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今、世の中で活躍している人、ノーベル賞を受賞した人や、会社の経営をしている人や、さまざまな第一線で活躍している人の小学生時代に共通しているのは、早くから勉強を始めていい成績を収めていたことではありません。
むしろ、その反対に、遊んでばかりいて、いろいろないたずらもして、学校の勉強などそっちのけで、幸福な子供時代を送ったというような人が大半なのです。
しかし、知的な生活の面で共通していることがあります。
それは、読書が好きだったことです。
日本語の読み書きの力さえあれば、そのほかの勉強は必要になったときにすぐにできるようになります。
だから、小学生時代は、第一にたっぷり遊ぶこと、第二にたっぷり読書をすることです。
いろいろな習い事を短時間で細切れに詰め込むよりも、読書を中心にした自由で創造的な時間を作ってあげることです。
その読書と創造と親子の対話の中心になるのが作文です。
作文は、ただ文章の書き方を身につける勉強ではありません。
国語力も含めて、子供の思考力、創造力、共感力を育てる最も幅広い総合的な勉強なのです。
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言葉の森は、最初、通学の作文教室でした。
作文を勉強するというニーズは、37年前の当時はほとんどなかったので、横浜を中心にしたいくつかの貸教室で十人前後の生徒を教える形で運営していました。
なぜ作文教室を始めたかというと、そこに面白い未来があると思ったからです。
国語や算数の勉強を教えるという方針は、最初からありませんでした。
勉強は、人から教わるものではなく、自分でやるものだと考えていたからです。
そのため、経営にはかなり苦労しました。
通学教室を運営していてしばらくすると、引っ越しなどで教室に通えなくなる生徒が出てきました。
それらの生徒から引っ越しししても作文の勉強を続けたいという声があったために、通信のクラスを始めました。
当時はウインドウズ3.1がウインドウズ95に切り替わるころで、ややこしい設定を克服すればインターネットが使えるようになりつつある時期でした。
そこで、どうせ通信にするなら、双方向のやりとりができるインターネットを活用しようと思い、ホームページを中心にした教室作りに着手しました。
そのインターネットがブレークしたのが2000年ごろで、やがて通信の生徒の方が通学の生徒よりも多くなりました。
そのうち、言葉の森の作文指導を見て、ベネッセやZ会や最近ではブンブンどりむが似たような作文指導を行うようになりました。
言葉の森の作文指導は、通学教室の延長で始めたものなので、紙のやりとりだけでなく電話による指導にも力を入れていました。
この電話指導が、生徒と講師の間のコミュニケーションを生み、その他の通信教育にはない人間的なつながりのある教室になっていました。
しかし、自分の中には、もっとリアルな人間関係が、生徒と講師の間だけでなく、生徒どうしの間でも必要だという気持ちがありました。
今の子供は、戸外の自然の中で友達と一緒に遊ぶという経験があまりありません。
人間のバランスの取れた成長のためには、自然と友達と家族と遊びと勉強のそれぞれの要素が必要です。
しかし、子供たちの多くは、学校と塾と非効率な勉強とゲームに多くの時間を支配されているようでした。
そこで、生徒と先生の電話による個別指導のほかに、ウェブ会議システムを利用した少人数のオンラインクラスを始めようと思いました。
そのきっかけになったのは、2011年の3月11日の震災でした。
日本を守るためには、自分なりにできることをしなければならないと思ったのです。
いろいろとやり方を考えて、大きな方向を定めました。
普段の勉強は家庭でいながらにしてできるオンラインの少人数クラスで行い、夏休みや土日の休みなどは、合宿で自然と友達と接する遊びと勉強の機会を作るという形の教室運営です。
それが、読書作文キャンプの発端です。
そして、教室の拡大に伴って必要になる人材は、森林プロジェクトの講師募集でカバーし、その講師自身も教室運営の中で自分の得意分野を生かせるようなシステムにしようと思ったのです。
この話をホームページの記事に書いたところ、生徒の保護者の方から、使っていない別荘地の土地があるからそれを譲ってくださるという話がありました。
そこで、その土地にログハウスを作り、合宿専用の教室を作ることにしました。
そこを将来、森の学校という名前にして、子供たちが長期間寝泊まりして勉強と遊びと交流ができるようにしようと思ったのです。
しかし、ログハウスを作るのは時間がかかり、その年の夏のキャンプには間に合わないということがわかったので、どうしようかと考えていたところ、近くに売りに出ているペンションがあったので、急遽そこを利用することにしました。
これが、言葉の森の那須合宿所です。
なぜ常設の合宿所が必要かというと、勉強と遊びを両立させるためには、1人1台のパソコン環境とともに、理科実験装置や3Dプリンタなどの設備が必要になるからです。
1年目と2年目は、合宿の試運転で、1年間のうち1週間ほどしか使いませんでした。
那須は、観光地で景色もよく遊ぶところがたくさんあり、皇室の保養所のあるせいか住んでいる人も穏やかで親切な人が多い土地柄でした。
しかし、東京から新幹線で2時間ですから、便利と言えば便利ですが、日常的に使える場所ではありません。
そこで、長期間の休みは那須合宿所を利用し、やがてそこを常設の森の学校にするのですが、しばらくの間は、横浜の教室で土日合宿を行うことにしました。
その最初の土日合宿が、先日の3月30・31日の春の読書作文キャンプでした。
土日の合宿は、今後も定期的に開催し、その合宿の中で自然と友達との触れ合いの機会を作り、遊びと勉強を両立させる場にしていく予定です。
そして、夏や冬の長期間の休みは、保護者の同伴が可能で、期間も自由に選べ、読書と作文以外に国語や算数などの教科の勉強もオンラインでできる自然寺子屋合宿を開催する予定です。
今はまだ横浜と那須にしか合宿できる場所はありませんが、言葉の森の生徒には関西地方の方も多いので、いずれ関西方面でも利用しやすい場所に合宿所としての森の学校を作ろうと思っています。
そして更に、言葉の森の生徒には、海外の方も多いので、将来は、アジアをはじめとした世界各地に森の学校を広げていきたいと思っています。
その各地の森の学校と寺子屋オンラインで、これからの日本を支える、思考力と創造力と共感力のある子供たちを育てていくのです。
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私は、学生時代は、80人の男子だけの寮生活を4年間送りました。
大部屋に4人が泊まる形で、学生だけが運営する自治寮でした。
そこで、民主主義というものを実感的に味わいました。
その寮生活での人間関係が、自分の考えに大きく影響を与えたと思っています。
本当の勉強には、教科書と先生以外に、自然と友達も必要だという考えは、そのころから生まれました。
今回の土日合宿は、飛び入りの応援もあり(笑)、かなり楽にできました。
今後、横浜で土日合宿を定期的に開催し、夏休みなどの長期の休みには、那須で期間自由の合宿を行う予定です。
合宿のテーマは、「よく遊びよく学べ」で、勉強と遊びを両立させ、自然と友達との触れ合いのある自然寺子屋合宿にしていく予定です。
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▽小坪公園の紅白の梅
「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」
意義や目的のような事々しいものではなく、情景描写の中から生まれた新元号に、日本の本来のあり方を見る。
本居宣長は言った。
日本になぜインドや中国にあるような大思想が生まれなかったのか。
それは、日本ではそのような大げさなものを必要としない生活が既に根づいていたからだ。
自ずから正しい道を進むような新しい時代が、これからやってくることを予感する。
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新元号「令和」の出典となった万葉集は、日本の文化の古里だ。
偶然にも、今日書いたプログラミングの記事の結びは、「新しい作文教育を世界に先駆けて発信できる国が、万葉集の伝統を持つ日本なのです」だった。
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プログラミング教育について主に語っているのは、プログラミングに思い入れのある人たちと、プログラミングというものを全く知らない人たちです。
だから、プログラミング教育が過大に評価されています。
中学の技術家庭でプログラミングの教育が行われるようになるだろうことは、20年以上も前に予測されていましたが、その後の教育の変化は遅々として進みませんでした。
そして、今やっとプログラミングが学校の正課の教科として取り上げられるようになりましたが、時代はもう一歩先に進んでいるのです。
「スティーブ・ジョブズが子供に学ばせたかったAppleのデジタル教育」の著者であり、アップルの教育部門の初代バイスプレジデントであったジョン・カウチ氏は、コーディング(プログラミング)の教育における可能性を大きく評価しています。
カウチ氏は、デジタルネイティブ世代に人気の高いゲームが、今の教育とは対極にあると述べています。
第一は、対象とする世界がゲームの方が圧倒的に広く、それはプレイヤーの関わり方で無限に広がる点です。
第二は、多くの人との協調や協力が求められ、それが認められることです。学校では「協力」は「ズル」とみなされることがあるのに対してです。
第三は、プレイする場所がオンラインである点です。学校では、オンラインはほとんど活用されていません。
そして、第四は、子供たちが楽しく真剣に取り組む点です。
この第四が最も重要です。
昔のゲームは、今の学校のように細かいルールと一直線の道が用意されていました。
学校の教科書のように、決められた順に読み進めないと先に進めないという作り方がされていました。
パターンを覚えてそれを繰り返し習熟することで、学校教育のように他人に勝つことが目的になっていました。
今のゲームは、勝つことよりも、発見すること、創造すること、協力することに重点が置かれています。
そういうゲームの面白さに通じる教育こそ、コーディング(プログラミング)教育だと言うのです。
この大筋は、全面的に共感できる話で、これからは確かにゲームのように面白い教育が行われるようになると思います。
親が、今の子供たちのゲームを止めたがるように、「もういい加減に勉強はやめて、別のことしなさい」と小言を言うようになる時代がやがて来るのです。
しかし、それがコーディング教育によってなされるかというと、そこには大きな疑問があります。
10年か20年前だったら、コーディング教育こそが、子供たちが熱中する、しかも創造的な教育でした。
今、アメリカで生まれているさまざまなデジタルの革新的技術は、そのコーディング教育で育った世代によって作られたものだと思います。
日本は、このデジタル教育の面で、大きく立ち遅れたのです。
私は、個人的に、日本が立ち遅れた最も大きな原因は日本語文字コードの複雑さと混乱にあったと思っています。
日本語文字コードの相次ぐトラブルが、中高生がプログラミングに熱中する手前の大きな壁になっていたのです。
今はその問題はかなり軽減したので、今後プログラミング教育を進める前提は大きく改善されています。
子供たちが、プログラミングに熱中する時代はすぐに来ると思います。
しかし、時を同じくしてそのプログラミング教育の黄昏(たそがれ)が、現実の社会の側からやってくるのです。
それは、コーディングが時代遅れになる時代です。
昔、鉛筆をナイフで削る教育が行われていたことがありました。
昔の子供たちのように、自分の持っている小型ナイフで鉛筆を削れるようになるというのは、子供たちにとって新しい経験で、その技術に習熟することはそれなりに面白いことでした。
しかし、自動鉛筆削り器があったり、シャープペンシルがあったりする時代に、そのような面白さは持続させることができませんでした。
同じようなことが、プログラミング教育にも生まれてくるのです。
今のプログラミング教育は、一文字ずつ打ち込むような形で行われるものが想定されていると思います。
しかし、そのような手作業的なものは、現実の世界ではなくなりつつあります。
ひとまとまりのプログラミングを一つのブロックとして扱い、そのブロックをレゴのように組み立てる方向に向かいつつあるのです。
ブロックの組み立てにも確かに創造性はありますが、最初から手作業でひとつずつのコマンドを書いて組み立てるような難しさも面白さもありません。
プログラミング教育は、だんだん頭を使わないような方向に進化する可能性があるのです。
それは、かつてパソコンの製造が最先端の技術のように言われていたものが、今ではどこでもできるパーツの組立産業になっていることと同様の進化です。
では、未来の教育を担うものが、コーディング教育でないとしたら、何になるのでしょうか。
未来の教育とは、自由で、自主的で、知的で、創造的で、他の人との協力が自然に生まれるような教育です。
それを、私は、新しい作文教育の中で実現できると思っています。
そして、その新しい作文教育を世界に先駆けて発信できる国が、万葉集の伝統を持つ日本なのです。
これからの寺子屋オンラインの作文クラスを、このような大きな見取り図の中で進めていく予定です。
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昔のプログラマーの卵たちは、「こんなコード書いたんだよ」と言うと、みんなが驚いてくれました。
今は、そしてこれからは、どんなに工夫したコードを書いても、「ああ、それ、スマホのアプリにもあるよ」と言われるようになります。
このような中で、コーディングに熱中する子が生まれるとは思えません。
新しい教育は、プログラミングとは別のところで、そして日本で生まれるようになるのです。
私は、20年前に、みんながプログラミングに熱中する時代が来ると思っていました。
しかし、今は、もうそのような時代は来ないと思っています。
プログラミング教育は、学校の教科の中に組み込まれますが、それは、電卓の時代に手計算の練習をするような普通の教科になっていくのです。
そのプログラミング教育に代わる新しい未来の教育が、新しい作文教育です。
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