意しておいてください。(本の表紙を見せるだけで結構です。特に中身の説明をしてもらう必要はありません)
1回目の授業のあと、ブーメランの工作をし、そのときの写真などを撮り、作文を書き、指定のページにアップロードしていただきます。
1回目に暗唱の仕方の説明をします。
●2回目 パン(しぜんとかがくのはっけん366」P295)
1回目に書いていただいた作文の紹介をします。
そのあと、2回目の作文の説明をします。
授業のあと、2回目の作文の実験をし、写真などを撮り、作文を書き、指定のページにアップロードしておいてください。
暗唱の練習をした方は紹介してください。(自由参加)
●3回目 わゴム(「しぜんとかがくのはっけん366」P303)
2回目に書いていただいた作文の紹介をします。
そのあと、3回目の作文の説明をします。
授業のあと、3回目の作文の実験をし、写真などを撮り、作文を書き、指定のページにアップロードしておいてください。
暗唱の練習をした方は紹介してください。(自由参加)
●4回目はありませんが、3回目の作文がアップロードされたあと、コメント欄に講評を入れておきますのでごらんください。
■掲示板
ご質問やご相談を受け付ける掲示板を設置しています。
ご自由にご利用ください。
▼寺子屋オンライン体験学習掲示板
https://www.mori7.net/ope/index.php?k=103
(メールやパスを入れる欄がありますが、空欄のままで送信できます。)
(2018年8月以前の投稿は、夏休みの体験学習に関する投稿ですので、今回の体験学習とは関係がありません。)
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9月の親子作文は、日曜日の朝9時からです。
おかあさんとお子さんだけでなく、お父さんも一緒に参加できます。
幼児や小学1年生ですから、作文を書くにはまだ少し早いと考える人もいると思いますが、大事なのは、書く前の準備で親子の対話ができるというところにあります。
そして、お母さんやお父さんと一緒に勉強する中で、自然に作文の書き方と、書くことの楽しさがわかってくるのです。
もうだいぶ前になりますが、うちの子2人が小1で作文を始めたのも今ごろでした。
そのころは、作文教室などは、たぶん日本中どこにもなかったので(笑)、かなり特殊な習い事でした。
しかし、そのあと、子供の友達が、誘ったわけではないのに次々とやってきて、にぎやかな教室になりました。
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学校や塾で行われている勉強は、答えがあれば誰でもできるようになるものです。どうしてもわからないという難しいものはありません。
わからないということが本当の問題になるのは、最先端のまだ誰もやっていないことに自分が取り組んでいるときだけです。
学校の勉強の世界は、だれでもわかるし、またできるようになっているのです。
特に、今は、インターネットでさまざまな情報、教材、先生、相談相手、友達を見つけることができます。
何をどう取り組んでいいかわからないというのは、ものごとの最初のときだけで、方向さえわかれば、あとは自分でどんどん進めていけるのです。
しかし、現在の社会は、教育環境があまりにも充実しているために、勉強のどの分野でも、人に教えてもらえる環境が整っています。
教えてもらうのが必要になるのは、運動や音楽やものの考え方や生き方など、主に身体的、精神的、文化的な分野です。
勉強として行われている知識的な分野は、教材さえあれば本来誰でも自分の力でやっていけるものなのです。
この知識的な分野は、人に教えてもらおうとすると、わかっていることもよくわからないことも同じように教えられるので、かえって学習の能率が低下します。
それでも、ひとりでやるよりも人に教えてもらう方が迷わずにできると考えていると、次第に自分で工夫するとか、自分で決断するとかいうことをしなくなってきます。
方法を他人に任せていると、次第に目的も他人に任せるようになるのです。
世の中に出れば、勉強はすべて自分で選び、自分の力で取り組まなければなりません。
特に、新しいことや自分らしいことを始めるときには、塾や予備校などはないのが普通です。
そのときに、自分で工夫し、自分で決めて勉強する力が生きてきます。
野口悠紀雄さんの「『超』独学法 AI時代の新しい働き方へ」には、これからの時代に、独学力がいかに必要になるかということが述べられています。
教わらないとわからないと考えていると、やることは限られてきます。
しかし、独学で学べばいいと考えると、現在はほとんどのことができるようになっているのです。
しかし、自分で行う勉強の難点は、強制力がないことです。
特に、小中学生のころはそうです。
定期テストや受験など当面の目標がないときは、地道に実力をつけるという気持ちにはなかなかなれないのが普通です。
人間は、テストや締切や競争がない中では、努力をつづけるということがなかなかできない存在なのです。
ここをどういう工夫で乗り越えていくかということが大事になります。
MOOCやスタディサプリなどのシステムが今後に更に普及すると、勉強は自宅で自分でするものという考え方が普通になってきます。
また、オンライン教育が更に発展すると、今度は、入学試験ということ自体がなくなり、誰でも好きな学校で好きなだけ勉強するということもできるようになります。
そのときに、自分の勉強に欠かせないものとして残るのは、一緒に同じ分野を興味を持って学ぶ友達だけになるでしょう。
しかし、こういう友達はすぐにはできません。何よりも自分が進歩向上していなけれが、同じように進歩向上している友達とは出会わないからです。
これからの勉強で大事なことは、自分で学ぶ力をつけておくことです。
それは、勉強にコストがかからないのはもちろんですが、それ以上に、無駄のない能率のよい勉強が進められるからです。
この自分で進める勉強が怠惰に流れないようにする枠組みが、友達と一緒に学び、担当の先生が勉強内容をチェックし、定期的に保護者と勉強の方向を相談するというシステムです。
学校や塾では、勉強の枠組みとしてテストを行います。
これは、生徒にとっても勉強の目標ができるというよい面がありますが、逆に言うと、他人のペースで勉強の目標を決められることによって、テストに間に合わせるための勉強になってしまう可能性があります。
勉強の目標を決めることは、長い目で見れば、自分の人生の目標を決めることにもつながります。
人に言われて行う勉強ではなく、自分の意思で行う勉強こそが、どの時代にも通用する本当の学力になっていくのです。
今の受験勉強は、得点差の大きい算数数学の成績が合否を左右する仕組みになっています。
この算数数学の学力を、自主学習でつけるということがひとつの目標になります。
本当は、算数数学の試験よりも、複数の小論文を書かせる試験の方が、生徒の実力を正しく反映すると思いますが、採点する側の手間の問題から小論文試験が普及するのは少し先になると思います。
しかし、AI採点の時代になれば小論文の試験はもっと広がるでしょうから、算数数学の勉強とは別に、難しい文章を読む勉強、つまり思考力をつける勉強を独自に進めていくことが、自主学習のもう一つの目標になります。
算数数学の勉強は、1冊の問題集を完璧に解けるようにすることですが、受験勉強に合わせるためには、1学年先までの勉強を早めに終わらせておく必要があります。それは、受験期の1年間に受験問題に特化した勉強をするためです。
これまで、紙ベースの問題集の独学では、この先取りの勉強というものがなかなかできませんでした。
しかし、スタディサプリなどの授業を利用すれば、高学年の先取り勉強はかなりやりやすくなっています。
算数数学の先取り勉強にしても、国語の問題集読書を中心にした難しい文章を読みこなす勉強にしても、またテーマを決めて作文を書く勉強にしても、いずれも今の学校では強制力を持った指導はしにくいのが現状です。
そこで、言葉の森では、子供たちが自分で必要な勉強を進めることのできる枠組みとして、自主学習コースを作りました。
これは、Zoomの会議室で、自分のペースで勉強を進め、その勉強の終わりに先生が勉強の内容をチェックするという学習システムです。
これまでは、先生と生徒との一対一の勉強でしたが、今後は発表学習コースと同じように、同学年の生徒がどういう勉強をしてどのへんまで進んでいるかといいうことが共有できるように、友達との交流という要素を取り入れていく予定です。
また、小中学生の勉強は、親の関わりがなければ、軌道修正がなかなかできません。
決められたことをただやるだけでなく、必要に応じて重点を変えるというのは、やはり保護者の協力が必要になるからです。
自主学習コースで基本的な勉強をする習慣をつけた子は、学力が能率よく伸ばせることはもちろんですが、それよりも大きなことは、高校生になっても大学生になっても、自分で決めた勉強を行う姿勢ができることです。
今の社会では、家庭でいながらにして手軽に楽しめる娯楽がいくらでもあります。
これに対して、子供たちの生活を外からの強制力でコントロールしようとすれば、そのコントロールがないところではかえって際限なく娯楽に埋没するようになります。
娯楽とも上手に共存しながら、向上心を持ち続けて勉強をするためには、自主学習の習慣と、それをときどきチェックしてくれる先生と保護者と、一緒に勉強を続ける友達というものが必要です。
そういう新しい勉強のスタイルを、自主学習コースで広げていきたいと思っています。
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短期間で成績を上げる方法は自学自習です。
自分で決めた勉強を自分のペースで行い、どうしてもわからないところだけ人に聞くのです。
これを最初から人に教えてもらう勉強にすると、途端に能率が下がります。
長時間勉強している割にあまり成績が上がらないというのは、人に言われた勉強をしているからです。
しかし、自分で行う勉強は、最初は試行錯誤があるので、軌道に乗せるまで時間がかかります。
この最初の遠回りに見える過程こそが、実は大切なのです。
算数数学の苦手な子が短期間で得意になる方法が自学自習です。
1冊の問題集を用意して、その問題集をすべて解けるようにするのです。
1回で解けた問題はもうやりません。
解けなかった問題だけを何度も繰り返して解けるようになるまで繰り返します。
そして、解法を見てもどうしてもわからないところだけ人に聞くのです。
問題集は、普通のレベルの薄いものでかまいません。
1ヶ月で見違えるほど成績が上がります。
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