寺子屋オンラインの少人数クラスの生徒の作文を教えていて、「何だか上達が早いような気がするなあ」と思っていました。
通学クラスや通信クラスで教えていると、段落をつけるとか、常体で書くとか、結びの工夫をするとかいう新しい項目を教えるときに、一度ではできるようにならないことも多いのです。
ところが、寺子屋オンラインクラスでは、ほかの生徒に対する説明を聞いているうちにだと思いますが、その生徒に教えていないのにできるようになるということがありました。
また、通常のクラスでは、結びの工夫のような面倒な表現は、できなくてもいいやという感じでスルーしてしまう子がいるのですが、寺子屋オンラインクラスでは、同学年のほかの生徒が工夫して書いているのを見るせいか、どの生徒もできて当然のように書いていました。
この上達の度合いを調べる方法として考えたのが、字数の推移です。
以前、森リンで評価のプログラムを作っているときに、字数と上手さの相関がかなり高いことに気づいていたからです。もちろん、短い文章で深い内容を書くという例外はありますが、大体において上手な子は長く書けるということがあったのです。
そこで、寺子屋オンラインクラスで勉強している生徒と、一般の通学又は通信の生徒をランダムに抽出して、今年2019年の1月2週・3週の作文と、一年前の2018年の同じく1月2週・3週の字数の推移を調べてみました。
その結果、小3から小5のどのクラスでも、寺子屋オンラインクラスの生徒の方が字数の伸び率が高かったのです。
▼2019年1月←2018年1月の平均字数の変化
| 寺オンクラス | 一般クラス |
小3 | 540←370字 | 470←430字 |
小4 | 700←480字 | 550←440字 |
小5 | 1030←870字 | 640←550字 |
全体 | 710←530字 | 540←460字 |
これは、ランダムに選んだ小3~小5の生徒22人の、2018年1月から2019年1月にかけてデータの比較ですからまだ一部の調査です。
しかし、この範囲でも、寺子屋オンラインクラスの生徒は上達の度合いが早いということは言えそうです。
その理由を考えてみると、やはりみんなの中で勉強するからということが大きいと思いました。
今日、土曜日のクラスの発表交流会をしました。
9時からのクラスは小3から小5の生徒なので、お互いの作文の発表に関する感想なども、なかなかよく考えて言っていることがわかります。
10時からのクラスは、小1~小3の生徒が中心なので、まだそれほどうまく言えない子も多いのですが、それでもみんな考えながら自分の思ったことを言っていました。
子供たちの成長の様子を見ていると、小学3年生までは、自分中心の世界です。
深い関わりのある他人は、親や先生という権威のある人です。だから、この時期には親の役割がとても重要です。小3のころの子供たちは、身近な尊敬できる対象として親や先生を見ているからです。
ところが、小4になると、親や先生の権威に無条件に従う時期を卒業して、ときどき自分の考えを主張するようになります。
この時期は、親や先生よりも、友達にどう思われるかということが重要になってきます。
だから、作文も、親や先生のために書くというよりも、みんなのために書くというようになるのです。
そして、これが高校生以上になると、自分自身の向上のために書くというようになるのですが、ちょうど小学校高学年から中学生にかけては、その中間の、友達と一緒に勉強するというのが最も自分の気持ちに合う時にになるのだと思います。
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作文のように点数化されない勉強は、熱意というものが上達には欠かせません。
言葉の森の作文指導は、まだ目標としての項目があるからいいのですが、普通家庭などで作文を教えていると、途中から子供が熱心に書かなくなります。それは、目標がないので、手を抜こうと思えばいくらでも抜けるようになるからです。
しかし、相手は人間ですから、強制してやらせることはできません。
そのときに重要になるのが、友達との交流です。
交流の中で行う勉強は、遊びの延長の感覚でできるからです。
今はまだ寺子屋オンラインクラスの人数自体が少ないので、学年の違う生徒も一緒に勉強しています。
ある程度の違いは、かえって刺激になっていい面もあるのですが、同じ課題で切磋琢磨し合うというのがやはり理想です。
今度、新小1~新中3の寺子屋オンラインクラス参加生徒を募集するのは、できるだけ同じ学年でクラスを作るためです。
中3までの授業の動画作りが完了したら、高1から高3の生徒も寺子屋オンラインクラスで勉強できるようにしていく予定です。
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遅くなりましたが、2.4週向けの授業の動画をアップロードしました。
毎日小学生新聞に載っていた柳田理科雄さんの話が面白かったです。
小学生向けの新聞は、毎小、朝小、読売KODOMO新聞とあります。
昔から、毎小の記事は面白いとすすめてきましたが、昨年あたりから更にいい話が載るようになりました。
ただ、毎小は作文の投稿をする場が限られていて、習字や詩ばかり載せているので、そこだけが弱点です。(習字や詩の人には悪いですが(笑))
毎小は、今の編集長ももちろんいい人ですが、前の編集長の人はいろいろなことに誠実な姿勢が感じられて、とてもいい人でした。
毎日新聞の本紙は、いろいろ問題があるようですが(笑)、毎小だけはこれからもがんばってほしいです。
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県立千葉東高校 Y.M.さん
(担当講師より)
受験コースのスタートは遅かったのですが、がんばりました。
おめでとうございます。
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発表学習クラスは、以前行っていた小学校低中学年向けの「読書実験クラブ」と、中高学年向けの「思考発表クラブ」を統合した内容の学習クラスです。
特徴は、5、6人までの少人数制であることと、学習の内容が自分の経験や実験や調査や観察をもとにした学問的で創造的なものであることです。
受け身で吸収する勉強は、時間のロスがなく効率的だと思われています。しかし、あとに残るものは多くありません。聞いただけの勉強は、テストが終われば忘れてしまうのです。
また、たとえしっかり吸収してその記憶を保持し続けたとしても、やっていることはほかの誰もがやっているのと同じことで、差がつくのはどちらがどれだけ早くたくさん覚えたかという量的なところだけです。
これに対して、自分から主体的に研究し発表する勉強は、時間のロスはかなりあります。それをロスと思えばの話ですが。
しかし、発表したことは確実に自分の中に残ります。そして、その発表は、ただ教科書を丸写ししたものを発表しても面白くないので、必ずそこに自分らしい個性を盛り込みたくなります。だから、自然に個性的、創造的な発表学習になるのです。
これは、今行われている、東大の推薦入試や京大の特色入試型の学力が目指すものと同じ勉強です。
なぜこのようなアドミッションズ・オフィス型(入学事務局型)の入試が行われるようになったかというと、従来の紙だけの試験で高得点を取る学生が必ずしも優秀でないことがわかってきたからです。しかも、その点数と学力の乖離という傾向が年々加速してきたからです。
紙だけの試験は、つきつめれば記憶力の試験になります。
世の中には、勉強をしなくても成績がよいという記憶力に優れた人も一部にいます。しかし、ほとんどの人の記憶力はそれほど大きな差がありません。
その記憶力の差をカバーするものは、志望校の出題傾向に合わせた勉強法と、長時間の詰め込みです。
それが個人の努力や工夫として行われるのであれば、それはそれで意義のあることですが、現在は塾や予備校の方針に素直に従うことが記憶力の試験で高得点を上げるための主要な方法になっているのです。
他人にやれと言われたことに素直に従い、長時間それに耐えるという学習の仕方は、受験前の短期間ではやむを得ない面がありますが、そういう学習法を小学校の低中学年からやってきた生徒は、自分で考えたり創造したりする力をだんだんなくしていきます。
発表学習クラスは、こういう現在の子供たちを取り巻いている勉強の状況を克服し、本来の面白い勉強をするために作られた学習クラスです。
発表学習クラスの勉強は、個性や創造性を重視する未来型の勉強です。
だから、受験直前の生徒は、(まだ推薦入試は広がっていないので)、今は詰め込みの勉強をする時期と割り切ってやっていく必要がありますが、受験までまだ時間がある生徒や、受験が終わった生徒は、この未来型の勉強に参加するといいと思います。
発表学習クラスは、今は言葉の森で作文の勉強をしている生徒が対象ですが、将来は発表学習クラス単独でも受講できるようにする予定です。
現在、体験学習を受け付けていますので、希望者は下記のページから体験希望の曜日時間を送信してください。(体験学習は、言葉の森の生徒でない方も受け付けています。)
▽水1800クラスの発表の作品
▽発表学習クラスの無料体験送信フォーム
https://www.mori7.net/teraon/teraform_hg.php
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今の学校の成績で見れば、発表学習クラスに参加して自由な研究発表をしているよりも、その時間、ドリルでもやった方が点数はよくなります。
しかし、それが不思議なことに、学年が上がり、中学生や高校生になると、いつの間にか成績が逆転していくのです。
そして、もっと大事なことは、自分から進んでやる勉強姿勢というものが、その後もずっと続くことです。
勉強をやらされてきた子は受験がゴールですが、勉強を楽しんできた子は、勉強自体がゴールなので、向上心をずっと持ち続けていくことができるのです。
発表学習クラスのよいところは、参加する生徒がすぐに友達のようになれることです。
それは、少人数で相手が間近に見られるということもありますが、それ以上に、発表の内容が勉強的なことでしかも個性的なことだからです。
発表の中には、うまく行ったり行かなかったりというさまざまな予想外の出来事があります。そういうところで、みんなそれぞれに苦労をしています。
これがもし遊びだけの交流であったら、それほど親しくはならなかったでしょう。
勉強的で個性的な内容を発表するために、お互いに苦労していることがわかるので、ほかの人の発表についても共感する気持ちがわいてくるのです。
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本日、はるばる石川県の金沢から、昔の生徒のちえみちゃんがが新しい教室に訪ねてきてくれました。
facebookのメッセージで中根に連絡をくれていたそうですが、寺子屋オンラインのデータベースの統合のあとの処理に時間がかかり、この数ヶ月、facebookもメールもたまっていたのです。(ためすぎ)
しかし、今日のちょうど先ほど、重要なところのテスト送信が済んだので、これからはきちんと返事ができると思います。
ということを、しばしば言っているような気もしますが。(^^ゞ
さて、今日、教室に来てくれたのは、昔大学生のときに一度教室に来てくれて以来だから10年ぶりだったそうです。
確か、初めて言葉の森に来たのは、小学1年生か2年生ぐらいだったと思います。
生徒コードをひらがなの約60進法でつけていますが、ちえみちゃんの生徒コードは「か○」です。
うちの上の子が「う○」で、下の子が「か○」で、ふたりとも小1から言葉の森を始めていたので、たぶん小1か小2の始めごろだったと思います。
そのころは、もちろんまだ小さい子だったのですが、今日の印象は昔と同じでした(笑)。
ちなみに、生徒コードの60進法とは、最初が「あ」で、「ん」まで行ったら、次は「ああ」になり、「あん」のあとは、「いあ」になるという進み方です。今新しく言葉の森に来る人の生徒コードは、「あいめ○」あたりです。
こんなことをやっているから時間がかかるんだと言われそうですが。
さて、ちえみちゃんは、大学院を卒業して博士号を取り(首席で大学院を卒業したそうですが)、今は講師として大学生に教えているそうです。
ただし、たぶん今の研究者は、上が詰まっているのでいろいろ大変なのだと思います。
少子化で、大学生の数も減っているので、日本のほかの分野の仕事と同じように、自分の仕事を発展させようと思ったら、新しいことを切り開かなければならなくなっているのだと思います。
そんなことも含めて9時半から11時半ごろまでたっぷりと話をし、最後は教室の前で記念写真を撮りました。
そのうち那須合宿所で、昔生徒だった人で同窓会をしようなどと話をしたら結構乗り気でした(笑)。
これまでは通学の教室とは言っても、みんなそれぞれ作文を書くだけなので、友達どうしの交流というのはあまりありませんでした。
通信の場合は、更に、先生と生徒とのやりとりだけですから、同窓生と言ってもピンと来ません。
しかし、今後、寺子屋オンラインなどのZoomの画面で生徒どうしが発表をし合うと、仲のいい友達も生まれてくると思います。
実際に、昨年合宿所に参加した人の多くが、寺子屋オンラインに参加している生徒でした。
普段の勉強の中で、お互いにどんなことをやっているかとか、どんな本を読んでいるかということがわかるので、安心して参加できるのだと思います。
今までは、便利さとかコストとかいう単純な価値を基準にしたグローバリズムの時代でした。だから、amazonなどがさまざまな市場を支配するようになってきたのです。
しかし、これからはそういう単純な価値以外のもっと人間の個性に根ざしたものが重視されるようになってきます。
その個性を形成するものは、かけた時間です。
友達関係でも、便利さとかコストとかいう基準で友達を選ぶ人はいません。その友達と過ごした時間が重要になります。
これからの教育は、特に個性の教育になってきます。
現在のオンライン教育と呼ぼれているもののほとんどは、便利さとコストをその教育の優位性として位置づけています。
しかし、これからは、それらはやがて古いオンライン教育と呼ばれるようになると思います。
言葉の森のオンライン教育は、便利さとコスト以外の要素をむしろ重視しています。
それは、友達と過ごす知的な密度の濃い時間を大事にすることです。
だから、小学校低学年から言葉の森を始めた生徒が、友達と作文を書いたり発表をし合ったりしながら成長し、高校生になっても大学生になっても、更には親になっても(ここ数年、昔生徒だった親の子が言葉の森に来てくれるようになりましたが)、友達のままでいるという状態を目指しているのです。
久しぶりに教室に来てくれたちえみちゃんと話をしながら、そんなことを考えました。
そのうち、facebookで同窓会を企画したいと思います。
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作文教室の先生は、昔の生徒というのはよく覚えているものです。
これが作文ではなく勉強を教えるだけだったら、あまりそういうことはないのかもしれませんが、作文の場合は、その子がずっと昔に書いた内容も思い出すことがよくあります。
また、生徒自身も、作文に取り組むときの姿勢は、自分の心をありのままに書くことが多いので、それを認めてもらうことがうれしいのです。
作文の勉強というと、今は入試で作文があるからという目的もありますが、より本質的な目的は、自分と向き合う時間を持つことで、それが子供のものの見方や考え方を深め、個性的なものにしていくのです。
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横浜市立南高校附属中学校 T.H.さん
(担当講師より)
中学校でも、言葉の森を続けてくれるそうです。
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武蔵中学校 T.N.さん
(担当講師より)
一年生のときからずっと続けてくれていて夏のキャンプにも参加してくれたことがある、読書が大好きなTくん、合格されたとのこと本当にうれしいです。
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M君、こんにちは。
ペンネームの方が慣れているので、それで呼ばせてもらいますが(笑)。
受験は残念だったけれど、それは誰もが言うように、いい経験をしたと思うといいということです。
しかも、得難いいい経験だったということで、神様がもしいるとすれば、神様にいい経験をさせてくれてありがとうと言ってもいいくらいです
人間は、この世でいろいろな経験を積むために生きているので、先生も何かあるたびに、そう感謝するようにしています。
こういう経験は、挑戦した人でなければ得られないことですから、その挑戦も含めて自分をより強く豊かな人間にするための機会だったということです。
さて、試験のことについてですが、先生は途中でちょっと過去問に対応した勉強が大丈夫かなあと思ったのです。
受験というのは、実力の試験ではなくて、志望校の傾向に合わせたテクニックが必要な試験です。
これまで合格した生徒や不合格になった生徒を見ても、実力はむしろ逆ぐらいのことが多く(と、先生の周囲の人もよく言っていますが)、難しい問題に時間をかけず、うまく易しい問題に取り組んだ人がいい点数になるようなところがあったからです。
特に、算数の問題については、今の公立中高一貫校の試験は実力だけでは解けず、解き方のテクニックをかなり身につけておかなければなりません。また、テクニックを身につけていたとしても、ほとんど誰も解けないような問題もところどころにあります。
そこをうまく、というか偶然飛ばした人がいい点数になるというところもあるのです。
合否は実力の差で決まるわけではありませんが、合格した人は、自分が勉強が得意だったと思うようになり、不合格になった人は自分が勉強が苦手だったと思うようになります。
すると、何か難しい勉強に取り組むときも、得意な人は自然に自分はできるはずだと思って取り組むようになり、苦手な人はその難しいものをできれば避けたいと思って取り組むようになります。この意識の差が大きいのです。
だから、不合格になったときは、自分が合格できなかったと思うのではなく、その学校が自分を合格にするような正しい評価ができなかったと思うといいのです。
M君は、実力は十分すぎるくらいあったと思います。普段の発表学習クラスの様子を見ていると、それがよくわかります。
だから、そういう有望な人材を採用できなかった学校は、人を見る目がなかったということです(笑)。
今の試験システムが、まだ本当に有望な人を採用する仕組みになっていないのです。
しかし、だから逆に、受験のテクニックとしての過去問対策を十分にやれば、どこでも受かることができるようになっています。
今回はまだそういう準備の期間が短かったと思いますが、次回の高校入試や大学入試では、もっと自覚的にそういう対策ができるはずです。
途中の経過で回り道になったり直線の道になったりすることはあっても、最終的には自分の実力に応じたところに行くようになっていますから、むしろ回り道を経験した分だけ自分が丈夫になったと思うといいのです。
人生には、いろいろな勝ち負けや合否の経験がありますが、早めにそういう経験をしておくと勝ち負けの免疫ができます。
それが、これからの人生に何度も役に立つ場面が出てくると思います。
今後の勉強ですが、中学の勉強の中心は数学になります。中1のころはかなり易しい勉強なので、スタディサプリなどを使って1学年先のところまで勉強を進めるようにし、中3の受験のときには受験対応の数学に取り組むようにするといいです。
これは、高校に入っても同様です。学校に合わせてのんびり勉強しているのではなく、数学だけは自分で先に進めておくといいのです。それは、日本の受験がそういう仕組みになっているからです。
英語は、真面目さに比例する教科なので、Mくんは心配要らないと思いますが、基本は教科書の暗唱です。教科書に出てくる文章を全部空で言えるぐらいに音読しておくといいと思います。ただし、今の英語の教科書は会話が多く地の文が少ないので、自分で音読の教材を選んでもいいと思います。
大事なことは、ひとつの教材に絞ってそれを何度も繰り返し読み、どこに何が書いてあったか思い出せるぐらいに自分のものにするということです。
今の受験は、数学を中心とした記憶力と過去問対策の試験になっていますが、これからの試験はだんだん変わってきます。
これからの受験は、個性と自主性のあるユニークな人材を採用するという方向に進んでいきます。
それは、社会がそういう人を求めるようになっているからです。
M君のこれまでの発表の様子を見ていると、理解力や表現力という実力は十分にありますが、それ以上に自主性と創造性に優れていることがわかります。
その長所がこれから発揮できるような試験になり、社会になっていくのです。
だから、自分の持ち味に自信を持ち、これからも今の路線でやっていくといいと思います。
それでは、また新しいユニークなことに挑戦しながら、これからも元気にいろいろなことに取り組んでいってください。
追伸
この手紙を書いていて、ほかの不合格になった人にも同じようなことを伝えて励ましたいと思ったので、名前のところを匿名にしてホームページの記事に載せたいと思います。
わかる人にはわかると思いますが(笑)
それでは、新しい気持ちで、これから明るい春を迎えてください。
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受験の結果が出てきました。受かるべくして受かった人もいますが、受かるべきだったのに受からなかった人もいます。
しかし、時間がたつと、その結果が自分のプラスになったと思う日が来ます。
私(森川林)も、大学を卒業したあと、ある新聞社を受験して面接で不合格になりました。当時は今と違ってマスコミは、社会の木鐸(ぼくたく)と言われるような人気のある職業だったのです。
自分では当然受かるはずだという思いがあったので、それまでの短い人生で初めての不合格という経験をして自分が全否定されたような感じを受けました。
しかし、それからしばらくして、「あんなところに受からなくてよかったと言えるようになろう」と考えを切り換えて別のことを始めました。
だから、今は、負け惜しみでなく心から「あんなところに受からなくてよかった(笑)」です。・
今回の受験で合格した人は、その合格がプラスになるような生き方をしてください。それには努力が必要です。
合格しなかった人は、その合格しなかったことがプラスになるような生き方が自然にできるようになるはずです。
そして、いつかそれが懐かしい笑い話のようになる日が来ます。
新しい気持ちに切り換えて、これからもがんばっていってください。
不合格になって第一にいいことは、不合格の人の気持ちがわかるようになることです。
特に、がんばっていたのに不合格になった人は、それだけ貴重な経験をしたということです。
今回の挑戦がうまく行かなかったのは、それは、神様が、もっと大きな挑戦で逆転することを知っているからです。
神様というのは、普段は出てきませんが、こういうときにはちゃんと出てくるのです。
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