この記事は、今年度、受験作文コースを受講されていた小学6年生にお送りしたものです。(内容は一部改めています。)
■中学生は勉強の時間よりも方法の方が大事
中学生の勉強は、ただ時間をかければよいというのではなく、勉強の方法が大事です。
中学生のための勉強法の本はいろいろありますから、それらを参考に、自分の勉強法改善しながら中学での勉強に取り組んでいってください。
■友達の考えが参考になる寺オン作文クラス
作文力は、中学生、高校生になっても必要です。
中学生の作文は、小学生までの作文と違い意見文が中心になります。また、課題の長文は、高校入試レベルの難しい文章になってきます。
中学生の難しくなる作文学習を進めやすくするために、言葉の森では、寺子屋オンラインという少人数のオンラインクラスを設置しています。
現在、水曜日の17時を中心に新中学1年生の寺子屋オンライン作文クラスの体験学習を行っています。
4月から中学校生活が始まる場合も、寺子屋オンライン作文クラスでは、18時、19時、20時開始のクラスも用意しているので、時間はある程度柔軟に対応できます。
中学生は、同学年の生徒と課題を共有して勉強していくと励みになるので、クラス一覧表を参考に寺オン作文クラスに参加されることをおすすめします。(クラス一覧表は、言葉の森のホームページで「★寺クラス」というリンクで表示されています。)
寺子屋オンライン作文クラスの体験学習をご希望の方は、言葉の森までお問い合わせください。
必要な機材は、ウェブカメラのついたパソコンか、又はタブレット、又はスマホだけで、特別な設定は必要なく誰でもすぐに参加できます。
■国語力が確実につく読解検定
言葉の森では、この2月に、「小学生のための読解・作文力がしっかり身につく本」(かんき出版) を出版しました。
この本の書名は、「小学生のための」となっていますが、中身は、中学生や高校生にも役立つ内容になっています。
言葉の森では今後、この本に書かれている読解問題の解き方をもとにした読解検定を行います。
これまで、この読解問題を毎月わずか8問解いているだけで、国語が得意になったという中学生、高校生が何人もいます。
読解検定は、この勉強を検定試験という形でやりやすくするためのものです。
日程は、言葉の森のホームページで随時お知らせしますので、希望される方はぜひご参加ください。(言葉の森の受講生以外の方も参加できます。)
■数学と英語の学力がつく自主学習コース
言葉の森では、オンラインで先生が個別に10分間勉強をチェックする自主学習コースを設置しています。
中学生の勉強は、基本をしっかり定着させることが大事で、塾を利用するのは受験前の志望校対策や偏差値チェックをする時期になってからで十分間に合います。
基本を定着させる勉強は、家庭で取り組む毎日の勉強ですから、その勉強に自主学習コースを生かすことができます。
例年、自主学習コースの勉強だけで、数学も英語も得意になったという生徒が何人もいます。
塾に通うよりもずっと能率のよい勉強ですから、自主学習コースの体験を希望される方は、言葉の森までお問い合わせください。案内をお送りします。
(自主学習コースは、言葉の森に在籍している生徒が対象です。)
プログラミングの学習には、3つ条件が必要です。
遊びとして取り組めるものであること、初心者でも完成の喜びを味わえること、しかし更に高度なプログラミングに進めることです。
昔はその入口のひとつがhtmlでした。
かつては、慶應義塾大学のSFCで、大学生がhtmlを作る授業をしているということが話題になった時代もありました。
そこから、さまざまなプログラミングに進んだ人も多かったと思います。
しかし、今のhtmlは、cssなどで複雑な組み合わせができるようになり、見た目を重視した専門化したものになってきています。
子供がプログラミングを学ぶにはあまり適した教材とは言えません。
子供にとっては、遊び的な要素がもっと必要で、その分野は男の子であれば、ドローン、ミニカー、ロボットなど動かすことができて、友達とゲームとして遊べるものです。
実際にモノを動かして遊ぶことにより、何が学べるかというと、その遊びの中でプログラミングが便利なものだということを実感できるようになるのです。
そうすれば、成長してからも、「こういうものがあればいいんだがなあ」というときに、「まだ誰も作っていないようだから、自分で作るか」という発想ができるようになるのです。
これがプログラミングリテラシーです。
現代の社会では、人に頼めばやってもらえるというサービスが豊富です。
しかし、人間はひととおりのことは自分でやれるようにしておくことによって、自立した生き方ができるようになります。
自分でやる時間がないから人に頼むというのはありますが、自分でやる能力がないから人に頼むというのでは、同じ頼むでも全く違います。
プログラミングが自分でもできるという感覚をつかむために、子供時代に、遊びとしてのプログラミングを学ぶ意義があるのです。
しかし、今のプログラミング学習の多くは、遊びだけで終わってしまう可能性があります。
お絵かきや、レゴの組み立てと動きを、パソコンを使ってやる程度でそこから先に進まないような気がするのです。
かと言って、本格的に言語を学ぶところに行こうとすると、大多数の子は面白さを味わう前に興味を失ってしまうように思います。
それを克服する要となるのが、遊びとして熱中できるような面白さのある教材ですが、それがまだどこでも模索中なのです。
たぶん、将来は、動力とセンサーを組み合わせたさまざまなロボットで子供たちが遊ぶ時代が来ると思います。
自分のロボットをペットとして作り、子供によってはそのペットのロボットを犬にしたり、猫にしたり、恐竜にしたり、妖精にしたりとさまざまに工夫し友達と交流する形で遊ぶことができるようになります。
そういう教材と組み合わせたプログラミング学習ができれば、プログラミング教育はもっと楽しくかつ高度にできるようになります。
言葉の森が、まだプログラミング講座を開かないのは、今はそういう教材ができる少し手前の時期のように思うからです。
しかし、プログラミングは、一つの技能です。
その技能よりももうひと回り大きい学習の意義は、理数的素養というようなものです。
理数的素養とは、理科実験や数学の演習を通して、世の中には自分の直感を超えた客観的な論理の世界があるということに対する確信です。
その確信がもとになって、人間は新しい発明や発見に、つまり創造に取り組むことができるからです。
ふりかえると、江戸時代の人たちは、たぶん現代の日本人の平均よりも理数的素養があったと思います。
だから、種子島に鉄砲がもたらされたとき、西洋の科学技術を多くの未開民族が魔術のように受け止めたのに対して、当時の日本人は、同じ人間が作ったものであれば、自分たちにも作れないわけがないという発想を持つことができたのです。
江戸時代になぜ理数的素養があったかというと、それは四書五経の音読と算盤による基礎教育の上に、すべての人が農業や工業やあるいは商業の分野で自分の力で働くという社会の仕組みがあったからだと思います。
途中、話がやや脱線しましたが、私は、今の段階でプログラミング学習に子供時代から取り組ませるよりも、言葉の森の発表学習クラスで、自由な理科実験や発表などを行う方が、ずっと理数的素養がつき、学問の面白さを感じるようになるだろうと思います。
私がプログラミング教育でイメージしているのは、昔の子供たちが、メンコやベーゴマに熱中して遊び、自分なりにいろいろな工夫をして遊んだように、初めての子でも楽しめるが、工夫しようとすればいろいろなことができるという遊びと学習の両方の要素がある教育です。
たぶん近い将来、そういうロボットプログラミングの教材が出てくると思います。
今もすでにあるのかもしれませんが、今はまだ遊びの要素の方が中心で、しかも大がかりのものが多いような気がします。
そういう意味では、マイクラのコマンドはいいと思います。楽しみながら学べる。マイクラの本質って家事だと私は思っていて、家電が進化したように(ちょっと違うけど)、コマンドを使ってマイクラの世界を発展させることができる。マイクラはマイクロソフトが教育用に買収したんですよね、たしか。プログラミングの入り口としてすごく優れていると思います。私のまわりの子たちもやってます。Wifiで子どもたちがゲームの中に集合し、コマンドを書ける子が世界の一部を書き換えていくのを「おー、すごいなー」と見ていたりして、おもしろそう。手で一個一個ブロックを積んで作る壁を、コマンドで手品のようにぱっと作ったりして。