寺子屋オンラインシステムとは、Zoomというウェブ会議システムを使った少人数のオンライン教育の仕組みのことです。
Zoomの利点は、第一に、マイクやカメラの設定でトラブルがほとんどないことです。
そのため、初めての人でもZoomの会場のリンクをクリックすれば、そのまま自然に参加できます。
第二に、ブレークアウトセッションという分科会の会場をメイン会場の中に作れることです。
必要に応じて参加者が分科会に分かれることができるので、柔軟な運営ができるようになりました。
第三は、参加人数に制限がないことです。
かなり大勢の人が同時に参加しても、動作が遅くなったり画面が粗くなったりすることなくスムーズに運営ができます。
当初、このZoomを使って、子供たちが自由な研究発表のできる思考発表クラブ(現在の名称は、発表学習コース)を行ってきました。
子供たちが、自分の研究や実験をあらかじめ画像や動画でアップロードしておき、Zoomの会場でそれらを画面共有で見ながら各自が発表するという勉強です。
この発表学習コースで、子供たちの思考力や創造力や発表力がトータルに伸びているという実感があったので、今年から作文指導についても、寺子屋オンライン作文コースという名称でスタートさせることにしました。
しかし、作文コースの方も、発表学習コースのように発表と交流の時間を長く取ったために、週1回の授業のあと、別に作文を書く時間を取らなければならないということになってきました。
こうなると、高学年の難しい作文を書く生徒には、負担が大きくなると考えたので、今後は、全体の発表を少なくし、個別指導の時間と作文実習の時間を多く取るようにしようと考えています。
これが、寺子屋オンラインシステムの運営の変更点として、第一に考えていることです。
実習の時間を確保できるようにすると、作文はその日のうちに仕上げるられようになります。
作文を書き終えるまでZoomの会場にいるということにすれば、ある程度強制力があるので、電話指導だけではその日のうちに書き上げられなかった子も、最後まで書き上げることができるようになります。
その意味では、高学年や中高生の生徒の方が、この寺子屋オンラインシステムの作文コースは利点が大きいかもしれません。
個別指導と作文実習を行うと、Zoomの教室の中での交流が少なくなるので、その分、作品を発表するgoogleコミュニティの中で、ほかの人の作品にコメントを書けるような形で交流を深めていきたいと思っています。
個別指導については、生徒と先生が1対1で行うこともできますが、Zoomの特性を生かして、同学年の生徒2、3人が合同で行うことを考えています。
そうすると、同学年の同じ課題で、他の生徒がどういう準備をしてきたかがわかるので、自分の書く作文の参考にもなると思います。
寺子屋オンラインシステムの運営で、第二に考えていることは、少人数のクラスをできるだけ同学年か近い学年にまとめることです。
自分より高学年の生徒の発表は参考になりますが、それは全体の発表交流会の見学で行えるようにし、普段の学習は同学年の生徒で共通の課題や関心のもとに行えるようにしたいと思っています。
(つづく)
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Zoomを使った寺子屋オンラインシステムの教育は、大きな可能性を秘めています。
それは、特に、思考力や創造力や発表力という点数になりにくいものの教育に向いているからです。
成績を上げるだけなら、ビデオ授業でも、同じ学力の生徒の一斉指導でも、それぞれの生徒に併せた個別指導でもできます。
しかし、これから求められる新しい学力は、従来の授業形態ではなかなかできません。
少人数を維持したままて集団授業が行えるというところに、寺子屋オンラインの特徴があります。
その特徴を生かす工夫を今しているところです。
先日まで、携帯電話の代わりにskypeを利用などと言っていましたが、今はskypeよりZoomです。
また、作文の画像をアップロードするというのは、昔は限られた人だけでしたが、今は次第にその方が主流になりつつあります。
今後は、作文の画像も、言葉の森のページにアップロードするのではなく、自分のgoogleフォトなどにアップロードしてそのリンクを言葉の森にアップロードするようになると思います。
最近は、手書きで書くのに時間がかかるからという理由で、音声入力で書く子も何人か出てきました。
これらは、社会全体のAI化、デジタル化の流れの一環なので、これから加速することはあっても後戻りすることはありません。
こういう新しいことは大好きです(笑)。
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国語の得意な子は、国語の問題集を解くような勉強をしていません。
何もしないのに得意なのです。
国語の勉強の本質は、文章を読み取ることですから、特に問題を解くテクニックを知らなくても、読む力のある子は大体できます。
100点を取ろうとすると、問題を解く技術が必要になりますが、普段のテストではそういうところまでする必要はありません。
読む勉強が解く勉強よりも大事だといういちばん大きな理由は、その勉強にかける絶対量が違うからです。
読む勉強の中身は、読書や問題集読書ですから、長時間読んでも大して苦になりません。
それどころか、読むのが楽しくなると、ちょっとした空き時間にも読み続けるようになります。
解く勉強は、勉強のような作業が続くので、少しやるとくたびれます。
30分や1時間もやれば、もうそれ以上はやりたくなくなるのが解く勉強です。
そして、気持ちだけは、しっかり勉強をした感じがしてしまうのです。
楽しく本を読んでいる子と、苦しく国語の問題を解いている子を比べれば、苦しく国語の勉強をしている子の方が成績がよくなりそうですが、実は反対です。
では、解く勉強は必要ないかというと、そうではありません。
入試の国語の場合は、1点差を競うような性質の国語ですから、緻密に解く技術が必要になります。
しかし、それは試験の直前で十分に間に合います。
その直前の勉強が効果を上げるためにも、読む力をつけておく必要があるのです。
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作文の勉強で読む力がつくのは、感想文を書くために、毎日長文を読むからです。
学年相応よりもやや難しい文章を読んでいると、その読む勉強で国語力がついてくるのです。
課題の長文を音読するというのは、短時間でできる効果的な勉強法ですが、なかなか続けられません。
それは、問題集を解くような勉強に比べると、音読は勉強した跡が残らないので張り合いがないからです。
そのうえ、声を出して読んでいると、たいていはお母さんに読み方を注意されます(笑)。
だから、学年が上がるにつれて、「音読は自分の部屋でやる」などと言ってやらなくなるのです。
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