親子作文は、まだ文字が十分に書けない、又は十分に読めない子供を対象にした作文の勉強です。
なぜ、このような早い時期に作文的な勉強を始めるかというと、言葉の森の作文指導は、作文の練習に付随して、暗唱や発表や読書の練習ができるので、それらの総合的な教育効果を考えると、できるだけ早い時期から始めた方がよいと考えたからです。
しかし、まだ字が十分に書けない子に書き写しをさせるような「勉強」的な方法では、かえって子供の健全な成長にいい影響を及ぼしません。
作文のような日本語の学習は、子供時代に最も優先させるべきものですが、それは勉強としてやるのではなく、生活の中での遊びのようなものとしてやっていくものです。
その遊びが、親子の対話です。
作文の題材となるものを親が企画し、その企画で親子で一緒に遊び、その遊びを子供が絵にかき、親子で対話をし一緒に構想図を書き、その構想図をもとに親が作文を書き、ひらがなが読める子はその作文をみんなの前で読んで発表するという形の遊び的な学習です。
ここで大事なのは、第一は親の企画です。これは、実行課題集などを参考に、家庭で楽にできるものに取り組んでいけばいいと思います。
父親だったら、虫捕りとか理科実験や工作のようなものであれば親も楽しめます。母親だったら、料理的なものであれば勝手がわかるので取り組みやすいと思います。
親子でできるようなものが大事で、遊園地に連れていって、子供だけ遊ばせるというような企画ではありません。
よく、作文の題材というと、どこかに出かけて特別なことをしないと書けないという発想をしがちですが、そういう特別なことをする必要はありません。
また、そういう特別な行事作文のようなものは、かえって平板なものになることが多いのです。
それは、子供が、「○○を見た」「面白かった」という受け止め方で、その行事に参加していることが多いからです。
作文の題材には、子供自身が「何かをした」ということが大事なのですが、行事作文では、そのしたこと自体が、ある枠の中で「してもらった」とか「させてもらった」とかいう受け身のものになることが多いのです。
親子作文で第二に大事なところは、親子の対話で構想図を書くことです。
この対話のきっかけは、内容的には親子でその企画に一緒に取り組んだという共通の経験です。そのときに撮った写真などがあれば、共通の経験を思い出しやすくなります。
対話のきっかけとなるもう一つのものは、言葉的なものです。ここで、項目表の項目を使います。
「そのときの会話でどんなことがあったっけ」「数字や名前で何か書けることあるかなあ」「□○□○(擬声語・擬態語)はどこに使えるかなあ」というような対話です。
ここで、その項目を入れることにあまりこだわると、言葉遊びではなく、言葉の勉強になってしまいます。あくまでも楽しい言葉遊びとしてやっていくのです。
その言葉遊びの要素を更に強くするために、今考えているのが、親子作文の項目に「ダジャレ」を入れることです。
親子で作文を書くときは、必ずどこかにダジャレを入れるというようにするのです。
ダジャレは、音素数が少なく同音異義語の多い日本語の特徴です。
幼児期のしりとりは、言葉の数を増やす遊びですが、ダジャレはそれよりも更に多くの言葉の数を増やす遊びになります。
親子作文には必ずダジャレがどこかにあるとなると、子供どうしで作文を発表するときも、聞き手はその作文を集中して聞くようになります。
親子作文は、聞き取る力を育てる遊びにもなるのです。
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親子の遊びというと、なぜかペンギンの姿が思い浮かびます。
ペンギンは、何も特別なことをしていなくても、見ているだけで楽しそうです。
小さい子も、見ているだけで楽しそうだからです。
だから、この時期の勉強は、遊びとしてやっていく必要があるのです。
親子作文の項目は、小学1年生と同じ、「名前・数字」「会話」「たとえ」「□○□○」「思ったこと」などでしたが、親子で取り組むときは更に歯ごたえがあるように、「ダジャレ」も項目に入れるようにしたいと思います。
これで、子供たちの語彙力は飛躍的に増えると思います。
なお、このダジャレは、子供に考えさせるものではなく、親が考えるものです。
こう明記しておかないと、「じゃあ、次は、ダジャレ言いなさい」などと子供に指示してしまうお母さんがいないとも限らないからです。
ただし、真面目な人でどうしてもダジャレが出てこないというときのために、親子作文には教材としてダジャレ集も入れるようにしたいと思います。
http://www.mori7.net/ki/dajare/
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(担当講師より)
まだ小学校2年生ながら、にこにこしながら毎週の課題に一生懸命取り組んでくれました。
合格おめでとうございます!!
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アレセイア湘南高等学校 R.O.さん
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赤ペン添削というのは事後指導です。事前指導というのは主に口頭による指導です。
この事前か事後かという指導の違いが最も大きいのです。
作文指導というと、赤ペン添削を思い浮かべる人は多いと思います。
今ある作文通信講座や作文教室のほとんどが、ていねいな赤ペン添削を売り物にしています。
しかし、その赤ペン添削で子供たちの作文が上達するかと言えば、その度合いはかなり低いのです。
子供は、赤ペンが加えられて返却された作文を、「何かいろいろ書いてあるなあ」という感じで見ます。
熱心に読むのは最初のうちだけです。
たくさん赤ペンが入れられていて、そのほとんどが褒め言葉であればうれしいとは思いますが、それだけです。
赤ペンの内容が注意事項中心であれば、だんだん読む気がしなくなります。
そして、多くの子が、しばらくたつと返却された作文を見ようともしなくなるのです。
「書き上げた作品は、倒したライオンに似ている」と書いた作家がいますが、それと同じで、子供にとって書き終えた作文は、そこに何が書いてあってももう興味を引くものではなくなっているのです。
だから、その赤ペンに書かれた内容を理解して、次回の作文に生かそうと思う子はほとんどいません。
また、講師にとっても、赤ペンの内容で、次回の作文に生かせるようなことを書けることはほとんどありません。
そして、そのほんのわずかのことも、赤ペン添削という形では、子供には伝わらないのです。
では、そのような効果のない赤ペン添削がなぜ延々と続いてきたかというと、その理由は二つあります。
第一は、赤ペン添削は、大人の文章指導にはそれなりの効果があったからです。
大人は、文章力がほぼ完成しているので、その完成したものに赤ペンを入れれば、文章の体裁はよくなります。
それは、実力がつくということとは違いますが、直されればその分だけいい文章になるということはあったのです。
その赤ペン指導を、子供の作文にもあてはめたのが、今行われている赤ペン添削です。
しかし、作文を習う子供たちのほとんどは、まだ文章力が完成していません。
そういう子は、作文に赤ペン添削をする以前に、まずもとになる文章力を作る必要があります。
書いたものを直すのではなく、書く力をつけることが先決なのです。
ところが、そういう文章力が未完成の子供たちに対しても、同じ注意を何度も行うような形で、今の赤ペン添削は続けられています。
長年書いていれば、子供の作文は少しずつ上達しますが、それは赤ペン添削で上達したのではなく、その子が読む文章の量が増えたことによって自然に上達したのです。
赤ペン添削が続いてきた第二の理由は、作文指導の体系というものがなかったからです。
言葉の森が作文教室を始めた30年以上前も、もちろんそうでした。
学校で作文指導や感想文指導を行う先生は、ベテランで文章指導の大家だと思われていました。
その名残りが、今も、読書感想文コンクールの優秀作品に付け加えられている「指導○○先生」という注記です。
作文指導の流れは、長年国語を教えているベテランの先生の頭の中にあるだけだったのです。
言葉の森の作文指導は、このような状況に対して、誰もが同じように教えられる作文指導の体系を作るというところから始めました。
今いろいろなところ行われている学年別の作文指導の基準や、感想文指導の方法は、ほとんどが言葉の森が最初に始めたものです。
しかし、まだほとんどの作文教室や作文通信講座は、詳しい指導体系を持っていません。言わば行き当たりばったりで教えているような指導が多いのです。
また、指導の流れがあるように見えるところでも、「何を書くか」という課題のところでの指導が中心で、「どう書くか」という書き方の指導の流れがあるところはまずありません。
だから、事前指導というものがほとんどできず、そのためにとりあえず作文を書かせて、そのあとに添削をするという赤ペン添削中心の形になってしまうのです。
書かれた作文について添削するだけであれば、指導の体系は必要ありません。
また、ある程度の文章力のある大人であれば、指導のことなどは気にしなくても、子供の作文に赤ペンを入れることはできます。
以上のような二つの理由で、効果の薄い赤ペン添削が、まるで作文指導の定番であるかのように長年行われてきたのです。
では、赤ペン指導に取って代わるものは何なのでしょうか。
それは、事前指導をより発展させることと、赤ペンに代わるアナログ的な指導の仕組みを作ることです。
言葉の森では、事前指導を発展させる一つの方法として、現在、小3から小6の生徒には予習シートを渡しています。小2以下の生徒には実行課題集を渡しています。
実行課題集は、まだあまり活用されていませんが、予習シートはほとんどの生徒が事前に保護者に取材をするような形で作文の準備に使っています。また、予習シートの枠を超えて、自分なりの構想図を書いて準備する子も増えています。
この事前の準備を更に活性化させるものが、寺子屋オンラインでの準備の発表です。
同じクラスのみんなの前で、それぞれの生徒が今週どんなことを書くつもりかを発表することによって、事前の心構えができ、また、他の人の準備も参考にできるようになります。
赤ペンに代わるアナログの仕組みとは、先生や友達の顔が見え、声が聞こえる形での対話と指導です。
これがZoomを使った寺子屋オンラインクラスの特徴です。
また、事前の準備で、書こうとする作文に関する写真などを準備してくる子がいると、そのビジュアルな準備が一種のアナログに近い印象になります。
作文の中身を伝達するだけであれば、デジタルで十分です。
なぜアナログ的なものが必要かというと、人間は、知識の伝達とともに感情の伝達も行うからです。
そして、感情は、アナログ的な外見によって動かされるものだからです。
この感情の動きが、作文を書くための意欲となります。
計算練習や漢字練習であれば、意欲があってもなくても、答えの結果は同じです。
しかし、作文のような答えがない勉強は、意欲があることによって、よりよい作文を書けるようになります。
先日、小3から小5の寺子屋オンラインの生徒と、同じ学年の電話通信の生徒の合計22人をランダムに抽出して字数の推移を比較してみたところ、寺子屋オンラインの生徒は、どの学年も字数の伸び率が1年前よりも高くなっていました。
これは、たぶん、寺子屋オンラインで先生と親だけでなく友達にも見せる作文と、電話通信で先生と親にしか見せない作文との環境の違いです。
アナログ的な触れ合いの多さが、子供たちの学習意欲のち外を生み出しているのです。
では、通学の作文教室のようなリアル度の高い教室ならもっといいかといとそうではありません。
通学の教室であっても、事前指導がなく、事後の赤ペン添削が中心であれば、生徒はどこをどうがんばっていいのかがわかりません。意欲を持とうとしても、意欲を向ける方向がわからないからです。
また、通学形式の教室では、人数が多くなれば一斉指導と一部の人だけの作品紹介になり、人数が少なくなれば友達とのコミュニケーションのない個別指導になります。
通学教室で、同学年の少人数クラスを作るというのは、技術的にかなり難しいのです。
赤ペン添削は、これまで作文指導の唯一の方法であるかのように行われてきました。
それが、学校での作文指導の遅れを生み出してきました。
小学校高学年や中学生、高校生になると、赤ペン添削を前提としている限り、作文指導を恒常化することはできません。それは、先生の負担が大きすぎるからです。
言葉の森のような事前指導中心の作文指導であれば、もっと作文指導を日常的に行えるようになります。
また、寺子屋オンラインのような少人数クラスであれば、子供たちの作文学習を更に意欲的に進めることができます。
なぜ作文学習が大事かというと、作文力は国語力の集大成であり、国語力はあらゆる教科の基礎であるからです。
だから、作文力をつける勉強を基準にして、そのほかの勉強を組み立てていくといいのです。
この事前指導の作文を普及させるために、言葉の森は、これまで言葉の森内部だけで不定期に行ってきた作文検定を、誰でも参加できるオープンな形にして定例化していきたいと思っています。(進度は小1から高3レベルまで)
そして、日本中の子供たちが、作文が好きになり、毎週記念に残る力作を書き、それに伴って親子や友達の対話が広がるような日本の作文文化を作っていきたいと思います。
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「作文指導の方法は赤ペン添削」という根強い考え方があります。
しかし、この赤ペン添削は、二重の意味であまりいい方法ではありません。
子供にとっては、書き上げた作文にいろいろ赤ペンが入れられても、それはもう過去の話で、今さらどうこうしようという気は起きません。
先生にとっては、子供の作文力を上達させることよりも、赤ペンを書くことが目的となり、書き終えたら仕事が終わったような気がしてしまうのです。
それなのに、なぜこの赤ペン添削が延々と続けられてきたかというと、ほかの指導法を知らなかったからなのです。
本当は、子供にとっては作文を上手に書くことが目的となり、先生にとっては子供の作文力を上達させることが目的となるような別の指導法が必要だったのです。
言葉の森は、設立当初から赤ペン添削という方法に疑問を持っていました。
だから、言葉の森の講師にも、作文に赤ペンは入れるが、そこがメインではないと言っていたのです。
一方、赤ペン添削を売りにしている作文講座は多いと思います。
そういうところは、はっきり言えば、作文指導というものについて何も考えていないのです。
ていねいな赤ペン添削は、指導方法がなくても、誰でもできるからです。
言葉の森が、今こういうことをはっきり言えるようになったのは、事前指導を中身のあるものにするオンラインの少人数クラスの指導ができるようになったからです。
毎週作文を書いて、赤ペン添削を受けていれば、作文の勉強をしている気になりますが、それはそういう気がするだけです。
せいぜい、書く習慣がついて書き慣れるという程度で、作文力の上達は年齢とともに読む本が増えることによって自然についていくだけです。
作文を上達させるのは、ていねいな赤ペン添削ではなく、事前の項目指導と、事前の準備と(そこには、両親への取材や、データ調べも含まれます)、毎日の音読と暗唱と読書という自習です。
そういうことはずっとわかっていましたが、個別の電話指導で予習や自習をすべてカバーするのは難しい面がありました。
毎週の電話指導は、単なる通信の赤ペン添削よりもずっと効果がありますが、予習も自習もしてこない生徒には効果は薄かったのです。
それが、ここに来て、オンラインの少人数クラスを運営できるようになると、同学年の同レベルの子が5、6人集まれば、どんな子でも上達するという展望がわかってきました。
それで、これまで書くのを保留してきた「赤ペン添削の効果のなさ」を書くことにしたのです。
たぶん、作文指導を熱心にしている人からは、いろいろ反論があると思いますが。
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google+コミュニティが3月末で終了しますので、画像アップロードの仕方を変更します。
より詳しく「寺子屋オンライン通信3月号」でお知らせしますが、先にホームページに載せます。
googleフォトなどのクラウド・ストレージサービスを利用した方法は、将来は、電話通信の作文アップロードでも使うようにする予定です。
なぜクラウドサービスを使うかというと、将来、10年も20年も経ってから、成長した子が、「そう言えば、子供のころに書いたあの作文と画像はどこだったっけ」と探したくなるときが来ると思います。(かなり先の話ですが)
そのときに、言葉の森のサイトの中を探すのはわかりにくいので、自分のgoogleフォトに画像や動画を入れておき、そのリンクだけを言葉の森のサイトに貼るという形にする方がいいと思ったのです。
※なお、現在、mori7.comの更新がプロバイダによっては認識されていないため、画像が表示されないことがあります。その場合は、明日又は明後日に再度ごらんください。
■1.google+コミュニティのデータのダウンロード
google+にこれまでアップロードしていた自分のデータをダウンロードすることができます。
手順はこちらです。
https://support.google.com/plus/answer/1045788?hl=ja
■2.googleフォトなどの利用と共有リンクの方法
3月中に、鳥の村の新しい「発表室」へのアップロードに移行できるようにしてください。
新しい「発表室」は、jpg画像しか送れないことと、重いファイルは送信に時間がかかる可能性があるため、できるだけご自分のgoogleフォトなどにアップロードし、その共有リンクを貼り付けるようにしてください。
また、作文の丘にアップロードする画像も、今後はgoogleフォトの共有リンクを利用すると動画なども送れるのでいいと思います。
googleフォトへのアップロードと、作文の丘、鳥の村の発表室へのリンクの手順は、こちらです。
▽googleのメニューを開きます。
▽googleフォトを選択します。
▽続行
▽アップロードという文字をクリックします。
▽自分のパソコンからアップロードするファイルを選択します。
▽複数のファイルを同時にアップロードできます。
▽高画質で無制限に保存できます。
▽アップロードが完了したら「共有アルバム」を選択します。
▽新規共有アルバム。
▽そのアルバムにタイトルをつけます。
▽タイトルは中身がわかるものを自由に。
▽共有したいファイルにチェックを入れて選択します。
▽ファイルを選択したあと共有のアイコンをクリックします。
▽「リンクの取得」をクリックします。
▽リンクのURLをコピーします。
▽言葉の森のホームページです。
作文は「作文の丘」から送れます。
発表学習の発表作品は「鳥の村」の「発表室」から送れます。
▽「鳥の村」に入るときは、コードとパスワードが必要です。
▽発表学習クラスの発表作品は、「発表室」にgoogleフォトのリンクを入れてください。
「資料室」には、授業の動画や関連リンクがあります。
▽資料室には学年別の授業の資料がの載っています。
関連リンクから「作文の丘」に行くこともできます。
▽作文を送るときは「作文の丘」で、コード、パスワード、月、週、題名を入れて送信してください。
▽次の画面で、本文のところに、googleフォトの共有リンクでコピーしたURLを貼り付けます。
この本文の欄に、パソコンで入力したものを入れることもできますが、ここに直接書くのではなく別のところで書いたものを貼り付けるようにしてください。
▽googleフォトの共有リンクのURLを貼り付けたところです。 送信ボタンを押して次のページに行きます。
▽この画面で、『ファイルの選択」ボタンから、直接画像を入れることもできますが、今後はできるだけgoogleフォトのリンクURLを本文に貼り付けて送るようにしてください。
この画面では何もせずに、そのまま送信ボタンを押します。
▽送信が終わると、「山のたより」のリンクが出てきますので、「山のたより」に行って、自分の送ったものが入っているかどうか確かめることができます。
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googleコミュニティには、子供たちの力作がかなり入っているので、3月中にそれぞれダウンロードしておいてくださるといいと思います。
googleフォトのストレージサービスは、いくら何でもなくならないと思うので、今後は自分のgoogleフォトにアップロードしていただく形にします。
やり方の変更が続いて大変だと思いますがよろしくお願いします。
ところで、引き続き、mori7.netの接続ができない状態が続いています。
プロバイダによって違うので、自分の家はつながらないが、隣の家はつながっているというようなこともあります。
あと1、2日待っていただくしかないようです。m(_ _)m
これまで、作文の丘では、大きいファイルは入らないときがあるという問題がありましたが、今後、googleフォトなどのストレージサービスを利用すると、そういう問題はなくなります。
また、作文のアップロードと一緒に、絵や写真や動画なども一緒に入れられるので、今後の発表会のプレゼンテーションにも利用できるようになります。
URLリンクだと作文用紙に直接書く赤ペン添削はなくなりますが、言葉の森のこれまでの指導の中心は赤ペン添削ではなく、表現項目の事前指導と口頭によるアドバイスでしたから、ここに、友達との発表交流のようなリアルな指導法を付け加えて、更に充実した指導をしていけると思っています。
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昨日(2月24日)、ドメインの更新が遅れたために、「この接続ではプライバシーが保護されません」のメッセージが出てしまいました。
その後、更新が完了したので、正しい表示に戻りましたが、今朝(2月25日)、再び同じ状態でmori7.comに入れなくなっています。
今、問い合わせ中ですので、しばらくお待ちください。
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まだ、検索の坂が表示されず、メールでくる代講や体験のお知らせもあけられません。本日は生徒さんが多く心配です。何か対処法があれば教えてください。
1周間前の生徒データがあるので、電話とか指導時間とかは調べられます。
プロバイダによって違うので、スマホをwi-fiでなくつないでみるとか、よその家でやってみるとかすれば、つながっている場合があります。
でも、一応、順番に電話をして、事情を話して簡単に説明してくれればいいです。
検索の坂が開けませんが、以前送っていただいた講評を入れるフォームに電話番号があるので、そちらを使い電話指導を行います。
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私(森川林)は、自分の子供にはよくこう言っていました。
「わからないところがあったら、空欄にしておくんだよ。どこがわからなかったか知ることが大事なんだから」
一方、近くの塾の先生は、こう言っていたそうです。
「わからないところがあったら、何でもいいから書いておくんだ。どれかが当たるはずだから」
正反対でした(笑)。
今度、言葉の森で行う読解検定試験は、わからないところがあったら空欄にしておく試験です。
それは、いい点数を取ることが目的ではなく実力をつけることが目的だからです。
以前、ちょっと書いたエピソードを再掲します。
====
言葉の森で小学生のときから作文の勉強をしていた中学生の生徒がいました。
よくできる生徒でしたが、あるとき、その生徒のお母さんから電話がありました。「国語の成績がなかなか上がらない」というのです。
作文は毎週よく両親にも取材して、充実した内容のものを書いていましたから、勉強はしっかりやっているはずです。
それではということで、実際の国語の試験問題と解答を持ってきてもらうようにしました。
そのお母さんと生徒の前で、問題文を読み、その問題をどう解くかということを1時間ぐらい問題ごとに説明しました。
それまでも、一般論としてそういう解き方を話しているはずなのですが、実際にそのとおりにやっている子は少ないのです。
解き方を説明すると、お母さんもその生徒も驚いていました。
その後、その子の国語の成績はどんどん上がり、入試は神奈川県のトップ校と言われるところに合格しました。
その生徒が、入試のあとしばらくして、何かの話をしているとき、「国語だけは得意なんです」と言うのを聞いて思わず笑ってしまいました。
このように、国語は解き方さえわかれば、成績は必ず上がる教科です。
しかも、解き方を考えながら問題文を読むと深く読む力がつくので、成績だけでなく読む力もついてくるのです。
もうひとつの例です。
やはり小学生のころから作文の勉強を始めて、中学生になり、言葉の森の読解問題を毎月8問きっちり解く子がいました。
その子は、答えに納得がいかないと、よく電話をかけて質問をしてきました。
それぐらいですから、国語の成績はとてもよく、めでたく志望校に合格したのです。
高校生になり忙しくなったために、高1でいったん言葉の森を辞めていましたが、高3のとき、突然電話をしてきました。
聞くと、国語の成績が上がらないと言うのです。
仕方ないので、その子が実際に解いた問題を送ってもらいました。
その解き方を見てみると、見事にこれまでにやった理詰めに解く方法を忘れていました。
そのことを言うと、もうそれだけですぐに思い出したようです。
それからしばらくして、無事に東大に受かったという連絡が入りました。
理数系で、もともと数学の得意な生徒だったので、高校時代、国語の勉強に力を入れずに解き方を忘れていたのだと思います。 ====
このように、厳密に解こうと思えば実力がつきます。
厳密に解かないと、当たり外れの世界になってしまいます。
厳密に解くとは、わからないところは、適当に選ぶのではなく空欄にしておくことです。
空欄にするのが嫌だったら、必ず自分なりの理屈を考えて選ぶようにするのです。
そうすれば、試験が返却されたときに、自分の考え方が合っていたかどうかがわかるからです。
答えが合っていることが大事なのではなく、考え方が合っていることが大事です。
だから、点数が悪かったら喜ぶことです。その分だけ自分が進歩するからです。
では、点数がよかったら、その試験をした意味がないかというとそうではありません。
厳密に解こうと思って試験問題を読むと、その内容がしっかりと頭に入ります。
国語の試験には、似たようなジャンルの問題がよく出ます。
一度読んだことのあるジャンルは、全体の見通しをつけて読めるので、読み取るのが早くなるのです。
読解検定試験を受けていると、国語の実力がつきます。
この試験を生かすためには、(1)必ず満点を取ろうと思うことと、(2)わからないところは空欄にしておくか又は自分なりの理由を明確にして選択することです。
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試験というと、8割取れたからいいとか、9割取れたからいいとか思いがちですが、読解検定試験は10割取れないとダメなのです。
それは、理詰めの試験だからです。
差をつけるための試験ではなく、全員が満点を取れるようになるための試験です。
だから、実力がつくのです。
今の国語の入試問題の中には、膨大な量の文章を制限時間内に読ませて解かせるというものがあります。
それで、点数の差をつけるのです。(受験生かわいそう)
だから、速読などが流行るのでしょうが、それは、国語力とはあまり関係がありません。
本当の国語力は、第一に難しい文章を読む力、第二に緻密に読む力、第三のおまけとして速く読む力があるのです。
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今、子供たちを取り巻く勉強環境は、至れり尽くせりの状態になっています。
かゆくないところにまで手が届くような環境がいたるところに用意されています。
しかし、その大部分は見た目をよくするための飾りです。
本当の勉強の中身はわずかで、その周りにいろいろなおまけがついているのです。
漢字を覚えるとか、計算の練習をするとかいう小学校3、4年生のころまでの勉強は、中身自体が少ないので、おまけのような導入部分がある方がやりやすいという面はあります。
しかし、学年が上がってくると、そういう余分なものはない方が密度の濃い勉強ができます。
その理想の形が、ひとりでやる勉強です。
言葉の森の自主学習コースは、そのひとりで進める勉強の仕組みです。
約1時間、自分なりの勉強をして、最後の10分で先生がチェックするという形ですから、これまでの勉強に慣れた人から見ればものたりない気がするとおもいます。
もっと先生がいろいろ教えたり、やらせたり、答え合わせをしたり、解説をしたりする方が勉強を教えてもらっているような気がするからです。
しかし、大学入試までの勉強は、解説の詳しい問題集や参考書があれば、それを自分ひとりでやっていくのが最もの芋栗のよい勉強法です。
ひとりでやるのですから、できないところだけ印をつけて何度も繰り返しやることができます。
また、簡単にできそうだと思えることは、答えを先に見てやり方を確認して、やらずに飛ばしていくことができます。
ただし、中に、ほんのわずかですが、答えを見ても、解説を見ても、理解できない問題に遭遇することがあります。
そのときだけ、先生に聞くか、お父さんかお母さんに聞くのです。
難しいから理解できないという問題はほとんどなく、解説がもうひとこと詳しければ自分だけで理解できるものがほとんどですから、わからないところだけ聞くというやり方で十分に間に合うのです。
先日、小学4年生で自主学習コースを始めた生徒の保護者から、勉強がとてもよくわかるようになったという報告をいただきました。始めてから、まだ間もない時期です。
もともと読書のよくできる子でしたから、学力の基礎は十分にありました。そういう子がもし勉強がよくできなかったとしたら、それは人に教えてもらう形で勉強をしていたからです。
自分が納得することを基本にして、自分ひとりで勉強していけば、本来の実力を発揮できるようになるのです。
これから中学生になる人は、勉強の仕方をどうしようか悩んでいる人も多いと思います。
中学では定期試験があります。ほとんどの子が塾に行きます。親はもう子供を教えられないと思っています。学校の先生は、テストをするための先生で、わからないところを教えてくれる先生ではありません。
たったひとりでそういう未知の世界に入る中学1年生は、不安になって当然です。
しかし、ここが、自分の力で勉強する仕方を身につけるいい機会なのです。
いちばんいいやり方は、
(1)まず中学生の勉強の仕方が書いてある本を何冊か読み、大きな方向性を決めることです。
(2)次に、自分が勉強するための教材を選ぶことです。それを年間を通して5回以上繰り返しやれるようにするのです。
(3)最後は、お母さんやお父さんが一緒に考える形で勉強の計画を立てることです。
中学生で自主学習コースの勉強をしていた生徒は、数学がクラスで一番と言っていいほどよくできるようになりました。
また、お母さんと一緒に勉強の計画を立てて取り組んでいた生徒は、全教科が毎回クラスの最高点に近い状態を続けていました。
受験期には、志望校の過去問に合わせた技術的な面が強くなるので、もうひと工夫が必要になりますが、それまでは自学自習を中心に勉強を進めていくことが最も大切です。
勉強は、人に教わるものではなく、自分から学ぶものだということを基本にしてがんばっていってください。
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勉強はなぜ人に教わらない方がいいかというと、教える人は成績を挙げなければならないという責任感から、宿題をたくさん出すようになるからです。
小中学生の勉強は、難しいものは何もないので、かけた時間に比例して成績が上がります。
だから、出された宿題をきちんとこなしていれば、当然成績は上がります。
しかし、その分、本来やらなくてもいい問題をやる時間が増え、そのために、読書をしたり、自分の好きなことをしたりする個性的で創造的な時間が減ってきます。
そして、もっと重要なことは、勉強は人に教えてもらわないとできないものだという勉強観ができてしまうことなのです。
勉強の仕方でいちばんいいのは、自主学習コースで勉強することです。
しかし、人に教わる勉強に慣れている子は、少しものたりない気持ちがするかもしれません。
そして、今は、作文クラスと、発表学習クラスの体制づくりが先になってしまったので、自主学習コースの体制づくりは少し遅れています。(もうすぐ体制を整えて募集を開始しますが)
自主学習で基本的な学力をつけておけばそれで十分ですが、受験のときだけは勝つための勉強をする必要から半年か1年受験対応の勉強をする必要があります。
しかし、基本はあくまでも自分で決めた勉強をすることです。
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