2月に出版される「小学生のための読解・作文力がしっかり身につく本」(かんき出版)の最後の校正をしていました。
自分の書いた文章ですが、作文試験問題の解答例と解説を読むと、さすがに参考になることが書かれていると思いました。
ここに載っている解説を読むだけでも、かなり作文小論文のレベルが上がると思います。
例えば、その一部を引用すると、
(いいのかなあ。笑)
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入試の作文課題には、学問や勉強に対する姿勢が課題として出されることがよくあります。
学問や勉強のあり方が課題となる場合、意見はその課題に基本的に賛同する立場で書きます。反論する形よりも、賛同する形の方が意見が深まることが多いからです。
展開部分は、その意見の裏付けとなると自分の体験実例を書くという形になります。
学問や勉強に関する体験実例には、学校や学習塾で行った勉強の話よりも、自分が自主的に取り組んだ勉強的なものにする方がより深みのある実例になります。
自分から進んで何かを学んだとか、何かに取り組んだという実例は、その場ですぐに思い出すことが難しいので、あらかじめ自分自身の過去の経験から使えそうなエピソードを思い出して整理しておきます。
学問や勉強に関する作文のまとめ方は、「学問とは人間にとって……」「勉強とは人間にとって……」という形になることが多くなります。
この結びの一般化の主題はそれほど多くの種類はないので、自分なりにいくつかの意見を考えておくと、どういう課題が与えられたときでもうまくまとめることができるようになります。
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説明ばかりの文章でややわかりにくいかもしれませんが、ここに書いてあることを理解するだけで、文章のレベルがかなり違ってきます。(具体的なことは、解答例として書いてあります。)
例えばどういうことかというと、「勉強することの大切さ」とか「学ぶことの意義」とかいう課題が出された場合、自分の体験実例として、算数をがんばったとか、英語をがんばったとかいう普通の勉強の話を書いてしまうと、誰も同じような作文になって感動が薄れるということです。
ここは、夏休みの自由研究でセミの羽化を観察したとか、カブトムシを幼虫から育てたとかいう、学校の教科の勉強には入らないが、自分が自主的に行った話を入れていくといいのです。すると、そこに個性と感動が入るので、作文の内容が一段階レベルアップします。
同じ意見なら、実例に感動や個性のある文章の方がその意見に説得力が出るからです。
ところが、こういう話をその場ですぐに思い出すということはまずできません。だから、普段の作文練習の中で、自分らしい実例を見つける練習をしていくということなのです。
作文には、正解のようなものはありませんが、そのかわりちょっとしたコツのようなものはたくさんあります。
もうひとつの例として、例えば、志望理由書などにしても、ほとんどの生徒は普通に志望した理由を書きます。
しかし、それでは、誰が書いても同じような文章になってしまいます。
志望理由書は、あたりさわりないことを書くものではなく、自分をアピールするために書くものです。
すると、大事なのは理由ではなく、理由の裏付けとなる実績というところになるのです。
この志望理由書の書き方も、この本で解答例と解説を載せています。
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公立中高一貫校が作文試験を課すようになってから、作文力をつけるという本がいくつか出ていましたが、これらを読んでも受験生は、あまり書き方がわかるようにはならないと思います。
それはなぜかというと、解答例に、実際の生徒が書いたよく書けた文章というものが使われているからです。
よく書けたのは、指導によってよく書けたのではなく、その生徒の実力としてたまたまよく書けたのですから、ほかの人が読んでも参考になりません。つまり、実例がよかったとか、いい表現が入ったとかいうことで、よく書けたことになっているからです。
また、課題の解説の多くは、その課題に対する心構えや準備のようなことが書かれていることが多く、どう書いたらいいかということまでは書かれていません。
それは、たぶん子供たちの作文を実際に指導した経験のあまりない人が書いているからだと思います。
作文指導における誤解でかなり多いのが、上手に書けた子の作文を見せて、ほかの子を上手にさせようとすることです。
他人のよく書けた作文を見せるだけで、それで上手に書けるようになる子はまずいません。
それどころか、かえって自信をなくし、作文嫌いになるだけです。
だから、お母さんやお父さんも、決して、ほかの子の上手な作文を見せて、「こんなふうに書けたらいいね」などとは言わないことです。
いつも自分の子供の作文のいいところを見て褒めてあげることなのです。
どこがいいところかというと、それは指導項目で先生が指導しているところです。
作文の上達のためには、こういう地道な積み重ねが大事なのです。
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今の試験は、基本的に記憶力の試験です。考える問題もあると言う人がいるかもしれませんが、考える問題というのも、結局は考え方や解き方を記憶して知っている者だけが時間内に解けるという試験です。
だから、記憶力のあるなしが試験勉強に大きく影響します。
もちろん、記憶力の試験だとはいっても、単純に特定の知識を覚えているかどうかを見るような試験ではありません。
複数の解き方を記憶して、更にその解き方の組み合わせ方を記憶するというようなより複雑な試験です。
しかし、基本は記憶力の試験なのです。
その記憶力を高める勉強として最も効果のあるのが暗唱です。
小学校低学年から暗唱の練習をしていると、文章のリズム感がついてきたり、難しい語彙を読み取る力がついてきたり、毎日一定の時間(10分程度ですが)勉強する習慣がついてきたりと、いろいろな効果があります。
それらの効果の中でも、特に重要なのが、覚えることが苦にならなくなるということです。
試験の準備などで覚えることが多いと、普通、ほとんどの子は嫌がるものですが、暗唱に慣れている子は、それを特に負担だとは思いません。むしろ、覚えることが楽しいという感じになることも多いのです。
それは、読んだことがすぐに頭に入るという脳の仕組みになっているからだと思います。
日本では、江戸時代まで四書五経の素読の教育が行われていました。
明治、大正時代以降も、家庭によっては、湯川秀樹氏の家のように六歳からの素読の教育が行なわれていました。
しかし、戦後の教育の中で、素読や暗唱は、理解する勉強の妨げになるとして排除されてしまったのです。
そのために、かえって日本の子供たちの総体的な学力が低下しました。
理解する勉強には、落ちこぼれになる子がいます。
しかし、素読の勉強には、落ちこぼれになる子はいません。
誰でもそれぞれに自分のできることができ、しかも、中には極めて高いレベルまで進む子もいるのです。
今の大人は、すべて戦後の理解を先行させる教育の中で育ってきたので、音読を繰り返すとか、何かを記憶するとかいう勉強を一段低いもののように見る傾向があります。
しかし、九九の暗唱が日本人の計算力の基礎となっているように、低学年からの暗唱の勉強は実は学力全体のきわめて広範囲な土台となっているのです。
言葉の森の暗唱長文集は、ホームページのリンクにあります。
どなたでもごらんになれます。
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音読や暗唱を、理解する勉強に比べて一段低いもののように感じる人が多いと思いますが、それは戦後教育の影響です。
音読や暗唱は、それ自体が目的なのではなく、考える力を伸ばすための土台です。
この土台作りを始めるいちばんの時期が、小学1、2年生です。
音読や暗唱のような簡単に見えるものほど続けるのが難しい面があります。
これを続けやすくするために行っているのが、百字ずずつの暗唱法、暗唱検定という目標、寺子屋オンラインでの暗唱チェックなどです。
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