普通、文章を書くときは、書きたいことを頭に浮かび、それを書き出すと、書いている中で次々と書きたいことがつながり、その書きたいことが行き着く先まで書くという形になると思います
こういう文章の書き方は、時間の余裕があるときしかできません。
だから、中学生や高校生になると、作文を書く時間を取るのが難しくなることが多くなります。。
書きたい気持ちはあるが、書き出すと1時間から1時間半はかかるので、つい後回しにしてしまうということが起きてくるのです。
このような書き方を、「書きながら考える」という書き方だとすると、もうひとつの書き方は、「考えてから書く」という書き方です。
自分の趣味で書くとか、個人的な日記を書くとかいうときは、書きながら考えるという書き方で十分です。
しかし、試験でテーマを与えられて書くという場合は、書きながら考えるという書き方は、出来不出来の差が大きくなります。
常に自分の実力を発揮して書くためには、考えてから書くという書き方が必要になります。
したがって、普段の作文の勉強も、この考えてから書くという書き方に慣れておくといいのです。
その方法が構想図を書くという方法です。
テーマに沿って自分で考えたことを、図のようにメモしていきます。
文章は、逐語的に一次元で進みますが、人間の考えは逐語的に行われるわけではなく、三次元で同時並行的に進みます。
だから、図のような感じで考えたことを書いていくといいのです。
一つのテーマに関しては、大体10分か15分あれば、考えがまとまります。
作文の骨格は、これでもう完成です。
構想図を書く書き方であれば、時間が取れないから書けないということはなくなります。
その構想図を文章化する場合は、音声入力が役立ちます。
構想図をもとに10分も話せば、1000字から1200字の作文が仕上がります。
誤変換の部分などの微調整には、大して時間はかかりません。
時間に追われる中学生や高校生は、作文を書く時間が取れないときは、この構想図プラス音声入力で作文を書いていくといいと思います。
この構想図と音声入力よりも、もっと簡単な方法もあります。
それは、自分が1200字の文章で書こうと思う内容を、四行の詩で書くという方法です。
日本には、短歌の文化がありますから、短歌で1200字の文章の内容を表現するということもできます。
しかし、短歌は字数の制約が多い分、作品としての完成度は増しますが、表現の自由度は低下します。
四行詩の基準は、四行で書くことだけです。
作品としても完成度を高めるために、その四行の中に必ず比喩か自作名言を入れるというふうにすることもできます。
更に、川柳に似てきますが、必ず「笑い」を入れるということもできます。
ある程度の制約を決めておいた方が、書きやすくなります。
中学1年生の4月1週の作文課題のテーマは、「あだなはよいか悪いか」でした。
これを600字から1200字の作文として書くことを考えると、1時間はかかるでしょうから、「大変だなあ」と思う人も多いと思います。
しかし、これが、構想図なら10分で仕上がります。
音声入力をすればもう10分、微調整をして完成させるのに10分で、合計30分で仕上がります。
ところが、四行詩なら、完成まで入れて10分程度です。
例えば、こんな詩です。(これが上手な見本というわけではありません。)
課題は、「あだなはよいか悪いか」
「ゴリラ、ブタ、サルなどというあだなは、みんなの笑いを誘うが、本人の笑いは誘わない。
言われた本人も笑って受け取れるようなあだながよいあだなだ。
しかし、笑いには多少の悪意が伴うという本質がある。
悪いあだなを自慢するぐらいの度量を育てることも人間の成長につながる。
みんながいいあだなだけで呼び合う集団は、ちょっと変だし(笑)」
中学生や高校生のみなさんは、時間がないから、何も書けないというよりも、構想図だけでもよいとか、四行詩でもよいとか割り切って、忙しいときの作文の勉強をこなしていくといいと思います。
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作文は、実際に書かなければ上達しません。
しかし、書くと、すぐに1時間ぐらいはたってしまいます。
そこで、「書きたいことはあるし、書こうと思えば書けるし、しかも傑作を書ける気がするが(笑)、時間がないから後回し」となってしまう人もいるのです。
その時間の制約を脱する方法が、構想図と音声入力と四行詩です。
「読書は豊かな人間を作り、対話は役立つ人間を作り、作文は正確な人間を作る」という言葉があります。
Reading maketh a full man, conference a ready man, and writing an exact man.(フランシス・ベーコン)
確かに、作文を書くと、考えが正確になります。
しかし、本当は、その正確さを土台にして創造が始まるところに作文の意義があるのです。
寺子屋オンラインの全員対話型のクラスでは、更に他の人の書いた作文が自分の新しい考えの創造につながることがあります。
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△アスレチックの入り口です。
4月の横浜の読書読解作文キャンプは、7名の参加になりました。
少人数なので、全員家族のような雰囲気でやりたいと思っています。
今後、この少人数の土日キャンプを定期的に開催し、勉強と遊びと交流を行っていく予定です。
3月のキャンプは、マットレスが小さかったので寝にくかったかもしれませんが、今回は大きめのやや厚いマットレスになるので、安眠できると思います。
安眠しないと思いますが(笑)。
ところで、21日に予定していたバーベキューですが、予約が取れなかったので、予定を変更してアスレチックにしました。
車で7、8分のところなので、スケジュールの時間は変わりません。
ややワイルドなアスレチックなので、汚れてもいい身軽な服装を用意してくださるといいと思います。
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このアスレチックコースは、途中に竹やぶがあるので、タケノコが出ているのではないかと思います。
アスレチックの人と交渉して、うまくいけば、タケノコ掘りができそうです(笑)。
ということで、今回のキャンプのお土産はタケノコになるかも。重そうですが。
BBQが楽しいのは、結局火を囲むのが楽しいのだと思います。
そこで、BBQのかわりに、室内でたこ焼きをする予定。
と、遊ぶことばかり考えていますが、読書、読解検定、作文もやるので、「よく学びよく遊べ」キャンプになると思います。
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植物に人間の気持ちが伝わるという実験があります。
塩谷信男さんが、切り取った葉っぱに、何もしない葉っぱ、声かけをする葉っぱ、気持ちを伝える葉っぱなどというような区別をして何日か置いてみたところ、何もしない葉っぱはすぐに枯れてしまったのに、気持ちを伝えた葉っぱは長い期間青々ととしていたというのです。
植木でも、人間が話しかけたり触れたりして、関心を持たれるような育て方をすると、虫がつきにくいということがあるようです。
植物でもそういうことがあるのですから、人間でも同じようなことがあるはずです。
特に、心が素直な子供たちは、そういう影響を最も受けやすい存在です。
だから、子供を成長させるものは、食べ物とか習い事とか、お金をかけて外側から与えるものではなく、子供にとって最も身近な存在であるお母さんが、その子を見つめて、話をして、聞いてあげ、なでてあげて、その存在をそのまま肯定して認めてあげることなのです。
今の世の中では、子供は常に社会の側から評価される圧力の中で暮らしています。
勉強ができるとか、何かの役に立つとか、社会からの評価がよければ認められるが、評価がよくなければ認められないという環境の中で暮らしています。
何かができたから褒められるということは、もしそれができなかったら自分は褒められる価値がないのだというメッセージを子供に送っていることと同じです。
だから、母親は、子供がよくできたときも、よくできないときも褒めてあげることが大事なのです。
出来の悪い子がいた場合、お母さんはそこで悩むべきではありません。
せっかくのこの人生を、出来が悪いという形で登場してきているならば、その役割を楽しんで生きるというふうに発想を切り替えるのです。
出来の悪いことも含めて、それはその子の価値ある個性だというふうに発想を転換する必要があります。
なぜなら、出来のよいい子が普通にまともな人生を送ったとしても誰も何とも思いません。
しかし、もし出来の悪かった子が、将来社会人になって、こんなに楽しく暮らしているのだということを示すことができれば、それは出来のよいい子が普通にまともに暮らしているよりも、何倍も個性的で、また多くの人に希望や与えることになるからです。
子供には、できる子、できない子、いい子、だめな子というふうに分類する圧力が、社会の側からは常に送られてきます。
小さい子供には、まだすぐにその圧力をはねかえす力はありません。
だから、お母さんが、その出来の悪いことも含めて、あなたがいちばんいい子なんだよというメッセージを常に送ってあげる必要があるのです。
人間の成長の最も大きな要因は、身近な人からの愛情のこもった眼差しであって、それさえあれば子供は正しく幸福に成長していけるのです。
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言葉の森の教室に来る子で、ときどき、「ただいまあ」と言って入ってくる子がいます。
そのあと、「あ、まちがえた」と言いますが。
また、先生を呼ぶときに、ときどき「お母さん」と呼ぶ子がいます。
そのあと、「あ、まちがえた」と言いますが。
教室の居心地がいいのは、先生が、いつも、よくできたところを褒めているからです。
できなかったところを注意して、ほかの生徒と競争をさせてがんばらせるというようなことをしていないからです。
そして、そういうのどかな勉強の仕方で、みんな上達していくのです。
親の役割は、子供にあれこれ習わせて、よくできる子に育てるというようなことではなく、「あなたはそのままでいい子なんだよ」という単純なメッセージを、どんなときにでも子供に伝えていくことです。
「勉強ができない? いいんだよ、そんなこと(笑)」
「失敗しちゃった? いいんだよ、そんなこと(笑)」
「あなたが楽しく暮らすことがいちばん大事なんだから、いろいろ困ったことがあっても、その困ったことを楽しみながら暮らしていけばいいいんだよ」
ということを子供に伝えていくことなのです。
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私が尊敬している人の一人、増田俊男さんは、2020年11月の米大統領選のあとに、株価の大暴落が始まり、ハイパーインフレになると言っています。
なぜ増田さんを尊敬しているかと言えば、日本のことを真剣に考えているからです。
私が尊敬するもう一人の人、副島隆彦さんは、2024年の新札はデノミの布石だと言っています。
原田武夫さんや、原田さんを紹介している金の玉造さんも同じように言っています。
割合はどうなるかはわかりませんが、わかりやすい形では、今の福沢諭吉の1万円札が、新千円札の北里柴三郎になるということでしょう。
では、そのように予測される未来に対して、私たちはどう対処したらいいのでしょうか。
経済や金融の専門家は、「金(きん)を買え」と言います。
それは一理ありますが、金を食べて暮らすわけにはいきません。
金を買うほど余裕のない人は、食糧生産を自分で始めるとか、あるいは食料を備蓄するとかいうことを考えます。
それも一理ありますが、それは、未来を志向した対策ではなく後ろ向きの対策です。
金を買うよりも、もっと流通性のある仮想通貨を買うべきだという人もいます。
ペイパルの創業者であるピーター・ティールさんは、仮想通貨をデジタルゴールドを呼んでいます。
アマゾンなどのネットショップの商品も、今後仮想通貨で購入できるようになるだろうことを考えると、仮想通貨は金よりも使い勝手がよさそうです。
しかし、それももちろん後ろ向きの発想です。
なぜ後ろ向きかというと、自分だけ助かればよいという考えだからです。
では、前向きの発想とは何でしょうか。
前向きの発想とは、これまでの、古い、バブルで吹き飛ぶような、人間の真の幸福に結びつかない、GDPを引き上げるだけの、旧来の仕事にしがみつくのではなく、それらの古い価値観から脱却した新しい仕事を始めることです。
その新しい仕事の基準は、ひとことで言えば、ほかの人に喜ばれることをするということです。
喜ばれるというのは、その仕事の対象となる人の幸福、向上、創造、貢献に資することです。
しかし、これまで特に何の準備もしてこなかった人が、仕事としてできることは限られていると言う人が多いと思います。
そうではありません。
最も直接的にできることは、明日の日本の創造の担い手となる子供たちを育てることです。
子供たちの教育に、知識や技能は必要ありません。
知識や技能は、既にさまざまなところで提供されています。
そして、人間が本気になれば、必要とされる教育の知識や技能はすぐに身につくものだからです。
大事なことは、知識や技能ではなく、子供たちを一人の例外もなくその子の最もよい状態になるように育てようという志です。
そういう考えで、森林プロジェクトの寺オン講師育成講座を始めました。
展開が当初の予定よりも遅れていますが、今後、言葉の森が全教科の学習をカバーするようになることに対応して、同じような考えを持つ人と幅広く協力していきたいと思っています。
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私の中には、新しい未来の社会のイメージがあります。
だから、これから大きく見れば、世の中はよくなります。
しかも、驚くほどよい世の中になると思っています。
と思いつつも、足もとを見ると、ぬかるみの道が延々と続いているようです(笑)。
しかし、何度か道を曲がると、突然ぬかるみが終わり、新しい明るい道が山頂まで続いているようなところに出るのです。
これからの教育の主人公は、子供自身です。
先生は、脇役です(笑)。
主人公の立場で行動する人が、最も成長するからです。
子供全員が主人公になるためには、人数は少なすぎず、多すぎず、全員が対話に参加できる規模でなければなりません。
そういうクラスを寺子屋オンラインで作っていきたいと思います。
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以前、言葉の森のホームページのコメントに、「『子供』の『供』は、『お供』のように人を従わせる意味があるから、『子ども』と書くべきではないか」という投稿がありました。
私(森川林)は、そういう考えがあることは知っていますが、敢えて「子供」と書くようにしています。
それは、なぜかというと、言葉のニュアンスという主観的なもので物事の良し悪しの判断を下すことは、一種の宗教と同じだと考えるからです。
もちろん、私は、宗教とその裏付けとなっている信仰には、それなりの意味があると思っています。
鈴木大拙の「日本的霊性」には、その信仰というものの深い本質が書かれています。
それはひとことで言えば、人間には、そして人生には、理屈や理論では超えられないものがあるということです。
しかし、宗教は個人の内面の問題としてとらえれば意味がありますが、それが集団で行われるようになると、そこに民主主義の対極となるものが生まれます。
集団で行われる宗教は、どちらが正しいかということではなく、どちらが好きかということが基準になります。
キリスト教とイスラム教の争いにしても、簡単に言えば、一方はイエスが好きで、一方はアラーが好きだというレベルの争いなのです。
このレベルの低い争いには、当然話し合いによる解決という余地はあまりありません。
言葉のニュアンスというのも同じです。
大事なのは、その「こども」という言葉で書き表されている内容であって、その書き方が「子供」か「子ども」ということは、個人の好き嫌いの問題です。
好き嫌いは、理性の話し合いにはなりません。
最近の日本では、よく言葉狩りのようなことが行われています。
おおまかに言えば、考える力のない人ほど、言葉のニュアンスにこだわります。
言葉狩りの広がる社会は、文化の程度の低い社会です。
大事なことは、その言葉で表現されている内容を読み取ることであって、言葉自体をチェックすることではありません。
そういう考える力のある子供たちを育てることが、これからの教育の役割になると思います。
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「子ども」でも、「子供」でも、どちらでもいいと思うのですが、そこにこだわりを持つ人もいると思うので、一応その説明を書きました。
本当にどうでもいいことですが。
わざわざ書くほどのことでもなかったのですが、一応説明しておくということで。
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言葉の森は、これまでの作文指導を中心とした教育を行ってきました。
今後は、作文以外の国語、算数数学、英語、理科、社会などの各教科も独自のやり方で指導する総合的な教室に生まれ変わります。
見方によっては、言葉の森は、学習塾のような教室になりますが、目指すのは学習塾ではなく学校です。
学習塾は、学校に合格するための教育を行う場です。
学校は、それ自体の独自の目的を持つ教育の場です。
言葉の森の目指す学校は、大きくは、人間の幸福、向上、創造、貢献を目的とし、教育的な面においては、真の学力をつけ、家庭を基盤とし、文化を重視し、創造を目標とする教育を目的とします。
なお、言葉の森での教育の結果として、上位の学校への進学率が高くなるということはありますが、それは直接的な目的ではなく教育の結果です。
言葉の森の教育の目的は、単に成績を上げることではなく、作文指導のこれまでの目的であった個性、知性、感性を育てることと同じく、総合的な人間力を育てることにあります。
■言葉の森で教える教科
言葉の森では、作文、国語、算数数学、英語、理科、社会などの教科の学習を次のような形で進めます。
▼作文の教科
日本語力の集大成となり今後の学力評価の中心となる作文感想文の学習を行います。
これは、現在の作文の電話通信、通学教室、寺子屋オンラインクラスの学習と同じものです。
作文の小1から高3までのカリキュラムは、言葉の森独自のものです。
▼理科・社会の教科
個性を生かした創造的な学習を発表し交流する「発表学習クラス」で、理科と社会の学習をします。
理科と社会のカリキュラムは、学習指導要領に沿った形で進めます。
▼国語・算数数学・英語の教科
学校で必要とされる勉強を自学自習で能率よく進める「自主学習クラス」で、国語と算数数学と英語の学習をします。
国語と算数数学と英語のカリキュラムは、学習指導要領に沿った形で進めます。
▼その他の教科
言葉の森では、今後社会の変化に対応する新しい教科も新設していきます。
例えば、コンピューター関係、工学教育関係などです。
言葉の森で作文、理社の発表学習、国数英の自主学習などに取り組めば、学校での勉強の補強のために学習塾に行く必要はなくなります。
更に、これからの社会に必要となる創造性と自主性を育て、全教科のバランスの取れた学習ができるようになります。
■教育の目的と方向
言葉の森の教育の目的は、人間の幸福、向上、創造、貢献を目指すことです。
そのための教育の大きな方針は、次の四点です。
1.受験のための教育から実力のための教育へ
2.学校中心の教育から家庭中心の教育へ
3.点数を基準とした教育から文化を基準とした教育へ
4.競争を目標とした教育から創造を目標とした教育へ
言葉の森で勉強をすれば、詰め込みの勉強や、無駄の多い宿題などをせず、個性を伸ばしながら余裕のある生活で創造的な学力をつけられるようになります。
勉強の場は、寺子屋オンラインというZoomを使ったオンライン教育が中心になります。
寺子屋オンラインは、少人数の全員対話型の教育なので、これからの時代に必要な表現力とコミュニケーション力が育ちます。
土日や夏休みの読書作文キャンプでは、自然の中での友達との交流を行います。
この読書作文キャンプが、一般の通信教育におけるスクーリングにあたります。
このように、全員対話型のオンラインクラスと、自然の中での読書作文キャンプを組み合わせることによって、総合的な人間教育を行える場を作ります。
言葉の森の目指す教育は、従来の画一的な外側からの強制による学校教育ではなく、子供たちの内面の成長を生かす新しい学校教育です。
なお、これらの教育を担う先生は、言葉の森の講師、及び森林プロジェクトの講師から募集します。
■寺子屋オンラインの仕組み
言葉の森での授業は、これから、寺子屋オンラインというウェブ会議を利用した全員対話型の少人数のクラスを中心に行っていきます。
これまでの電話通信指導や通学教室は継続していきますが、保護者懇談会や、発表交流会など、ウェブ会議を利用した企画は今後増えていきますので、言葉の森で勉強する方は、オンラインの仕組みにも慣れておいてくださるようお願いします。
オンラインの仕組みで重要なものは、Zoomとgoogleフォトの利用です。
googleハングアウトとskypeは、機能の面で不安定なところがあるので今後は利用しない方向です。
(つづく)
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言葉の森は、これから学校教育を含めた子供たちの教育全般を守備範囲にします。
当面は、小学生から中学生までが、国語、数学、英語、理科、社会の勉強を言葉の森で学べるようにします。
教科書は、市販の教科書準拠の参考書を中心に、言葉の森の独自教材と塾専用教材を使います。
Zoomを使ったオンライン教育で、全国どこからでも学べます。
先生が教える形を中心にした退屈な勉強ではなく、子供たちが自学自習で学び、互いの発表の中で刺激を受け合うような面白い勉強にします。
勉強の進度を把握するためにテストを行いますが、差をつけるためのテストではなく、全員が百点を取ることを目標にしたテストです。
先生は、全国の志のある人たちです。
既に大枠の体制はできているので、これから方向を決めて進めていきたいと思います。
今の教育の問題は、行事が多すぎることと、宿題が多すぎることにあります。
そして、テストで子供たちを追い立てるのです。
基準になっているのは、教える大人の側の都合の方で、子供たち一人ひとりではありません。
子供一人ひとりを見ることができるのは家庭です。
だから、これからの教育は、家庭と連携して進めていく必要があるのです。
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