社会を良くする最も有効な方法は、子供たちを良い子に育てることです。
日本は、盗難などの犯罪が極めて少ない国だと知られています。
落とした財布が高い確率で戻ってくる国は、日本以外であまりありません。
それは、罰則があるからでも、監視カメラがあるからでも、社会人教育が行き届いているからでもなく、そういう子どもたちが育っているからです。
日本では、「嘘つきは泥棒の始まり」ということわざを誰でも知っています・。
また、他人のために尽くした人が報われるという昔話を子供のころから数多く聞かされています。
これらは、主に家庭教育によって行われたものです。
確かに、学校教育でも、助け合いをの精神を学ぶことやチームワークを大切にすることなどは教えられます。
しかし、それは共通の家庭教育の文化が背後にあるからこそ、有効なものになっているのです。
ところが、これからは異なる家庭環境の子供たちが増えてきます。
2016年の厚生労働省の統計によると、1年間に日本国内で生まれた赤ちゃん約100万人のうち3万人以上が両親又はどちらかの親が外国人となっています。
これからは、異なる家庭環境や文化背景を持つ子供たちが増えてくるのです。
だから、これからの教育は、家庭教育も含めたものにしていく必要があります。
「学力の経済学」では、幼児期の教育が大きな成果を生み出すということが述べられています。
しかし、私はその調査を見て、幼児期の教育そのものよりも、むしろそれと並行して行われた家庭訪問の方にその後の子供たちの成長の源泉があったと思うのです。
ここが、「学力の経済学」の中で見落とされている点です。
この家庭教育を含めた教育をどのように進めていくかということが、これからの教育の課題です。
私は、その答えが寺子屋オンライン教育にあると考えています。
それは、第一に、誰でも距離に関係なく、しかも低コストで、教室に参加することができるからです。
第二に、寺子屋オンライン教育の中心になる作文教育や発表教育は、家庭での親子の対話を学習の重要な要素とするからです。
第三に、寺子屋オンラインの授業のあとすぐに、講師と保護者との懇談を行うことができるからです。
第四に、これらの教育が、個別教育でもなく集団教育でもなく、5、6人の少人数教育というすべての子供が参加し発表するかたちで行うことができるからです。
これまで、この寺子屋オンライン教育は、学年が混在する状態で行われていました。
しかし、今後、学年別にクラスを分け、子供たちの共通の関心に基づいた課題に取り組めるようにしていきたいと思っています。
そのためには、寺子屋オンラインの教育を行える多数の講師が必要になります。
現在、
講師育成講座の参加者を募集しているのは、こういう背景があるからです。
寺子屋オンライン教育は、全国(全世界)どこからでも参加できるとともに、参加者のさまざまなニーズにも応えられる多様性を持っています。
現在は、作文を中心とした勉強が主流ですが、既に国語、算数数学、理科などの教科の勉強にも取り組めるようになっており、更に読書紹介や暗唱発表などの独自の学習にも取り組めるようになっています。
今後は、参加する生徒の希望に応じて、英語暗唱やロボットプログラミングなどにも、更には音楽や絵画などの芸術活動にも取り組めるようになると思います。
家庭教育と結びついた寺子屋オンラインの少人数教育によって、これからの日本の教育は大きく変わっていくと思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
これまでは、学力だけがあれば何とかなるという時代でした。
これからは、学力だけでなく、人と協力する力とか、他人に対する思いやりとか、勇気とか、情熱とか、誠実さとか、学力以外のものが重要になります。
その学力以外のものを育てる場は、今のところ家庭しかありません。
家庭教育力の差がおおきな差になる時代になってきたのです。
家庭教育が大事だと言っても、自分の家の家庭教育に自信を持てる家庭はありません。
どの家庭でも、試行錯誤しながら子育てを行っています。
勉強はどのくらいしたらいいのか、テレビはどのくらい見せてもいいのか、本はどのくらい読ませるか、ゲームやスマホはどうしたらいいのか、そういうことがすべてまだ日本の教育文化として確立していません。
だから、多くの家庭では、とりあえず勉強だけできればいいとなってしまうのです。
しかし、これからは、勉強以外のものの重要さがますす大きくなる時代です。
夫婦共働きの多忙な両親に合わせた新しい家庭教育を作っていく必要があるのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。森林プロジェクト(50) 寺子屋オンライン(101)
小学4年生の作文がよく書ける子のお母さんは、次のような疑問を持つことが多いと思います。
それは、作文もよく書けているし、読書もよくしているが、中学入試の作文や読書としては、このままでは不十分なのではないかという疑問です。
言葉の森では、小学5年生の課題から感想文課題が増え、その感想文のもとになる長文も急に難しいものになります。
この小5からの課題は、しっかり書けばそのまま中学入試の作文と同じことが要求されるものなので、準備もかなり大変になります。
このため、小4から小5に切り替わるときに、急に作文が書けなくなる子も多いのです。
小4から小5への質的な変化というものは、算数の分野でも同じようにあります。
それまでの、特に考えなくても作業的に解ける算数から、考えないと解けない算数に内容が大きく変化していくのです。
この変化は、子供の精神年齢の成長に対応したものです。
小学4年生のある意味で無邪気な小学生の感覚から、物事を構造的にとらえ、背後にある抽象的なものの本質に気づく時期が小学5年生なのです。
小学4年生で作文をよく書ける子は、楽々と書いている印象を受けます。
読書についても、遊びと同じような軽い感覚で何冊も読んでいきます。
それを見ていると、お母さんは、もう少し苦労するような作文や読書をさせる必要があるのではないかと思ってしまいます。
しかし、そこで年齢を超えた先取りをするよりも、今の年齢に合ったことを十分に満喫しておくことが大切になります。
知的なことに関しては、先取りの学習は意味がありますが、精神的なことに関しては、先取りするよりも今の精神年齢に合ったことを確実に消化していく必要があるのです。
だから、小4で作文がよく書ける子は、今の生活作文を更に充実させて、小学生時代の記念となる作文をたっぷり書いておくことです。
それだけではものたりないというのであれば、コンクールの入選を目指すというような方向でがんばるといいのです。
読書も遊びも、小学4年生の無邪気な時期にできることを十分にしておくことです。
その土台の上に、小学5年生の考える作文や考える読書が育つようになります。
そして、何よりも子供時代は、その子供時代を幸福に生きることが最も大切で、将来の準備のためにする苦労のようなものはできるだけ少なくしておく方がいいのです。
それは、やがて子供自身に、自ら苦労を求めて挑戦することに喜びを感じるような時期が来るからです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
知的なことは、先取りをさせることができますが、精神的なことは先取りができません。
ある精神年齢にならないと、頭ではわかったつもりでも、実感ではわからないということがあるからです。
大事なのは、その子の精神年齢に合ったことを十分に満喫させることで、それが次の成長の土台になります。
それぞれの時期にその子が最も幸福だと感じる生き方をさせることが、最も自然で人間らしい生き方なのです。
「這えば立て立てば歩めの親心」という言葉がありますが、作文や読書にも似たところがあります。
子供が楽に楽しく自由自在に書いているように見えると、もっと難しい、苦しんで書くようなことをさせたいと思ってしまうのです。
しかし、はいはいの時期には、しっかりはいはいをさせることが大事です。
楽しんで書いている時期には、しっかり楽しませることが大事なのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。作文教育(134)