教育のオンライン化は、世界各地で進んでいます。
それは既に止められない流れになっています。
しかし、オンライン化を便利さという観点だけから見ると、それはむしろオンラインの負の側面になるでしょう。
便利さを基準にして生き残るのは、比喩的に言えばアマゾン一社だからです。
便利であるとか、コストがかからないとか、場所や時間の制約がないとかいう利点は、無味無臭の世界です。
だから、その中身と方法は、すべてデジタルに還元され、たやすく国境を越えて広がります。
今はまだある言語の壁も、これからますます低くなっていくでしょう。
そして、最も速く広がるものは、最も資金力を動員できるものです。
では、オンライン化の流れの中で、便利ではない何を大事にしなければならないのでしょうか。
それは、言葉をただ逆にするだけなのですが、実は不便さなのです。
オンライン化を生かす道は、その不便さにあるというのは、オンラインの利点を活かしつつも、ある特定の時間と、ある特定の友人や先生と、試行錯誤を含む時間をかけて、苦労して学ぶという不便さを大事にするということです。
それが、人間味のあるオンラインです。
このデジタルに還元されない教育を、寺子屋オンラインで実現していきたいと思っています。
寺子屋オンライン作文講師育成講座を、時間に制約されないビデオ講座にし、いつでも受講できるようにしました。
また、受講を考えている方が、費用負担なく講座の中身を体験できるようにインターンシップ制を開始しました。
詳細は追ってホームページでお知らせします。
作文試験は、年々進化しています。
今日は、その方向と今後の対策を書きたいと思います。
なお、ここで、作文と言っているのは、小論文も含んだ文章のことです。
世間では、作文と小論文は違うなどと言う人もいますが、同じ文章ということで大した違いはありません。
強いて言えば、作文は事実中心の文章で、小論文は主題中心の文章ということです。
しかし、この中間段階がいくつもあるのです。
言葉の森で、小学1年生が書く文章は、事実中心です。
高校3年生が書く文章は、主題中心です。
しかし、その中間にある小学校高学年の生徒が書く文章は、半分が事実中心で、半分が主題中心です。
題名で言えば、「私の家族」とか、「私の宝物」とかいう題名は、普通は事実中心になります。
しかし、小学校高学年のよく書ける生徒は、こういう題名を事実中心に書くのでは、ものたりないと思うのです。
そこで、いくつかの事実をまとめる、より抽象的な主題で結びの感想を書こうとします。
その感想の書き方が、「わかったこと」や「一般化の主題」です。
こうなると、これは、もう半分小論文です。
高校生が、同じ題名で書く場合も、「私の家族」だったら、「家族とは(人間にとって)……である」という大きい視点から見たまとめ方になるのが普通です。
高校生が、「私の家族」という題名で、「私の家族はとても仲良しです。(おしまい)」となったら、その文章がどれほど上手でも、ものたりないと思うはずです。
高校生を教えている先生は、高校生しか教えたことがないから、「作文と小論文は違う」などと言えるのです。
小学生を教えている先生は、小学生しか教えたことがないから、作文の評価をミニ小説のように見てしまうのです。
言葉の森は、小学生から高校生まで教えているので(正確には幼児年長から社会人までですが)、作文と小論文を一体のものとして、より作文的なものからより論文的なものへと進んでいく過程として見ています。
だから、作文と小論文を言葉の上で分けることなく、まとめて、「作文」と呼んでいるのです。
さて、その(小論文も含めた)作文試験の進化の方向です。
最初のころの作文試験は、身近な題名課題でした。
「○○学校時代の思い出」「これまででがんばったこと」などという題名です。
この題名課題のいいところは、出題が簡単なことです。
そして、受験する生徒が少なければ、こういう題名課題でも十分に作文力の評価はできるたです。
しかし、こういう題名課題は、少し練習すれば誰でも上達します。
言葉の森で勉強していれば、誰でも合格作文を書けるようになります。
そうすると、今度は採点が大変になります。
受験生のほとんどが合格レベルの作文を書くようになると、こういう題名課題ではやっていられなくなります。
そこで、作文試験は、単純な題名課題から、より複雑な条件を伴う作文試験へと流れは進化していったのです。
(つづく)