言葉の森で今考えているビジョンは、小1の親子作文をはじめとする寺子屋オンライン作文の運営を、森林プロジェクトの講師中心に行っていくことです。
それは、寺子屋オンラインという少人数クラスの運営は、現在の電話のマンツーマン指導とは、システムがかなり違ってくるからです。
しばらくは、個別電話通信と、寺子屋オンラインの少人数クラスとの併存状態が続きますが、いずれ近いうちに、寺子屋オンライン作文の少人数クラスが中心となり、個別電話指導は特別な希望による場合のものになると思います。
今のインターネットの技術革新を見ていると(というほど、大きな技術革新ではなく、むしろ技術の急速な普及という面の方が大きいのですが)、この変化は予想よりも速く進むと思います。
もう既に、学校教育という、リアルな教室とリアルな先生とリアルな教科書にもとづいたシステムは、限界に来ているように思います。
今後、唯一リアルなものとして残るのは、リアルな友達関係だけになるでしょう。
ですから、今後、リアルな教育が、バーチャルな教育に取って代わられたあと、その後、友達関係を中心に再び新しいリアルな教育が登場するという流れになっていくと思います。
子供たちが勉強する際に最も大事なものは、昔は学校でした。
今でも、途上国では、学校の不足が教育の普及を遅らせている面があります。
しかし、学校が提供してきた教室、先生、教科書は、今ではネット上で自由に選べる選べるようになっています。
だから、教育で最も大事なものが、学校という物の世界から、学ぶ意欲へと意識の世界へと変わってきたのです。
今の子供たちは、ありあまるほど豊かな教育環境の中に置かれています。
しかし、それが、かつての貧しかった教育環境時代より教育効果を生み出しているかというとそれは疑問です。
不足しているのは、今は、環境ではなく意欲の方なのです。
これまでの教育体制のもとでは、意欲を喚起するものは、競争や賞罰と考えられてきました。
人間は身体的な存在ですから、今でも競争と賞罰は意欲の手段としては有効です。
しかし、次第にその効果は薄れてきています。
競争にも賞罰にもあまり関心を示さない子が増えてきているのです。
それは、小さいころからあまりに頻繁に競争と賞罰の環境に置かれてきたからです。
それは、子供の教育というよりも、むしろ子供のコントロールに近いものです。
子供は新しいことがわかってうれしいとか、自分が上手にできるようになってうれしいとかいうことよりも、百点が取れてうれしいとか、成績が上がってうれしいとか、勝負に勝ってうれしいとか、そういう方向に喜びの感覚を育てています。
大事なことは、子供の成長なのですが、成長のための教育と、コントロールのための教育はきわめて似通っているので、始めは教育として行われていたことが、やがてコントロールが目的となってしまうこともあります。
教育とコントロールの違いは、子供が学ぶことに飽きるかどうかです。
コントロールされすぎた子は、自覚する年齢になると勉強に飽きてしまうことがあるのです。
寺子屋オンラインの教育は、そういうコントロールの教育ではなく、成長のための教育を目指していきたいと思っています。
そのための新しい人材の受け皿が、森林プロジェクトなのです。
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寺子屋オンラインの教育は、googleハングアウトやZoomが利用できるようになってからスタートしたものですから、まだ歴史はかなり浅いです。
36年間続けてきた作文指導とは、作り込まれ方がかなり違います。
しかし、それでも、このオンラインの少人数クラスというのは、やり方によっては大きな可能性と秘めていると思います。
また、言葉の森のほかのオンライン教育との違いは、オンラインだけに向かうのではなく、合宿教室というリアルな教育との連携があることです。
この合宿教室もまだスタートしたばかりなので、これから作り込むところです。
未来の教育は、今の教育の形態とはかなり違ったものになってくると思います。
子供たちを教える先生という仕事では、知識や技能の占める割合はかなり小さいです。
それよりも大事なのは、子供たちを肯定する人間性です。
そして、子供たちよりも大きな視野に基づいた希望を持っていることです。
それは、子供たちが成長途上であるように、先生もまた前進する途中にある存在だからです。
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日曜朝の作文体験の説明がわかりにくかったようなので、動画をアップロードしました。
この動画を見て、1回目の課題に取り組んでください。
ただし、2回目は、作品のアップロードまでできなくてもかまいません。
できた範囲で、Zoomの画面で口頭で発表してくだされば結構です。
読書紹介は、毎回行いますので、読んでいる本があれば手元に用意しておいてください。
なお、不明の点はご遠慮なく教室にお電話をしてお聞きください。
電話0120-22-3987(平日9:00~20:00土曜9:00~12:00)
▼日曜朝の作文体験1回目の授業の動画2018/9/14
https://youtu.be/5cHpJm7lwQ8
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日曜朝の作文体験の1回目の授業の動画です。
作品のアップロードの仕方などを説明しています。
ただし、アップロードまでできなくてもかまいませんので、2回目はできた範囲で口頭などで取り組んだことを説明してください。
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森リンの評価の基準は、語彙の多様性とバランスです。
語彙の多様性とは、同じことを表すのに同じ表現を使わずに書くことができるということです。
バランスが必要なのは、多様なだけでは、文章が冗長になったり、硬くなりすぎたり、重くなりすぎたりすることがあるからです。
ところで、作文の表現に多様性があるということは、語彙力があるということです。
語彙力があるということは、そのような多様な語彙の含まれている文章をよく読んでいるということです。
それはつまり、問題集読書も含めた広い意味での読書力があるということです。
「術後集」とか「類語辞典」とか「故事ことわざ辞典」とかを読んで、いろいろな語彙を知識として知っているということではありません。
作文力に表れるものは、その生徒の本質的な学力であり、その学力の土台となっているものは読書力です。
読書力と作文力のある生徒は潜在的な学力があるので、本格的に勉強を始めるとすぐに成績が上がります。
その逆に、時間をかけて勉強しているから成績はよいが、読書力と作文力が伴っていないという場合は、学力が途中から伸び悩むことがあります。
ですから、受験期に入る前の家庭での学習の中心は、勉強よりもむしろ読書と作文です。
読書と作文と、作文の勉強に関連する対話によって、語彙力を鍛えておくとよいのです。
森リンは、言葉の森が作った作文小論文の自動採点ソフトです。
実は、これをAI化する見通しはあるのです。
ただ時間的に余裕がないので、まだ取り組んでいないだけです。
見通しがあるということは、いずれ誰かがAIによる作文小論文採点をもっと正確にやるようになるだろうということです。
これを、できればアメリカより先に日本が作ってほしいと思います。
というのは、自動採点の仕組みにおいて言語の差というものは本質的な差ではないので、最初にAI採点に成功したところがすべての言語の自動採点もできるようになるからです。
かつてワープロソフトの一太郎がワードにシエアを奪われたとき、私は非常に残念に思いました。
それと同じようなことを、文章採点という教育の根幹にかかわるところで起こしてはならないと思います。
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勉強の評価は、自分で採点すればできたかどうかが本人にもわかります。
だから、独学でもできるのです。
しかし、作文は、自分では、よく書けたのかどうかわかりません。
だから、先生や親の評価がそのまま自分の作文の評価になるのですが、先生や親は大体直すところを先に言います。
それで、ほとんどの子が、自分は作文が苦手なのだと思うようになってしまうのです。
大事なことは、子供でもわかるように評価の基準をはっきりさせ、子供が自分の作文を自己採点できるようにし、先生や親もその基準に基づいて評価をすることです。
それが、項目指導と森リン採点なのです。
森リンが評価する字数の基準は1200字です。
それは、1200字以上の文章でないと誤差が出るからです。
1200字は上限ですから、1200字以上は何字書いても評価に影響しません。
それは、字数の競争になってもあまり意味がないからです。
しかし、仕組み上は、字数が長くなればなるほど評価の正確性が増すという形に作ることはできます。
ということは、複数の文章を採点するようになれば、かなり正確にその生徒の作文力が表れてくるということです。
人間が作文小論文の評価をしようとすれば、字数が多くなればなるほど負担が増します。そして、正確さは変わりません。
ソフトが作文小論文の評価をすれば、字数はいくら多くなっても負担はありません。そして字数が多くなるほど正確になっていくのです。
だから、もう既に今の段階でも、入試の作文小論文に、ソフトによる評価を行うことはできるのです。
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「読解問題の解き方」という原稿を書いていて、ここ数日、中学入試の国語の問題をまとめて読んでいました。
すると、問題の中には、「これでは正解が違うだろう」というものが意外といくつもあったのです。
入試という重要な試験ですから、問題作成者は何度も問題を見直しているはずです。
それにもかかわらず、答えが違っているものが出てくるというのは、それぐらい読解問題の作成は難しいということなのです。
もちろん易しい読解問題を作るのは、きわめて簡単です。
そのかわり、難しい読解問題を作るのは、問題を解く力の何倍もの思考力と時間が要るのです。
センター試験のような全国規模の試験では、作成する問題の見直しがもっと厳密に行われています。
だから、センター試験では満点を取ることはできるのです。
しかし、それ以外の入試、模試、さらには学校の定期試験などになると、答えの方が合っていないというものが出てきます。
読解の問題もそうですが、記述の問題では、このことはさらにはっきりと言えます。
数年前、小6の受験生から「僕の記述問題の解答が、その学校で出されている模範解答とかなり違う。どうしたらいいでしょうか」という相談がありました。
その学校のホームページに掲載されている記述問題の模範解答というものを見ると、その生徒の解答の方がずっとレベルが高く、むしろ学校で出されている模範解答自体が模範となっていないどころか、減点の対象ともなるような解答だったのです。
こういう記述問題が出されているのですから、学習塾などで行われる記述問題対策もかなり適当なものではないかと思います。
先日も、記述問題の解き方というある塾の先生が書かれている解説のページを見ましたが、「記述問題の解き方は、要するに書き慣れることだ」ぐらいのことしか載っていないのです。
記述問題を出す側が、問題に対する厳密な正解というものを用意しないまま問題作成をしているようなのですから、対策を立てる側も似たり寄ったりです。
それぐらいですから、今後、大学入試のセンター試験で記述問題を採点するなどということは到底できるわけがありません。
AIの活用などといっても、50字から60字程度の短い記述問題では、かえってAIの力が発揮できないのです。
では、国語力はどう評価したらよいかというと、それは作文力によってなのです。
作文力であれば、AIによる採点はかなり信頼性の置けるものになります。
AI評価の上位の作文だけ、その作文の内容面の評価を人間が行うようにすれば、国語力(作文力)の評価は、かなり短時間でしかも信頼性の高い結果を出せると思います。
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国語のテストは、解き方のコツがわかると、急に成績が上がります。
これは、算数数学のテストも似ています。
算数も、解法のパターンを覚えると急に成績が上がります。
ということは、逆に言えば、今行われている国語や算数の試験の成績は、国語や算数の実力よりも、解き方のテクニックに慣れているかどうかだけなのです。
だから、受験直前でない限り、家庭学習の基本は、国語や算数の問題集よりも、むしろ読書と対話と作文に力を入れていくことなのです。
国語の読解力を上げる方法は簡単です。
言葉の森の生徒の場合は、課題フォルダに一部載せている読解問題を、必ず満点を取ることを目標に解いてみることです。そして、もし×だったら、なぜ合っていなかったのか、納得できるまでのその理由を見つけることです。
この方法だけで、中学生、高校生の国語のテスト成績は必ずよくなります。
それぐらい、この問題を作るのは時間がかかって大変だったのです(笑)。
他のテストは100てんとったことあるけど国語だけない
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言葉の森では、毎月、パソコン入力で送られてきた作文を、森リンという独自の自動採点システムで採点し、そのベスト10の作品名と、最高得点を取った代表作品をホームページに掲載しています。
今回は、7月の学年別の代表作品のうち、小6、中2、高2の3人の生徒の作品を紹介します。
森リンの採点は、作文に対しての採点というよりも、その作文を書いたその生徒の作文力に対する採点です。
作文力は、その生徒の潜在的な学力と関連しているので、森リン点の高い作文を書く生徒は、学力のある生徒と言ってもよいのです。
ところが、学力と成績は必ずしも結びつきません。
成績は、その勉強にかけた時間に比例しますから、学力があっても勉強に取り組んでいなければ成績はそれほど上位とはなりません。
しかし、学力のある生徒は、受験前などに本気で勉強をし始めると、すぐに成績を上げることができるのです。
今回、紹介する小6、中2、高2の生徒の学校の成績は、聞いていないのでわかりません。
しかし、読んでみると、学力が高いことはわかると思います。
作文力を育てることは、こういう本質的な学力を育てることなのです。
なお、言葉の森の作文指導は、課題だけでなく、構成の仕方や表現の項目も一定の条件で書くようにしているため、部分的に読み取りにくいところもあると思います。
また、生徒が自分でパソコン入力しているために、入力ミスが残っているところもあります。
しかし、それでも全体の文章の流れは、いずれもよく書けていると思います。
■小6の部
僕の部屋
(長文を読んでの感想文)
僕が一番心に残ったのは、先生がももこの机を開けたときのももこの感情である。なぜなら僕は普段、整理、整頓、清潔、しつけ、志賀家ルールというお父さんが作った5Sルールを心がけ、自分からも整理整頓をするようにしているからだ。普段から僕と同じ事をすればいいと思う。しかし、それでもたまに遊んでいるときにでもたまに遊んでいる時は次の遊びをする前に、遊んだものを片付けなさいと言われてしまう。しかし普段はあまり言わないがいうときはしっかりという母でさえ、母の部屋へ行くと洋服がベットの上に積み重なったりクローゼットの中にパンパンに詰め込まれている。たまにその風景をみると僕にいう前に自分のことをしたらどうだとたまに思う。しかし母は忙しい中で僕のことを思っているんだと思うと余計なお世話とかおせっかいと思うかも知れなけれど、嬉しことである。
僕にもそれなりに整理できていないことがあるそれは、例えば写真や賞状などといったものである。その一つ写真では僕の小学一年生のアルバムの中にたまに不思議な写真が混ざっている。それはおそらく幼稚園での年中の頃と思はれるお泊まり会の写真だ。僕はそのような写真を見るとたまに、
「いつのだこれ(笑)」
などとつい言ってしまうことがある。(笑)そしてもう一つの賞状でも一年はたったっと思える図工や作文の賞状が残っている(笑)さらに賞状をしまうファイルの中には5歳ごろの賞状が未だ眠っているはずだ。他にも満点とか九十五点とかいろんなテストが一年生の時からずっと溜まっているこれは母がしっかりと残してと言ったからである。このように溜まったものを捨てようとすると止められる。理由を聞くと、僕にとっては昔のものでも母にとっては最近で思いで詰まっているかららしい。僕もその思いには納得がいく。それに自分の年齢を忘れたり間違えるほど人生が一瞬に感じられることがきっと僕にもくると思うからである。
話に戻ろう。他の兄弟や父の部屋はどうだろうか。まず父は、5Sを考えただけあって、しっかりと整理整頓されていた。次に兄はどうだろうか普段はあまり入れてくれないので、兄のいない好きに覗いてみよう。ドアを開けると兄の汗をたくさん吸った服の匂いが僕の鼻を直撃した。まず布団がぐちゃぐちゃで次に棚には教科書や中途半端に使ったノートでパンパンだった。机の上は定規やらシャープペンシルが散乱していた。しかし兄はいつも9時ぐらいに帰ってきていて忙し体と考えてもいいだろう。しかしあまりに汚いので少し整理しておくことにした。妹の部屋は比較的綺麗だったがおもちゃがいたるところに少しずつあった。
このように書いて行くとあることに気が付いた。それは人間にとって、整理整頓とは、やらなくてはいけないと知っていてもなかなかできない事という事である。さて今日は賞状を綺麗にしようか。
■中2の部
言葉の意義
「わぁ、すごいね。」
一昨日、住んでいるマンションのエレベーター前で同じ階に住む二つ隣に住む4歳の女の子と偶然、出会いその子と話をした。つい最近、その女の子は、近くのスイミングスクールに通い始めたらしい。そこは、私も通っていたところだったので話が盛り上がった。私は、エレベーターに乗るまでの待っている間、そのこと目線を合わせるために膝を折り曲げてかがんでそのこと目線を合わせた。そのほうがそのこと意思疎通ができると思ったからである。それに加え、こちらのほうが年齢も身長も高く目線を合わせることによってその女の子が私へ対する恐怖を持たなくて済むからである。このようにして、私だけでなく多くの人が小さな子と話をするときは、目線を合わせたり話し方をゆっくり穏やかにしたりと普段の話し方とは違う口調になるのではないだろうか。
確かに、小さな子供に対しては赤ちゃん言葉のようななじみやすい言葉は良いという意見がありる。赤ちゃん言葉のようなオノマトペは、私は今でも生活の中で使うことがある。例えば、店頭でどこまでも押しつぶせそうな人形があれば、「モチモチ」と表現し、幾重にも真っ白いレースが飾りとなっている服やハンカチを見れば、「フリフリ」と表したりする。「ふわふわな人」と天然要素がありどことなく鈍感そうな人のことをこう言ったりするときも多々ある。このように、私は、幼いころに擬音語を使って物事を表し始め、いろいろなことに興味を持ち始めたという名残が今でもある。まるで、オノマトペは人間の言葉の一部であるかのようだ。赤ちゃん言葉とは、その名の通り赤ちゃんでも分かりやすい言葉で、意味を理解しやすいものの象徴といえると私は思う。
しかし、小さな子供でも大人と対等に扱うほうが良いという意見もある。人間は、対等に扱われることで自信が持てる。人類の歴史を見ても日清戦争の講和条約で朝鮮は清の従属国であったが独立国となった。そして、当時は清のみしか「帝国」の名を語ってはいけなかったが朝鮮は、対等な関係を改めて世界に発信するために「大韓帝国」と改名した。これからも、幼いころから大きな大人と言葉だけでも対等に話してもらうことによって、人間の発達に欠かせない「自尊感情」が早く芽生えるのではないかといえると思う。
赤ちゃん言葉のようなものになじみやすい言葉もよい、小さな子供でも大人と対等に扱うのも良い、しかし、一番大切なことは、言葉を通して世界の万物に対して興味を持ち自らの発達を促せるようになることだ。「読書は人間を豊かにし、討議は人間を役立つようにし、文章を書くことは人間を正確にする」という名言がある通り、ここに書かれていることは、言葉はこの地球に生きる我々にとってとても大切なことである。私は、これから、さらに多くのことを知り、社会に役立つ人間になれるよう言葉を様々な方向から研究していくことを決意した。
■高2の部
異文化の取り入れ
あなたの部屋は綺麗か。私の部屋は時と場合による。必ずと言ってよいほどテスト前には綺麗にしていたのだが、今回のテストでは一度も綺麗にしなかった。(いや、もとからきれいだったのかもしれない。(笑))正確には自分の部屋で勉強する機会が少なかったからだ。部屋が汚くなることは大昔の日本人の祖先たちが暮らしてきた森に逆戻りしようとしている心的作用なのかもしれない。今回に限ってはそのように開き直ることにした。日本人は流行に流されやすい。渋谷、原宿には同じような格好とメイクをしている人が多いと思う。まるでAKB48のメンバーの区別がつかない世界に入り込んでしまったようである。このように自分の主張を失ってしまっているのは問題だと思う。その原因は何なのであろうか。2つの原因が考えられる。
その問題を生じさせた原因としては第一に、日本が西欧に追い付くことを進歩だと考えてきた歴史があるからだ。日本は西欧の進んだ文化を取り入れることに必死になってしまって、自国の文化と調和することをしてこなかった。まずは形からという事であろうか。日本で売られている服には英語が書かれているものが多い。一時期前(私が小学6年生のくらい=5年前)の子供服売り場は英語だらけだった。日本は欧米や西欧に憧れが強いのだろう。英語圏の人は日常的に英語の書かれた服を着ていなかったと思うが、形から真似をしていく、日本らしい方法だと思った。
その問題を生じさせた原因としては第二に、日本人が日本の文化について学ぼうとしなかったからである。私たちの生活をしている場所を客観的に見ることは難しいが自国の文化を見つめ直すことは必要だ。私は今月の後半(7月29日から8月4日まで)にカナダのサスカツーンから男の子二人がホームステイをしに来る。その子たちのためにも!と日本を案内するために調べてみた。その中には自分が知らない日本のことも書いてあって、ある意味勉強になった。自分は日本に住んでいるのに、日本の日常生活や日本文化に触れていないような気がする。学ぼうとしていなかったこともいえるが、そもそも身に付いていなかった可能性も考えられる。
確かに、西欧の発展した文化を取り入れることによって生活は便利になったと思う。しかし、取り入れることに集中したため、自国の文化がおろそかになってしまった。これは悲しいことである。便利を追及することも大切だが自国の文化・環境を知ることの方がもっと大切なことだ。文化とは自然と身に付くものでなく、海外に行って(外に出て自国を客観的に考えることによって)気付くものだ。私たちは上辺だけの西欧化に走り続けてしまった。そして、日本らしさや主張を失ってしまった。これは問題だ。
あなたの部屋は綺麗か。
部屋が汚いことを良しとはしないが、日本の文化をもう一度見直すべきだと思う。
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作文の勉強のいちばんの問題点は、どのくらい進歩したかという基準がわからないことです。
しかも、作文力は、国語力の集大成とも言えるものですから、一犯に進歩はかなり時間がかかります。
ところが、森リン点の推移を見ると、平均して年間2ポイントほど上昇しているのです。
だから、小学6年生以上は、この森リン点を参考にして勉強していくといいと思います。
なぜ小学6年生以上かというと、低中学年の作文だと、漢字の使い方や字数の関係で誤差が大きくなる面があるからです。
森リン点の基準となっているものは、語彙の多様性とバランスです。
なぜバランスが大事かというと、多様なだけだと、冗長な文章になったり、重すぎる文章になったり、硬すぎる文章になったりすることがあるからです。
ただし、大学入試の小論文の場合は、多少重すぎたり硬すぎたりするぐらいでちょうどいいのです。
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言葉の森の暗唱検定は、現在、初段の約10,000字分に続いて、二段の10,000字分もできました。このあと、三段、四段と暗唱検定の段階を上げていく予定です。
最近、暗唱練習に取り組む人が増えてきたので、ほぼ毎週のようにそれぞれの級で合格者が出ています。
暗唱は、子供がするだけでなく、大人がしても楽しいものです。
家庭によっては、お母さんも一緒に暗唱しているところもあります。
暗唱にはコツがあり、そのコツさえわかれば、誰でも楽にできるようになります。
年齢による差のようなものは、ほとんどありません。
何歳になってもできるのが暗唱のいいところです。
しかし、すぐにできるのは、暗唱の仕方を素直に受け入れる幼児から小学2年生のころです。
学年が上がると、音読を繰り返すという基本を忘れて、その文章を意識して覚えようとするようになるので、かえって暗唱が難しくなることがあるのです。
暗唱の練習を続けることによって暗唱力のついた子は、学校の勉強がすべてできるようになります。
これは、特に受験勉強のときなどには有利です。
今の入試問題は、考える問題が増えてきたとは言っても、基本は知識をベースにしたものになっています。
また、算数・数学のような、一見考える問題にように見えるものでも、その本質は解法の記憶です。
暗唱力のある子は、難しい算数・数学の問題でも、その解法を覚えてしまうので、似た問題にもすぐ応用できるようになるのです。
ただし、暗唱をしていれば自然に勉強ができるようになるというのではありません。
暗唱力のある子は、勉強をする気になればすぐにできるようになるということです。
ところで、この暗唱の練習は、家庭でスムーズに続けている人もいる一方、家庭ではなかなか続けられないという人もいます。
暗唱は、成果がはっきりわかるので、本当は続けやすいものなのですが、家庭でひとりで取り組んでいると、時には飽きてしまうということもあるようです。
そこで、利用できるのが、寺子屋オンラインのクラスでの毎週の暗唱発表です。
クラスによっては、参加している生徒が全員それぞれの暗唱の発表をするようになっている曜日もあります。
すると、自然に毎日暗唱の練習をするようになります。
この暗唱発表のいいところは、進度は各自で決められるので、たまに練習をしなかった週があっても、それまでに覚えた分の暗唱は確実に発表できるということです。
毎日10分程度の暗唱練習が定着すると、家庭学習の柱ができるので、ほかの勉強にも取り組みやすくなります。
暗唱力をつけることは、子供たちの勉強の基本と言ってもいいと思います。
言葉の森では、10月以降も、日曜朝のオンライン作文体験学習を行いますので、この寺子屋オンラインクラスで暗唱の練習に取り組んでいかれるとよいと思います。
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暗唱力があれば、数学も語学もそのほかの勉強もすべてできるようになるということのひとつの例は、本多静六です。
赤点を取るほどできなかった数学を、わずか数ヶ月の暗唱法で克服し、大学の卒業時には、「数学の天才だから授業に出なくていい」とさえ言われるようになりました。
留学先のドイツでは、最も難しいと言われる教授の著書をすべて暗唱できるようにし、口頭試問も完璧に合格しました。
その静六少年は、子供のころ、家が貧しかったために勉強をしたり本を読んだりする時間がほとんど取れず、家の仕事を手伝っている間、覚えた暗唱をただ繰り返す練習をしていたのです。
暗唱力のある子は、やる気になればすぐできるようになるという点で、この本多静六に似ているところがあります。
暗唱を順調に続けていた子が、いちばんよくつまずくのが百人一首のところです。
ひとつひとつの歌が独立しているので、次の歌を「思い出す」というワンクッションが入ってしまうのです。
暗唱のいちばんのブレーキになるのは、この「思い出す」という癖です。
思い出さない練習法をもっと徹底させるか、思い出して時間がかかってもいいことにするか、今、どちらがいいか考えているところです。
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読解力をつけるコツは、問題文と選択肢を大ざっぱに読むのではなく緻密に読むことです。
緻密に読むとはどういうことかというと、合っていそうなものを選ぶのではなく、必ずしも合っているとはいえないものをすべて選び出して、残ったものを合っているものとみなすことです。
この消去法という解き方は、よく言われているわりに、実行している人がほとんどいません。
国語の先生が具体的に教えていないのだと思います。
緻密に書く記述力は何かというと、問われていることを書くだけでなく、問われてないこととの対比を意識して書くことです。
例えば、「……はAだから。」と書くだけでなく、「……はBではなくAだから。」と書くか、あるいは「Bではなく」ということを意識しながら書くことです。
その書き方によって、記述の輪郭がはっきりとしてきます。
しかし、こういう記述指導をしている人はほとんどいないようです。
緻密な作文力は何かというと、構成を意識して書くことです。
何かの意見を書いたら、その理由や方法などを書き、その裏付けとなる実例を書くかたちで展開していくことです。
小学校低中学年までは、まだ構成を意識する年齢になっていないので、表現項目を意識して、「たとえを入れる」とか「会話を入れる」とかいう条件の中で書いていくことです。
これも、言葉の森の独自の指導法で、ほとんどの作文指導は、こういう教え方はしていないと思います。
読解力も、記述力も、作文力も、基本になるものは緻密に考える力です。
その緻密に考える土台として、読書による語彙力を育てていく必要があるのです。
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国語力の本質は思考力です。それは、読解も、記述も、作文もそうです。
ところが、国語を教える先生は、論理的に教えるよりも感覚的に教えることを好む人が多いのです。
そのため、子供たちも国語は感覚的に解くものだと考えるようになってしまうのだと思います。
国語をどうして理詰めに解くことが大事かというと、進歩の跡がわかるからです。
感覚的に国語の問題を解いているうちは、「当たった」「はずれた」ということでしか見ることができません。
理詰めに解くことによって、自分の不足しているところがわかるのです。
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日曜朝の親子作文の1回目の課題は、「しぜんとかがくのはっけん366」の本の280ページです。
このページを見て、親子でブーメランを作ってみます。
作文の時間というよりも、工作の時間です(笑)。
参考までに、この本の推薦者でもある米村でんじろう先生がが作っているブーメランの動画を紹介します。
▽【実験86】詳しいペーパーブーメラン / 米村でんじろう[公式]
https://www.youtube.com/watch?v=dLSDj5uyPy8
▽でんじろう先生オススメ 『ブーメラン』 遊び方説明ビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=4SoFip3Ev3o
こういう工作や実験を通して、親子で構想図を書き、お母さんが作文を書くというのが、親子作文です。
そして、お母さんが書いた作文に、そのときの写真を貼ったり家族のコメントを入れたりしてひとつの作品とし、それを読み聞かせの本のひとつとして読んであげるのです。
小学校低学年のころの学力は、読書と対話によって育ちます。
その読書と対話のきっかけになるのが、親子で楽しみながらできる知的な課題に取り組むことなのです。
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作文のような苦しい勉強をどう続けさせるかというと、小学1年生のうちに、作文は楽しい勉強だと自然に思わせるようにしてしまうことなのです。
何事も最初の印象が大事です。
しかし、子供に作文を書かせて、間違いを直して、書き直しをさせるような勉強をしていたのでは、決して楽しい勉強にはなりません。
お母さんと一緒に作文を書くから、楽しいだけで負担のない勉強になるのです。
最近、実験や工作を含めた説明文の良書がたくさん出ています。
物語文には、感性を育てるという面がありますが、同じように、説明文には、知性を育てるという面があります。
そして、説明文には、そこに書かれていることを実際の世界でほかの人と共有できるという重要な役割もあるのです。
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