高校生の今学期の課題フォルダに入っている読解マラソン集に、違う学年のものが入っていました。
課題フォルダを再送しますので、1.4週の読解問題は、新しい読解マラソン集が届いてから提出してください。
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「本物の教育」と「成績のための教育」は、二つの点で違っています。
第一に、本物の教育は学ぶことを楽しんで行われるという点です。例えば、子供が何かに興味を持ったとき、その興味を知的に伸ばしていくのが本物の教育です。成績のための教育は、子供の興味よりも、成績に結びつくようなところに知的な好奇心を誘導しようとします。形は似ているかもしれませんが、中身は大きく異なります。知る喜びという動機に立脚しているものは、心から楽しむことができます。しかし、成績のためという動機に根差しているものは、心から楽しめない面もあるので、どうしても周囲が頑張らせて無理をさせるという状態にしがちです。
第二の違いは、競争の有無です。本物の教育は、自分に学力がつくことが嬉しいように、相手に学力がつくことも同じように喜べます。なぜかというと、自分が相手に新しいことを教えてあげられるように、相手からも自分の知らない新しいことを教えてもらえるからです。つまり、創造的な人が多ければ多いほど、世界も自分も相手も豊かになるということです。これに対して、成績のための教育は、相手との競争を前提としています。ですから、自分の成績が良いことは嬉しいことですが、相手の成績が良いことは必ずしも嬉しいことではありません。このような競争状態は、やはり人間の本来の姿としてはゆがんだものです。
本物の教育を行う一つの方法として、言葉の森の長文を活用することができます。
例えば、小学校の低学年の子供が長文を呼んでいるとします。長文の内容は科学的なものが多いので、子供は必ず途中で疑問を感じたり、よりくわしい知識に興味を持ったりしてきます。そのときに、お父さんやお母さんがその長文の内容に関連した面白い話をあらかじめ勉強しておいて、子供と一緒に実験をしたり、旅行したり、話し合いをしたりするのです。低学年のころであれば、お父さんやお母さんが、子供たちの知的好奇心を刺激することは比較的簡単にできます。家庭で行う簡単な理科実験ができれば、わざわざ理科実験教室に通う必要はありません。もちろん通える人は、通っていいのですが。
小学校低学年のころに、そのような知的対話の文化を家庭の中に作っておけば、親子の対話が少なくなる小学校高学年や中学生の時期になってからも、親子の対話を継続できます。なぜ小学校高学年から親子の対話がなくなるかというと、親と子の間に共通の話題がなくなるので、親が子供に対して言う言葉が成績の話だけになってしまうからです。また、中学生や高校生になってから、子供の知的好奇心を刺激するような面白い話を親が準備するのはかなり大変です。
アインシュタインは、学校も習い事も嫌いでしたが、家庭での家族との話の中で自分の知的好奇心を豊かに育てていきました。
エジソンは、学校に通いませんでしたが、図書館の本と母親の用意してくれた理科の実験器具で自分の知的生活を豊かにしていきました。
アインシュタインやエジソンとは全然違いますが、私の家の例です。子供が小学生のころ、何かの本を読んで、忍者の使っていた干し飯(ほしいい)を自分でも作りたいと言い出しました。早速、干し飯作るために、ご飯を薄く広げて屋根の上で乾かしました。しばらくたって見に行くと、家にすみついていた野良猫がそのご飯をほとんど食べていました。こうして干し飯作りは失敗しましたが、興味のあることがあったら実験してみるという気持ちは子供の中で育っていったと思います。こういうことをしていても、学校の成績は上がりません。しかし、成績よりも大事な生きる姿勢のようなものができていくと思うのです。
本物の教育を行うもう一つの方法は、作文です。作文の課題の中には、準備した方がよく書けるというものがあります。例えば、題名課題です。「玉子焼きを作ったこと」とか「虫をつかまえたこと」などという題名があったときに、その題名に合わせて、家庭で日曜日のイベントを計画します。
現実には、いろいろと面白い体験をさせても、子供はそのことを上手に作文に書くわけではありません。逆に、親が拍子抜けするほどあっさりとしか書かないのが普通です。しかし、その体験は、確実に子供の心を成長させていきます。
また、言葉の森の課題の多くに、「家族に聞いたこと」や「調べたこと」という項目があります。例えば、「私の好きな遊び」という題名で作文を書くときに、子供が、お父さんやお母さんや、又は、田舎のおじいちゃんおばあちゃんに、子供のころどういう遊びが好きだったかを取材するのです。遠くに住んでいるおじいちゃんやおばあちゃんであれば、電話で取材してもいいでしょう。子供は、身近な人から話を聞く方が、本を読んで勉強するよりもずっと深くその内容を記憶に定着させます。
これらのことが具体的にテストの成績にどのように生かせるかと言えば、それはほとんど意味がないでしょう。しかし、子供が将来、自分らしい創造的な考え方をしようとするときに、それらの経験がじわじわと生きてくるのです。
現在のテストのほとんどは、成績の差をつけることを目標として作られています。したがって、テストに合わせた勉強は、差をつけることを目標とした勉強になりがちです。それは、本来の勉強とは、やはりかなり違ったものです。そのことを、人生経験豊富な親が深く理解して、子供の勉強の方向を修正していく必要があります。
学習塾は善意でみんなの成績を引き上げようとしています。特に小さい学習塾では、教える先生が情熱をもって子供たちの成績を上げることに取り組んでいます。ですから、塾の批判をすることが本意ではありませんが、学習塾の時間が長くなればなるほど、家庭での文化的な生活は少なくなっていくのです。塾で長時間勉強するよりも、家庭で自分のペースで勉強して、食事のときに、両親と知的で面白い会話を楽しむという余裕のある方が、子供たちの本当の学力にとっては大きなプラスになると思います。
(この文章は歩きながらICレコーダーに録音したものをamivoiceでテキスト化したものです)
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文部科学省は1月21日、全国の小学5年生と中学2年生を対象に実施した「全国体力運動能力運動習慣等調査(全国体力テスト)」の結果を公表しました。
これを見ると体力上位県は、秋田県、石川県、福井県などとなっています。また、言い方はよくありませんが、下位県は、北海道、東京都、大阪府、福岡県などとなっています。福井県や秋田県は学力テストでも上位の成績でした。体力テストの下位の県と学力テストの下位の県も比較的共通しています。
学校教育における教員の力量の差は、たぶんほとんどないと思います。逆に、学習塾などの充実度は、都市部の方が高いはずです。原因が学校でも塾でもないとすると、帰するところは家庭の教育力になるのではないかと思います。
これは、小中学校にとどまらず、もっと上の高校や大学でも、同じようなことが言えるようです。聞くところによると、地方の公立高校出身者を高く評価する大学の先生が多いということです。
首都圏の私立高校の出身者とまとめていうと語弊があるかもしれませんが、受験のコツを知っているために、そのコツの延長で勉強に取り組んでしまっているのではないかと思うのです。そこでの勉強の目的は、点数を上げることであって、学力を深めることではないことが多いのです。
例えば、塾などでは、テストの成績を上げるために、時間切れになりそうなときや問題がよくわからないときは、とりあえず空欄を埋めておけという指導をします。しかし、わからないところは空欄のままにして×にしてもらった方が本当の実力がつきます。同じように、できない問題は飛ばしてできる問題から取りかかるという指導もよく行われています。しかし、長い人生では、できない問題に取り組むことこそが本当に価値のあることで、それがその人の実力につながことが多いのです。また数学の問題では、解法のパターンを理解することで成績が上がります。しかし、本当の学問の世界は、自分で創造的に考えるという姿勢が必要とされます。
本当は、この点数を上げるためのテクニックと、学力を高めるための勉強を、両方使えることが理想なのでしょう。少なくとも、テストの成績を上げるテクニックだけの勉強は空しいと思う感覚が必要です。塾におけるテストのための教育という偏りを是正するのが、家庭教育の役割になると思います。
これは推測ですが、学力テストや体力テストの上位の県では、家庭の中で、決まったことを毎日同じようにきちんとやるという文化があるのではないかと思います。そういう家庭では親子の間にちゃんとした対話があり、家庭における生活時間の流れも安定したものになっているでしょう。
私自身、これまでいろいろな子の成長を見てきました。その中には、小学生のころ成績がよくて、中学高校と上がるにつれてだんだん平凡になっていく子もいました。逆に、小学生のころはマイペースで、自分の好きなことばかりしていて成績はあまりよくないのに、中学高校と上がるにつれて、ぐんぐんと力をつけていった子もました。もちろん、人生は長いので、それらの子供たちはこれからの自覚と努力でまたいろいろな形に大きく変化していくと思います。
大事なことは家庭の中で、常に本物の教育ということを考えて子供たちを育てていくことだと思います。
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
(急いで書いたのでうまくありません)
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小3の12.4週問1の読解問題の答えは、4ではなく2でした。
「A 清作(せいさく)がやけどをした当時、くっついた指(ゆび)をなおせる医者(いしゃ)はどこにもいなかった」は、×ではなく○です。
小3の問1だけ、極端に正解率が低く、小3の保護者の方から指摘していただき、解答ミスがわかりました。
現在、山のたよりでは点数は正しい形に直っています。
小3のみなさん、申し訳ありませんでした。<(_ _)>
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作文の勉強の流れを構成図で表してみました。
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暗唱でなぜ頭がよくなるのかということについて、理論と実例を述べてみたいと思います。
まず、理論の世界では二つのことが考えられます。
第一は、日本語を繰り返し音読すると脳波がΘ波になるということです。これは、私(森川林)も実験をして確かめたことがあります。大阪大学の政木氏は、昔パラメモリーという装置を作っていました。これもやはり、脳波をΘ波化するもので、頭をよくするという効果があるということでした。現在、残像訓練でも脳波がΘ波になりやすいということが科学的に確かめられています。これは既に、スポーツの分野で利用されているようです。
日本語を音読することによって脳波が変化するというのは、私は母音言語の特徴なのではないかと思っています。母音言語は世界の中で日本とポリネシア地域にしかないと言われています(ポリネシアというのは、ハワイ、ニュージーランド、イースター島を結んだ三角形の中の地域です)。そういう背景があるので、日本には念仏を唱えるという文化があるのではないかとも考えられます。しかし、以上の話はまだはっきりとは検証できていないものですから、今後更に研究する必要があります。
第二は、もっと根本的な理論です。人間の思考力のほとんどは言語的な思考力だと思います。このほかに、数学的な思考力というものもありますが、これもその仕組みは同じです。言語による思考力があると、物事を平面的、羅列的に見るのではなく、構造的にとらえることができるようになります。この構造的なとらえ方を、その場限りの単なる知識的な理解に終わらせず、手足の一部のように自由に使えるようになるところに暗唱の意味があります。つまり、物事を構造化する能力が、確実に自分のものになっているということです。
これは数学の勉強を考えるとわかりやすいと思います。数学の得意な人は、反復練習によって数学的な考え方が自分の身体の一部のように自由に使えるようになっています。そこで、苦手な人からみると、数学の得意な人は理解しがたいひらめきがあるように見えるのです。
次に、具体例を三つあげたいと思います。
第一は、湯川秀樹の例です。湯川秀樹は、「旅人」という自伝の中で、自分の子供のころの勉強の様子を書いています。それによると、小学1年生のころ、祖父から論語の素読をさせられたそうです。それが後年、自分が本を読むときに大いにプラスになったと述懐しています。
第二は、貝原益軒です。益軒は、江戸時代に80代という高齢で「養生訓」や「和俗童子訓」という著書を著しました。それだけにこの書物は、人生経験の裏づけを持つ説得力のある内容となっています。益軒の思想は、当時の日本のかなり田舎の方にまで広まっていたそうです。たぶん、このことが、教育を重視する日本の国民性の土台の一つになったと思います。彼は、その著書の中で、四書五経などを毎日100字分100回暗唱することをすすめています。そして、これは子供の勉強に限らず、大人にとっても大きな効果があると述べています。
第三は、現代の例です。言葉の森では、昔、長文音読のほかに短文暗唱もしていました。この短文暗唱を小学校低学年のころから真面目にやっていた子は、確かに頭がよくなりました。ただし、頭のよさと学校の成績は、普段は一致しない面もあります。学校の勉強は、その場でその場で真面目にやっている子の方が成績がよくなるからです。ところが、受験勉強などを本格的に始めると、頭のよい子は、すぐに成績が上がってきます。例えば普段のクラスの成績は40人中10番ぐらいだとします。ところが、受験の時期に入り本格的に勉強しだすと、半年か1年ぐらいで学年のトップクラスなってしまうのです。
今、暗唱を始めた子は、これからだんだん大きな成果が出てくると思います。ただし、家庭での学習で、暗唱のほかに大事なこともいくつかあります。それらは、読書、対話、愛情のある生活です。(つづく)
(この文章は、構成図をもとに音声入力した原稿をamivoiceでテキスト化したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
(急いで書いたのでうまくありません)
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大学入試センター試験の問題は、理詰めで解くように作られています。
勘で選択肢を選ぶのではなく、どの部分が妥当でないかを考えて、妥当でない選択肢を消去して残ったものを正解として選びます。
点数が低かった人は、下記の例を参考に、過去問で練習していきましょう。
第1間
次の文章を読んで、後の問い(間1〜6)に答えよ。
私の住む東京都品川区の旗の台の近辺では子どもたちが普通の隠れん坊をすることはほとんどない。そのかわりに変型した隠れん坊はしばしばおこなわれている。商店街の裏手の入り組んだ路地や、整地中の小工場の跡地や、まだ人の入っていない建て売り住宅の周りや、周囲のビルに押しつぶされそうな小公園で、子どもたちの呼び方では「複数オニ」とか「陣オニ」といった隠れん坊の変り種が生き延びている。その変り種のなかでも、かんけりは子どもたちに好まれている。
「複数オニ」とは、その呼び名のとおり、見つかった者すべてが見つかった時点でオニに転じて、複数のオニが残りの隠れている子どもを探す隠れん坊である。
「陣オニ」の場合は、立木でも塀の一部でもよい、オニが決めた「陣」にオニより早くタッチすればオニになることから免れる。ただし、かんけりと違って、助かるのは陣にタッチした本人だけである。
子どもたちが集まって何かして遊ぼうとするときに、隠れん坊をしないで「複数オニ」や「陣オニ」をすることには見過ごし難い意味がありそうだ。隠れん坊は、■a藤田省三が「或る喪失の経験——隠れん坊の精神史——」という論文(『精神史的考察』平凡社、一九八二年、所収)で述べたように、人生の旅を凝縮して型取りした身体ゲームである。オニはひとり荒野を彷徨し、隠れる側はどこかに「籠る」という対照的な構図はあるけれども、いずれも同じ社会から引き離される経験であり、オニは隠れていた者を見つけることによって仲間のいる社会に復帰し、隠れた者もオニに見つけてもらうことによって擬似的な死の世界から蘇生して社会に戻ることができる。隠れん坊が子どもの遊びの世界から消えることは、子どもたちが相互に役割を演じ遊ぶことによって自他を再生させつつ社会に復帰する演習の経験を失うということである。■Aたしかに「複数オニ」や「陣オニ」はおこなわれているけれども、それらはもはや普通の隠れん坊の退屈さを救うためにアクセントをつけた、といったていどのことではない。
■b小学六年生の男の子から聞いた話を翻案すれば、「複数オニ」の演習の主題は裏切りである。オニが目をつぶってかぞえている間に子どもたちはいっせいに逃げる。それぞれ隠れ場所を工夫しても、同じ方向に逃げれば、近くにいる者同士は互いにどの辺に隠れているかを知っている。そのとき一方が見つかれば即座にオニという名のスパイに変じて、寸秒前に仲間だった者の隠れ家をあばくことになる。近くに隠れた者との仲間意識は裏切り・裏切られる■(ア)コウジョウ的な不安によって脅かされている。連帯と裏切りとの相互■(イ)ヘンカンが半所属の不安を産み出し、その不安を抑えこもうとして、裏切り者の残党狩りはいっそう苛酷なものになる。オニは聖なる媒介者であることをやめて秘密警察に転じ、隠れる側も一人ひとりが癒し難い離隔を深めつつ、仲間にスパイを抱えた逃亡者集団と化す。
「陣オニ」について、さきほどの少年は「自分だけ助かればよい」ゲームだという。「陣オニ」の本質をいいつくした説明であろう。「陣」になる木や石は、元来呪的な意味をもち、集団を成り立たせる中心であった。だが今日子どもたちのおこなう「陣オニ」では、「陣」は社会秩序そのものであり、「陣」に触れることは、自分を守ってくれる秩序へのコミットメントを競争場裡で獲得すること、選良の資格を手にすることである。社会秩序の中心と私的エゴイズムとを結びつけるための単独行的な冒険ということが、「陣オニ」の演習の本義なのだ。
隠れん坊の系譜をはずれた身体ゲームのなかで子どもたちに好まれている遊びは「高オニ」である。「高オニ」は、土の盛り上がったところ、石段の上部、ブロック塀の上など、オニの立った平面よりもより高い位置に立つことによってオニになることを免れる遊びで、鬼ごっこの一種と考えられる。この遊びの演習課題は、人より高い位置に立つこと、より高みをめざすことがポイントである。
「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」のような戸外の遊びに飽きた子どもたちは、子ども部屋に閉じこもって「人生ゲーム」に興じる。「人生ゲーム」は、周知のように、金を操作することによって人生の階段を上昇することを争うゲームである。ルーレットをまわすたびに金が動く。人生の修羅場をくぐって他人を蹴落としながら、自動車を買い、会社に入り、結婚し、土地を買い、家を建て、株を売買する。こうして最終的に獲得した財産の■(ウ)タカに応じて、その人の人生の到達度が量られる。成功の頂点は億万長者、ついで社長で、最底辺は浮浪者である。その間に万年課長とか平社員とかレーサーといった地位・職業が位階づけられて配列されている。
■B「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」の行き着く先が「人生ゲーム」といえるのではないか。これらのすべての身体ゲームが共通のコスモロジーをもっている。それは、私生活主義と競争民主主義に主導された市民社会の模型としてのコスモロジーであり、また、産業社会型の管理社会の透視図法を骨格にもつコスモロジーでもある。これらの身体ゲームを通して、子どもたちは現実の社会への適応訓練をおこない、おとなの人生の写し絵を身体に埋め込むのである。
もとより玩具産業が次から次へと繰り出して見せる新しいゲームの魅力に子どもたちは抗し難い。ひとり遊びに子どもを引き入れるゲーム・ウォッチ、列強に分かれて太平洋戦争を再演してみせるシミュレーション・ゲームに子どもたちの関心が移れば、「人生ゲーム」は「クラシック」なゲーム、「ダサイ」遊びになってしまう。だが、たび重なるモデル・チェンジにもかかわらず、幻想的に上演されるゲームは、限定された同じコスモロジーを浮かび上がらせる。子どもたちに目先の関心を変えさせ、次から次へと飽きさせることもまたこの商業主義のコスモロジーの特徴である。子どもたちは飽きることの中毒症にかかったようなものだ。しかし、とことんまで飽きたとき、ふと、■C飽きることに飽きてしまう一瞬が子ゼもたちを訪れる。密室で、とにかく他人を打ち負かすありとあらゆるゲームに熱中していた子どもたちが、思い出したように外へ出てくることがある。そのときボールがあれば、三角ベースやサッカーが始まることもあるだろう。何もなくからだだけあるとき、「陣オニ」や「高オニ」が思い出されるだろう。だが、飽きることの煉獄から戻ってくるとき、子どもたちは管理社会のコスモロジーそれ自体に飽きているのだ。「陣オニ」や「高オニ」に同構造のコスモロジーを感じ取れば、子どもたちのからだは急速に熱中度を失う。
子どもたちのからだの慣性が、意図しないで管理社会のコスモロジーを引き寄せてしまう。累々たる管理社会のコスモロジーの山だ。だが、その間隙をぬうようにして、同じからだの慣性がもう一つのコスモロジーに出会う場合がある。もう一つのコスモロジーが憑きやすい遊びは、からだの集まりが相互性を帯びるときに思い出される。かんけりはそのような身体ゲームの一つである。
かんけりはね、かんを思いっきりけっとばすときが気持ちいいんだよ、と小六の男の子はいう。輪の中心に置かれたあきかんに吸い寄せられるようにして、物陰から物陰へと忍び寄っていく。背を見せたオニとの距離を見切ったとき、もうからだは物陰からとび出している。オニが■(エ)モウゼンと迫ってくる。オニのからだとほとんど■(オ)コウサクするようにしながら、一瞬早くあきかんの横腹を蹴る。あきかんが空中をゆっくり弧を描いてくるりくるりと舞うとき、時よとまれ、とでも叫んでしまいそうな快感が押し寄せ、同時に「私」という名の何ものかが音もなく抜け出していき、とても身軽になったからだだけが残される。もっとも、いつもそんなにうまく蹴れるわけではない。しばしばかんはさわがしい音をたてながら舗道を転がっていったり、二、三メートル先の芝生にぽとんと落ちてとまったりする。それでもかんを蹴った喜びには変りない。
かんを蹴るとき、人は市民社会の「真の御柱」を蹴る身ぶりを上演している。輪が市民社会を示すとすれば、かんは秩序の中心であり、管理塔でもある。子どもたちはかんを蹴ることによって、家、学校、塾、地域、社会一般、そして自己内面の管理社会のコスモロジーに蹴りを入れているのだ。
小六の少年はまたいう。かんけりは隠れているとき、とっても幸福なんだよ。なんだか温かい気持ちがする。いつまででも隠れていて、もう絶対に出て来たくなくなるんだ。管理塔からの監視の死角に隠れているとき、一人であっても、あるいは二、三人がいっしょであっても、羊水に包まれたような安堵感が生まれる。いうまでもなくこの「籠り」は、管理社会化した市民社会からのアジール(避難所)創建の身ぶりなのだ。市民社会からの離脱と内閉において、かいこがまゆをつくるように、もう一つのコスモスが姿を現してくる。それは、胎内空間にも似て、根源的な相互的共同性に充ちたコスモスである。おとなも子どもも、そこで、見失った自分の内なる<子ども>、<無垢なる子ども>に再会するのである。
小六の男の子は最後にもう一つつけ加えていう。かんけりは「陣オニ」と違ってほかの人を救おうとするの。自分も救われたいけれど、つかまった仲間を助けなくちゃって、夢中になるのが楽しい。だけどオニは大変だな。オニは気の毒だから何回かかんを蹴られたら交替するんだ。実際、かんけりでは、隠れた者は誰もオニに見つかって市民社会に復帰したいとは考えない。運悪く捕われても、勇者が忽然と現れて自分を救出してくれるごとを願っている。■D隠れた者が囚われた友を奪い返して帰って来ようとするのは、つねにアジールの方、市民社会の制外的領域である。オニが「気の毒」であるのは、オニが最初から市民社会の住人であるかぎり、隠れた者を何人見つけても、そのことで自分が市民社会に復帰するドラマを経験しようがないからである。隠れる者は市民社会では囚われ人以外ではなく、したがって、オニは管理者であることをやめることはできない。
(栗原彬「かんけりの政治学」による)
間1 傍線部(ア)〜(オ)の漢字と同じ漢字を含むものを、次の各群の(1)〜(5)のうちから、それぞれつずつ選べ。
(略)(「恒常的」「変換」「多寡」「猛然」「交錯」。全部漢字で書けるようにしておきましょう。)
間2 傍線部A「たしかに『複数オニ』や『陣オニ』はおこなわれているけれども、それらはもはや普通の隠れん坊の退屈さを救うためにアクセントをつけた、といったていどのことではない」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の(1)〜(5)のうちから一つ選べ。
(1)「複数オニ」や「陣オニ」は、子どもたちがいくつもの役割を相互に演じ遊ぶ点で、従来の隠れん坊の枠をこえた、人生の行程が凝縮して経験される苛酷な身体ゲームになってしまっているということ。(枠を超えたというよりも単に異なった。人生の行程の一部しか凝縮されていない)
(2)「複数オニ」や「陣オニ」は、オニに捕まった者も助かる契機が与えられている点で、従来の隠れん坊にはなかった、擬似的な死の世界から蘇生する象徴的意味を内包してしまっているということ。(陣オニには助かる契機はない)
(3)「複数オニ」や「陣オニ」は、オニも隠れた者も仲間のもとに戻ることが想定されていない点で、従来の隠れん坊の本質であった、社会から離脱し復帰する要素を完全に欠いてしまっているということ。(おかしいところがないから◎)
(4)「複数オニ」や「陣オニ」は、子どもたちの自由を制限するさまざまなルールが付加されている点で、従来の隠れん坊とは異質な、管理社会のコスモロジーに主導された遊びに変質してしまっているということ。(自由を制限するということではない)
(5)「複数オニ」や「陣オニ」は、隠れた者も途中でオニに転じることになっている点で、従来の隠れん坊の本義であった、相互の役割を守りつつ競い合う精神からは逸脱してしまっているということ。(陣オニはそうはなっていない)
間3 傍線部B「『複数オニ』『陣オニ』『高オニ』の行き着く先が『人生ゲーム』といえるのではないか」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の(1)〜(5)のうちから一つ選べ。
(1)「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」において他者からの不信感を払拭するすべを学ぶことが、金銭によって運営される市民社会を模した「人生ゲーム」へとつながっていくということ。(そんなことは書いていない)
(2)「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」において他者から疎外される寂しさに耐えることが、他人を蹴落とし孤独に対処することが求められる「人生ゲーム」へとつながっていくということ。(そうは書いていない)
(3)「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」において他者と競争してより優位に立つ経験をもつことが、社会的成功を利己的にめざすことを目的とした「人生ゲーム」へとつながっていくということ。(おかしいところがないから◎)
(4)「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」において他者への不安と信頼の間での振る舞い方を身につけることが、より高い地位や職業を得ることをめざす「人生ゲーム」へとつながっていくということ。(そうは書いていない)
(5)「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」において他者とともに形成する社会秩序の不安定さを感じとることが、私生活主義を貫くことを必要とする「人生ゲーム」へとつながっていくということ。(そうは書いていない)
間4 傍線部C「飽きることに飽きてしまう一瞬が子どもたちを訪れる」とあるが、ここで子どもたちはどのような状態にあると筆者は考えているか。その説明として最も適当なものを、次の(1)〜(5)のうちから一つ選べ。
(1)たび重なるゲームのモデル・チェンジに関心を失った子どもたちは、ふと戸外での遊びを思い出すことによって、管理社会のコスモロジーとは異なるコスモロジーに参入することになる。(微妙だが、モデル・チェンジに関心を失ったのではなく、そういうゲームに関心を失った)
(2)次々に売り出される室内ゲームに魅力を感じなくなった子どもたちは、管理社会のコスモロジーを他の遊びにも感じ取ったとき、別のコスモロジーに基づいた遊びに向かう可能性を手にすることになる。(おかしいところがないから◎)
(3)玩具産業が提供する室内ゲームにも戸外での遊びにも飽きてしまった子どもたちは、他人を打ち負かすことの繰り返しを自省しはじめ、あらたなコスモロジーを身体性のうちに見いだそうとしている。(自省はしていない)
(4)商業主義のコスモロジーに気づいた子どもたちは、同時に管理社会のコスモロジーからも離脱していることになるので、あらたなコスモロジーが内包された遊びを楽しめるようになっている。(そうは書いていない)
(5)商業主義がもたらす遊びに関心をもてず管理社会のコスモロジーに飽きてしまった子どもたちは、別のコスモロジーに出会ったとしても、もはや遊びへの熱意を失ってしまっている。(そうは書いていない)
問5 傍線部D「隠れた者が囚われた友を奪い返して帰って来ようとするのは、つねにアジールの方、市民社会の制外的領域である」とあるが、それはなぜか。その説明として最も適当なものを、次の(1)〜(5)のうちから一つ選べ。
(1)隠れた者にとって、かんを蹴って友を助ける行為は仲間を哀れむ思いの高まりの結果であり、共同性を認めない社会から逃れることが、仲間を救う優しさをもち続けることを意味するから。(そうは書いていない)
(2)隠れた者にとって、かんを蹴って友を助ける行為はかんを蹴ることそのものに対する喜びに根ざしており、窮屈な市民社会から逃れることが、自己だけでなく他者をも再生できることを意味するから。(微妙だが、「根ざしており」がおかしい)
(3)隠れた者にとって、かんを蹴って友を助ける行為は心身が汚れていない自己の発見に起因しており、相互的共同性を強いる社会から逃れることが、多様な人生のあり方を見つめ直すことを意味するから。(そうは書いていあい)
(4)隠れた者にとって、かんを蹴って友を助ける行為は仲間との連帯感に基づくものであり、競争で相手を蹴落とす社会から逃れることが、安らぎのある共同性のなかに居続けることを意味するから。(おかしいところがないから◎)
(5)隠れた者にとって、かんを蹴って友を助ける行為は一人で生きる孤独への不安に由来するものであり、私生活主義を温存する社会から逃れることが、仲間とともにあり続けることを意味するから。(そうは書いていない)
間6この文章の特徴に関する説明として適当なものを、次の(1)〜(6)のうちから二つ選べ。
(1)波線部a「藤田省三」の論は「隠れん坊」に関する研究であり、この文章では同種の研究がいかに数多くなされてきたかを示すために取り上げられている。(そうは書いていない)
(2)波線部a「藤田省三」の論は筆者の論とは反対の立場からの考え方であり、この文章では筆者の論に対比される異論や反論の例として取り上げられている。(そうではない)
(3)波線部bのように「小学六年生の男の子から聞いた話」を取り上げているのは、「隠れん坊」や「かんけり」などの本質や特徴を体験談として語らせることで、筆者の論に現実性をもたせるためである。(おかしいところがないので◎)
(4)波線部bのように「小学六年生の男の子から聞いた話」を取り上げているのは、「複数オニ」をよく知っている子どもを登場させることで、大入と子どもの考え方の違いを浮き上がらせるためである。(そうではない)
(5)この文章は、「隠れん坊」や「かんけり」などの子どもの遊びがもつ本質的な意味や性格を表す比瞼として、現代人にとっての「市民社会」や「管理社会」を取り上げている。(比喩としてではなく、むしろ本格的に論じている)
(6)この文章は、「隠れん坊」や「かんけり」などの身近な題材・事実を取り上げることで、その背後にある現代人にとっての「市民社会」や「管理社会」がもつ意味や性格を説明しようとしている。(おかしいところがないので◎)
第2間 次の文章は、加賀乙彦の小説「雨の庭」の一節である。「彼」の一家墜長年住み慣れた家屋敷を手放して近所の高層住宅に引越しをした。以下の文章は、それから三か月ほど経った六月の雨の日、旧居を訪れた「彼」が、引越しの日に庭で燃やした焚火のあとを見ながら追憶にふける場面である。これを読んで、後の問い(間1〜6)に答えよ。
あらかた荷物の片付けが終ったところで弟がひとつサヨナラ・パーティをやろうじゃないかと提案した。三月半ば、春とはいえ寒波が襲った肌寒い日に一家眷族、つまり父と母、彼夫婦と息子、弟夫婦に姪と甥が八畳間に集った。彼と弟は酔って馬鹿陽気に笑いこけた。母は珍しく酒をすごし、息子たちの笑いに誘われて笑っていたのに、ふと顔を曇らせると声をあげて泣きはじめた。びっくりしたのは子供たちである。荷造りのすんだ段ボール箱や食器棚を利用して隠れん坊に興じていた子供たちはおばあちゃまの異変に立ちすくんだ。妙に白けた宴は、妻が気をきかして移り住む先のアパートの美質を、鍵一つで外出できるとか掃除が簡単だとかを語り始めたため再びさんざめいた。■Aそんな一同の動きに終始無縁でいたのは父である。父はみんなの会話からは全く取残され、一入黙々と料理をつついていたが、やがて縁側に立ち水虫の足裏の皮をむしり始めた。そんな父を弟がおひゃらかしたけれど父は動じなかった。耳が遠いからな、きこえんのだよと彼が大声で言っても父は振向きもしなかった。
その時父が何を考えていたかを彼はおぼろげに分るような気がする。父の七十年の全生涯はこの一軒の家で過されたのだ。それが今確実に消えようとしている、その気持を表現するとしたら黙り込む以外にないのかも知れない。
いよいよ当日になった。母に息子をあずけると妻は運送屋の指揮をひきうけた。荷物を選別しトラック内の場所を指定し、大の男たちを意のままに動かす、そんな妻の能力に彼は瞠目した。女たちの有能ぶりと対蹠的に男たちは無能であった。彼は塵芥を土間に掃きおろしたあとすることが見付からず、庭にぼんやり立っていた父の傍に並んで立った。いよいよおわりだな、と言うと父は頷き、それからあわてて家の中にあがりこんだ。しばらくして父は両腕に電球をかかえて出てきた。父は照れくさそうに、しかし相変らずにこりともせず、これだって残しておくのは惜しいからな、と言った。
庭に集めた塵芥をどうするかで彼は父と争った。どうせ他人に渡すのだからこのまま放置すればと彼が主張すると、きれいに片付けるのが新所有者への礼儀だと父は反論した。彼が制するのにかまわず父は塵芥の山に火を付けた。何かの化学製品のせいだろうか、物凄い黒煙が巨大な舌のように吹き出し、前のホテルの窓をなめた。ホテル側も驚いたのだろう、窓の閉まる音がし、支配人が抗議しに来た。恐縮した父は竹箒で火をたたいたり、塵芥の山をかきまわしたりしたが火勢はかえって募った。彼が風呂場に行きバケツに水をくんできた時は黒煙はやみ、通常の焚火となっていた。支配人は火の用心に配慮して欲しいとくどく念を押して帰った。
父と二人で火を燃やした。年の暮れになると焚火をする父を見慣れていたが、こうして彼が父の手助けをするのは幼年時代以降はたえてなかったことだ。■B彼は痩せて皺の深い、このところ年々小さくなってきた父の姿が火照った眼蓋の下でゆらめいているのを不思議に親密な思いで見た。
彼の父は或る生命保険会社に三十五年間勤めあげた。几帳面一方の勤めぶりで、しかも会社がおわるとまっすぐ帰宅し、母をして少しは遊んだらいいのにと嘆かしめたほどであった。もっとも模範社員としてなすべきことはしたのであって、つきあいのための麻雀とゴルフなどは十人並にやった。精勤の甲斐あってか五十歳をすぎて取締役となり、本社ビル新築の責任者になった。新しい会社ビルをつくるには先進国の立派な建物を見るにしくはなしというので社用の世界一周をした。満鉄の株にしてあった財産の大半を戦後に失った父にしてみれば、これは思いがけぬ恩典であった。出発の時の父の得意な顔を彼は忘れない。それは昔、自弁でベルリン・オリンピックを見に行った時の若い父の顔を髣髴とさせた。欧米各国の代表的保険会社を訪ね、数百枚のカラー写真をとり、帰国すると本社ビルの設計施工の総監督となり、盆暮には業者から山なす付け届けをもらい、その威勢はめざましかった。めでたく超モダンなビルが完成した時、父は六十歳の定年に達していた。取締役でもあり、ビル建築の功労者として何らかの特典を期待していた父は、つまるところ一介のやとわれ重役に過ぎず、すなわち何一つ特典のない一社員として退職金をもらい、大学を出てから無欠勤で勤めた会社を去らねばならなかった。
定年退職してから父は暇をもてあますようになった。とにかく何もせず終日家にいる■(ア)無聊に耐えられなかったのである。といって老人に適当な勤め口はおいそれとはなく、はじめ元重役であるからには月給十万円以下では■(イ)沽券にかかわるといっていた父も、やがて五万円でもいいと言いだし、ついには使ってくれれば給料は間題じゃないと泣き言を並べた。頼むべき知友とすべて会い尽し、あとは為すこともなく、終日家に居るうち父は急速に老けこんできた。八十キロもあった体重が五十キロ台に下り、体がすぼんだだけ皮膚の皺が増え、煙章を立て続けにのむので持病の喘息は悪化し、のべつ肉を引きちぎるような咳をした。まだそんな年でもあるまいに、あれじゃじじむさすぎる、と家人は話し合った。かつて熱中した麻雀やゴルフをすすめても、それらは会社員という地位に相応しい娯楽なので、失職中の身には何の魅力もなかった。
思えば父には何の趣味もなかった。若い頃には円本を律義に買い揃え、切手蒐集に精を出し、十六ミリや八ミリの活動撮影に凝った。中年以降は麻雀かゴルフで土日を費やすのが常であった。けれどもこれらの行為は時の流行に従ったのみで、いわば他人の真似であって、他入の消失した今となっては行為の動機が失われたのである。
父が或る小さな水銀灯会社の相談役として就職できた時の嬉しげな様子を彼はよく覚えている。父は若がえったようになった。食も進み適度の威厳を保つほどに肉もついたのである。しかし、十年ほど過ぎたこの頃、父は勤めが辛いとこぼしはじめた。相談役というのは実質的な仕事がなくで退屈であるし、午後になると我慢のならぬほどの睡気がおこり、欠伸の涙眼を若い社員から盗み見されるのが、実に辛いのだという。
彼は弟と相談し、すべての原因は父の老衰にあると結論した。会社をやめさせねばならないけれども、薄給で働くうち以前の退職金はあらかた使い尽していたから、いま住んでいる百坪の土地を売るより仕方がない、彼も弟も両親を養うに足るほどの収入はないからと話し合った。父は息子たちの意見に、お前たちのいいようにしてくれと言った。その困惑し疲労した表情は、小さくて無力な老人のそれであった。
黒ずくめの紳士の一行が来訪したのは、彼が不動産屋に行ってから数日後である。何でも金属問屋の健康保険組合の理事連とかで、理事長とかいう品のよい爺さんが名刺をくれた。突然のこととて洗い髪に白毛の目立つ母は顔を出さず、たまたま家にいた彼が案内役となった。
「木が沢山ありますな」理事長が言った。「この辺では珍しい」
■C「子供の時のぼった木です」そう答えると自分の個人的回想が相手には無縁のことと気付き彼は顔をしかめた。
しかし理事長は気さくに微笑した。「そうでしょうな。木というものは生きて愛着がありますからな」
理事長は今度は連れの事務長とかいう中年紳士に「これだけの木は保存したいものだな」と言った。事務長はうやうやしく頭を下げた。
不動産屋から例の健保組合が土地を買いたがっていると電話があったのはその翌日である。彼は会社にいる父にすぐ電話した。父は、「そうか、すぐ帰る」と言った。その声は上擦っていた。まさかこんなに早く土地が売れるとは考えていなかった父は、すっかり周章していたのである。
彼と父は弟を呼んで相談した。彼も父も世間知らずで、相手の金属問屋の組合がどんな団体でどの程度の信用を持つものやら見当もつかなかった。ゴム会社に勤めていた弟は、この点かなり頼りになる筈であった。期待に答えて弟は相手の組合がいくつかの大銀行に預金を持つ確実な資産の団体であることを調べてくれた上、不動産屋の仲介手数料が売値の三パーセントもあるのは高過ぎるからと不動産屋と渡り合い二パーセントにまけさせてしまった。
売買契約、内入金の受渡し、移転登記など、事が始まると事務的な操作があれこれと進み、彼は感傷を覚える暇がなかった。父も同じであったろう。忙しく過しているあいだに引越しの日がいつのまにか到来したという感じであった。
最後の焚火を燃やすことに父は夢中になり、あたりが夕闇に包まれてもやめようとしなかった。新居の片付けを終えた妻が心配して戻ってき、あちらに夕食の仕度ができているという母の言葉を伝えた。もう少しでおわると父は答え、彼が父の答を補強し、もう少しでおわるから先に食事をしていてくれと言った。塵芥を燃やしおえると二人は期せずして積みあげてあったガラクタに手を出した。一種狂暴な衝動が彼におこってきた。どうせ他人に壊されるなら障子や襖や、家の中の燃えるものはみな燃やしてしまいたくなったのである。荒々しく障子をはずし、火に投げこむ彼に対して父は身をよけただけで何も言わなかった。障子は刹那に炎上し、中央の硝子は砕け散った。■D障子をおえて襖に手をかけたとき彼は不意に空しさを覚えた。電球を取払われた暗い部屋に入ると彼は雨戸を閉め、窓に内側から鍵をかけた。まるで夜休む場合のように戸締りを入念にすると彼は勝手口から外へ出た。家中でそこだけが外から鍵をかけられる場所だったのである。
雨は燃えさしの墨を流していた。あの夜、暗いままに■(ウ)後片付けのはかは行かず、焚火に水をかけると帰ってきた、そのままの姿が雨にたたかれている。彼は自分の荒んだ心を剥き出しにされたような気がして眼をそむけた。それだけではない。荒廃し混乱した庭には静けさが微塵もなかった。雨に励まされた車の騒音がもろに空気をふるわせ、これも雨の日にかぎって地に這う排気ガスの悪臭があたりに充満していた。追憶にふけっていた彼はそれで目が覚めたように顔をしかめた。高層ビルの新居に移ってから忘れていたこと、いまの大都会で大通りに面した木造家屋がこうむるべき運命的な状況をまざまざと思いだしたからである。家を売ったのは(実際は土地を売ったのだが、彼はどうしても家を売った、と発想してしまう)、父の生活費を出すためだけではなくて、家が事実上住めなくなったからである。
間1傍線部め(ア)〜(ウ)の本文中における意味として最も適当なものを、次の各群の(1)〜(5)のうちから、それぞれべ一つずつ選べ。
(略)(「無聊」「沽券」「はかが行かず」意味がわかるようにしておきましょう)
間2 傍線部A「そんな一同の動きに終始無縁でいたのは父である」とあるが、「終始無縁」でいた父の心情について「彼」が想像した内容とはどのようなものか。その説明として最も適当なものを、次の(1)〜(5)のうちから一つ選べ。
(1)父は、七十年の歳月を過ごした家が自分の人生に結びついているので、引越しせず居続けたいと願っている。(それは不可能なので)
(2)父は、自分の家への愛着が家族の誰よりも深いことに気づき、陽気なパーティーの開催に違和感を感じている。(とは言えない)
(3)父は、七十年間を過ごした家がなくなると自分が生きてきたことの証も失われるかのように思い、心が沈んでいる。(おかしいところがないので◎)
(4)父は、手放す家のことを考えると感傷的になり、にぎやかな息子夫婦や孫たちの振る舞いを苦々しく思っている。(とは言えない)
(5)父は、自分の生涯と切り離せない家への思いが深く、その気持ちを家族に話しても理解されないと悲しんでいる。(とは言えない)
間3 傍線部B「彼は痩せて皺の深い、このところ年々小さくなってきた父の姿が火照った眼蓋の下でゆらめいているのを不思議に親密な思いで見た」とあるが、「彼」が父に対してそのような思いを抱いたのはなぜか。その理由として最も適当なものを、次の(1)〜(5)のうちから一つ選べ。
(1)久しぶりに焚火を手伝っていると、頑固な性格でありながら最後には周囲に合わせざるを得ない弱さをもった父が、なぜか今の自分と二重写しになって見えたから。(弱さをもった、という点が違う)
(2)「彼」の反対にもかかわらず塵芥を焼いて苦情を受けたように、頑ななために失敗をする父が、老いた今も昔と変わっていないと懐かしく思われたから。(とは言えない)
(3)生まじめで近寄りがたい父を手伝った幼いころの焚火の体験が、楽しい思い出として眼前によみがえってきて、年老いた父を意外なほど身近に感じたから。(とは言えない)
(4)父が生涯を過ごした家がなくなってしまうと思うと、今さらながら父が気の毒になり、社会的地位や富などを誇りにして生きてきた父への反発が薄らいだから。(とは書いていない)
(5)幼いころのように二人で焚火をするうちに、社会的地位もあり輝いていた父が、失意の時期を経て今は老い衰えていることに気づき、父がいとおしく思われたから。(おかしいところがないので◎)
間4 傍線部C「『子供の時のぼった木です』そう答えると自分の個人的回想が相手には無縁のことと気付き彼は顔をしかめた」とあるが、ここでの「彼」の心情はどのようなものか。その説明として最も適当なものを、次の(1)〜(5)のうちから一つ選べ。
(1)土地を下見するために訪れた理事長に対し、「彼」は思わず、家への愛着を秘めた樹木の思い出を語ってしまう。それが相手にはかかわりのない話題であることに気づき、自分の言動を苦々しく思っている。(苦々しくがちょっとおかしいが◎)
(2)見たままの印象を口にしたにすぎない理事長に対し、「彼」は軽率にも、樹木の生い茂った広い庭のある家への愛着を語ってしまう。土地の売買という目的からそれた発言が場の雰囲気を壊すことに気づき、困惑している。(とは言えない)
(3)早ばやと現れた買い手に応対した「彼」は、自分の気持ちを整理しきれないまま樹木にまつわる懐かしい思い出を語ってしまう。それが原因で売買に消極的であると誤解されるかもしれないと思い、成りゆきを危惧している。(とは書いていない)
(4)父母の代理として買い手に応対することになった「彼」は、慣れないやりとりのなかで、つい相手に関係のない樹木についての私的な記憶まで語ってしまう。それでも相手が不快感を示さなかったので、心苦しさを感じている。(時間の前後が違う)
(5)樹木に関心を示す理事長に好感をもった「彼」は、心を許して少年期から抱いてきた樹木への親密な思いを語ってしまう。それが行き過ぎた振る舞いであったことに気づき、恥ずかしさを感じている。(微妙だが、この選択肢も◎に近い)
間5 傍線部D「障子をおえて襖に手をかけたとき彼は不意に空しさを覚えた」とあるが、なぜ「彼」は「空しさを覚えた」のか。その理由として最も適当なものを、次の(1)〜(5)のうちから一つ選べ。
(1)感傷的な気分になった「彼」は、他の家族に背を向け父とともに塵芥を焼却していたが、家財を燃やすという行為によって家への愛情を示すことに何の意味も見いだせなくなったから。(とは書いていない)
(2)家財を処分しようとする律儀な父に反対する「彼」は、その一方で、父への同情の心から協力している自分を省みたとき、息子として家を受け継ぎ保持することができない無力さを感じたから。(とは書いていない)
(3)父と引越し後の片付けをしているうちに、いつしか家財を燃やすことに熱中していた「彼」は、それが家族それぞれが紡いできたこの家の歴史を消滅させることになると気づき、罪悪感を覚えたから。(とは書いていない)
(4)ひたすら家財の焼却を続けた父とは異なり、すべてを破壊したいという衝動から荒々しい行為に及んだ「彼」は、それが家を愛惜する自分のやるせない思いのはけ口にすぎないと気づいたから。(おかしいところがないので◎)
(5)新しい所有者への礼儀であるといって家財を処分し、社会的な体裁を取り繕おうとする父を批判する「彼」は、作業を早く終わらせようとして乱暴に振る舞う自分に対して嫌悪感を抱いたから。(とは書いていない)
間6この文章における表現の特徴についての説明として適当なものを、次の(1)〜(6)のうちから二つ選べ。
(1)この文章は、登場入物である「彼」の視点に寄り添いながらも、必要に応じ周りの人物の視点も取り入れて語られているので、それぞれの人物の心理が分かりやすくなっている。(一貫して彼の視点)
(2)本文中、「実際は土地を売ったのだが、彼はどうしても家を売った、と発想してしまう」の前後に()がつけられているのは、土地売買の現実を拒絶しようとする「彼」の思いを読者に説明するためである。(とは書いていない)
(3)本文の文末表現に着目すると、「のだ」「のである」といった文末がしばしば見られる。これは、主人公の「彼」の判断が客観的に見て妥当であることを示すためである。(そういうことは言えない)
(4)本文中の「体がすぼんだだけ皮膚の皺が増え」「のべつ肉を引きちぎるような咳をした」といった表現は、退職後の境遇のなかで急速に老化していった父の様子を効果的に描写している。(おかしいところがないので◎)
(5)この文章は、雨のなか庭にたたずんでいる時点から引越しの日を振り返り、さらに父の過去や引越しの手続きがあったことを振り返るというように、時間を重層化させた構成になっている。(おかしいところがないので◎)
(6)本文の会話表現に着目ずると、会話表現であっても「」がつけられているものと「」がつけられていないものとがあり、それはどの登場人物が話した会話かによって区別されている。(とは言えない)
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おかしいところがないので◎。だけでは解説とは呼べないと思います。文章のどの部分が根拠か示すべきではないでしょうか。あと第2問の問4は 好感を持った「彼」は心を許して の部分よりも「顔をしかめる」の意味を適切にとらえていない 恥ずかしさを感じている の部分を間違いの根拠に示した方が適切だと思います。
らたさん、詳しく読んでくれてありがとう。
選択式の問題は、合っているところの根拠を探すのではなく、合っていないところの根拠を探すのが基本です。(特に入試の場合)
だから、おかしいところがあったものを消去していって残った選択肢が◎です。
・「彼は好感を持った」
・「彼は心を許した」
という二つの選択肢があった場合、どちらも、そういうことは文章中から読み取れないから(そういうことはあり得るとしても)この選択肢は△です。
これが(5)が◎でないことの根拠になります。
この簡単な説明で、センター試験はみんな満点近い成績になります。
実際には、それぞれの生徒のできなかったところについてだけ詳しく説明するので、1人30分から1時間かかりますが。
しかし、わかる人は、このウェブの説明だけでもコツがわかると思います。
小説の5問目で、④「ひたすら家財の焼却を続けた父」という記述が本文のどこにあるのか教えてもらえませんか。本文中の「最後の焚火を燃やすことに父は夢中になり」には具体的に何を燃やしているのか書かれていませんし、「ガラクタ」は「家財」ではないと思うのですが。
やむさくさん、こんにちは。
確かに、燃やしたのは、「家財」ではなく「庭に集めた塵芥」です。だから、この選択肢は、◎というよりも?ですね。
しかし、その塵芥には、前の文にあるように、「(両腕にかかえてきた)電球」も含まれているようだし、その後の文にあるように「物凄い黒煙」を出すものなので、これを「(塵芥となった、かつての)家財」と考えてもいいのではないかということです。
幼いころのように二人で焚火をするうちに、社会的地位もあり輝いていた父が、失意の時期を経て今は老い衰えていることに気づき、父がいとおしく思われたから。
この選択肢には,「焚火をするうちに父が老い衰えていることに気づき」とありますが,「彼は弟と相談し、すべての原因は父の老衰にあると結論した。」とあるので,焚火の「うちに」気づいたのではなく,その前から気づいていると思うのですが。
シグレインさん、こんにちは。
「父の老衰にあると結論した」は、知的な結論。
「今は老い衰えていることに気づき」は、改めて実感したという感覚的な気づきです。
お答えありがとうございます。
ただ,消去法で答えを絞り込んで行くときに,これではやりにくいです。
改めて実感した。
という意味で出題者は意図しているのでしょうが,選択肢の書き方が悪いと思います。
焚火をするうちに老い衰えていることに気づき
という書き方では,「改めて」というニュアンスも「感覚的」というニュアンスも,出ていません。これでは,かなり無理をしないと『改めて実感した』とは(少なくとも私には)読み取れません。
(むしろこういう読み方をすると間違った選択肢を選ぶことが多いので,受験生にはできません)
釈然としませんが,所詮追試ですので,あまり追究しないことにします。
どうもありがとうございました。
追試ではありませんでしたね。
訂正します。
陣オニとは?
少なくともオニも隠れた者も仲間の元に戻ることが想定されていないということは、見つかったり見つけることを想定していない遊びということは分かるのですが...
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センター試験の国語は、原則として満点を取ることができます。
そのコツは、次のとおりです。
1、問題文は、理解できたところに線を引きながら、気合を入れて一気に読みます。
2、設問は、それぞれの選択肢のどの部分がおかしいかということとを×△?などで記号をつけていきます。
3、消去法で、×や△や?のなかったものが◎です。
もとになる学力は、ややこしく長い問題文を一気に読める読解力です。この読解力は、過去の国語入試問題集を復読(繰り返し読むこと)することで身につきます。
なぜ復読がいいかというと、文章の表現や構造が、単なる知識としてではなく自分の血や肉として消化されることによって、読む力が手足のように自由に使えるようになるからです。これは、実は、英語や数学など、他の教科の勉強とも共通する学力の本質です。
しかし、点数をよくするためには、消去法のコツをつかむことが必要です。
国語力と国語の成績の間には高い相関がありますが、センター試験や入試問題のように差をつけることを目的とした試験では、一致しない部分も大きくなります。
消去法の考え方を理詰めで説明してくれる先生に教わって、何年間分かの過去問を満点近くになるまで解いていきましょう。
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