寺子屋の基本は、読み書き算盤でした。
「なんだ。簡単だ。毎日、読み書き算盤をしていればいいなら家でもできる」と思った人は、人間の心理をわかっていません。
人間は、ロバではありません。ロバの耳になることはありますが。違うか。
家庭で毎日同じことを続けるのは、人間にとってはきわめて難しいのです。
湯川秀樹は、6歳のときから、祖父に四書五経の素読を教わりました。
それは、きわめて退屈で苦痛の多いものでした。
話によると、テキストには、同じように素読をさせられた兄たちの涙の跡も残っていたそうです。
では、なぜその退屈で苦痛の多い素読が、江戸時代の寺子屋では日常の学習として行われていたのでしょうか。
それは、子供たちがみんなで一緒に勉強していたからです。
勉強の基本は独学です。
一斉に教えてもらうことができるのは、みんなが同じようにレベルの低いときだけです。
学年が上がり、それぞれの個性と得手不得手が出てきたら、ひとりで勉強する形でなければ能率のよい勉強はできません。
その、ひとりで勉強することをみんなと一緒にやるのが自主学習クラスです。
この自主学習クラスは、広がれば広がるほど、同じようなレベルの人が一緒に勉強できるようになります。
しかし、そのためには、一緒に勉強できる人数を、全員の対話が可能な5、6人にとどめておく必要があります。
ここで、インターネットテクノロジーが必要になります。
古きよき日本の伝統を復活させるためには、新しい科学技術が必要なのです。
自主学習クラスの体験の初日で、いろいろなことがわかりました。
やはり、家庭で親子で勉強しているだけでは、勘違いしたやり方を続けていることも多いのです。
そのやり方が習慣になると、あとからの軌道修正は、できなくはありませんが難しくなります。
だから、子供がまだ小さくて、お母さんの言うことを素直に聞くような時期から、家庭での勉強の仕方を作っておく必要があるのです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
勉強はひとりでするのが基本ですが、同時に、人間は社会的動物です。
猫は誰かが近くにいなくても幸せですが、犬は誰かが一緒にいなければ幸せにはなれません。
人間も、誰からが一緒にいる中で、幸せな気持ちで、ひとりで勉強することが大事なのです。
人間はブロイラーではありませんが、子供が小さいときは、ブロイラーのように扱うこともできます。
「これ、やりなさい」「はい」
「これ、やめなさい」「はい」
「あ、やっぱりやりなさい」「はい」
という感じです。
しかし、人間の自我が発達してくると、本人の自主性を尊重しながらでなければ話は進みません。
だから、まだ自我の発達していない小さい時期から、あらかじめ自主性の基盤となるよい習慣を作っておくことが大事なのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。自主学習クラス(0) 勉強の仕方(119)
寺子屋オンラインの少人数クラスの利点は、子供たちが直接交流できることです。
自分の発言を他の人に聞いてもらい、他の人から質問や感想を聞く、ということが子供たちの学習の意欲に結びつきます。
しかし、グループ学習には難点がありました。
それは、生徒と先生の間で個別の学習指導をする時間が取れないことです。
グループ学習の中で、先生とある特定の生徒が個別に話をすると、他の子達は自分にとって関係のない話を同じように聞いていなければなりません。
かといって、先生と生徒の個別指導だけで勉強進めていては、子供たちどうしの交流がありません。
長い目で見れば、子どもたちにとって最も大事なのは、いい教材でも、いい先生でもなく、いい友達だからです。
しかし、いろいろ試した結果、Zoomの会議室でグループ学習を進めながら、それと並行して個別指導を行う仕組みを作れることがわかりました。
これで、個別電話指導の長所と少人数クラスの長所の両方を組み合わせた学習ができるようになります。
仕組みを作るのに少し時間がかかりますが、6月中には新しいやり方がスタートできると思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
勉強に対する意欲というものは、友達と一緒にやっていれば、自ずからわいてくるものです。
今はそういう自然な意欲が出てくるのを待たずに、賞や罰や競争によって外から意欲を持たせようとするので、勉強が何か非人間的な営みのようになってくるのです。
「うんこ漢字ドリル」のようなものにも、そういう面があります。
人間の美しい感情に訴えるのではなく、低い感情に訴えてやる気を出させるようなものは、そのときはいいように見えても、実は人間を成長させるのではなく退化させているのです。
寺子屋オンラインのような未来の教育における先生の役割は、これまでの先生の役割とは大きく異なってきます。
昔の(今もそうですが)先生の役割は、子供たちに何かを教えることでした。
しかし、これからは、子供たちは自ら学ぶようになります。
学ぶための参考書も、問題集も、ビデオ授業も、豊富にあるからです。
これからの先生の役割は、教えることではなくなります。
しかし、それは単なるファシリテーターというものでもなく、もっと新しい未知の概念なのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。寺子屋オンライン(101) 未来の教育(31)