子供が何かを吸収するのは、それが楽しいからです。
子供が興味を持たないものは、いくらすすめてもなかなか身につきません。
強制されてやるときの吸収力は、自分から進んでやるときの吸収力に比べてはるかに小さいのです。
しかし、楽しいからといって、甘いお菓子だけを食べていては体が成長しません。
楽しいと同時に、それによって子供が成長するようなものを吸収させる必要があります。
それが、楽しいけれど難しいというものです。
その第一のものは、子供が興味を持って読めるような説明文の読書です。
物語文の読書も子供の心を成長させる上で大切ですが、今の日本の読書環境では物語文の本の豊富さに比べると、説明文の本を読む環境はかなり限られています。
子供の興味や関心のある分野を考えながら、少し難しい説明文の読書をすすめていくというのが、子供の身近にいる大人の役割になります。
楽しいけれども難しいという第二のものは対話です。
高校生以上になれば友達との対話が中心になりますが、小学生の場合は、主に親子の対話です。
子供たちは、お父さんやお母さんと楽しい話をするのが好きです。
話の内容ももちろん大事ですが、それ以上に家族で話をするという雰囲気が好きなのです。
この楽しい話の中で、親が少し難しい言葉、少し難しい説明をしていくと、子供たちはその話を一生懸命に聞き取ろうとして自然に難しい言葉や難しい考え方を身につけていきます。
小学校低学年の間に、こういう親子の楽しい対話の習慣を身につけた子は、学年が上がっても親子の対話を続けていけます。
低学年のころは親もあまり準備せずに楽しく難しい話ができますが、子供が小学校高学年になり難しい作文の課題に取り組むようになると、親もその分野について勉強し直したり考えを深め直したりする必要が出てきます。
楽しいけれども難しいという第三のものは、子供自身が挑戦する経験です。
この挑戦する経験には、初めて取り組む遊びのようなものも含まれます。
難しそうだがやってみたいというものは、すべて子供を成長させます。
子供たちは、勉強によって成長するのではなく、読書と対話と経験によって成長するのです。
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世の中には、楽しくて易しいものや、つまらなくて難しいものはよくあります。
楽しいけれども易しいことだけをやっていては成長しません。
しかし、難しいけれどもつまらないことだけをやっていても同じように成長しません。
楽しいけれども難しいものを見つけていくことが大事なのです。
難しい話をしたり、難しい本を読んだりすることは大切ですが、その難しさの基準は知識の難しさではありません。
考え方の難しさです。
考え方の難しさは、理解できたときに目を輝かせるような喜びがあるのです。
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この世の中で価値あるものは、お金でも食料でも資源でも知識でもありません。
真に価値あるものは、創造です。
創造とは、単に耳当たりのよいキャッチフレーズのようなものではありません。
創造とは、すでにあるものを組み合わせて、まだないものを作りだすことです。
この単純な定義から、子供たちの創造力というもも考えていく必要があります。
既存のものただ並べるだけであれば、それは創造ではなく、単に知識を詰め込んだことにすぎません。
それらの既存の知識を組み合わせて新しいものを作り出したときに創造が生まれます。
その既存のものを組み合わせて新しいものを作り出す力を創造力と呼ぶとすると、創造とは、既にある知識を横軸とし、縦を創造力とする三角形の面積と同じように考えることができます。
現在、子供たちが校で学ぶ知識の多くは、国数英理社のような主要教科の知識です。
これをメジャーな知識と呼ぶとすると、メジャーな知識を底辺とした創造を作り出すためには、極めて高い創造力を持つことが必要になります。
世の中には、既に大きな三角形が作られているので、その三角形の枠の中に収まるものは、すべて二番煎じ三番煎じの小さな三角形です。
プログラミングの世界では、「車輪を自分で作る必要はない」という言葉があります。
最初に車輪を作った人は、確かに創造者でした。
しかし、今新しく車輪を作ろうとする人はいません。
今は、既にある車輪を生かして、ほかの新しいものを作り出す時代だからです。
学校教育で行われていることは、既に作られたことのある車輪の作り方を学び直すことです。
現代の社会では、学ぶことがあまりにも多いため、学ぶこと自体が目的のようになりがちです。
しかし、本当に大事なことは、既存のものを学ぶことではなく、既存のものの上に新しいものを作り出すことです。
ほかの人と同じ知識の横軸にとどまっているかぎり、創造に参加できる人はほんのわずかで、そのほかの大多数の人は追随者の役割しか果たせません。
子供時代に何かに熱中することが大切だというのは、この創造の文脈で考える必要があります。
何かに熱中するとき、人はそれがどのように役に立つかということを度外視して熱中します。
何かに役立つということがわかるものは、ほとんどが既にある横軸の上に存在するものです。
何に役立つかわからないものに熱中することが、新しい横軸を広げることになります。
これからの世界の教育を考えた場合、みんなと同じことを同じようにできるというのはあまり意味がありません。
みんなと同じことができるというのは、ロボットでも人工知能でもできるようになることだからです。
大事なことは、みんなのできないことで自分にできることがあるということです。
そういう新しい熱中できる分野を、子供時代から作っていく必要があるのです。
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経済が一つの方向に成長している時代は、メジャーな分野に行くことが潰しの利く道でした。
今は、経済が停滞しているのではなく、多方向に分散している時代です。
そういう時代には、マイナーな分野に行くことが潰しの利く生き方になるのです。
創造ということを考えた場合、役にも立たないことをやっているということが意外と大事です。
役に立つことというのは、ほとんどが既にあることだからです。
子供が何かに熱中しているときは、役に立つか立たないかということを度外視して考えることです。
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