海外の生徒は、ファクスでも送れますが、ご自分で手書き作文をアップロードする場合は、次のようにしてください。
国内の生徒でも、ご自分で手書き作文をアップロードすることができます。
1、作文の丘に行き、コード、パスワードなどを入れ送信します。
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2、本文の欄には、「手書き原稿」などと書いて送信します。
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3、JPG原稿アップロードの「参照」ボタンをクリックします。
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4、自分のパソコンの中からアップロードするJPGファイルを探します。(例の場合は4つ)
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5、1つずつ順に「参照」でアップロードします。
(図では1つ目のファイルがアップロードされる状態になっています)
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6、全部を「参照」でアップロードしたら「送信」ボタンを押します。
(図では4つのファイルがアップロードされる状態になっています)
送信ボタンを押したあと時間がかかることがありますが、何度も押さないでください。
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7、アップロードが成功すると画面が切り替わります。
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8、手書き原稿がアップロードされた状態です。
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9、「山のたより」の画面では、このように表示されます。
(評価と講評は別に書かれます)
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1、長文暗唱の自習を定着させ、高速聴読、読解マラソン、記憶術などと結びつけた魅力ある指導を行ないます。
2、ウェブ添削を軌道に乗せ、郵便・ファクス・メールを使わないリアルタイムの手書き添削を広げます。
3、mixiのようなSNSを作り、学年別、先生別、テーマ別のコミュニケーションを盛んにします。(仮称moxi)
4、マインドマップ風構成図のノウハウを蓄積し、中学生以上の考える作文指導を更に強化します。
5、音声入力のノウハウを確立し、高校生以上の新しい作文技能を開発します。
6、google bookなどを利用した読書の広場を作り、新しい読書指導を提案します。
7、勉強アドバイザー制度を設置し、作文に限らず勉強全般のアドバイスを実施します。
※更に来年は、言葉の森を、作文以外、ネット以外、日本以外にも広げていく予定です。
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為政者が何度か国を誤ることがあっても、日本はそのたびに復活しました。
その鍵は、素直さと調和と思いやりを大事にする日本文化の中にありました。
その日本文化の鍵は、日本語文化の中にあります。(和食や和服や日本の自然などの中にもありますが)
言葉の森は、今年、日本語文化の創造、復活、教育、開発を目指します。
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小学校低学年からの学習の中心は、日本語を駆使する力を育てることです。これは、低学年のうちは特に読む力を育てることになります。
読む力をつけることによって、読書による知識が身につくことはもちろんですが、もっと大事なことは読書好きになる力がつくようになります。文章を読む力のある子は、文章が目の前にあると、すぐに読もうとします。読む力のない子は、最初から読もうとしません。この姿勢の違いが、実はあとになるほど大きく響いてくるのです。
読む力があると、国語の成績がよくなるだけではありません。英語や数学など、ほかの教科の勉強でも、読めばわかるはずだという確信が育ってきます。もちろん数学は、言語の操作とは少し違う発想の仕方をするので、その違いを学習することは必要です。しかし、基本にあるものは、読んで理解するという力なので、国語力がすべての教科につながると言われているのです。
中学生や高校生の学習の中心は、読む力とともに書く力になってきます。これは、書くことによって考える力の基礎ができるからです。しかし、現在の学校と受験のシステムでは、指導と評価に時間がとれないという理由から、書く力を学習する機会はあまりありません。書く力は、独自に育てていく必要があると思います。
言葉の森で勉強している子に共通する特徴として、書くことが苦にならない、書くことが好きになる、更には書くことが得意になる、ということがあります。これは、作文や小論文の試験でももちろん役に立ちますが、それ以上にその子の生涯の生活において大きなプラスになっています。
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音声をテキスト化するソフトがいくつか出ています。実用にたえるレベルになっているものもあります。このソフトの進歩が比較的遅いのは、音声入力に対するニーズがないからです。今後、音声入力を求める人が増えれば、ソフトは更に進化すると思います。
音声入力の意義は、手書きやパソコン入力よりも速く書けるということです。音声入力の弱点は、書く文章に比べて文が単調になりやすいということです。また、その場で考えながら音声入力のできるものは、熟知している内容のものに限られます。ただし、マインドマップ風構成図を使えば、複雑な内容でもスムーズに音声入力ができます。
音声入力のハードは、ICレコーダです。録音状態を聴いて確認しながら入力をするためには、イヤホンマイクを使うといいと思います。一文ずつ入力していき、間違えたらその一文だけを録音し直すようにします。
テキスト化のためのソフトを使わずに録音した内容をそのまま手書きに直すためには、一文ずつ再生しながら書いていきます。
テキスト化のソフトを使うためには、一文ずつの音声をつなげる必要があります。複数の音声ファイルをつなげるフリーのソフトがあります。
音声をウェブにアップロードする必要はありませんが、アップロードするためには拡張子をmp3などに変える必要があります。これもフリーのソフトが出ています。
今の課題は、音声入力で単調になりがちな文章をどう書き言葉の文章に近づけていくかということです。
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今日は、芸術とは何かということについて説明します。
芸術とは何かということは、スポーツとは何かということにも関連してきます。
芸術は一言で言えば、美の表現です。表現の前提として美の感受性を蓄積することが必要になってきます。
世間で一般に考えられている芸術は、表現をするための技術や能力を指して言っていることが多いと思います。つまり、表現の技能が芸術とみなされているということです。
技能とは、道具を身体の一部のように動かすことです。その道具を通して人間が本来持っている美が表現されます。道具がなければ表現できなかったような美を、道具を通して創造的に表現することが芸術です。
この道具は手段であるとともに、制約も持っています。日本人は真面目なので、この制約を自己目的化しがちです。真の目的は美の表現で、次の目的は表現のツールを身体化することです。ツールを身体化するためにツールの制約を受け入れるというのは、次の次の目的になります。次の次の目的が、いちばん大きな目的のようになってしまうようなところに問題があるのです。
たぶん、ここから、ピアノを弾くには指の保護のためにバレーボールをしない方がいいというような話が出てくるのだと思います。
同様にスポーツでも、例えば、バスケットボールはゴールの高さという制約を自己目的化している面があります。身長制のバスケットを背の低い日本人が提案すれば、もっと多くの人が楽しめるスポーツになるはずなのにです。
制約が自己目的化する背景には、ギルド制のようなものがあります。あれをしてはいけないとか、これをしてはいけないと複雑化していくのは、複雑化が参入障壁となるからです。
未来の社会は、芸術についてもスポーツについても、もっと自由になるはずです。自分の長所を生かしたツールを使うというのが、芸術とスポーツの大きな方向になります。
例えばピアノ弾きたい人が片手であった場合に、片手を自分の制限として考えると後ろ向きになります。片手で引ける曲を探すだけでなく、もっと大胆に片手用の楽器を作り、そこに習熟するように訓練することが前向きの解決策です。
この訓練というものが、身体を持つ人間が表現と関わるためのキーとなります。他の人では簡単に真似できない長期間の訓練によって、新しい芸術表現の可能性が創造されるのです。
すべての芸術は、美の表現を道具や材料という手段を通して行うものだという本質を押さえておくことが大切です。
すると、未来の芸術教育の主要教科は、感受性を育てること、あるツールを使った練習に習熟すること、そしてそのあと、多様な手段を使った表現に道を開くこと、になると思います。
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
音声入力
構成図をもとに音声入力した原稿を2倍速にしたものです。
2倍速
四行詩
芸術とは、美を表現することである。
表現する手段に習熟することは、芸術の準備である。
スポーツとは、身体の可能性を創造することである。
創造する方法に習熟することは、スポーツの準備である。
だから、片手がなくてピアノを弾きたいなら、片手用の楽器を作って習熟すればいい。
身長が低くてバスケットをしたいのなら、ゴールを低くした身長制のバスケットを提案して習熟すればいい。
制約自体を不変のものであるかのように自己目的化するから、芸術もスポーツも自由な多様性がなくてみんなが苦労する。
手段や方法が先にあるのではなく、人間が先にある。
(この詩は、森川林のブログに書いたものと同じです)
http://ameblo.jp/kotomori/entry-10184611316.html
笑い
「芸術やスポーツが苦手だから、そんなこと言ってんでしょ」
「うん、図工と気登りは得意だったんだけど」(^^ゞ
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