人間は、子供も含めて、自分が何かをするのが好きです。
人のするのを見ているだけとか聞いているだけとかいうのは、あまり好きではありません。
授業もそうです。
先生の話を聞いているだけというのは、本当はつまらないのです。
優れた授業を聴くよりも、自分が喋る方が楽しいというのが、人間の普通の心理です。
だから、生徒が一番なのです。
だから、寺オンクラスでは、生徒の発表、そのあとの質問と感想を中心にした運営にしています。
もちろん、子供たちの話があまり弾まないときに、先生がその場を活性化させるために話すというのは大事です。
しかし、子供たちが話し出したら、先生はその交通整理に徹する方がいいのです。
ところが、子供の中には、長く話しすぎる子も出てきます。
特に、読書紹介では、簡潔に話すことができずに、あらすじを延々と話してしまうということが多くなりがちです。
これは、学校の感想文の宿題を書くときにもよくあります。
一般に、文章を要約する力がついてくるのは小学5年生からですから、4年生までは本の内容をかいつまんで話すということが年齢的にできません。
更に、小学2年生までは、周囲の目を気にするという意識がないので、話は長くなりがちです。
そこで、読書紹介は、あらすじではなく、「いちばん面白かったところ」だけど言うようにしてもらっています。
それでも、ついあらすじを話したくなる場合もあるので、先生はタイマーをセットして2分以内で話すという目安を決めています。 大事なのは、一定のルールの中で、全員が話に参加するということだからです。
ところで、小学3年生までの生徒の中には、質問や感想を聞かれても、すぐに、「ありません」と言う子もいます。
それは、これまでの生活の中で、自分から進んで何かを言うという場面があまりなかったからです。
質問や感想を聞かれた生徒がずっと黙っていて、しばらくしてからひとこと、「ありません」などというのを聞くと、先生はつい自分で話した方が、クラスが活性化すると考えがちです。
もちろん、先生が楽しく話すことはある程度は必要です。
しかし、毎週の授業は、演劇ではなく教育ですから、話が弾まない日があっても、その中で子供が少しずつ成長していけばそれでいいと考えておくのです。
これからの時代には、自分で何かを言うということが必要になるからです。。
さて、生徒が一番の次は、演習の二番です。
生徒が話をして、先生が話をして、それで授業のほとんどが終わってしまうと、作文の場合は書く時間が後回しになってしまいます。
生徒と先生の話だけが授業の中心になると、肝心の演習の時間が本人任せになってしまうのです。
先生の立場としては、演習の時間が長くなると、その間は何もできないので、ものたりなさを感じると思います。
しかし、この場合も、毎週の授業は先生が教える場ではなく、生徒が学ぶ場であると考えて、演習の時間の方を確保していくのがいいのです。
そして次に、三番目は先生の話です。
先生の話は、授業の中心ではありません。
先生がどんなに上手にいい話をしても、その話が心に残るのは生徒の一部です。
ところが、全員対話型の授業であれば、自分の話したことや、人から言われたことはそれぞれ全員の生徒の心に残ります。
しかし、生徒だけの話になると、話の流れのコントロールや、まとまりや、区切りなどがつけにくくなります。
そのまとまりや区切りをつけるのが先生の役割です。
だから、先生の話は三番目になるのです。
将来、寺オン作文の講師を目指す人は、こういう優先順位を頭の中に入れておくといいと思います。
▽参考CMソング
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子供たちに、ほかの人の発表に対する感想を聞くと、みんな、なかなかいいことを言います。
そして、言われた人と言った人の間に、明るいつながりのようなものができます。
これは、新しい発見でした。
しかし、考えてみれば、子供たちは遊びの中ではみんな自分たちでやりとりをしていたのです。
勉強だけは、先生が演出しないといい授業ができないような気がしていましたが、勉強も同じように子供たちで自然に楽しむことができるのだということがわかりました。
勉強を面白くする工夫は、教材にあるのでも、先生の教え方にあるのでもなく、生徒どうしの関係の中にあるのだということがわかってきました。
だから、勉強は、顔の見える少人数の中で行われるのが最もいい形なのです。
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わがままな子が増えているようです。
子供が、「いやだ」と言うと、親や周囲の大人が、その子に合わせて嫌でないことをさせてしまうのです。
昔のことわざに、「無理を言う親がいてこそ子は育つ」という言葉があります。
親孝行の子供は、理解ある親からではなく、無理を言う親から育つという意味です。
(今は、無理を言い過ぎる親も問題になっているようですが。)
毎日の生活には、やりたくないことが数多くあります。
宿題とか、片付けとか、手伝いとかいうものは、誰でも好きでやるものではありません。
それを淡々とできる子は、生まれつきそうなのではなく、そう育ってきたのです。
子供の中には、よくできた子がいます。
兄弟の多い家庭で、その子が下の子の面倒を見なければならない立場にいたような子は、よく気がつく子になります。
人間は、このような集団の力学の中で育っていきます。
子供の教育を考えた場合、生徒と先生の関係も集団の力学の中で形作られます。
マンツーマン指導というのは、はたから見ると、充実した指導のように見えますが、子供がわがままを言いやすい面があります。
それは、先生と生徒が一対一で向き合っているからです。
中国の一人っ子政策で、子供たちがわがままになったということと同じ原理が、先生と生徒の間でも働くのです。
しかし、先生が1人で、生徒が多数という一斉指導の場合は、集団の力学自体が弱くなります。
先生と生徒や生徒どうしの間に深い関係が生まれないからです。
寺子屋オンラインの少人数クラスの場合は、生徒が数人で先生が1人という関係になります。
すると、生徒どうしの間で集団の力学が働き、自然にどの子も前向きに取り組むようになります。
顔の見える少人数のグループを、一人の先生が見るという形のクラスが、最も教育に適した形態なのです。
言葉の森が、作文クラス、発表学習クラス、自主学習クラスで、少人数のオンライン学習を進めるのは、こういう背景があるからです。
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今のオンライン教育は、いかに面白く魅力的な教材を見せるかというところに力点が置かれています。
確かに、知識を習得するだけなら、それでいいのです。
しかし、それは結局、テレビでためになる番組を見ているのと変わりません。
そこからは、子供が主体的に何かに取り組もうという意識は生まれません。
子供の教育で大事なのは、教材よりも、同じ勉強をする子供の仲間なのです。
不登校の子が増えています。
学校自体は、行っても行かなくても勉強の面では問題はありません。
今は、いい教材があるので、自宅でやれば学校よりも能率よくできるようになるからです。
しかし、子供たちは、学校で集団の人間関係を学びます。
集団と言っても、20人や30人の集団ではありません。
自分が身近に接することのできる2人から5人ほどの集団です。
寺子屋オンラインクラスは、将来そういう不登校の子の受皿にもなると思います。
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この春から本格的に開始したオンラインの作文クラスと発表学習クラスが軌道に乗ってきました。
そこで、この6月からは、同じオンライン方式の全教科学習クラスを開始する予定です。
現在行っている自主学習コースは、個別指導の形態の学習ですが、これを全員対話型の少人数クラスとして運営していく予定です。
全教科の学習を進めますから、言葉の森は学習塾と似てきますが、既存の学習塾と違うのは次の3点です。
第一は、自主学習という形で勉強を進めることです。
これまでの塾で行われている学習の多くは、先生が教える形です。
すると、ある生徒にとっては既にわかっていることを教えられる一方、よくわからない生徒にも同じペースでしか教えてもらえないという状態が生まれます。
わかる子にとっては無駄があり、わからない子にとっては不十分な授業になることが多いのです。
そして、教わったことの理解を定着させるために、一般に大量の宿題が出されます。
この宿題も、既にできている生徒にも同じ宿題が出される一方、できない生徒にも同じ宿題しか出されません。
その結果、学習に無駄が生まれ、時間がかかるわりに力がつくのが遅れるという状態になるのです。
自主学習では、解説の詳しい参考書や問題集をもとに、自分ができないところを中心に勉強を進めます。
学習を定着させるのは、大量の宿題ではなく、同じ教材を繰り返し学習することです。
学力をつける最も効率のよい方法が、この同じ教材を繰り返し学習することで、それは自主学習によって初めて可能になるのです。
第二の違いは、生徒どうしが創造的なコミュニケーションをとる形で学習を進めることです。
塾で教わる勉強は、答えのある勉強です。
先生が答えを知っていて、生徒が答えを知らないという知識の差があるから、授業が成り立ちます。
すると、生徒の立場は、いかに早く正しく先生が求めている答えを見つけるかという競争の中に置かれるようになります。
この競争の中でのコミュニケーションにも、もちろん楽しい面がありますが、それは受け身の楽しさです。
創造的なコミュニケーションとは、生徒が自分で問題を作り発表するような中で生まれる生徒どうしのコミュニケーションです。
演習の時間も確保しながら、この創造的なコミュニケーションを生かすことによって、生徒の間に人間的なつながりが生まれます。
この人間的なつながりが、学習の意欲に結びついていくのです。
こういう創造的なコミュニケーションという形の学習ができるのは、全員が対話できる規模の少人数でクラス編成を行っているからです。
第三の違いは、家庭との連携が深くなることです。
学習塾では、生徒が塾に通うという形ですから、講師と保護者との間の対話は、別に設定しなければできません。
また、通信教育では、そもそも紙の上でしか連絡が取れず、連絡が取れたとしてもそれは直接指導している先生とではありません。
自主学習クラスは、生徒が家庭からオンラインで参加するので、そのオンラインのつながりを生かして、そのままいつでも講師と保護者の間で話ができます。
小中学生のころは、生徒自身の自覚がまだないことが多いので、教える講師だけでなく保護者が子供の勉強状態を確認できる立場にいることが必要です。
講師と保護者の連携で大事なことは、短い時間であってもよいので、頻度を高くすることです。
自主学習クラスは、この講師と保護者の連携が極めて容易にできるようになるのです。
以上のように、自主学習クラスは、(1)自主的な学習で実力をつけ、(2)創造的なコミュニケーションで意欲を高め、(3)家庭との連携でのそれぞれの生徒に合った学習方針を決める、ということができます。
受講料は、週1回45分間で月額3,240円です。
自主学習ですから、45分を超えていつまでもZoomの会場で勉強を続けることができます。
中学生の場合は、定期テストの前は長時間勉強するようになるので、その場合は、2時間でも3時間でもいくらでも時間を延長できます。
もちろん延長の費用はかかりません。
自主学習クラスは、週1回に限らず、勉強の習慣をつけるために週4回でも5回でも参加することができます。
勉強は、自宅でひとりで始めるのは難しいときがありますが、自主学習クラスに参加するというきっかけがあると、自然に始められるようになります。
自主学習クラスに参加するには、言葉の森の作文を受講していることが前提となります。
作文クラスで、これからの時代に必要な作文力、思考力、読解力をつけ、自主学習クラスで全教科の学力をつけるという組み合わせです。
また、学力に余裕のある人は、この二つのクラスに加えて、発表学習クラスで、個性と創造性のある学習を進め、東大推薦入試型の学力をつけていくとよいのです。(それは必ずしも東大推薦入試を目標とするということではありませんが)。
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最も能率のよい勉強法は独学です。
自分がよくわかっているところは飛ばして、自分がよくわかっていないところを繰り返し学習できるからです。
短期間で急速に成績を上げた人は、みんな例外なく、この独学の方法で勉強をしています。
しかし、独学には不安もあります。
自分のやっているやり方がいいのかどうか、結果が出るまでわからないからです。
また、独学はひとりで始める勉強ですから、勉強を開始するきっかけをつかみにくいという難点があります。
これをカバーするのが自主学習クラスでの勉強です。
この春から始めた作文クラスと発表学習クラスの運営が一応軌道に乗ってきたので、子供たちの学習のたぶんメインになる自主学習クラスを6月から始めることにしました。
言葉の森は、今後、作文教室という枠組みから脱して学校となります。
言葉の森学校です。
しかし、従来のような、先生が生徒に教えるだけの学校ではありません。
生徒の自主学習を進め、創造的な学力を育て、家庭と連携する新しい学校です。
これからは、もう詰め込みで成績を上げるような時代ではなくなるからです。
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4.4週の寺子屋オンラインクラスの動画をアップロードしました。
4週は、発表交流会なので、発表交流会に参加したあと、作文の人は清書を、発表学習の人は自由な研究に取り組んでいってください。
動画は、自由な研究のための参考資料です。
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4月20日と21日に行った読書読解作文キャンプの写真です。
子供たちがカメラを持って動画をたくさん撮ってくれたので、あとで参加者には見られるようにします。
今回も、上級生の子たちが、とてもよく手伝ってくれました。
作文発表会は、子供たちだけで司会やタイマー係をやってくれました。
▽北公園のどんぐり広場へ
▽ログハウスから見た公園
▽ログハウスで鬼ごっこ
▽途中でおやつ
▽また鬼ごっこ
▽どんどん登る
▽朝食後の朝の公園で遊び
▽作文発表会と読解検定の前
▽アスレチック
▽かなりワイルド
▽ふう、あつかった
▽よいしょよいしょ
▽タケノコもあった
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今回も、上級生の男の子と女の子がとてもよく手伝ってくれました。
作文発表会も子供たちだけでやったのですが、約1時間、みんなしっかり発表していました。
子供たちだけでも結構できるのだと感心しました。
今回は、朝2時ごろから起きる子がいて、みんなもそれにつられて自然に起き、かなり早起きのスタートになりました。
その状態で、作文発表会と読解検定をやり、そのあとアスレチックに行ったのですが、みんな元気いっぱいでした。
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最も能率のよい勉強の仕方は、いい教材を選び、その教材を完璧にマスターするために独学をすることです。
この方法で勉強すると、驚くほど短期間で成績が急上昇します。
しかし、この勉強法ができる人はほとんどいません。
いろいろな理由が考えられますが、いちばんの理由は、ひとりでやるのは不安だということだと思います。
そこで、多くの人が、塾や予備校を利用します。
それは、やむを得ない面がありますし、また塾や予備校はいろいろなデータを用意してくれるので、自分の位置を知る情報が豊富だというよい面もあります。
しかし、塾や予備校で教わる勉強のいちばんの弱点は、自分がもう学ぶ必要のないことまで教えられ、場合によっては宿題を出され、無駄な時間を過ごすことが多くなることです。
今の勉強は、時間をかけて量を増やせば成績の上がるものがほとんどですから、その大量の宿題や長時間の学習をこなした生徒は確かに成績が上がります。
しかし、その分、自分で考えたり工夫したり、あるいは読書をしたりという、自由で創造的な時間が少なくなってしまうのです。
また、教わる勉強のもうひとつの弱点は、本当は自分が繰り返し理解し納得して確実に自分のものにしなければならない部分の勉強を、わかりやすく教えてもらうことによって、わかった気になってしまうことです。
わかった気になると、本当にわかったことと、本当はあまりわかっていないことの区別がつかなくなります。
これが、成績が途中で止まってしまう最も大きな原因になるのです。
そこで、言葉の森が考えたのは、自主学習で全教科の学習を進め、その自主学習の進度をチェックするという方法でした。
この方法は、勉強にたいする自覚のある生徒には大きな効果がありました。
しかし、小学校低中学年のまだ勉強にあまり自覚のない生徒の場合は、自主学習だけでは先生に甘えてしまうことがありました。
その結果、できていないことをできたことにしたり、やっていないことをやっていることにしたりということも一部に出てきました。
これは、作文の勉強でも似た面があり、生徒と先生とのマンツーマンの指導では、自覚のない生徒は甘えてしまうことがあります。
そのひとつの例が、書くことを決めてこないとか、課題を読んでこないとかいう勉強姿勢です。
しかし、作文の寺オンクラスや、発表学習クラスの場合は、自覚して参加している生徒が多い面もありますが、どの生徒も、よく準備して授業に臨んでいます。
すると、初めて参加した生徒や、準備せずに参加した生徒も、ほかの生徒の積極的な姿勢を見て影響を受け、自然に本人も自覚的に勉強に取り組むようになる面がありました。
そこで、この集団の力学を、自主学習にもあてはめていくことを考えました。
具体的には、今のマンツーマンの形の自主学習を、グループという形で行うことです。
しかし、グループの時間が長くなると、肝心の自主学習自体の時間が少なくなってしまうので、基本は自主学習が中心です。
この新しい形の自主学習をするためには、担当の先生が、自分のアカウトでZoomの運営をする必要があります。
それは、メインルームとブレークアウトルームを使い分けて、グループ指導と個別指導を並行して行うためです。
このシステムができると、全教科の学力を自主学習という形できわめて能率よく進めていくことができます。
すると、学力をつけるためにわざわざ学習塾に行く必要はなくなり、自分のペースで余裕のある勉強ができるようになります。
そして、余裕がありながら、密度のきわめて濃い勉強時間を過ごせるようになるのです。
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独学できわめて短期間に成績を急上昇させた例は、世の中に時々紹介されます。
しかし、その例のほとんどすべては、それ以外の方法がなかったというやむを得ない状況に置かれたことによるものです。
だから、この独学の長所を、普通の方法として行えるようになるといいのです。
それが、自主学習という方法です。
アメリカで今広がっていて、将来性の期待されている学習法に、ブレンディッド教育というものがあります。・
これは、学校に通って、その学校でオンラインの個別授業を進めるという方法です。
日本でも、たぶん一部の学校で行われつつあると思います。
しかし、これはまだ過渡期の学習法です。
リアルとオンラインの二つの長所を組み合わせたような形になっていますが、リアルとオンラインの間に必然的なつながりはありません。
それは、もともとの問題が、リアルとオンラインの両立ということではなかったからです。
本当の問題は、グループ学習と個別学習の両立というところにあるのです。
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△公園にはもうこいのぼりが。
初日は、きら先生となむら先生が、飛び入り参加をしてくれました。
普段、画面でしか会っていない子とリアルな初対面。
子供たちも、「生身の先生を見た」などと言っていました。
そのあと、軽く運動のために、北公園どんぐり広場のログハウスで鬼ごっこ。
みんな、たっぷり走り回っていました。
ログハウスのあとは、おふろの王様へ。
つぼ風呂という狭い風呂に4人が詰めて入っていました。
お風呂から帰っったら、食事の前に作文。
名前・数字、会話、たとえ・ダジャレ・ことわざ、思ったことなどを入れて、学年の百倍の字数まで。
みんな、しっかり仕上げていました。
これは、21日の発表会で使います。
そのあとは、夕食。
いつものようにカレーライスです。
夕飯を食べたあと、夜の街に。
百円ショップでおもちゃを買って、夜は大騒ぎをしました。
なぜか早く寝る子が多く、9時半ごろには大体の子が寝ていました。
そのかわり、朝は2時ごろから起きる子がいて、ほかの子もつられて起きて遊んでいました。
21日は、9時から作文読書発表会、10時から読解検定です。
そのあと、アスレチックに行って、川遊びの予定。
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昨日からの合宿で、今朝は2時ごろから起きた子供たちが、朝9時から作文読書発表会をして、そのあと読解検定に参加です。
そして、これから、アスレチック。(トライアスロンかい)
一般に、男の子は、考えずに、面白そうだとすぐ行動する子が多いです。
そして、かなりの確率で失敗します(笑)。
それに対して、女の子は、面白そうなことでもまず周囲のことや先のことを考えるようです。
しかし、その分、チャレンジが弱くなる傾向があるようです。
それぞれの個性ある子供たちが、一緒に泊まって遊んだり勉強したりするというのは、勉強の教科の枠の中には入りませんが、ある意味で重要な勉強になると思います。
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普通、文章を書くときは、書きたいことを頭に浮かび、それを書き出すと、書いている中で次々と書きたいことがつながり、その書きたいことが行き着く先まで書くという形になると思います
こういう文章の書き方は、時間の余裕があるときしかできません。
だから、中学生や高校生になると、作文を書く時間を取るのが難しくなることが多くなります。。
書きたい気持ちはあるが、書き出すと1時間から1時間半はかかるので、つい後回しにしてしまうということが起きてくるのです。
このような書き方を、「書きながら考える」という書き方だとすると、もうひとつの書き方は、「考えてから書く」という書き方です。
自分の趣味で書くとか、個人的な日記を書くとかいうときは、書きながら考えるという書き方で十分です。
しかし、試験でテーマを与えられて書くという場合は、書きながら考えるという書き方は、出来不出来の差が大きくなります。
常に自分の実力を発揮して書くためには、考えてから書くという書き方が必要になります。
したがって、普段の作文の勉強も、この考えてから書くという書き方に慣れておくといいのです。
その方法が構想図を書くという方法です。
テーマに沿って自分で考えたことを、図のようにメモしていきます。
文章は、逐語的に一次元で進みますが、人間の考えは逐語的に行われるわけではなく、三次元で同時並行的に進みます。
だから、図のような感じで考えたことを書いていくといいのです。
一つのテーマに関しては、大体10分か15分あれば、考えがまとまります。
作文の骨格は、これでもう完成です。
構想図を書く書き方であれば、時間が取れないから書けないということはなくなります。
その構想図を文章化する場合は、音声入力が役立ちます。
構想図をもとに10分も話せば、1000字から1200字の作文が仕上がります。
誤変換の部分などの微調整には、大して時間はかかりません。
時間に追われる中学生や高校生は、作文を書く時間が取れないときは、この構想図プラス音声入力で作文を書いていくといいと思います。
この構想図と音声入力よりも、もっと簡単な方法もあります。
それは、自分が1200字の文章で書こうと思う内容を、四行の詩で書くという方法です。
日本には、短歌の文化がありますから、短歌で1200字の文章の内容を表現するということもできます。
しかし、短歌は字数の制約が多い分、作品としての完成度は増しますが、表現の自由度は低下します。
四行詩の基準は、四行で書くことだけです。
作品としても完成度を高めるために、その四行の中に必ず比喩か自作名言を入れるというふうにすることもできます。
更に、川柳に似てきますが、必ず「笑い」を入れるということもできます。
ある程度の制約を決めておいた方が、書きやすくなります。
中学1年生の4月1週の作文課題のテーマは、「あだなはよいか悪いか」でした。
これを600字から1200字の作文として書くことを考えると、1時間はかかるでしょうから、「大変だなあ」と思う人も多いと思います。
しかし、これが、構想図なら10分で仕上がります。
音声入力をすればもう10分、微調整をして完成させるのに10分で、合計30分で仕上がります。
ところが、四行詩なら、完成まで入れて10分程度です。
例えば、こんな詩です。(これが上手な見本というわけではありません。)
課題は、「あだなはよいか悪いか」
「ゴリラ、ブタ、サルなどというあだなは、みんなの笑いを誘うが、本人の笑いは誘わない。
言われた本人も笑って受け取れるようなあだながよいあだなだ。
しかし、笑いには多少の悪意が伴うという本質がある。
悪いあだなを自慢するぐらいの度量を育てることも人間の成長につながる。
みんながいいあだなだけで呼び合う集団は、ちょっと変だし(笑)」
中学生や高校生のみなさんは、時間がないから、何も書けないというよりも、構想図だけでもよいとか、四行詩でもよいとか割り切って、忙しいときの作文の勉強をこなしていくといいと思います。
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作文は、実際に書かなければ上達しません。
しかし、書くと、すぐに1時間ぐらいはたってしまいます。
そこで、「書きたいことはあるし、書こうと思えば書けるし、しかも傑作を書ける気がするが(笑)、時間がないから後回し」となってしまう人もいるのです。
その時間の制約を脱する方法が、構想図と音声入力と四行詩です。
「読書は豊かな人間を作り、対話は役立つ人間を作り、作文は正確な人間を作る」という言葉があります。
Reading maketh a full man, conference a ready man, and writing an exact man.(フランシス・ベーコン)
確かに、作文を書くと、考えが正確になります。
しかし、本当は、その正確さを土台にして創造が始まるところに作文の意義があるのです。
寺子屋オンラインの全員対話型のクラスでは、更に他の人の書いた作文が自分の新しい考えの創造につながることがあります。
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