作文の勉強は、通信教育で行われていることが多いと思います。
通学形式の作文教室ももちろんありますが、これは運営が少し難しいところがあります。
それは、進度の異なる複数の生徒を同時に教えるカリキュラムのないところが多いからです。
言葉の森の場合は、もちろんその進度別のカリキュラムがあります。
言い換えれば、言葉の森が日本で初めて小1から高3までの進度別の作文指導のカリキュラムを作ったということです。
しかし、そういう指導の流れがはっきりしている教室の場合でも、通学教室では、ひとりでもおしゃべりな子がいたり、質問ばかりする子がいたりすると、教室全体の運営が難しくなります。
作文の勉強というのは、言葉を使った考える勉強なので、ほかの教科の英語、数学などの勉強に比べると、言葉の雑音にきわめて弱いところがあるのです。
ですから、家庭で作文を書く場合でも、テレビの音声が背後で流れているような環境では、高学年の作文はまず書けません。
そういう静かな環境を作るという点で、通学教室は運営が難しくなるところがあるのです。
通信教育は、家庭で個別に行う学習ですから、家庭内で雑音がない状態を作れば、通学教室のような問題はありません。
しかし、その分、通信教育は強制力がないので、続けにくいという問題も出てきます。
子供が小学4年生のころまでであれば、作文の課題もそれほど難しくありませんし、何よりも親の言うことをまだよく聞く年齢ですから、提出が滞るということはあまりありません。
しかし、小学校高学年になり、中学生や高校生になり、生徒本人の自主性に任せて勉強するような年齢になると、通信教育の強制力のなさが次第に表面化するようになってくるのです。
これまでの通信教育は、たとえ言葉の森の電話通信指導であっても、先生からの電話の説明のあと、作文を書き出し、書き上げるのは本人の自主性に任されていました。
そのため、電話の説明をよく聞いていても、実際の作文は書き出せず、翌日以降に持ち越してしまうという生徒がよくいました。
ところが、今回、言葉の森が始めた寺子屋オンラインという少人数の通信指導では、この問題が根本的に解決する道筋が見えてきました。
寺子屋オンラインは、当初、子供たちの作文を発表し合うという形で進めていました。
正確には、作文を発表し合うというよりも、作文の準備を発表し合うということで、予習シートや構想図の発表、そして読書紹介などを中心とした運営をしていました。
しかし、発表だけで1時間近く取って授業が終わってしまうと、そのあとの作文は、本人が別の時間に独自に取り組まなければなりません。
これは、高学年の難しい作文を書く生徒にとっては、やや負担の大きいことになります。
そこで、今度、寺子屋オンラインの少人数クラスでは、学年別の個別指導と、それに並行する形での作文実習を中心に行う形にしました。
発表の方は逆に短時間にし、読書紹介などを中心とするものにとどめ、作文の発表と交流は月に1回の発表交流会で行うことにしました。
この形であれば、学年別の個別指導は、電話通信の個別指導と同じで、しかも同じ学年の他の生徒の準備も聞けるので、より充実した内容になります。
そして、その個別指導が終わったあとは、その場で会場を移動して作文実習を始めることができます。
1時間の授業の終わりには、全員が再び集まり、どこまで作文を書いたかということがチェックできます。
そのあとその作文を書き終えるまで、その会場にいるというようにすれば、作文を書き出す率は百パーセントで、最後まで書き上げる率も百パーセントに近いものになります。
通学教室の利点は、提出率百パーセントということです。
そのかわり、通学教室では、集中して作文を書けない状況がたまに生まれることがあります。
集中して学習できるというのは、通信教育の利点です。
そのかわり、強制力がないので提出率が低下するというのが通信教育の弱点でした。
寺子屋オンライン方式の少人数クラスは、この通信教育と通学教育の両方の利点を生かし、両方の弱点を解消できるものになります。
また、寺子屋オンラインクラスの更に優れたところは、全国の生徒が対象ですから、生徒数が多くなればなるほど、学年別・進度別の指導がしやすくなることです。
そのかわり、少人数指導の運営をするための独自のノウハウが必要になりますが、これはシステムをプログラミングすれば何とかなります。
現在、作文指導とは別に行っている発表学習コースでは、読書好きで独創的な生徒が集まり、毎回充実したコミュニケーションを交わしているクラスがいくつもあります。
これから、寺子屋オンラインの少人数作文クラスが多くなれば、そういう燃える作文クラスというものも多数生まれてくると思います。
このために、現在、寺子屋オンラインクラスの作文を指導できる、言葉の森の講師資格を持つ先生をウェブで募集しているのです。
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先生の電話指導を受けたあとも、作文がなかなか書き出せないという生徒がこれまではいました。
しかし、オンラインの少人数クラスなら、もうそういうことはありません。
作文を書き終えるまで、そのクラスにいなければならないし、ほかの生徒も先生も一緒にいるので、自然に作文を書き出す環境が整っているからです。
今後、寺子屋オンラインに参加できる生徒を増やし、学年別・進度別のクラスを増やせば、そのクラスでの毎月の発表交流会も充実したものになると思います。
技術革新の進歩が速いので、一度作ったやり方も次々に変えていかなければなりません。
こういうのを面白いと思う人と、大変だと思う人に大きく二つに分かれると思います。
言葉の森は、もちろん面白いと思う方なので、一緒にやっている人は大変です(笑)。
そして、このあと更にAIの飛躍的な進歩があるので、今常識に思われていることも、これから大きく変わってくると思います。
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毎月4週目の清書をパソコン入力で送ってもらった場合、自動的に森リン採点が行われます。
その森リン点が最も高かった作品が森リン大賞となります。
小学4年生以上でローマ字入力ができる人は、自分でパソコン入力する練習をしていくといいと思います。
パソコン入力(タッチタイピング)の練習の仕方は、
1.それぞれのキーを打つ指を決めて入力するようにします。
2.自分の好きな歌を1曲歌いながら、その歌詞を入力するようにします。(これならテキストなどを見ずに、パソコンの画面だけ見て入力を続けることができます)
3.毎日10分を目安に続けます。(上達のコツは、短い時間でも毎日続けることです)
4.全部打ちきれない場合は、続きをお父さんやお母さんに打ってもらいます。
これで、すぐにパソコン入力が上手にできるようになります。
今は、音声入力で作文を書いている人もいます。
中学生の人などで時間がないときは、音声入力を利用して作文を仕上げていくといいと思います。
▽音声入力の仕方はこちらの記事で。
https://www.mori7.com/index.php?e=3322#e3322
■
■8月の森リン大賞(小5の部123人中)
「痛い」のあとには楽しみがある。
幸村
「熱いよー。痛いよ-。」
ぼくが三年生の頃、災難がぼくに降り注いだ。友だちと庭で花火をして遊んでいたら、誰かがけったロウソクがぼくの足に当たった。あまりに熱くて大泣きした。近くのプールにあわてて飛び込んだがなかなか冷えない。急いで車に乗って、亀田総合病院に行った。「あ、かめだ。」<だじゃれ>
ここで、友だちの父親で心臓外科医の先生に
「このきずあとは、死ぬまで残るよ。」
と言われてしまった。ぼくはショックで頭がまっ白になった。そして、悲しみを感じた。死ぬまできずあとがのこるなんて信じられない。けれども、悪いことばかりではなかった。ふつうは入れない病院の裏側を見れたり、幸いにも友だちのお父さんが医者で近くに病院があったりしたから、ひがいも少しはおさえられたにちがいない。しかし、まるであざのようなきずあとは消えていない。
祖母に、
「痛かった思い出ある?」
と聞いた。すると、
「小学六年生の時に、廊下を大急ぎで走っていてね。それで、角で小さい子とぶつかっちゃたな。向こうは頭だったから『あまり痛くない。』と言っていたけれども、わたしは鼻で一週間以上あざが出来ちゃった。それから廊下は走らないようにしたよ。」
と思い出しながら教えてくれた。ぼくも、痛い思いをしながらも学んだことはある。よそ見をしながら、階段を下りていったらつまづいて転んでしまった。それからは、階段を上り下りするときはよそ見をしないようにしている。
ぼくは痛みを感じるメカニズムを調べてみた。刺激を受けた皮膚は未末梢神経に信号を送る。そして、伝わった刺激は神経線維を通り、感覚神経を通じて脳に伝わるのだ。痛みとは人に警戒心を持たせて危険から生命を守る危険信号であることも学んだ。
ぼくは、人間にとって痛みとは苦しみと楽しみをそろえた試練だと考える。この試練を達成したときに楽しいことや新しい発見があるものだ。花火のように、時にはリスクがあっても、それを体験したときに新たな発見へとつながることもある。痛みを感じるということで、人は自分の生命を守るのである。
■8月の森リン大賞(小6の部123人中)
親孝行をいつかしたい
らるせ
「じゃあ行くよー。」
私の家族はこの間、兵庫県の宝塚市に家族で旅行に行った。なぜ宝塚になったのかというと、私がだいの宝塚歌劇団のファンで、まだ本場の宝塚市でミュージカルを観たことが無かったから行けることになった。それが決まってミュージカルのチケットが取れたと聞いた日、私は嬉しくて何もできなかかった。そして、朝8時の便の飛行機に間に合うように朝早く家を出た。
2~30分後。羽田空港の駐車場に到着した。
「見えたー!」
心の中で叫んだ。
空港が見えた時、私は宝塚にやっと行けるという、ワクワク・ウキウキした気持ちが込み上げてきた。朝早かったから、家ではなく空港でご飯を食べた。そして荷物、つまりトランクを預けに行った時。私たちが予約していた飛行機がエンジン不具合のため運休になってしまったという話を聞いた。家族そろって一瞬動きが止まった。まるで銅像のように。思わず父は何回も聞いていた。
「本当に運休なんですね。本当なんですよね。じゃあ、次の便の飛行機には乗れますか?ちょっと探していただけますか?」
凄く慌てていた。そうでないと、兵庫(大阪)に着いてからの予定が狂うからだ。あーまた始まる。何が始まるかというと、夫婦喧嘩だ。私は運休という言葉を聞いたとたん、始まると思った。
「あなたがゆっくりご飯を食べているから~~ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ・・・・・・」
次に言い訳をする父
「だって~~ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ・・・・・・」
「もうしょうがないじゃん!!!」
私がけんかをおさめる。そこにいた担当の人もこの状況を見て困っていた。・・・・・・・・・1時間後。次の便の飛行機に席はバラバラだが乗れることになった。これを聞いた父と母は安心したようだ。1時間前は喧嘩していたのに、今となってはもう仲良しだ。このように喧嘩する二人だが、喧嘩をしないと父はすごく面白い。変な面白くない冗談を言ったり、虫みたいに不思議な行動をしたり。私の父はとにかく何をするかわからない。だからこそ、私の家族は充実していて、楽しいのだと思う。だから、たくさんの場所に連れて行ってくれたり、面白がせてくれたりする家族にいつか親孝行ができれば良いと思う。
こうして、旅行はあっという間に楽しく幕を閉じた。大好きな宝塚を観ることが出来たし、おいしいものも食べることが出来て最高の旅行だった。
人間にとって、家族とは大切な宝物で、励ましの存在であると思う。私にとても優しく面白く接してくれる人は、家族以外いないと思うから、これからもこの気持ちを忘れず家族を大切にしたいと思う。永遠にこのような雰囲気の家族でありますように。(笑)
■8月の森リン大賞(中1の部79人中)
チームワークを大切に
なっち
「がんばるぞ。」
私は、ときには「チームワーク」というものが、必要とされることは必ずあると思う。そして、一人では、絶対にできないこともあると思う。そんなときに、仲間というものが存在され、助け合い、喜びを分け合い、味わうものなのではないだろうか。私は、チームワークを大切にすること必要だと思う。
その理由は第一に、チームワークがなければ成り立たないことがたくさんあると思うからだ。例えば私は、小学六年生の運動会で組み立て体操をしたことがある。組み立て体操は、一人で行う演技もあるが、二人以上で行う演技の方が多い。サボテンやタワーやピラミットなどの技は協力しないと上手くできない。特に、クラス全員で作るピラミットはチームワークがしっかりしていないとできない。一人でもずれていたり、やる気がなかったりして心が一つになっていなければ素晴らしい演技にはならない。そのために、私のク
ラスでは、
「せえの」
という大きなピラミットを作ることにした。すると、最初はバラバラだったのがきれいに軽く乗れ、ピラミットを作れるようになった。作れるようになるまで、みんなで何回も練習し、苦労したがピラミットを作れたときはとてもうれしかった。運動会本番でもみんなで心を一つにしてピラミットを成功させることが出来た。私は、そのときチームワークって大切なんだと改めて感じた。チームワークがなければ成り立たないことはたくさんあると私は思う。そのときにどうやって心を一つにして行うことが出来るかということが大切だと私は思う。
その理由は第二に、チームワークによって味わえる喜びがあるからだ。例えば私は、小学五年生のときに毎年行われる球技大会でTボールというのをした。Tボールとは、野球を少し簡単にしたものだ。だから、野球なんてやったことない私にでもできるスポーツなのだ。一つのクラスで二チーム作って他のクラスと戦う。そして、一番強かったチームが優勝だ。私達のチームは、その優勝に向かって作戦を考えた。私のチームには、野球を習っている男の子が一人いた。その男の子を四番目に登場させ、満塁の所にホームランのように打ってもらうという単純な作戦だ。すると、この作戦が案外上手くいき、私たちの試合では得点版を暇にさせなかった。次の試合もその次の試合も相手のチームを負かし、私たちのチームは、なんと決勝まで来てしまっていた。私たちのチームワークは、みるみる高まっていった。私たちは、うれしくて円陣まで組んで決勝に挑んだ。すると私たちのチームは、相手チームにヒットすらまともに打たせず、私たちのチームだけどんどん点を入れていき試合は終了した。私たちは、あまりの嬉しさにみんなで大声で喜んだ。今、」私は中学生になったが、今でもあのときのまるで奇跡のような優勝は覚えている。私は、そのときチームワークにより、味わえる喜びがあることに気づいた。
確かに、個性をうずめて、チームワークを重んじるのは、良くないという意見もある。しかし、「よい友人を得たければ、まず自分が良い友人でなければならない。」という名言があるようにチームの輪を重んじながら自分も努力してチームを高める勇気が必要だ。だから、私はチームワークを大切にすることは必要だと思う。これから、チームワークを大切にしなければ成し遂げれないことがあれば、組み立て体操のときやTボールのときのように仲間と協力して成し遂げたい。
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近い将来、AIによる小論文自動採点の時代が必ず来ると思います。(もう、あるのかもしれませんが)
すると、入試の中身は、○×試験よりも作文試験の方が中心になるでしょう。
作文力の方が、○×の知識よりも、本当の学力との相関は高いはずからです。
しかし、この場合の作文力は、文学的な表現力よりも、経験力や思考力に近いものになります。
文章をこね回すような表現力ではなく、豊かな経験と深い思考が評価されるようになるからです。
森リン大賞は、小4までは作文を載せていません。1位の作文を掲載しているのは小5からです。
どうしてかというと、小4までの生徒のお母さんは、1位の作文とわが子の作文を比べて、必ず何かひとこと言いたくなるからです(笑)。
そして、それを言うことによってプラスになることは何もなく、かえってマイナスになることしか出てこないからです。
親は、自分の子を他人と比較せずに、自分の子のいいところだけを見ていくことが大事なのです。
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