子供には、できる子とできない子がいます。
先生が、同じことを同じように教えていて、できる子とできない子がいるので、教えている先生は次のように思いがちです。
「自分がちゃんと教えていてできる子がいるのに、できない子がいるのは、その子の問題であって教える自分の問題ではない」と。
これが、大多数の学校や塾で行われている授業の仕方です。
しかし、問題は子供にあるのではなく、やはり教える先生にあるのです。
しかし、その教える対象は子供だけではなく、むしろ保護者に対してなのです。
ときどき、生徒の保護者で、「私が言っても本を読まないので、先生から言ってください」という人がいます。
また、「私が子供に音読をさせると喧嘩になるので、先生がやらせてください」という人もいます。
毎日の読書や音読は、一緒に暮らしているお母さん以外にさせられる人はいません。
親ができないことを、週に1回接する他人ができることはないのです。
音読や読書を、先生に頼もうとは思わずに、自分で工夫してなんとかやり続けようという気持ちを持ってもらうのが、先生の役割です。
子供の教育の問題は、ほとんど親の問題です。
だから、先生がその子を必ず上達させたいと思えば親に働きかけざるを得ません。
親に働きかけることも含めて、すべて子供の学力の責任は、先生の側にあるという自覚を持つことが大切です。
「学力の経済学」(中室牧子)では、幼児期の教育が、その子の将来の学力を含めた人間力の形成に大きく影響していたということが書かれています。
しかし、これは単に幼児期のその子に対する教育だけに原因があったのではありません。
その子の親に対する働きかけが、その家庭の文化を変えることによって子供の教育に影響したということなのです。
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野口英世のお母さんは、無学でした。
しかし、そこから立派な学者が育ちました。
しかも、英世は、生涯お母さんを尊敬していました。
ここに、家庭の文化というものの大切さがあるのです。
「塾に任せてください。お母さんは何もする必要がありません」という塾があります。
その反対に、「親がちゃんとやってくれないから、先生がいくら教えてもだめだ」という先生がいます。
どちらも、同じことの裏表です。
子供は、家庭の文化の成長に伴って成長していくのです。
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「小学生のうちに身につけたい英語力。脱『日英変換』のための5つの視点」という広告記事を読みました。
その記事には、「英語脳をさらに伸ばしていくために、幼稚園児か小学生の低学年から英語脳で味わうという習慣をつけておくことが大切だ」ということが書かれていました。
英語を英語で理解しながら読むという「英語脳」を作ることは、一見、英語学習の近道にように見えます。
しかし、それは、「日本語脳」が失われることと裏腹の関係にあるのです。
小学3年生までは、日本語脳がまだ十分に形成されていない時期なので、この時期に英語の学習をすれば、たやすく英語脳にすることができるかもしれません。
しかし、それは日本語脳が不完全にしか成長しないというリスクをおかしての上でのことなのです。
日本語脳が確立すると言われる小学4年生以降に英語脳を鍛える練習をするならば問題はありません。
むしろ、中学生以降に英語の学習をするよりも、英語になじむ度合いはずっと高くなるでしょう。
中学生になると、英語を日本語のフィルターを通して、知識と理屈で理解する面が強くなります。
小4から小6にかけては、英語を英語のまま聞き取る力が、まだ十分に発達しているからです。
しかし、小4以降の、日本語脳がある程度形成された時期から始める英語の学習は、日本語脳が十分に形成されていない幼児や小学校低学年のころから始める英語学習よりも進度が落ちるはずです
だからといって、幼児や小学校低学年のうちから英語の学習を始めるというのは短絡的な発想です。
低学年のうちに英語脳をつくるということは、低学年のうちの日本語脳の発達を止めるということと同じです。
この弊害が出てくるのは、子供たちが高学年になってからです。
今、幼稚園や小学校低学年で英語の勉強をしている人は、英語ができるようになったというよい面しか見ていません。
日本語の生活自体がまだ初歩的なレベルなので、日本語脳が阻害されているとは感じられません。
だから、英語も日本語も同じようにできている気がするのです。
しかし、学年が上がり、難しい日本語の文章を読む時期になると、日本語を実感的に読み取れないという弱点が次第に強くなってきます。
ただし、英語で遊ぶ程度の英語教育は、こういう心配はありません。
英語の音声をシャワーのように聞かせ、親子でも英語で話をし、英語の本を日本語の本よりも優先して読ませるというようなやりすぎの幼児英語教育の場合に、弊害が生まれてきます。
英語教育に真剣に携わっている人は、英語の基礎となる幼児期の日本語学習の大切さを理解しています。
私の知っている人の中にも、そういう人はたくさんいます。
しかし、それ以上に多くの人が、幼児期や低学年の日本語の土台の大切さを理解していないようなのです。
そのひとつが、冒頭の広告記事にあるような考え方です。
では、なぜそのような英語教育が行われているかというと、言語というものを単なる伝達の手段として考えているからです。
言語は、伝達の手段ではなく思考と文化の手段です。
言語は、ものの見方や考え方を身につける枠組みであって、単に情報を人に伝えるための入れ物ではありません。
人に伝える道具としてので言語は、これから急速に機械化されていきます。
今でもすでに、さまざまな言語を他の言語に翻訳するソフトが、不十分ながら実用に近いレベルで開発されています。
伝達の精度を100パーセント保証できるようになるまでは、まだ時間がかかるでしょうが、実用性のレベルでは100パーセントに近いという程度で十分です。
そういう先のことを考えると、子供たちの学習の重点は、第一に日本語、第二に算数数学、第三に英語です。
学習以外のことも含めれば、第一と同じところに「遊び」も入ると思います。
英語教育を行っている人の仕事の邪魔をするわけではありませんが、こういう、ごく当然のことを書く人があまりにも少ないように思ったので、敢えて書きました。
▽参考図書
「日本語人の脳: 理性・感性・情動、時間と大地の科学」角田 忠信
「英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし」 渡部 昇一
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人が物事を本気で考えるときは、母語でなければ考えられません。
この本気で考えるときに、母語の充実度が重要になってくるのです。
普通の日常会話のレベルでは、母語でも習熟した外国語でも差がありません。
だから、多くの人は、両方同じようにできると考えてしまうのです。
英語教育に関しては、いろいろな論議があるはずですが、コマーシャルレベルで発言する人の声が大きすぎるところに問題があります。
英語教育は、単に英語の教育と考えるのではなく、子供の言語能力を高めるための英語教育と考える必要があります。
基準は、子供の方にあります。
だから、英語を話せることよりも、何を話すかということが大事です。
英語の本を読めるのはいいことですが、どんな本を読むかということの方がもっと大事です。
学力は、何を話し何を読むかといいう「何」の方にあるのです。
私もそう思いました。しかし、何故か世の中には、まだその考え方は常識としては浸透していないようです。幼少期の英語教育の塾が見受けられます。人の能力に関わることなので、やすやすと見過ごせません。。
Kさん、ありがとうございます。
幼児期から英語を詰め込めば、誰でも英語はできるようになります。
しかし、その弊害として日本語が不確かになるのがわかるのは、学年が上がってからなのです。
以前投稿した英語教育の記事について、コメントを書いてくれた人がいました。
言語の学習は、算数や理科・社会などの学習に比べるとずっと大きい影響力を持っています。
それは、早期に始めれば効果があるが、同時に日本語の学習とぶつかるということです。
小学校低学年のうちは、英語も日本語も両方できるような気がします。
しかし、学年が上がると、次第に日本語が不十分になっていたことがわかってくるのです。
この反対に、英語の勉強を全くしなかった子が、中学生や高校生になったときに英語が苦手になるかというと、そういうことはありません。
今の大人で英語が得意な人のほとんどは、中学生から英語の勉強を始めているのです。
以前、小学校3年か4年で英検2級を取得した生徒がいました。幼児期から英語のキャンプなどに参加していたようです。読書不足のせいもあったと思いますが、作文の方は、簡単な英語を訳したような細切れの文が多く、表現を工夫したり、細かな描写をしたり、自分らしい感想を書いたりすることが苦手でした。ぴったりの表現を探したり、思考を組み立てたりする基盤となるのは母国語なので、幼いころに外国語の習得の方に力を入れすぎると、後に問題が出てくるのでしょう。外国語で考え、表現を工夫することができるならまだしも(日本人なのにそれもどうかと思いますが)、どちらの言語も表面的にしか使えなくなってしまうのはかわいそうなことだと思います。
Aliceさん、コメントありがとうございます。
そうなのです。簡単なことは、英語でも日本語でも同じように使える気がするのです。
しかし、深く感動したり、深く考えたりするのは、もともとの母語がしっかりしていないとできません。
英語教育に携わっている人でも、良心的な人は、早期英語教育のやりすぎの弊害というところをちゃんと押さえています。
しかし、そうでない人やそうでない教室もかなり多いのです。
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小中学生の勉強で最も大切なのは、毎日決まったことをする習慣をつけることです。
よく、成績が上がらないとか、成績が下がったとかいう相談を受けることがあります。
その最も大きな原因は、能力でもなく、勉強の仕方でも、塾の選び方でもなく、教える先生の問題でもなく、ほとんどの場合その子が毎日勉強する体制になっていないことだけです。
小中学生の勉強は、入試問題を解く勉強以外は、難しいことは何もありません。
しかし、勉強を、毎日ではなく宿題があるときだけやったり、塾のあるときだけやったりするような勉強の仕方だと、必ず学校で習った範囲でわからなくなるところが出てきます。
それが積み重なって成績が上がらなくなるのですが、分からないところがある程度増えてくると、自分でもどこから手をつけていいか見当がつかなくなります。
それが、成績が上がらなくなる原因なのです。
そのときにやりがちなのが、ある日突然思いついて急にたくさんの勉強を始めることです。
学力は毎日の積み重ねによってできるものなので、1週間分の勉強を1日でやって、あとの6日間は何もしないというやり方では学力はつきません。
短い時間でいいので、毎日同じ時刻に、同じ勉強をする体制を作っておくことが大事なのです。
勉強は、たくさんさせるよりも毎日欠かさずさせることを重点とします。
ところで、子供によっては毎日たくさんの勉強をさせられている子もいます。
受験期に本人が納得して行う「毎日」「たくさん」の勉強は全く問題がありません。
むしろ、毎日たくさんの勉強することによって、短期間で急速に力をつけることができます。
しかし、小学校低中学年のころに毎日たくさんの勉強をさせると、学年が上がるにつれてその反動がやってくることがあるのです。
その反動の最もよくある兆候は、集中力の乏しい勉強を長時間やるような勉強習慣がついてしまうことです。
お母さんは、子供が長い時間勉強していると安心し、短い時間で勉強を終わらせると不安になるものです。
しかし、短い時間で勉強を仕上げる姿勢の方が、集中力のある勉強の仕方につながります。
小学校低学年で親の話をよく聞く子供は、長時間の勉強を特に苦もなくやっているように見えることがあります。
親は、それを見て満足するのではなく、早めに、「もう勉強やめて、あとは自分の好きなことをして遊びなさい」と言ってあげる必要があります。
子供の本当の心は、親にそう言われるのを待っているのです。
このような毎日の勉強の習慣をつけるのに役立つものが自主学習クラスです。
先生が、家庭における子供たちの勉強の仕方を見ているとこ、おのずからその勉強の仕方のよい点とよくない点が分かってきます。
親が単独で子供の勉強を見るよりも、また先生が単独で子供の勉強を見るよりも、親と先生が協力し補い合って勉強の仕方を見ていくことが毎日の勉強の習慣づくりにとって大切なことになるのです。
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子供の勉強は、毎日同じようにやることが大切です。
大人のように、日曜日は休みなどとしない方がいいのです。
だから、旅行に出かけたときも、毎日の勉強道具(課題フォルダ、暗唱長文、読書用の本など)は持って、たとえ短い時間であっても旅行先で同じようにやっていくといいのです。
しかし、どうしても例外が生じる場合があります。
そのときは、うやむやのうちに例外を認めるのではなく、子供に、今日はこういう理由だから勉強はお休みにしようと、ちゃんと言葉として言っておくことです。
勉強の仕方でよくある間違いは、難しい問題集をやらせることです。
難しい問題集をやって、できなかった問題が何問か残るというやり方では実力はつきません。
できない問題が1問もなくなるまでやって初めて力がつきます。
だから、問題集は普通の難しさで、たまに難しい問題があるぐらいがちょうどいいのです。
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暗唱の仕方で大事なコツは三つあります。
一つは、毎日練習をすることです。
練習にかかる時間は10分程度です。
毎日やるためには、朝ご飯の前などの毎日確実にできる時間帯を暗唱練習の時間と決めることです。
もう一つは、すらすら読めるようになるまで、文章を見て読むようにすることです。
文章を見ずに読んで、途中でつっかえたり、思い出して読んだり、読み間違えたりすると、そのつっかえたり思い出したり読み間違えたりしたところが癖になってしまうので、あとから直そうとしてもなかなか直りません。
暗唱の初めのうちは、文章を見てゆっくり正確に読んでいくことです。
正確に読めるようになったら、できるだけ早口読むように切り換えていきます。
第三に、暗唱は覚えることを目標にするのではなく、回数を決めて音読を繰り返すことを目標とすることです。
回数は30回が基準です。
大人でも、100字程度の同じ文章を30回繰り返して音読すると暗唱できるようになります。
低学年のうちはもっと回数が少なくても暗唱できるので、その子に合った回数を決めて読むようにしてもかまいません。
大事なことは、覚えられたからおしまいとするのではなく、決めた回数を音読したからおしまいというふうにすることです。
なぜ、覚えることを目標にしないかというと、覚えることを目標にすると、難しい文章や長い文章になったときに、できないと言う子が出てくるからです。
回数を繰り返すというだけなら、誰でも例外なくできます。
覚えることが目標ではなく、音読を繰り返すことが目標とすることによって、その結果として自然に覚えていたという結果になるのです。
ところで、低学年のうちは文章を読み取る力がないために、文章を繰り返して読むということがスムーズにできない場合があります。
その場合は、最初から本人に読ませるのではなく、お母さんが音読するのを聴かせるだけでもいいのです。
聴いているうちにだんだん真似をして言えるようになります。
すると、やがて文章を目で追いながら音読もできるようになってきます。
低学年のうちは、気長に、半分遊びのような感覚で続けていくことが大事です。
幼稚園年長から小学2年生までは、暗唱の力が最も伸びる時期だと言われています。
この時期に、子供が負担を感じないやり方で暗唱の力をつけておくと、学年が上がってからも暗唱のコツが分かるので、その暗唱力を語彙力や記憶力や表現力に活かしていくことができます。
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貝原益軒は、四書五経の教材で、毎日100字分を100回読むことを勉強の基準としていました。
しかし、今の時代に、子供に100回読ませるというのは至難の業(わざ)です。。
そこで、言葉の森では、暗唱の回数の基準を30回としたのです。
30回音読をすると、25回めあたりから急に頭に入ってくるようになるからです。
今の子は、繰り返しの勉強に慣れていません。
教材が豊富にあるので、1回やったらおしまいにして、次の教材に移るというような勉強の仕方をしている子が多いと思います。
しかし、そのやり方では実力はつきません。
暗唱は、繰り返しの勉強が役に立つということを実感する機会になります。
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7.3週の小1から中1までの授業の動画を、鳥の村の資料室にアップロードしました。
小3以上は、感想文の練習ですので、動画を参考に家族に似た話を取材してきてください。
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自主学習クラスで、算数数学の問題を解いている子に、「難しかったらすぐに答えを見るんだよ。算数数学は、考えない勉強だからね」と言うと、子供も保護者も、「そんなので、いいのですか」と聞きます。
そんなのでいいのです(笑)。
(以下、算数数学を略して算数)
受験までの算数は、答えのある勉強です。
学問としての算数は、答えがあるかどうか分からない勉強です。
だから、学問としての算数は、いくら考えてもいいのです。
長い時間考えることによって、答えが分かる瞬間が来るときがあるからです。
趣味として算数の勉強をする場合も同様です。
しかし、受験の算数は、答えを出すことが目的の勉強です。
そして、受験の算数では、すべて誰かの作った答えがあることが前提になって問題が出されています。
どんなに難しい問題でも、答えがあることがわかっているならば、すぐにその答えを見ればいいのです。
算数の問題で、誰でもできるのは代数系の問題です。
だから、難関校では受験生に差をつけるために、代数の問題よりも図形の問題を中心に試験問題が出されています。
図形問題は、できるとできないの差がはっきりしているので、点数の差をつけやすいからです。
この図形問題を解く力をどうつけるかというと、それをパズルの一種と考えるのです。
しかし、楽しみながらやるパズルではなく、答えを早く見つけることが目的のパズルです。
だから、問題は見たらすぐに答えを見るのが最も能率のよい勉強の仕方です。
このやり方で、図形を中心にした算数の問題集を1冊、解けない問題が1問もなくなるまでやるのです。
すると、新しい図形の問題を見ても、解き方のパターンがわかるようになります。
この図形問題の勉強の仕方は、公立中高一貫校の問題の勉強の仕方にも共通しています。
考える問題と言われるものであっても、特定の答えが想定されているのですから、問題を見たらすぐに答えを見て、「この問題はこういう答えだ」ということを理解する勉強を中心にしていくのです。
しかし、たぶんこういう勉強の仕方をしている子はほとんどいないと思います。
多くの子がやっている勉強法は、できる問題をいつまでも解いてみたり、できない問題をいつまでも考えていたりというやり方です。
そして、保護者の多くもそれが普通の勉強の仕方だと思っています。
勉強を趣味としてやるのであれば、それでもいいのです。
しかし、受験勉強に関して言えば、それは実は正しい勉強法とは正反対の勉強法です。
なぜなら、できる問題を解くことも、できない問題を考えることも、ただ時間がかかるだけだからです。
できる問題は、解く必要はありません。
できない問題は、すぐに答えを見て、問題と答えの組み合わせを理解するという勉強法が正しい勉強法です。
味気ない感じがすると思いますが、受験勉強自体が味気ないものですから、できるだけ短時間で効果の上がる勉強の仕方をしていくといいのです。
この勉強法で夏休みの一か月間、算数の勉強に取り組めば、その後の成績は驚くほど向上します。
ところが、たぶん学習塾では、こういう勉強の仕方をしません。
できる問題を解かせたり、できない問題を考えさせたりする勉強がほとんどだと思います。
それは、その方が教えやすいことと、生徒もそれで勉強した気になりやすいからです。
そして、多少は、時間をかけて勉強しただけの効果はあるからです。
しかし、本当は、家庭の自学自習で、できない問題の答えを見て理解する勉強を中心にしていくといいのです
算数の勉強の仕方について語る人の多くは、算数を教える専門家です。
だから、自然に時間のかかる勉強の仕方を説明します。
それは、他の教科、国語の場合も英語の場合も同様です。
そういう専門家の意見に従うと、勉強はどんどん時間のかかるものになっていきます。
勉強の本質を理解すれば、もっと能率のよい勉強の仕方ができます。
算数は、1冊の問題集をできない問題が1問もなくなるまで繰り返し解くことです。
この場合は、解くというのは解き方を読んで理解することです。
英語は、英語の教科書を音読暗唱することです。
そして暗唱ができたら暗書することです。(暗書は見ないで書くという意味の造語)
国語は、問題集読書をすることと、読解検定で百点を取ることです。
ただし、問題集読書と読解検定は、受験期の勉強法ですから、受験期に入る前の基本の勉強法は、読書と暗唱と親子の対話です。
受験勉強全般に関して言えば、まず志望校の過去問を答えを書き込みながらやってみることです。
そして、その過去問を基準にした勉強を進めていくことです。
勉強法の本質は、どれもシンプルなのです。
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勉強には、答えのあるものと答えのないものとがあります。
答えのある勉強は、すぐに答えを見ることです(笑)。
答えのない勉強は、ただ時間をかけて考えることです。
時間をかけると、なぜか答えが出てくることがあるからです。
しかし、受験勉強を答えのない勉強のようなやり方でやるべきではないのです。
ときどき、「読書感想文の書き方」とか、「図形問題の解き方」とか、タイトルにひかれて読む記事がありますが、ほとんどの場合、隔靴掻痒(かっかそうよう)という感じになることが多いです。
専門家の説明は、なぜか複雑なわりにわかりにくいのです(笑)。
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