暗唱するときに、覚えるまで読むというやり方ではなく、決めた回数を繰り返すというやり方をすると、やさしい文章のときも難しい文章のときも同じように暗唱をすることができます。
回数を数える方法には、「正」の字を書くとか、数珠を使うとかいろいろなやり方があります。
しかし、もっと手軽にできる方法がないかと考えて、紙を折って数える紙折り暗唱の方法を考えました。
これは、片手で紙を折りながら30回まで数えられるので、慣れた人にはやりやすい方法です。
しかし、初めての人の場合は、紙の折り方が分からないので、かえって数えにくいということもありました。
そこで、最近見つけたのがデジタルカウンター(数取り器)です。
カウンターを使うと、自分が何回まで数えたかということがデジタルの数字でわかるので、目標がはっきりします。
このやり方をしていくと、誰でも決めた回数が暗唱できるようになります。
もちろん、紙折り暗唱に慣れた人は、紙を折る方がやりやすいと思いますが。
暗唱のコツは、句点や読点でなるべく区切らずに読むということです。
ただし、まったく区切らずに早口で読むのが難しい場合は、句点や読点のところで読み方を伸ばして次の言葉に移るというやり方をするといいのです
意味を理解しながら読むというよりも、言葉の音のひとつながりとして読むのです。
意味として理解したことは、覚えるのも早いのですが、忘れるのもまた早くなります。
忙しい現代社会では、ほとんどの人が意味を理解する方法に慣れているので、すぐに覚えてすぐに忘れるという勉強法を繰り返しています。
たくさんの知識を再現するためのテスト勉強ならそれでいいのですが、自分の中に確実に残った少数のものを生かすという勉強をするためには、時間をかけて身につける方法が必要です。
貝原益軒は、四書五経の百字分を百回空に読み空に書くという勉強法を勧めました。
この方法が、日本全国の寺子屋の学習の基本になっていったのだと思います。
暗唱の効果というものは、やってみないとわからないところがあります。
これから新たに暗唱に取り組む人は、このカウンターを使った暗唱をやってみてください。
【追伸】
その後、そうふく君のお母さんから、「キッチンタイマーを使っている」という方法を教えてもらいました。
タイマーの設定をするとき、30分の設定する場合は、1分を30回押すので、そのボタンを押すのを1回とするのだそうです。
どの家庭にもある身近なものなので、いい方法だと思いました。
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暗唱には、小さなコツがいろいろあります。
その一つは、動きながら暗唱することです。
もう一つは、句読点でなるべく区切らずに読むことです。
そして、第三に、暗唱は、覚えようとしたり、思い出そうとしたりしないことです。
思い出して暗唱すると、思い出すときの「えーと」という間がいつも暗唱の中に入ってくるようになります。
思い出すぐらいなら、元の文章を目で追いながら読んでいく方がいいのです。
湯川秀樹は、6歳のころに始めた暗唱を苦痛に感じていたようです。
秀樹の兄たちが使った四書五経のテキストには、兄たちの涙のあとらしいものがついていたそうです。
そういう苦痛な暗唱が、江戸時代には子供たちの普通の勉強法として普及していました。
それはなぜかというと、子供たちが大勢で一緒にやる暗唱は、遊びのような感覚があったからだと思います。
先生と一対一の勉強は、その勉強の苦しい面が出てきます。
みんなで一緒にやる勉強は、その勉強の楽しい面が出てきます。
だから、暗唱も楽しい雰囲気でやるようにすれば続けられるのです。
うちでは、次男が発見したのですが、キッチンタイマーを使っています。
大体のキッチンタイマー、例えば、30秒にセットするのであれば、30回、”秒”のボタンを押すと思うのです。
なので、1回暗唱読めば、”秒”を1回押す、、、とやっています。
先生もどこかで紹介していたら、すみませんが。
そうふく母さん、ありがとう。
なるほど、そういう方法があったんですね。既にあるものの活用というのがいちばんいいと思います。
本文に追加しておきますね。
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音読の役割は、言葉を、文章という文脈の中で読む読み方を身につけることです。
文章は、単語の組み合わせとして理解されるよりも、文脈として理解されて読むことによってより深く理解できるようになります。
黙読の場合は、文章の中で理解するというよりも、単語を組み合わせで理解する読み方になるので、難しい単語は理解を飛ばして読むようになります。
だから、黙読は、自分の理解できるものしか読んでいないことになりやすいのです。
音読の場合は、難しい単語も、地の文章の中の一連の流れとして読むので、その単語の大まかな輪郭を了解しながら読むようになります。
この、単語の組み合わせとして読む読み方ではなく、文脈の中で読む読み方のできるのが音読という方法です。
音読をすると、同じ文章を何度繰り返して読んでも斜め読みになることがありません。
黙読は、自分の理解しただけのものを読む読み方ですから、2度目3度目は斜め読みで全体が理解できるので、繰り返し読む必要がないと感じてしまいます。
しかし、それは知識を身につけ理解する読み方であって、文章を文脈の中で考えて読む読み方ではありません。
音読で、同じ文章を4回も5回も繰り返して読む練習をすると、言葉を自分の理解の中で読むのではなく、その言葉が書かれた文章の文脈の中で読むので、自分を超えた新しい考える力と表現する力が成長していきます。
ところが、音読をさせようとする人の多くは、音読のそのような意義を知りません。
また、たとえ知っていたとしても、自分が実際に子供時代に経験したことのないことは、子供にさせることが難しいので、音読は毎日の学習として定着させることが難しいものとなっているのです。
そこで、言葉の森では、音読の代わりにもなるものとして、暗唱の方法と暗唱検定という仕組みを作りました。
読解力、思考力、表現力の勉強として最もよいのは、課題フォルダの文章を毎日音読し、暗唱検定の文章を毎日暗唱し、作文の次の週の課題について親子と対話をし、毎日学年の10倍ページ以上の本を読み、そして週に1回作文を書くことです。
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文章を情報処理として読むためには黙読が最適です。
世の中のほとんどの文章は、そういう読み方をすればいいものです。
しかし、思考力や表現力をつけるために読む、教育として読む読み方は音読です。
だから、子供時代は、黙読と並行して音読をすることが必要になるのです。
黙読は、速読ができます。
それは、自分の理解できたものを読む読み方だからです。
音読は、自分の理解できないものも含めて読む読み方です。
だから、考える力が育つのです。
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子供に音読の練習をさせる際の学年は、ほとんどの家庭が小学1、2年生のころまでだと思います。
小学生4年生になっても音読を続けている子は少なく、5、66年生になると音読を続けられる子が滅多にいません。
しかし、音読は中学3年生まで続けていく価値があります。
中学3年生までは、新しい語彙が次々と出てくる時期ですから、それらの語彙を文脈の中で理解する練習をしていくために音読は必要な勉強なのです。
試しに、中学生の生徒に、課題フォルダの長文を音読させてみると、読み間違える字がかなりあるはずです。
高校生や大学生になると、必要な語彙力は大体備わってきているので、音読よりももっと別の勉強に切り替えていく必要があります。
それが難読です。
古今東西の古典と呼ばれるような評価の定まっている本、例えば学校の歴史の教科書や倫理社会の教科書に出てくるような人の本を読んでいくことによって、自分で物事を新しく考え出す考え方の流れがわかるようになってきます。
高校生、大学生の難読は、もっと勉強の中心に位置づけられるべきものですが、今の高校や大学ではそういう勉強がなされていません。
知識を分かりやすく整理した教科書を読むような勉強がほとんどなので、考える力が育たないのです。
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子供に音読を続けさせるためには、どうしたらいいでしょうか。
それは、読み方を決して注意せず、いつも読み終えたあとに、「難しいのを読んでいるね」とか、「読むのがだんだん上手になってきたね」とかいう褒め言葉だけをかけることです。
「間違いは直さなくていいのですか」とか、「ふざけて読んだり、早口で読んだり、小さい声で読んだりしているのですが、それでもいいのですか」という質問がよくありますが、それでいいのです。
ふざけて読んでいたら、「面白い読み方ができるんだね」と褒めていればいいのです(笑)。
音読をさせて、読み間違える字や、つっかえる字があった場合、それは黙読のときは飛ばして読んでいた字です。
黙読だと、知っている言葉だけを読んでいっても、本人にその自覚がありません。
だから、読む力が伸びないのです。
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子供には、できる子とできない子がいます。
先生が、同じことを同じように教えていて、できる子とできない子がいるので、教えている先生は次のように思いがちです。
「自分がちゃんと教えていてできる子がいるのに、できない子がいるのは、その子の問題であって教える自分の問題ではない」と。
これが、大多数の学校や塾で行われている授業の仕方です。
しかし、問題は子供にあるのではなく、やはり教える先生にあるのです。
しかし、その教える対象は子供だけではなく、むしろ保護者に対してなのです。
ときどき、生徒の保護者で、「私が言っても本を読まないので、先生から言ってください」という人がいます。
また、「私が子供に音読をさせると喧嘩になるので、先生がやらせてください」という人もいます。
毎日の読書や音読は、一緒に暮らしているお母さん以外にさせられる人はいません。
親ができないことを、週に1回接する他人ができることはないのです。
音読や読書を、先生に頼もうとは思わずに、自分で工夫してなんとかやり続けようという気持ちを持ってもらうのが、先生の役割です。
子供の教育の問題は、ほとんど親の問題です。
だから、先生がその子を必ず上達させたいと思えば親に働きかけざるを得ません。
親に働きかけることも含めて、すべて子供の学力の責任は、先生の側にあるという自覚を持つことが大切です。
「学力の経済学」(中室牧子)では、幼児期の教育が、その子の将来の学力を含めた人間力の形成に大きく影響していたということが書かれています。
しかし、これは単に幼児期のその子に対する教育だけに原因があったのではありません。
その子の親に対する働きかけが、その家庭の文化を変えることによって子供の教育に影響したということなのです。
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野口英世のお母さんは、無学でした。
しかし、そこから立派な学者が育ちました。
しかも、英世は、生涯お母さんを尊敬していました。
ここに、家庭の文化というものの大切さがあるのです。
「塾に任せてください。お母さんは何もする必要がありません」という塾があります。
その反対に、「親がちゃんとやってくれないから、先生がいくら教えてもだめだ」という先生がいます。
どちらも、同じことの裏表です。
子供は、家庭の文化の成長に伴って成長していくのです。
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「小学生のうちに身につけたい英語力。脱『日英変換』のための5つの視点」という広告記事を読みました。
その記事には、「英語脳をさらに伸ばしていくために、幼稚園児か小学生の低学年から英語脳で味わうという習慣をつけておくことが大切だ」ということが書かれていました。
英語を英語で理解しながら読むという「英語脳」を作ることは、一見、英語学習の近道にように見えます。
しかし、それは、「日本語脳」が失われることと裏腹の関係にあるのです。
小学3年生までは、日本語脳がまだ十分に形成されていない時期なので、この時期に英語の学習をすれば、たやすく英語脳にすることができるかもしれません。
しかし、それは日本語脳が不完全にしか成長しないというリスクをおかしての上でのことなのです。
日本語脳が確立すると言われる小学4年生以降に英語脳を鍛える練習をするならば問題はありません。
むしろ、中学生以降に英語の学習をするよりも、英語になじむ度合いはずっと高くなるでしょう。
中学生になると、英語を日本語のフィルターを通して、知識と理屈で理解する面が強くなります。
小4から小6にかけては、英語を英語のまま聞き取る力が、まだ十分に発達しているからです。
しかし、小4以降の、日本語脳がある程度形成された時期から始める英語の学習は、日本語脳が十分に形成されていない幼児や小学校低学年のころから始める英語学習よりも進度が落ちるはずです
だからといって、幼児や小学校低学年のうちから英語の学習を始めるというのは短絡的な発想です。
低学年のうちに英語脳をつくるということは、低学年のうちの日本語脳の発達を止めるということと同じです。
この弊害が出てくるのは、子供たちが高学年になってからです。
今、幼稚園や小学校低学年で英語の勉強をしている人は、英語ができるようになったというよい面しか見ていません。
日本語の生活自体がまだ初歩的なレベルなので、日本語脳が阻害されているとは感じられません。
だから、英語も日本語も同じようにできている気がするのです。
しかし、学年が上がり、難しい日本語の文章を読む時期になると、日本語を実感的に読み取れないという弱点が次第に強くなってきます。
ただし、英語で遊ぶ程度の英語教育は、こういう心配はありません。
英語の音声をシャワーのように聞かせ、親子でも英語で話をし、英語の本を日本語の本よりも優先して読ませるというようなやりすぎの幼児英語教育の場合に、弊害が生まれてきます。
英語教育に真剣に携わっている人は、英語の基礎となる幼児期の日本語学習の大切さを理解しています。
私の知っている人の中にも、そういう人はたくさんいます。
しかし、それ以上に多くの人が、幼児期や低学年の日本語の土台の大切さを理解していないようなのです。
そのひとつが、冒頭の広告記事にあるような考え方です。
では、なぜそのような英語教育が行われているかというと、言語というものを単なる伝達の手段として考えているからです。
言語は、伝達の手段ではなく思考と文化の手段です。
言語は、ものの見方や考え方を身につける枠組みであって、単に情報を人に伝えるための入れ物ではありません。
人に伝える道具としてので言語は、これから急速に機械化されていきます。
今でもすでに、さまざまな言語を他の言語に翻訳するソフトが、不十分ながら実用に近いレベルで開発されています。
伝達の精度を100パーセント保証できるようになるまでは、まだ時間がかかるでしょうが、実用性のレベルでは100パーセントに近いという程度で十分です。
そういう先のことを考えると、子供たちの学習の重点は、第一に日本語、第二に算数数学、第三に英語です。
学習以外のことも含めれば、第一と同じところに「遊び」も入ると思います。
英語教育を行っている人の仕事の邪魔をするわけではありませんが、こういう、ごく当然のことを書く人があまりにも少ないように思ったので、敢えて書きました。
▽参考図書
「日本語人の脳: 理性・感性・情動、時間と大地の科学」角田 忠信
「英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし」 渡部 昇一
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人が物事を本気で考えるときは、母語でなければ考えられません。
この本気で考えるときに、母語の充実度が重要になってくるのです。
普通の日常会話のレベルでは、母語でも習熟した外国語でも差がありません。
だから、多くの人は、両方同じようにできると考えてしまうのです。
英語教育に関しては、いろいろな論議があるはずですが、コマーシャルレベルで発言する人の声が大きすぎるところに問題があります。
英語教育は、単に英語の教育と考えるのではなく、子供の言語能力を高めるための英語教育と考える必要があります。
基準は、子供の方にあります。
だから、英語を話せることよりも、何を話すかということが大事です。
英語の本を読めるのはいいことですが、どんな本を読むかということの方がもっと大事です。
学力は、何を話し何を読むかといいう「何」の方にあるのです。
私もそう思いました。しかし、何故か世の中には、まだその考え方は常識としては浸透していないようです。幼少期の英語教育の塾が見受けられます。人の能力に関わることなので、やすやすと見過ごせません。。
Kさん、ありがとうございます。
幼児期から英語を詰め込めば、誰でも英語はできるようになります。
しかし、その弊害として日本語が不確かになるのがわかるのは、学年が上がってからなのです。
以前投稿した英語教育の記事について、コメントを書いてくれた人がいました。
言語の学習は、算数や理科・社会などの学習に比べるとずっと大きい影響力を持っています。
それは、早期に始めれば効果があるが、同時に日本語の学習とぶつかるということです。
小学校低学年のうちは、英語も日本語も両方できるような気がします。
しかし、学年が上がると、次第に日本語が不十分になっていたことがわかってくるのです。
この反対に、英語の勉強を全くしなかった子が、中学生や高校生になったときに英語が苦手になるかというと、そういうことはありません。
今の大人で英語が得意な人のほとんどは、中学生から英語の勉強を始めているのです。
以前、小学校3年か4年で英検2級を取得した生徒がいました。幼児期から英語のキャンプなどに参加していたようです。読書不足のせいもあったと思いますが、作文の方は、簡単な英語を訳したような細切れの文が多く、表現を工夫したり、細かな描写をしたり、自分らしい感想を書いたりすることが苦手でした。ぴったりの表現を探したり、思考を組み立てたりする基盤となるのは母国語なので、幼いころに外国語の習得の方に力を入れすぎると、後に問題が出てくるのでしょう。外国語で考え、表現を工夫することができるならまだしも(日本人なのにそれもどうかと思いますが)、どちらの言語も表面的にしか使えなくなってしまうのはかわいそうなことだと思います。
Aliceさん、コメントありがとうございます。
そうなのです。簡単なことは、英語でも日本語でも同じように使える気がするのです。
しかし、深く感動したり、深く考えたりするのは、もともとの母語がしっかりしていないとできません。
英語教育に携わっている人でも、良心的な人は、早期英語教育のやりすぎの弊害というところをちゃんと押さえています。
しかし、そうでない人やそうでない教室もかなり多いのです。
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