これれまでの教育は、あるレベルの知識や技術をすべての人が等しく身につけることを目標として行われてきました。
それはなぜかと言うと、これまでの工業時代には多くの働く人が必要で、その仕事をする人は、機械の部品のように正確に役割を果たさなければならなかったからです。
しかし今、正確に役割を果たせるものは、人間から機械や人工知能に取って代わられています。
与えられた仕事を正確にやり遂げることは、これからの人間には求められなくなっていくのです。
では、何が人間に求められてくるかと言うと、それは世の中に何らかの新しいものを生み出すことです。
つまり創造こそが人間のできる最も重要な役割となってくるのです。
その創造のもとになるものは個性で、その人が自分の好きなものを追求していった先に、他の人のまだ発見していないものや作り上げていないものを、見つけ出したり作り出したりしたときに新しい創造が生まれます。
その意味で創造のもとになる第一のものは個性で、その個性を生かす手段として学力や能力があるという関係になってきます。
これまでの社会では、学力や能力第一で、そのあとの個性は本人の問題だから特に重視しないという考えで教育が行われてきました。
これからの教育の目的は、個性の発見と個性の創造が第一で、そのあとに個性を生かす方法として学力や能力の育成があるという関係になってきます。
その個性の発見と創造に結びつく教育のひとつが発表学習です。
発表学習の中では、自分の個性を学問的に深め、創造的に発展させる発表が増えています。
ほかの子供たちの発表を見て、自分も新しい個性に気づき、その個性を生かしてみんなの前で発表することでさらに学問的に深めていくというような循環が生まれています。
この学習を、今後、幼児のころから行えるようにすることを考えています。
幼児の段階での発表学習は、そのまま親子作文の題材としても活かせるので、作文プラス発表学習という形が、これからの幼児教育の一つの新しいスタイルになっていくと思います。
そして、小学校に上がるようになると、ここに自主学習が加わっていくのです。
▽発表学習の授業から(小学4年生の発表木1800)
https://youtu.be/3Bg5L26FALw
発表学習クラスの見学を希望される方は、曜日時間などをお電話でお問い合わせください。
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発表学習のいいところは、うまく行ったことも、うまく行かなかったことも、どちらもいい発表になることです。
それは、目的としているものが、正しい答えではなく、自分らしい問題の解き方だからです。
その発表学習で個性を伸ばす一方、自主学習は正しい答えを出す勉強と割り切って能率のよい学習を進めていきます。
そして、作文の学習で、その個性と学力を生かすための読解力と表現力を高めていくのです。
これまでの教育では、学力が先で、個性はおまけのようなものでした。
正しい答えを出すのが先で、自分らしく考えるのは後回しだったのです。
これからは違います。
自分らしく考えることが第一で、正しい答えは後回しになります。
そして、その方がずっと学力がつくようになるのです。
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先日、昔お世話になったある出版社の方から相談がありました。
一流企業のある会社で、採用されている新人がみな高学歴の人たちなのに、文章力がかなり見劣りがするということで、どういう対策があるかというような相談でした。
現在、小中学生でも、作文力の低下という傾向が幅広く見られるようになっています。
昔も、作文を書けない子がいましたが、今の子供たちの中には さらに重症な子も増えてきています。
その最も大きな原因は、読書を通して文章語に接する時間が少なくなったことです。
テレビや YouTube やインターネットの SNS の断片的な文章に接していると、自分が文章を書くときにも、同じように断片的な言葉しか出てこなくなるのです。
今の受験勉強は、文章力がなくても、知識を詰め込めばなんとかなるという面があります。
ですから、高学歴にも関わらず文章が書けないという問題が起きているのではないかと思います。
この問題を解決する道は、しっかりした文章を読むことと、それをもとにして自分の考えを感想文という形でしっかり書く練習をする以外にありません。
ところが、文章を読むことは独学でひとりでも何とかできるとしても、文章を書く練習をひとりで続けることはまずできません。
与えられたテーマでひとまとまりの文章を書くということは、かなり負担の大きいことだからです。
また、文章を読むことも、本当は、社会人になったあとでは独学ではなかなかできません。
軽い文章はもちろん誰でも読めますが、本格的な古典と呼ばれるような文章は、学生時代まででなければ読めないからです。
そこで今、社会人のための文章講座を開くことを考えています。
言葉の森は、最初に設立した段階で、小学生から社会人までの作文指導をすることを考えていたので、現在も既に高校3年生を卒業したあとの大学生社会人向けの教材を途中まで作ってあります。
しかし、その後、システムがあまり複雑にならないように、現在のように高校3年生までの課題でいったん卒業ということにしたのです。
今後、社会人の方で文章力を身につけたいという方も学べるように、社会人向けの課題を復活させることを考えています。
今の段階で、社会人の方が言葉の森の作文を受講される場合は、小学6年生相当から始めるようになります。(もちろん、小学1年生から始めることもできますが。)
小学6年生の、「複数の実例プラス一般化の主題」が、作文・小論部の基本ですから、小6の課題を1年間こなすだけでも、文章力はかなりつきます。
その後、中1から中3までの意見文の書き方を身につければ、文章を書くことに関しては、かなり自信がつくようになると思います。
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学校教育で最も力が伸びる時期は、高3からの数年間だと思います。
ところが、今は、高3は受験勉強に追われ、大学生になれば遊びっぱなし(笑)となることが多いと思います。
ただし、大学生は、高校生までのような教科書的な勉強をする時期ではありません。
もっと自由に高度なことを考える時期です。
だから、本当は、この時期に読書と作文に力を入れることが重要なのです。
言葉の森は今は高3で卒業ということになっていますが、実は、大学生になっても続けたいという人は多いのです。
そして、本当は、作文力は高3からまた一段と質的に向上します。
高3から大2ぐらいの間に、難しい文章を読んで論説文を書く練習をすると、考える力はかなり伸びます。
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「見える学力見えない学力」を書いた岸本裕史さんは、家庭塾というものを開いていました。
これは、勉強の土台は、家庭での学習にあるという考えにもとづくものです。
同じ考えで行われていたものに、初代総裁を平澤興氏が務めていた全家研の運動があります。
今は、学習塾の隆盛に押される形で、そういう家庭で自分の計画で行う勉強は少なくなっているのではないかと思います。
しかし、勉強の本来の姿はこの家庭塾なのです。
どんなに面白くわかりやすい授業を聞いても、それは、頭の表面を通り過ぎて行くだけです。
その知識が自分の中に定着し、さらに他の場面にも活かせるようになるためには、その勉強を繰り返し実習するという時間を欠かすことはできません。
ところが、学習環境が豊かになるにつれて、面白い授業を見るだけの勉強の時間が増え、自分でそれを定着させる時間が減っているという状況があるのです。
そのために、塾に長時間通うような勉強をしているのになかなか成績が伸びないとか、塾から出される宿題の量が多くて負担だとかいう問題が起きているのです。
小中学生の勉強は、教科書に準拠した分かりやすい参考書があれば、特にうまく教えてくれる先生がいなくても家庭で十分にやれるものです。
子供たちが勉強の時間をかけるところは、知識を面白く教えてもらうところではなく、それを定着させるために自分で勉強をするところなのです。
自主学習クラスでは、教材を決めて子供たちが自分のペースで勉強をしています。
分からないところは解法を見て自分で理解するか、又は、自分で理解できないときはお母さんやお父さんに聞くかします。
お母さんやお父さんも教えにくい問題のときは先生に聞きますが、ほとんどの勉強は子供が自分で答えを読んで理解できるものですから、人に教えてもらう時間は自然に少なくなります。
わからないところだけ人に聞く勉強なので、最初から最後まで人に教わる勉強よりも、ずっと能率がよい勉強になるのです。
この自主学習クラスのような勉強が、これまでなぜなかったかというと、オンラインで子供たちが集まって一緒に勉強するという仕組みがなかったからです。
言葉の森が始めた自主学習クラスは、古き良き家庭学習の伝統を、オンラインの技術で新しく作り直したものです。
また、単に古いものを新しい技術で復活させただけではなく、教育の目的も新しい理念に基づいて作り上げています。
それは、単に与えられた知識を詰め込むだけではなく(詰め込みの勉強ももちろん必要なことはありますが)、自分の個性を発見し、その個性を生かし、考える力を伸ばし、創造する力を育てるという教育の理念です。
この自主学習クラスを、作文クラス、発表学習クラスと同じようにこれから広げていきたいと思っています。
そして、この自主学習クラスの講師を担う人は、森林プロジェクトで作文講師資格を取得した全国の志ある仲間たちなのです。
▽自主学習クラスの授業から(最後のまとめの部分)
https://youtu.be/GQ4Ei_hUayE
自主学習クラスの勉強の時間のほとんどは、自分で行う実習の時間と、先生と生徒が個別に話す時間です。
しかし、授業の最初と最後は、短時間の交流の場として、みんなで話をする時間をとっています。
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勉強は、本来自分でやるものですが、子供たちには年齢に応じた特性というものがあります。
それは、小学1、2年生のころはお母さんと一緒に勉強したいということで、小学校中高学年から中学生にかけては友達と一緒に勉強したいということです。(高校生になると、ひとりで勉強するようになりますが)
だから、先生と一対一の個別指導ではなく、また能率の悪い一斉指導でもなく、少人数の自主学習が適しているのです。
自主学習の生徒で、前からやっている人は、カメラを机上に向けています。
すると、どんなことをやっているかわかるので、ノートのとり方などについてもアドバイスをすることができます。
小学生の子によくあるのが、行を空けずにびっしり書いていることです。
また、計算式を縦に並べずに、横に並べていくことです。
そんな些細なことも、勉強の能率を上げるためには結構重要なのです。
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小学校高学年や中学生の生徒で、真面目な子ほど作文の提出がたまってしまうことがあります。
それはなぜかと言うと、たまたま定期試験などで休んでしまったものを、あとから取り戻そうと思って1日に2つか3つ書こうなどという無理なことを考えるからです。
これまで、1日に作文の課題を2つ書きたいと言って、そのとおりに2つ仕上げた子はほとんどいませんでした。
それぐらい、600字から1200字の文章を書くというのは、負担の大きい勉強なのです。
ところが、真面目な子と、真面目なお母さんと、そして真面目な先生ほど、「たとえ遅れてもいいから、まだ書けていないものをあとから書くといい」などということを考えたり言ったりしてしまいます。
そのために、書くことがだんだん重荷になってくるのです。
私がいつもすすめている方法は、その日にできなかったものはもうやらないと割り切ることです。
私のうちの子供2人も、何かの都合で休んだとき、別の日に書かせるようなことはしませんでした。
受講料がもったいないと思うなら、電話を受けたその日にやり遂げることです。
あとでやればいいと考えることが、いちばんよくない方法なのです。
作文をためてしまいがちな生徒にとって、最もよい方法はその日のうちに書き上げることです。
そのためのよい方法は、寺子屋オンラインの作文クラスに参加することです。
寺子屋オンラインの作文クラスで、作文の準備を発表し、その場で作文を書き、書き終えたらその旨を連絡して退出する、ということをすれば、欠席しないかぎり作文の提出は100%になります。
小学校高学年や中学生の生徒で、作文の課題がたまりがちな生徒は、一度寺子屋オンラインの作文クラスに見学に来るといいと思います。
▽寺子屋オンライン作文クラスの授業から(準備の発表)
https://youtu.be/EhO4RhLKrHo
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勉強でいちばん大事なのは、長続きさせることです。
そのためには、1回ごとの勉強の中には、手を抜いたり、適当にやったりすることがあっていいのです。
毎回、真面目にやろうとさせると、つい子供を叱るようになります。
叱られてやることは楽しくはないので、子供はますます続けにくくなります。
だから、どんなときでも、いつも褒め続けていくといいのです。
寺オン作文は、準備の発表、作文の実習、作品の発表、質問と感想、読書の紹介、暗唱の発表などと全部やると、5、6人でもすぐに1時間を超えてしまいます。
5、6人の人数で、無理なく、楽しく、簡単にできる運営を今考えているところです。
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塾に行っても国語の成績がなかなか上がらないという人が多いと思います。
それは当然です。
塾の国語の授業で国語力が上がることは、たぶんほとんどありません。
学校でもそうですが、国語の授業の多くは、国語の文章を味わうためのもので、国語の点数を上げるためのものにはなっていないからです。
塾で国語の点数をあげるために行われていることの代表は、国語の問題集を解く勉強です。
ところが、国語の問題集をいくら磨いても国語の成績は上がりません。
その証拠にはならないかもしれませんが、国語の得意な子は、国語の問題集を解くような勉強をまずしていないからです。
では、どうしたら国語の成績を上げることができるのでしょうか。
その方法は、たった二つです。
■読む力をつける
一つは、問題集読書で難しい文章を繰り返して読む練習を続けることです。
要約をしたり穴埋め問題を解いたりするのではなく、ただ読むだけです。
なぜ、ただ読むだけがよいかというと、要約をしたり穴埋め問題を解いたりする勉強の何倍も早く、しかも簡単に勉強ができるからです。
なぜ、簡単に勉強ができるのが大事かというと、その勉強を繰り返し行うことができるからです。
文章の要約や書き写しを5回繰り返して行うことはまずできません。
ところが、文章を繰り返して読むだけであれば、5回以上の繰り返しは簡単にできます。
これが、言葉の森の提案している問題集読書です。
要約であれば、要約の正解のようなものか、要約をチェックする人が必要になります。
穴埋め問題集であれば、その問題集がなければ勉強が続けられませんが、そういう問題集はもともと数が限られています。
問題集読書は、1冊の市販の問題集を買ってくれば、だれでもすぐに始められます。そして、そういう問題集はいくらでも手に入ります。
ところが、この問題集読書を家庭だけでやろうとすると、長続きさせることができません。
ただ読むだけの勉強というのは張り合いがないので、やがて飽きてやらなくなってしまうことがほとんどだからです。
同じようなやりやすそうに見えるが続かない勉強に「1分間速音読」とか「10分間作文」というものがあると思います。
たいていの勉強は、半年続けて初めて成果がわかります。
半年続かないものは、何をやっても大した効果は望めません。
この「1分間速音読」や「10分間作文」の練習を長く続けられる子はまずいません。
これは、それらの教材を批判しているわけではありません。
教材そのものは、それなりに工夫されています。
しかし、実際に子供が続けられるかというと、想像すればわかるように、半年以上続けられる子はまずいないのです。
長く続けられないということは、途中でやめてしまうことなので、結局途中でやめたという結果しか残りません。
それは、新しく音読や作文を始めるときのマイナスの出発点にさえなるのです。
ですから、続けられる展望のないものは、最初からやらないほうがずっといいのです。
では、問題集読書や音読や暗唱を半年以上続けられる方法はあるのでしょうか。
その答えが、自主学習クラスの勉強です。
毎週、先生が見ている中で、友達と一緒に音読や問題集読書をやるのであれば、それは容易に続けることができます。
言葉の森の教材は、小学1年生から中学3年生まで、分野によっては高校3年生まで継続できるように作られています。
だから、先の展望を持って勉強を開始することができます。
■解く力をつける
国語の成績を上げるもう一つのコツは、読む力をつけるだけでなく、解く力をつけることです。
これは、特に、読む力はあるが国語の成績が思うように伸びないという子にとっての勉強です。
この解く勉強の中心が読解検定試験です。
読解検定試験でできなかった問題の理由を考えると、読解問題を解く解き方のコツが分かってきます。
この読解検定の解説も、今度自主学習クラスで行うようにしました。
問題集読書と読解検定と自主学習クラスをセットにして行うことによって、国語力は向上していきます。
読解検定試験の解き方のコツは、宣伝のようになりますが、「小学生のための読解・作文力がしっかり身につく本」を読めば、どなたでもわかるようになっています。
ただし、内容が難しいので、子供さんだけでなく、必ずお父さんやお母さんも読んでいただく必要があります。
その上で、できなかった問題の理由を分析することが、読解力を高めるコツになります。
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算数・数学の成績は、夏休みの1か月集中して取り組めば驚くほど上がります。
国語の成績は、読む力に関しては、1か月では上がりません。半年はかかります。
しかし、解く力に関しては、教えてすぐに上がります。
だからこそ、小学校低中学年のうちは、成績を上げることよりも、自由に遊んだり読書をしたりすることに力を入れていくといいのです。
理屈でいうと、読解力は、読力(どくりょく)と解力(かいりょく)の組み合わせです。(いずれも造語)
作文力は、作力(構成力、題材力)と文力(表現力、主題力)の組み合わせです。(同じく造語)
だから、勉強をするときは、こういう区別を知っておくことが大事なのです。
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帰国子女枠の入試でよく出されるテーマですが、日本にいる生徒の場合も、「日本文化と世界の他の文化との比較jということで一度は考えておくといい課題です。
こういう大きいテーマのときは、お父さんやお母さんと話をしてテーマの全体像をつかむようにしましょう。
意見で個性を出すのではなく、意見はよく言われる普通のものでいいので、そのかわり実例と表現の部分で自分らしさを出していきます。
実例の部分は、社会的なテーマの場合、データの引用が生かせます。
このデータは、ほかのテーマのときにも意外と使えるので、新聞の切り抜きなどから探しておくといいでしょう。
書き方のポイントとしては、「日本人は」とか「外国人は」という言葉で、一面的な言い方にならないように注意することです。
ものごとには、必ず例外があり、その例外も考慮した表現にしていく必要があります。
しかし、こういうところに気をつかうというのも、日本的な国民性なのかもしれません。
▼問題
「読解・作文力の本」P118
▼動画
ハイパー作文7.3週の授業
https://youtu.be/0ox2cP-pgOQ
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サマーキャンプで、感想文を書く課題に取り組む人は、次の3冊の本の中から、感想文に書く本を選び、全体を読んだあと、予習シートを参考に似た話や感想を考え、お父さんやお母さんにも似た話や感想を取材してきましょう。
下記の3冊以外の本を選ぶこともできますが、その際は表現面のアドバイスだけで内容面でのアドバイスはありません。
「宇宙人のいる教室」の感想文予習シート
本を読んだあと、似た話を考え、お父さんやお母さんにも取材し、▼の部分にメモを書いて来ましょう。
■あらすじ
テツヤのクラスに、星レオナという風変わりな転校生がやってきた。
レオナは、一歩一歩重そうにのろのろと足を引きずって歩き、鉄棒もできない。
矢田というクラスのいじめっ子は、早速、レオナをいじめ始める。
レオナは、やられたらやられっぱなしで、やり返すことも言い返すこともできない。
レオナには奇妙なことが多いため、テツヤはレオナは宇宙人ではないかと疑う。
テツヤは、レオナのことを調べているうちに、レオナとなかよしになっていく。
自然が好きなレオナの影響で、テツヤも自然と触れ合うことの素晴らしさに気づく。
テツヤとレオナは親友となり、言葉を交わさなくても心が通じ合う仲になった。
ある晩、テツヤは、レオナの生まれた星の夢を見る。
翌日、テツヤは、レオナが転校したことを知らされる。
□本の引用(1)
クラスでいちばん大きくてすぐ暴力をふるう矢田は、転校してきたレオナを見ると、「あしたからおもしろくなるぞ。ちょうどいいや。ホリキンをいじめるのもそろそろあきてきたしな」と言いました。(P11-12)
レオナは動作が遅いので、転校してきてすぐに、矢田たちからいじめられるようになりました。
▼似た話(1)
四年生になったとき、私のクラスに転校生が来ましたた。クラスのみんなは、……
私の母は、小学校のとき、転校したことがあるそうです。新しい学校では……
□本の引用(2)
五月のマラソン大会を前にして、先生はレオナに、見学をすすめましたが、レオナは最後まで走りたいと言いました。
そして、マラソン大会の当日、テツヤは、歩くようなレオナのペースに合わせてゆっくり走り、二人はみんなからかなり遅れて一緒にゴールしました。
そのとき、いっせいに拍手してくれたみんなの中に、いつもレオナをいじめていた矢田たちもいました。(P100-109)
▼似た話(2)
私の学校でも、毎年冬にマラソン大会があります。私は走るのが得意ですが、なかよしのSちゃんはマラソンが苦手です。だから、私は、……
□本の引用(3)
夏休みの最後の日、テツヤは夢を見ました。それは、レオナの生まれた星で、赤い砂丘が続き、暗い空からはいなずまが光り、草は一本も生えていない星でした。
レオナは、まっ暗な空をあおいで言いました。
「地球へいって、はじめて青空を見た時、花を見た時、ぼくはこんなに美しいものがこの世にあるだろうかと思った。……それなのに、きみたちは、少しもありがたいと思わないんだからなあ。」(P125-130)
▼似た話(2)
私は、この前、飛行機に乗って、祖父の住む福岡に行きました。飛行機からは、青い海やきれいな緑が見えました。そのとき、昔、父に教えてもらった「地球は青かった」というガガーリンの言葉を思い出しました。……
▼想像した話
もし、私たちがレオナの星に住むことになったら……。
▼全体の感想
私は、この本を読んで、いじめの問題が後を絶たないのは、私たちが地球という恵まれた星に暮らしていることに感謝する気持ちを忘れてしまっているからではないかと思いました。
私たちは……。
「川は生きている」の感想文予習シート
本を読んだあと、似た話を考え、お父さんやお母さんにも取材し、▼の部分にメモを書いて来ましょう。
■あらすじ
日本人の水の治め方は、世界でも非常にすぐれたものだった。
母なる日本の川は、私たちの祖先が作り、育ててきたものだ。
森林は水をたくわえ、徐々に徐々にはきだしてくれる。
森林や水田をつぶしてきたため、最近では、水害がひどくなり、水が足りなくなっている。
さまざまな犠牲(ぎせい)を払って作られたダムを守ってくれるのも森林である。
自然とつきあうには、人間の都合ばかりを押し通すわけにはいかない。
川と私たちの生活の結びつきを、もう一度じっくり考えてみる必要がある。
□本の引用(1)
日本は山がけわしく、川も短くて急です。雨が降ると水は洪水になっていっきに海へ走り、あとはたちまちかわいてしまう川です。(P20) 私がこの本を読んで、まず印象に残ったのは、滝のようなあばれ川を日本人が上手に治めて文化を築いてきたというところです。
▼似た話(1)
私の家の近くには小さな川が流れています。祖母に聞いた話によると……。
□本の引用(2)
また、私はこの本を読んで、川を守るために森林が大切な役割を果たしているということを知りました。
昭和三十九年の夏、東京は大かんばつに見まわれました。東京も水がめと言われる小河内(おごうち)ダムも干上がってしまいました。しかし、その日照り続きの中でも、ダムのまわりの山々からは日に三十万トンの水が毎日はきだされ、人々の飲み水をまかなってくれました。(P59)
▼似た話(2)
私は、この前、家族でハイキングをしました。うっそうと茂る木々の中を歩いているとき、湧き水を見つけました。……。
□本の引用(3)
もう一つ心に残ったことは、今、都市を流れている川は、薬品や油や洗剤などが混ざったごみによって痛みつけられているということです。
むかし、日本人が水と仲よく暮らしていた時代には、日本人はごみというものをほとんど出しませんでした。そして、川もゆっくり流れ、水をきれいにする力を持っていました。しかし、今の川はコンクリートですべり台のように流され、水をきれいにする力はすっかり弱ってしまったのです。(P113-117)
▼似た話(3)
父は、昔、川の清掃のボランティアに参加したことがあるそうです。そのとき、……。
私は、那須にキャンプに行き、川遊びをしました。その川は……。
▼想像した話
もし、私たちが川の役割を知り、もっと川を大切にしたら……。
▼全体の感想
川というものは、人間にとって、ただの……ではなく……です。
私は、この本を読んで、普段、あたりまえのように使っている水がいかに貴重であるかがよくわかりました。昔の人たちが川を治めるために積み重ねてきた努力を無駄にしないように……。
「モモ」の感想文予習シート
本を読んだあと、似た話を考え、お父さんやお母さんにも取材し、▼の部分にメモを書いて来ましょう。
■あらすじ
モモは、町はずれの廃墟となっている円形劇場に住みついた。
モモと話していると、観光ガイドのジジは空想の翼が自由に羽ばたくのだった。
掃除夫のベッポは、自分が心から話す話をじっと聞いてくれるモモが好きだった。
子供たちも、モモのいる円形劇場で自分らしい時間を取り戻していた。
あるとき、灰色の男たちが町に現れ、大人たちに、能率よく仕事し時間を貯蓄することをすすめるようになった。
モモにも時間の貯蓄をすすめようとしたある灰色の男は、モモの自然な問いかけに対して思わず自分たちが人間の時間を奪っていることを正直に話してしまう。
モモに正体を知られた灰色の男たちのグループは、モモの力を封じるために、モモの友達のジジやベッポたちを仕事に駆り立て、子供たちを<子どもの家>で勉強させるようにし、モモには友達がいなくなった。
モモは、世界に時間を配るマイスター・ホラ(時の師のような意味)のカメ、カシオペイアに連れられて、時間の国に行く。
ホラに見せてもらった「時間のみなもと」では、振り子に合わせて見たこともない美しい花が次々に咲いてはしおれていくのだった。
時間の国から町に戻ったモモは、友達や子供たちが昔と違って、誰もが無表情に時間に追われて暮らしていることを知る。
一方、灰色の男たちは、人間一人ひとりから時間を奪うよりも、ホラからすべての時間をまとめて奪おうと考え、時間の国に戻ろうとするモモとカシオペイアを追跡し、ホラのいる「どこにもない家」を包囲する。
ホラは、眠りにつくことによって世界の時間を止め、モモは、灰色の男たちに奪われた人間の時間を取り戻すために、灰色の男たちの貯蔵庫に向かう。
ホラの眠りによって時間が止まった中で、互いに葉巻を奪い合う男たちは、闘いの中で次々に人数を減らし、最後のひとりも葉巻を落とし消えてしまう。
解放された時間がもとの持ち主のところに戻った世界で、人々は昔と同じように時間をたっぷり使うようになり、ジジとベッポと子供たちも円形劇場に戻ってきた。
□本の引用(1)
ベッポは、モモに掃除の仕方を話した。「その日に掃除する仕事の全体を見ると、仕事はなかなか終わらずやがて息が切れて動けなくなってしまう。しかし、いつも次の一歩だけを見ていると、仕事が楽しくなり、いつの間にか仕事が終わっている」(岩波少年文庫のP52)
▼似た話(1)
私にも似た話がある。それは……
父に話を聞いてみると……。
□本の引用(2)
モモから時間を奪うために、灰色の男は、モモにきれいな人形をプレゼントしようとする。その人形は、どう話しかけても、同じ返事をし、たくさんのものをほしがる。しかし、モモは灰色の男に、「この人形は好きになれない」といい、「でも、あたしの友だちなら好きよ」と言う。その言葉を聞くと、灰色の男は急に顔をゆがめた。(P130-140)
▼似た話(2)
私にも似た話がある。それは……
母に話を聞いてみると……。
□本の引用(3)
モモが誘拐されたと勘違いしたベッポは、身代金を支払うために10万時間を貯蓄してしまう。その日から、ベッポは前のようにゆっくり楽しく仕事をすることはなくなり、せかせかと時間を節約するために息を切らして仕事をするようになった。(p269-273)
▼似た話(3)
私にも似た話がある。それは……
□本の引用(4)
人々に時間が戻ると、大都会では長いこと見られなかった光景がくりひろげられた。子どもたちは道路の真ん中で遊び、車でゆく人は、それをにこにことながめ、ときには車をおりて一緒に遊んだ。仕事にでかける人も、窓辺の花に目をとめたり、小鳥にパンくずを投げてやったりするゆとりができた。(P393)
▼全体の感想
私は、この話を読んで……。
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よく、小学生新聞などに、「読書感想文の書き方」のような話が載ることがありますが、それを見て感想文を書ける子はまずいないだろうなあと思います。それは、書かれていることがあまりに抽象的だからです。
例えば、「よく読んで自分が感動したところを書く」などという、当然ではあるが実際にどうしたらいいかわからないことが書かれているからです。
勉強というものは、できる子だけができればいいというものではありません。全員が例外なくできるようなことをしなければならないのです。
読書感想文が勉強として意味あるものになるのは、小学5年生以降です。
5年生になると、全体の構成を考え、全体の感想を考えることができるようになるからです。
小学1、2年生で読書感想文の宿題が出されるとしたら、それは子供にとってはほとんどいじめのようなものです(笑)。
ということを何度も言ってきたせいか、最近は小学校低学年で感想文の宿題を出すところは減ってきたようです。
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