笑い話かと思うくらい、NTTコミュニケーションズの電話の切り替えが、あれこれ意味不明の技術的な理由で全くできない状態になっています。
よくそれだけできない条件が重なったと思うほどです。
たまたま、携帯に転送していた回線だけが1本生きていたので、それでかろうじて電話の受け付けができています。
ここでふと思ったのは、人間はこういう三次元のトラブルをいろいろ経験するために生きているのだろうということでした。
かつて勝海舟は、辞書を買うお金がないので、持っている人から借りて、夜中に全部書き写しました。
しかも、その書き写した1冊を売って家計の足しにしたので、結局2冊書き写すことになりました。
今ならコピー機があるし、ネットでいくらでも辞書の代わりができますが、その当時は、書き写すしかないというところに、その時代を生きる人の経験があったのだと思います。
現代を生きる私たちは、ついトラブルがないことやスムーズにうまくいくことがよいと思いがちですが、本当は、何でもうまく行く状況では、人間の生きる意味は希薄になります。
では、トラブルには、どのように対応していけばよいのでしょうか。
ひとつは、そのトラブルを創造的に克服することです。
しかし、トラブルのほとんどは、簡単には克服できないのが普通です。
だから、もうひとつは、そのトラブルを楽しむことです。
楽しむとは、しみじみとそのトラブルを味わうことです。
そして、それを苦にしないことです。
更に、そういうトラブルを経験できたことに感謝さえすることです。
トラブルの原因はいろいろありますが、悪いのは相手でも自分でも運勢でもありません。
それは、起こるべくして起こり、それが自分や相手や宇宙の経験を豊かにしたということなのです。
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
良寛
作文は、子供たちの学力を全面的に育てる勉強です。
第一に、作文は、子供たちの理解力や読解力を育てます。
本当の学力の中心となるものは、物事を理解する力です。
読解力は、問題集を解くような形で行うものではなく、感想文を書くために文章を深く読み取ろうとすることによってついてくるものです。
深く読み取るために必要な準備が、長文を繰り返し読むことと、その長文をもとに両親に取材し対話をすることです。
第二に、作文は、家庭での親子の関わりを豊かにします。
小学校低学年では、実行課題集などを参考に、親と子が協同で実験や遊びや工作や料理や旅行などに取り組むことによって親子の関わりが生まれます。
この家庭における親子の関わりが、机上で知識や技能を学ぶこと以上に、子供たちの将来の役に役立つものとなるのです。
また、小学校中学年以降は、与えられた題名や長文で作文感想文を書く練習をします。
このときに、課題となっているテーマや長文を親子で話し合うことによって、子供たちの語彙力、思考力、理解力、表現力が育ちます。
これらが、大人になったときに、社会で役立つ本当の実力の基礎になるのです。
第三に、作文は、点数に表れない子供たちの文化力を育てます。
何かのテーマを書く際に、自分なりに深く考えようとすると、自然に人間の本来の生き方や、社会の本来のあり方のようなものを考えるようになります。
このときに、勇気や思いやりや他人に対する共感を自分の問題として考える機会が生まれます。
作文を書かなければ気づかなかった感受性を、作文を書くことによって自分の内面に自覚することができるのです。
第四に、作文は、子供たちの創造力を育てます。
与えられた構成で書こうとすれば、その構成に合わせて実例や理由や方法や原因を考えなければなりません。
たとえや名言の表現を工夫しようとすれば、その表現や思考がそのまま創造になります。
そして、作文を発表するときに最も重要になるものが、その子の独創的な内容です。
答えのある勉強では、いくら成績がよくても行き着く先は誰も同じです。
しかし、これから大事になるのは、人それぞれに違う個性です。
その個性を学力で豊かにしていくことが、作文の創造力なのです。
世間にある作文教室の多くは、作文試験に間に合わせるという目標のために勉強を教えています。
もちろん、そういう勉強もそれなりに必要です。
だから、言葉の森も、受験作文に対応した指導をもう何十年も行っています。
しかし、本当は、その受験よりももっと先にある本当の学力をつけるために作文の勉強をしていると考える必要があるのです。
言葉の森で、小学生のときに作文の勉強を始めた子は、中学生になっても、高校生になっても勉強を続けていくことができます。
そして、もちろん、大学生になっても、社会人になっても勉強を続けていくことができます。
特に、高3からの数年間は、人間の思考力が最も伸びる時期です。
今後、この高3以降の年齢の生徒を対象にした学問クラブを作っていきたいと思っています。
子どもたちは、点数として表される勉強にどうしても目を奪われがちです。
それは、大人ももちろん同じです。
しかし、あとあとまで残るのは、今点数として表れている勉強ではなく、まだ表れていない子供たちの内面に育っているものです。
そういう長期的な視野で、子供たちの勉強を考えていく必要があります。